29話 竜種召喚
『ZIGAAAAAAAAAAAAAAAAッッ‼』
「――――」
奇怪な咆哮は、アイリスにまともな思考を停止させた。
アレには立ち向かってはならない。いや、そもそも人が立ち向かっていい存在ではない。
人としての本能が発する警告だけが、彼女の頭の中を駆け巡る。
そんなアイリスの意識をハッキリとさせたのは、怒号にも似たローグの声だった。
「来た道を戻れッ‼」
彼はキヨメの首根っこを掴みながら、このエリアに入ってきた入口へと走り出していた。
「くふっ、くはははは!あれが神種ですかァッ!」
「ちょッ、暴れんなバカ!」
その手に引きずられている侍は、この状況でも悪癖を発揮している。
「アイリス!ボーッとしてないで逃げるわよ!」
「ッ、はい!」
リザに手を引っ張られ、アイリスも走り出す。
必死に足を動かしながら、リザはつい数秒前までの自分の思考を猛省する。
(あれが神種……!私の考えが甘かった!人にどうこうできるレベルじゃないって見ただけで直感させられた!)
神種『ディオニュソス』の不気味な瞳には、自分に背を向けて一目散に逃げだした四人の下等生物の姿が映っていた。
テリトリーに踏み入った異物を、怪物は決して見逃さない。
ディオニュソスの両手の中に陽炎のような歪みが生じる。
次の瞬間、忽然と異様な得物がその両手にそれぞれ握られた。
左手に現れたのは煌びやかな装飾に彩られた杖。
右手に現れたのは、黄金に輝く杯。
それらを手にしたディオニュソスは、岩壁を蹴り、砲弾のように飛び出した。
一瞬にしてローグたちの行く手に回り込み、地面を砕く爆砕音と共に彼らの前に立ちはだかる。
「う……ッ!」
逃げ道を遮られた彼らは、慌てて足を止めた
「チィッ!――“雷轟天征”、【鳴雷】‼」
加減は一切なし。ローグは全力で雷撃を放った。
大気を揺るがす轟音と共に、雷の槍が一直線に奔る。
昨晩、それぞれが目にした天に届くほどの雷よりも、威力はさらに上だ。
神種といえど押し退けることくらいはできるだろうと、誰もがそう確信していた。
あわよくば、この一撃で倒れる可能性もあり得る、と。
しかし。
ディオニュソスは杖を前に突き出すだけの、実に簡易的な動作でローグの雷撃を掻き消した。
「な……ッ⁉」
(透明な……障壁⁉何だあの杖……⁉)
杖の先に埋め込まれた宝石から、透明な膜が展開していた。
それは、あらゆる障害を杖の持ち主に近づけさせない、ディオニュソス専用の固有魔法。
「ならば拙者がッ‼」
キヨメが前傾姿勢で前に出る。
右足を強く踏み込み、腰のバネを利用して高速で抜刀した。
俗にいう、居合。
「――“虚空を奔れ”度で刀が振り抜かれ、風切り音と共に見えない斬撃が飛んだ。
【景断】。斬撃を魔力に乗せて放つ、キヨメの第一の魔法。
その一太刀が優れているほど、威力は上がる。
彼女が繰り出した居合は、剣術としてこれ以上ない至高の領域に達しているといっても過言ではないほど、見事なものだった。
それ故、【景断】の威力・切れ味共に最大。
現在キヨメが放てる最上の一撃だ。
しかし、届かない。
ディオニュソスの杖から展開される膜には、傷一つかなかった。
それを目にしたローグはギリと歯噛みした。
(アレで傷がつかないなんてありえねえ。おそらく、魔力そのものを無効化する魔法!)
「むう、手強い……ッ!――しかし、面白いッ!」
キヨメが嬉々として、魔法を連続で叩き込む。
ディオニュソスは障壁を展開し続けているため一向にダメージは通っていないが、攻撃してくる気配はなかった。
(もしかしてあの障壁を張ってる間は攻撃できねえのか……?)
この隙に危機的状況を打開すべく、ローグは必死に脳を働かせる。
(このまま戦うか⁉いや、ない……!本来なら、最高峰の冒険者が数人がかりで、高等回復薬をいくつも使ってやっと倒せるレベル。今の俺たちじゃまず全滅する!)
「ローグ!どうする⁉四人で戦う⁉」
「…………ッ」
リザが拳銃を両手に携えて声を上げるが、ローグはすぐに返答できなかった。
(逃げ道を封じられた今、先のエリアに進むしかねえ……。そのためには誰かが奴を足止めして、次の道を探す時間を稼ぐ必要がある……!だがキヨメのあの感じ、間違いなく魔力残量のことなんか考えちゃいない。すぐに限界が来るはずだ。
――もう、これしか……!)
そしてローグが出した結論は、一か八かの最終手段。
自分たちも危険に晒すことになるが、もうなりふりは構っていられない。
「アイリス!竜種を呼べェッ‼今はそれしかねえッ‼」
その言葉を聞いたアイリスは一瞬頭が真っ白になった。
「……で、でも……、暴走するかもしれませんよ!」
「このままじゃ全滅する可能性がある!それに竜種の習性は、強い者に襲い掛かるもんだ!確実に神種を標的にするはずだから心配ねえ!」
アイリスの脳裏に、前回【異界迷宮】に潜った時の記憶がよぎる。
自分が呼んだ竜種サラマンドラがパーティメンバーに襲い掛かろうとした苦い記憶。
不安と恐怖がアイリスの中で一気に溢れ出す。
神種に対してではない。
自分のせいで、ローグたちに迷惑をかけてしまうのではないか。彼らに愛想を尽かされてしまうのではないか。
そんな感情に苛まれながらも、アイリスは意を決した。
すべては皆を守るために。
「……わかりました」
「頼む……!」
アイリスの返答を聞き届けたローグは、頷いてキヨメの元へと駆けた。
「下がれ、キヨメ!もう十分だ!」
「しかし、もう少しで破れそうな気が――」
「いや、傷一つついてねえだろうが!あの障壁はおそらく魔法を通さねえもんなんだよ!いいから下がれ!」
「ここで退いては武士の名折れ!離してくだされローグ殿!」
「頼むから言うこと聞けェ!」
尚も立ち向かおうとするキヨメを羽交い絞めにして後退させる。
拘束を逃れようと、しばらくじたばたしていた黒髪の侍は、ふとその動きを止めた。
「――む、これは……!」
キヨメが感じ取ったのは、ディオニュソスとは逆方向からのプレッシャー。ローグに引きずられながら、彼女はそちらに顔を向けた。
「アイリス殿?」
そこにはビリビリと感じる圧力とは無縁そうな、華奢な少女の姿があった。
右手を突き出して、今まさに魔法を唱えようとしている。
嵐のような斬撃魔法を凌いだディオニュソスは障壁を解いて攻撃に転じようとしたが、ピタリとその動きを止めた。
原因は金色の髪をした、下等生物。
ソレが自分の脅威になり得る“何か”をしようとしていることを察知したのだ。
人、神、この場の生物の視線が集まる中、アイリスは最後の切り札たる魔法を唱えた。
「――“異界接合”、【怪物召喚】‼」
アイリスの前方に巨大な魔法陣が現れる。
瞬間、重く禍々しいプレッシャーがそこから噴き出した。
ローグとリザは息を呑み、キヨメは歓喜に顔を歪め、ディオニュソスは仮面の奥の不気味な目を細める。
時が止まったかのように静まり返り、体にへばりつくような緊張感がこの遺跡エリアに充満する。
そんな静寂を破ったのは、鼓膜が破れるのではないかという程の咆哮。
『ゴルゥアアアアアアアアアアアッッ‼』
果たして、敵か味方か。その場を如何にかき回すのか。ジョーカーがついに姿を現す。
鮮やかな赤の光彩を放つは、堅牢な竜の鱗。
万物を砕く牙を備えるは、強靭な竜の顎。
加えて雄々しき翼を持つその竜に、リザとキヨメは無意識に声を漏らした。
「これが……!」
「竜種ですか……!」
呼び出し主である少女は、大きな不安と微かな期待が入り混じった声を上げた。
「お願い!サラマンドラ!皆を守って‼」
そして、深紅の翼竜の禍々しい双眸はただ一点に絞られた。
この場で最も危険な存在であるとみなした、その生物へと。
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『第30話 竜種VS…』に続く
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