34話 リザ=キッドマンは静かに怒る
『整号』つきの魔法詠唱に、リザは全神経を尖らせて警戒態勢に入った。
しかし、ヒュースの身に変化は起きない。
魔法は不発に終わったのか。そう考えていたリザを嘲笑うかのようにその少年は、口元を吊り上げた。
「発動はしている。どれにしようか悩んでたんだ」
「……はぁ?」
「見てればわかるよ。……うん、これにしよう」
ヒュースは一人頷いて、
「モード『グロウマンティス』」
呟くと同時、彼の右腕に変化が起きた。
手首から先が鋭利な鎌と化し、関節部が増えた。
右腕全体が人の柔肌からまるで昆虫の脚のような形状に変貌したのだ。
「腕が変わった……⁉」
驚きの声を漏らしたのはアイリスだ。
彼女の反応に気を良くしたのか、ヒュースは得意気に口を開いた。
「【怪物吸収】は希少《レアギフト》、【悪食者】を持つ者にのみ発現する魔法。能力は、モンスターの心臓を食べることで、そのモンスターが持つ魔法の使用やその姿に化けることができるというものだ。
つまり、魔法スロットの数など俺には関係ない。八つでいい気になっていたどこかのクズとは格が違うんだよ」
リザは目を細めて、
「……なるほど、モンスターを食べれば食べるほど強くなるってわけね」
「その通り」
ヒュースがニッコリと笑って返答する。
「ロ、ローグさんが無事かどうかだけ知りたいんです!お願いします!」
「だからァ。その名前は不愉快なんだって。もうキミ死んでよ」
「……ッ!」
最早、あの少年に自分たちの意見は届かない。そう悟ったアイリスは歯噛みするしかなかった。
未知の魔法を前に、リザは背後に控える金髪の少女へ声を掛けた。
「アイリス!できるだけ遠くまで離れてて!」
「……はい。……無茶は、しないでください」
アイリスは自分が足手まといにしかならないことをわかっている。
今、彼女にできることは、リザの邪魔にならないように戦闘場所から距離を置くことだけだった。
「おっと!逃がさないよ!」
ヒュースの変貌した右腕が高速で伸びた。人には成し得ない奇怪な技だ。
元になったモンスター、『グロウマンティス』の能力は、自身の体の一部を増殖させるというもの。
関節を急激に増殖させることで腕を伸ばし、かつ、あらゆる角度への方向転換を可能にしていた。
背を向けて駆け出したアイリスに、ヒュースの鎌が不規則な軌道を描きながら迫る。
常人なら反応しきれない複雑な動きの速攻。しかし、
ガンッ!と一発の銃声が響く。
リザは早撃ちにより、ヒュースの右腕をいとも容易く弾いてみせた。
「止まって見えるわ、ゲテモノ喰い小僧」
「銃?へえ、珍しいものを使うんだ」
「フン、そのスカした面をすぐに泣き顔に変えてやるわ」
リザはそう言い放って、アイリスへチラリと目をやった。
(よし、あそこまで離れれば気兼ねなく強い魔弾を使える!)
そうほくそ笑み、視線をヒュースに戻した瞬間だった。
「――【鋼鉄の鏢弾】」
リザの耳に届いたのは野太い声と何かが空を切る音。
そのコンマ数秒後、後方から短い悲鳴が聞こえた。
「なッ⁉」
慌てて振り返ると、金髪の少女がグッタリと倒れていた。
左肩は吹っ飛んでおり、血が際限なく漏れ出している。
彼女が倒れているその先では、廃墟の壁をいくつも貫通して、遥か遠くで突き刺さっている黒鉄の塊があった。
太く鋭く尖ったそれは、見た目からして恐るべき殺傷能力を秘めていることが窺える。
「アイリスッ‼」
リザは血相を変えてアイリスの元へと駆け寄っていく。
その様子を見ながら、ヒュースは不機嫌そうに攻撃を繰り出した人物へ声を掛けた。
「何で水を差すようなことをするんですか、ギャロンさん」
「こんなことをしてる暇はねェだろ。さっさとターゲットを追いかけようぜ」
「俺の中では、それよりも優先すべきことなんですよ」
「……なら、こうしよう。俺があのガキ共を殺しておいてやるから、お前はターゲットを捕まえに行く。それならどっちも達成できるだろ」
ヒュースは少し逡巡し、
「いいでしょう。あのクズの邪魔ができれば何でもいいですし」
「なら決まりだな。片付いたらそっちに向かう」
「となると心配事が一つ。知っての通り、『グリーディーウルフ』の匂い探知能力は世界の果てまで有効ですが、一人までしか追跡できません。キヨメ=シンゼンに使用している今、ギャロンさんが迷子になっても俺は探しに行けないですよ」
「だったら、分かれ道があれば目印でも点けておいてくれ。勝手に道に迷うようなバカでもねェよ俺は」
「ハハハ、わかりました」
そしてヒュースは、ローグとキヨメが落ちた穴へと飛び込んでいった。
それを見届けたギャロンは、肩の荷が下りたように太い首をゴキゴキと鳴らす。
「さて、」
猛々しい双眸が赤髪の少女へと向けられる。
ギャロンは冒険者歴十五年のベテランだ。その長い年月で培われた戦闘感がこのように告げている。
あのガキは強い、と。
彼は舌なめずりして、
(ウチのメンバー以外を手に掛けるのは久し振りだな)
リザは自分たちが所持していた二つの回復薬をすべてアイリスに飲ませていた。だが、彼女の傷はほんの僅かしか塞がらない。
「アイリス!しっかりしなさい‼アイリス‼クソ!ただの回復薬じゃ血が止まらない!」
「高等回復薬なら俺が持ってるぜ」
リザの背後から、ギャロンが小瓶をチラつかせながら言った。
髪を右半分だけ刈った大男は不敵に笑って、
「体を真っ二つに裂くつもりで撃ったんだが。そのガキのケープ、いい素材で出来てやがる」
「お前……ッ!」
「選手交代だ。貴様らは俺が殺してやる。特に恨みはないが、ヒュースの怒りを買うわけにはいかねェからな。高等回復薬が欲しけりゃ、俺を殺して奪ってみせろ」
「イカれてるの⁉冒険者同士で殺し合いなんてどうかしてる!」
「ハッ、素人が。そんなモン、ヘラクレスじゃ日常茶飯事だぜ。まあ、俺を含めて一部の奴だけだがな。
一ついいことを教えてやるよ。【異界迷宮】内での死はすべて不幸な事故で済まされる。つまり、どんな悪事を犯しても罪には問われねェ……ッ!ここでは、暴力!殺人!強姦!何もかもが許される‼【異界迷宮】ってのは俺から言わせれば、最高の遊び場なのさ‼」
ギャロンは目をギラつかせながら言った。
殺しを愉しむような異常な目つき。
なぜ子供のように無邪気に、そんなことを語れるのかがリザにはわからなかった。
ただ、その目を見た瞬間に彼女の覚悟は決まった。
(――ホント、ヘラクレスの連中は大嫌いだ)
赤髪の少女は沸き起こる怒りを闘志に変えて、両手に拳銃を構える。
「そう、気の毒にね。ならアンタは今日、不幸な事故で命を落とす……!」
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『35話 【異界迷宮】攻略……⁉』に続く
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