115話 リザの選択
至近距離からのリザの銃撃。
キョウシロウは反射的に仰け反って躱したが、左耳の一部が抉られる。
(銃⁉実弾⁉赤目野郎の仲間か!)
急襲を受け、体勢を崩すキョウシロウ。その隙をリザは見逃さない。
1ステップで軽やかに飛び上がり、身を捻る。身軽さを活かした飛び回し蹴りが、無防備となった顎先に直撃した。
「がッ――!」
脳が揺らぎ、キョウシロウはたまらず膝をつく。
追撃を仕掛けようとしたリザだったが、
「――チッ」
視界の端にチラついたナナハが、行動を起こそうとしていることに気づく。
リザはすかさず、左手の拳銃をキョウシロウに、右手の拳銃をナナハに向け、両者を同時に牽制した。
「動くな!妙な真似をしたら即撃ち殺す!」
「その男の魔法は精神に干渉してくる……!唱えられる前に撃てッ!」
文字通り血反吐を吐きながら叫ぶローグ。
「……ッ」
一見、圧倒的優位な状況に立っているように見えるリザだが、彼女は歯噛みしていた。
(バカ。無理だっての……!)
ローグの背後では、ナナハが彼の首に刃を向けた状態で静止していたからだ。
下手にキョウシロウを撃とうとすれば、ローグの頸動脈が切られるかもしれない。ナナハにも同時に撃ったとしても、位置的にナナハへの攻撃はどうしても1テンポ遅れることになる。
それではローグを助けられない。
双方ともが人質を取った状況。膠着状態になれば、不利なのは酷い出血をしているローグを抱えたリザの方だった。
そして、実の優位性に気づけないキョウシロウではない。
「どうした?撃たねえのかァ?」
「黙ってなさい!脳天ブチ抜くわよ!」
「構わねえさ。俺には死をもなかったことにできる魔法がある」
「……仮にそれが事実だとして、アンタが魔法を唱えるよりも私の攻撃の方が速い」
「残念だが既に唱えてあるんだ。カウンターで発動する魔法だからなァ」
キョウシロウはローグの方に目をやる。
「てめえは覚えがあるだろ?魔法も唱えず、俺が無傷の状態に戻ったことに」
「……そうだな」
だが、とローグは一呼吸おいて、
「そんな滅茶苦茶な魔法を連発できるわけがない……。せいぜい、後一回が限度だ……。そうだろ?」
「……」
内心で舌打ちをするキョウシロウ。
実際、ローグの推測は正しかった。
キョウシロウの魔法【虚夢】は、自身に起こった不都合な出来事を『夢』として書き換え、なかったことにできる。言うなれば、事象改変魔法。
強力過ぎる故、一度発動するだけでも多大な魔力を消費することになる。今日、既に二度も発動しており、残りの魔力量から計算しても、後一度でも発動すればキョウシロウの魔力は確実に尽きる。
依然として三人の隊長格から狙われている彼にとって、それだけは避けたいことだった。
「よく考えろよガキ。てめえが引き金を引いた瞬間、あの赤目野郎の首が飛ぶことになる。だが俺は死なねえ。奴だけが死ぬんだ。ハハァッ、犬死だな」
「…………」
「……銃を置け。そうしたら、てめえら二人とも見逃してやる」
(ま、嘘だがなァ)
キョウシロウは、リザが撃てないと確信めいていた。
先ほど奇襲を仕掛けてきた時の言葉からしても、彼女の仲間意識が高いことは明らか。ローグを見殺しにできるわけがないと踏んだのだ。
「乗るな!嘘に決まってる!」
ローグは必死だった。
精神干渉系魔法を防ぐことができないリザは今この瞬間も、非常に危険な状況にあるからだ。
リザが迅速にキョウシロウを仕留め切れなかった場合、【逆夢】や、ナナハがくらった【空夢】を発動された瞬間に彼女の敗北が確定し、最悪の場合は殺されるかもしれない。
「撃て……!最後の魔力を使わせてやれ!魔力なしの状態なら、必ずお前が勝つ!」
「……心外ね。アンタは、私がギルドの仲間を見殺しにするような女だと思ってたわけ……?」
しかし、リザの覚悟は既に決まっていた。
「ねえ、侍さん。ここでアンタを撃たなければ、必ず私たち二人を見逃すと誓える?」
「ああ、誓おう」
「本当に?」
「侍ってのは嘘はつかねえものさ」
「そう……。なら良かったわ。実は私のギルドにも侍の子がいるんだけどね、その子はこっちが恥ずかしくなるくらいまっすぐな性格なの。そんな子と同じっていうのなら、信じてあげる価値はあるかもね」
似つかわしくない甘い考えを口にするリザに、ローグが苛立った様子で糾す。
「おい……何言ってんだアホチビ……!脳ミソまで蟻んこサイズなのかお前は!最悪なのは、その男に余力を残したまま俺もお前も殺されることだ……!今撃てば、確実にその男を倒せてお前とナナハは助かるんだよ!」
その言葉を聞いた赤髪の小柄な少女は、盛大な溜め息を漏らした。
「呆れた。アホはアンタの方でしょ。どうせなら、最高の結果になる選択をするに決まってるじゃない」
眉根を寄せるローグ。
リザはニヤリと笑って言い放つ。
「――ちなみに、この場合の最高っていうのはね。この嘘つきクソ侍を倒して、全員助かることよ」
緊迫した空気を黒い一閃が切り裂いたのは、その時だった。
「“深淵を這え”、【影縫】!」
魔法を唱える声が響くと共に、細長い黒い影がローグのすぐそばに飛来した。
「刀……⁉」
それは漆黒の刀だった。夕焼けによって長く伸びたナナハの影を貫くように、地面に突き刺さる。そして、
「ぐッ……⁉」
ナナハが呻くように声を上げた。
彼女の体が突然硬直した。まるで全身の表面だけを飴か何かで固められたかのような感覚。かろうじて動かせる眼だけをギョロリと動かし、たった今、黒刀が投擲された方を見やった。
「お前か……ッ!」
建物の屋根の上。そこには、髪を逆立てたギザギザ眉毛の男が立っていた。
「ナナハてめえ、何やってんだコラ」
キョウシロウが忌々し気に、新たな乱入者であるジュウゾウ=ハザマを一瞥する。
(【影縫】か。やられたな……!)
【影縫】。ジュウゾウの妖刀――獅子王で影を貫いた者の動きを固定する魔法。
ナナハが動けなくなった今、キョウシロウはローグという人質を失ったことになる。
こうなると、枷が外れたリザとの衝突は避けられない。
(このガキが無駄話をしていた理由はジュウゾウの到着を待っていたからか。言いくるめるつもりが、逆に利用されていたとはなァ。――仕方ねえ)
敵への称賛を送りながら刀を握る手を強めるキョウシロウ。
互いに手が届くほどの至近距離。勝負を分かつのは、初動の速さだ。
キョウシロウは、ミト=クシナダに次ぐ居合の達人でもある。膝をついた状態とはいえ、瞬きする間に眼前のリザを斬り伏せられるだろう。
さらには、ジュウゾウという加勢が現れたことにより、リザに生まれるわずかな安堵。キョウシロウが突くのは、まさにその安堵からくる決定的な油断だった。
(貰った――)
イレギュラーな事態にも動じず、冷静に、かつ即座に敵を屠ることだけに徹した彼はさすがと言わざるを得ない。
だが、しかし。
この勝負。血の滲む努力で身につけた早撃ちと最後まで敵への警戒を怠らなかったリザ=キッドマンに軍配が上がることとなった。
キョウシロウの刀が届くよりも速く、リザの銃弾が彼の左胸を撃ち抜く。
「な……ッ⁉」
「前に痛い目見てるのよ。だから、狡い奴と戦う時は油断も躊躇もしないって心に決めてるの。――特に、仲間を庇って戦う時はね」
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『116話 さらなる乱入者』に続く
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