30話 竜種VS…
目が合った。
爛々と燃え盛る赤い竜種の双眸は、確実に自分へ向けられているとわかる。
殺意の色だけに染まった視線に見据えられ、彼は血の気が引いていくのを感じた。
(おい……何でこっちを見てる……)
キヨメを連れて移動しているローグは、思わず足を止める。
「ロ、ローグ殿。あの竜種、こちらを見ていませんか……?」
「お前も……そう思う……?」
竜種の習性は、強い者を優先して襲うというものだ。
ローグはそれを見越してアイリスに竜種召喚を指示したのだが、彼のあては外れて最悪の結果を招くことになってしまったらしい。
神種に加えて竜種を相手にすれば、全滅する可能性は99%から100%へと繰り上がる。
ローグは歯噛みして、アイリスに竜種を撤退させるように指示を送ろうとした。
瞬間、赤い翼竜サラマンドラが巨大な顎を開いた。
サラマンドラの後方、しかもその巨体で視界が塞がれたアイリスには、自分が呼んだ竜種の視線がどこを向いているのか確認できなかった。
それさえわかっていればサラマンドラが動くことを察知して、すぐに元の【異界迷宮】に送り返すことができたことだろう。
彼女が異変に気づいた時には、既に手遅れだった。
「え――――」
アイリスが声を漏らすとほぼ同時。
サラマンドラはローグとキヨメに向けて、口から強大な波動を放った。
「は?」
ローグが認識できたのは、視界を覆いつくす程の眩い閃光。
竜種のみが使うことのできる、大規模破壊魔法。
【竜の吐息】。
発射から着弾まではほんの一瞬だった。
ローグとキヨメは回避のために足を動かす暇もないまま、大爆発に巻き込まれた。
黒煙が勢いよく噴き上がり、粉塵が炸裂する。
圧倒的な破壊の一撃は、二人のいた場所を容赦なく撃ち崩した。クレーターが創られることはなく、代わりに巨大な穴を創り出す。
そこにローグとキヨメの姿はなく、瓦礫の山が次々と真下の闇へと降り注いでいく光景だけがあった。
この遺跡のエリアの真下は大きな空洞となっていた。
それこそが、次なるエリアに進むためのルートの一つ。
だがしかし、残された二人の少女たちには、それを理解する余裕などなかった。
「ローグ‼キヨメェッ‼」
突然の出来事にリザが悲痛に叫ぶ。
彼女の横では、アイリスが茫然とその様子を見つめていた。
やがて瞳は絶望に染まり、殻にこもるように両手で頭を抱える。
「そんな……、あ……ああ……」
(私が二人を殺した……!ローグさんと……キヨメちゃんを……ッ!)
自責の念で取り乱す召喚主を尻目に、サラマンドラは次なる脅威へと視線を移した。
悍ましい凝視を受けたディオニュソスもまた、純然たる殺意のみを秘めて目下の竜種を見下ろしていた。
二体の怪物は互いに、最優先に殺すべき相手を確定する。
『グルゥアアアアアアアアッ‼』
『ZIGAAAAAAAAAAAAッ‼』
「――!」
このエリア全体を揺るがす二つの咆哮が、かえってリザを冷静にさせた。
(奴らはもう、私やアイリスのことなんか眼中にない!今が、ここから脱出する最大のチャンス!)
そう思い、横にいるアイリスに顔を向けると、彼女は俯いて力なくへたり込んでいた。
「アイリス!ボーッとしてないでさっさと逃げるわよ!」
腕を抱えて立ち上がらせようとするが、アイリスは一向に動こうとしなかった。
「ちょッ……⁉何やって――」
言いかけて、リザは眉を吊り上げた。
金髪碧眼の少女は、その光のない瞳からぼたぼたと涙を零れ落とし、体をガチガチと震えさせていたからだ。
「……リザさん、……わ、私が……二人を……」
震える声で言うアイリスは、過呼吸気味に肩で激しく息をする。
明らかに正常ではない。
「……ッ!」
(動揺……⁉心が壊れかけてる……!やっぱりさっきのことが!)
アイリス自身が最も危惧していたことが現実になってしまったのだ。
見ていて痛々しくなるほど、彼女の精神は打ちのめされていた。
「すみません……すみません……」
「落ち着いてアイリス!大丈夫だから!アイツらはあの程度じゃ死なない‼」
両肩をギュッと握られたアイリスは、首が錆びた人形のようにゆっくりと顔を上げた。
ぐずぐずと鼻を鳴らしながら。
引きつった笑みを浮かべる。
「も、もう……ご迷惑は掛けませんから」
「……ッ⁉」
「私を……見捨てないでください……」
アイリスは突然そんなことを言い出した。
「何を……言ってるの……?」
意味がわからなかった。
リザにはアイリスの言わんとすることが何一つ理解できなかった。
ただ一つだけ、彼女の状態だけは理解できた。
(違う……。心が壊れかけてるんじゃない。
――もうこの子の心は、とっくの昔に壊れてたんだ……!)
ギルドを追放された時か、もしくはそれ以前か。
彼女の過去には確実にトラウマになるような何かがあったのは窺える。どう声を掛けるべきかわからず、リザは奥歯を噛み締める。
直後、上方で閃光が瞬き、爆発と同時に衝撃波が発生した。それにより、細かな瓦礫の嵐が彼女たちに襲い掛かる。
「くッ!」
リザは咄嗟に、自身の体を盾にするようにアイリスを覆った。
もの凄い勢いで飛来する瓦礫がその小柄な体に叩きつけられる。
あちこちから血が滲むものの、リザは声を上げなかった。
少しでもアイリスに精神的ショックを与えないために。
瓦礫の嵐が通過し、爆発の発生源へ振り向くと、ディオニュソスが杖から障壁を展開している状態だった。
どうやら、サラマンドラが放った【竜の息吹】を防いだらしい。
一撃でこのエリアに風穴を空けた魔法でも、神種には届かなかった。
魔法が効かないとみたサラマンドラは、巨大な翼を広げ、虚空を叩きつける。バオン!と空気が鳴り、深紅の巨体は一瞬にしてディオニュソスの元へ詰め寄った。
障壁がそこに無いかのようにすり抜け、太く鋭い牙でツタの鎧もろとも左肩に噛みつく。
『ZIGYAAAAAAッ‼』
悲鳴のような叫びを上げるディオニュソス。紫の血を肩口から噴き上げながら、壁際まで押し込まれていく。
(あの障壁、物理攻撃は通すのか……。どちらにせよ、逃げるなら今しかない!)
リザは落ち着いて、脱出の作戦を立てる。
逃げ道は三ヶ所。
一つ目は、このエリアにやって来た洞窟へと繋がる入り口。
二つ目は、吹き抜けになっている上方の道。これはリザ一人なら魔弾の一つである旋風弾の推進力移動で問題なく進めるが、アイリスを運びながらでは無理な話だ。
三つ目は、サラマンドラが空けた地下へ続く穴。しかし、これも二つ目と同じ理由で却下だ。
となると、選択肢は一つ目のものに限られる。
リザはアイリスの腕を肩に回し、通ってきた入口へ向かって足を動かした。
「あの洞窟まで逃げ込めば、奴らも入ってこれないはず!」
あとは邪魔さえ入なければ。
そう思い、リザは二体の怪物の方に注意を向けた。
そして、ちょうど目にした。
ディオニュソスの右手に握られた黄金の杯から、どこからともなく出現した赤紫色の液体が溢れ始めている光景。
液体は際限なく杯から溢れ続け、滝のように降り注いでいる。
ディオニュソスはそれを、左肩に噛みつき続けるサラマンドラの頭から垂れ流し、口の中へと注ぎ込んだ。
文字通り液体を浴びるように飲ませられて数秒、サラマンドラに変化が起きた。
『グルゥアア、ルゥオォオ!』
突然、牙を抜き放したと思えば、フラフラと不安定に飛び回り始めたのだ。
岩壁に何度もぶつかりながらも、おぼつかない動きで上方へと飛翔していく。
奇怪な行動にリザは足を止めずに、息を呑んで見つめていた。
(苦しんでるように見えた。あの液体、まさか毒……⁉)
そんな推測をする彼女は、すぐにギョッとすることになった。
「ちょっと……!冗談でしょ‼」
赤紫色の液体は、サラマンドラが去っても尚、杯から溢れ続けていたのだ。
このエリアの地面に落ちた液体はやがてかさを増し、怒涛になってリザたちに押し寄せる。
「クソ……ッ!【整理整頓】!」
咄嗟にとある魔弾を次弾に装填する。
しかし、飛沫を上げて迫る赤紫の液体に、リザとアイリスは成す術もなく押し流された。
エリア全体が液体に浸されたところで、杯からの氾濫が収まる。
『…………』
二つの異物が奔流に呑み込まれたことを見届けたディオニュソスは、上方へ逃げたサラマンドラを追ってこのエリアを後にした。
その数秒後、奔流の中でリザは拳銃を構える。
(――旋風弾!)
銃口から激しい渦を巻き起こし、その推進力でアイリスを抱えたまま水中から飛び出した。
「ぶはッ!」
空中で辺りを見回し、奔流に浸かっていない高い廃墟の上に着地した。
「ゲホッ!この味、ブドウ酒……⁉」
芳醇な香りと奥深い渋みや甘みが口の中で広がる。
赤紫の液体は毒などではなく、紛れもないワインだった。
神種の姿もなくなったことを確認したリザはようやく、一息つくことができた。
その隣ではアイリスが咳き込んでいる。
「アイリス!大丈夫⁉」
ワインを飲んでしまったのかと思ったが、そうではなかった。
「うっ……うっ……」
横隔膜を制御できておらず、ただただ嗚咽を漏らしている。
そんな様のアイリスを見て、リザはキッと目を細めた。
「しっかりしろォッ‼アイリス=グッドホープ‼」
いきなり胸ぐらを掴み上げられたアイリスは茫然と目の前の少女の顔を見る。
「いつまでウジウジしてる気なの⁉そうしていてもローグとキヨメは見つからない‼」
「でも……二人は」
「生きてるに決まってる‼だから早く探しに行くの‼そのためには冒険の経験があるアンタの力が必要なのよ‼」
「私の……」
「私は一人でもあいつらを探しに行く。もしこれで私が死んだら、それこそアンタのせいだからね、アイリス」
突き放すように手を離し、歩き出そうとしたリザはアイリスの返答を待った。
『私も行く』というただその一言を期待して。
だが、
「うわあ、何だかすごいことになってるなぁ!」
「ッ⁉」
リザの耳に届いたのはアイリスの声などではなかった。
高めの声だが、女性のものではない。
無垢な少年のような声。
「何……?あいつら」
(セラさんが、ここに向かってるって言ってたギルドの連中……?)
振り返ると、自分たちが通ってきた入口付近に彼らはいた。
金髪垂れ目の少年と、髪を右半分だけ刈った屈強な男。
リザの優れた視力が、彼らの右肩の紋章を捉える。
勇ましい巨人が描かれたその紋章には、見覚えがあった。
「まさか、【豪傑達の砦】……⁉」
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『31話 【豪傑達の砦】と【小心者の子馬】』に続く
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