113話 混沌と化す
「――で、こいつどうすんだ?……やっぱ殺すの?」
ローグは満身創痍の侍を縛り上げながら尋ねた。口にも布を括り付け、魔法を唱えられないように万全を期している。
雷撃を浴びたキョウシロウは全身を焦がし、既に気を失っていた。脇腹に空いた穴も、雷による超高熱で奇跡的に焼き塞がっている。出血死の心配はないだろう。
「ううん、このまま本拠地に連れて帰るのだ。どれだけ情報を流したか尋問しなきゃいけないから」
八咫烏を消し、そばに立っていたナナハが言った。彼女の手には納刀状態の夢想正宗がある。
やるべきことはまだ残っているものの、一段落つくことができたナナハの表情からは、安堵の色が見て取れる。
「ふーん。そいつは大変だ」
「礼を言うのだローグ君。おかげで無事に解決できたよ。それと、迷惑かけてごめんよ」
「ああ、まったくだ!何かすんごい詫びの品でももらわねえと割にあわねえな!」
「う……。私も突然極秘クエストを命じられて大変だったのだ。あ!じゃあ、トウヤさんに話を通しておくから、それで勘弁しておくれよ」
「あの人も災難だな」
「いやいや。あの人が命じた張本人だからこれくらいは当然なのだ。ほんの数時間前までは自分の部屋で饅頭食べてたのに……」
すっかり緊張が解けた二人が、談笑を始めたところで、
「――よう。良い夢見れたかァ?」
「「――――」」
ありえない声に、二人の会話が途切れる。
ありえない光景に、二人の思考が止まる。
(は――?)
ローグは幽霊でも見たかのように目を瞠る。
確かにこの手で拘束していた。話すこともできない状態のはずだった。
そして何より、満身創痍で死にかけのはずだった。
(なんで……そんな、当たり前のように……立ってんだ――)
自由の身で傷一つないキョウシロウ=アマチがそこにいた。
あまりにも突拍子のない出来事に、ローグもナナハも理解が追いつかない。
まるでこれまでのことが夢だったかのように、現実が一変していた。
「ハハァッ!」
キョウシロウは愉快気に嗤い、目にも止まらぬ速度で刀剣を抜いた。
ナナハの胸を正面から突く。
「「ッ!」」
ローグとナナハはほぼ同時に、キョウシロウから飛び退いた。
脳よりも先に体が反応したという感じだ。
「おい!無事か⁉」
ナナハを庇うように、彼女の前に立ったローグが肩越しに叫ぶ。
「う、うん。平気。ギリギリ私の体には届いて――」
手で自分の傷の有無を確認していたナナハは、あることに気づいて喉を干上がらせた。
キョウシロウが健在と判明したこの状況において、自分にとって最悪にも等しい事態に陥っていると理解する。
「しまった……。あの人が狙ったのは……!」
「俺が気づいていないとでも思っていたのか?てめえが本拠地を出る時から、懐に何かを隠していたのはわかっていた」
キョウシロウが刀を上に向ける。切っ先に貫かれているのは、ナナハが精神干渉魔法の対策として忍ばせていた特殊モンスター、獏。
「コイツが生命線だったことは明白。ここでてめえと対峙した瞬間から、俺の狙いはこのモンスターだけだった。
ずっとてめえが油断して近づいてくんのを待ってたんだよ」
獏を引っこ抜くいたキョウシロウは、グチャリ!と握り潰した。
「ようやく、俺の魔法で夢を見られるなァ、ナナハ」
「下がれナナハ!まだ奴の効果範囲だ!」
「この魔法に距離なんざ関係ねえ。
“夜天に染まれ”、【空夢】!――対象、ナナハ=シラヌイ」
ナナハが動くよりも先に、キョウシロウが新たな魔法を発動した。
(なんだ?明らかに俺を狙った攻撃じゃない!)
ローグはキョウシロウからは目を離さず、背後に控えるナナハの安否を確認する。
「おい!どうなった!何かされたか⁉」
「いや、特には……。うん……問題ない。ローグこそ平気?」
「え?あ、ああ……。俺もなんとも……」
返答は拍子抜けするほどごく自然に返ってきた。声色からしても、特に異変は感じられない。
(ナナハへの魔法は外れた?ならいい。今どうにかしなきゃいけねえのは、あの超回復魔法!いや、回復ってよりかは、ダメージそのものが無かったことになったような感じだ……!厄介極まりないが、その分消費する魔力も半端じゃないに――)
分析に頭を働かせていると、ふと気づく。
ナナハに生じた、ほんの些細な、一つの変化に。
(……あれ?……コイツ今、俺のこと呼び捨てにした?)
「ワシは親切だからよ~。特別にキヨメちゃんの居場所を教えてやんよ」
クランベリーは楽し気に話しながら席を立つ。
「キヨメが貴様なんぞに負けたとでも?」
「ばっか。ワシ超つえーんだぜ~。てめえも余裕で一捻りできるし」
指にこびりついたソースをペロリと舐めるクランベリー。どうもこれから戦闘しようという意志が感じられない。
(ふざけた奴……。こんなのにキヨメが負けるとは到底……)
ミトは刀を握る力を強める。いつでも抜刀術を繰り出せるように。
「キヨメちゃんの居場所は~」
人差し指を立てたまま右手を挙げるクランベリー。
邪悪な笑みを浮かべると、キヨメが居るという方角をゆっくりと指差した。
「――そこ」
「…………?」
指を差した先には、ミトがいる。
やはりふざけているだけかと思ったが、ふと気づく。
背後に控えていた、一人の気配に。
(――キヨメ⁉)
ローグが振り返ろうとした瞬間だった。
サクッ、と。小気味良い音が聞こえた。
「……あ?」
一本の刃が、ローグの背中から肋骨の隙間を通り、胸の真ん中を突き破っていた。
ローグが理解するよりも先に、刃はするすると引かれ、戻っていく。
途端に、激痛に見舞われる。それがかえってローグの思考を蘇らせた。が、考え始めるにはもう遅すぎたかもしれない。
体から力が抜け、倒れそうになる。
よろよろとした足取りで振り返った先には、彼の血で染まった刀を握りしめたナナハがいた。
ミトは背後から切り裂かれた。
背中に一文字の切り傷が刻まれ、鮮血が飛び散る。
「ぐ……ッ」
どうにかして倒れ込むのを耐えたミトだったが、最早、得意の抜刀術を繰り出す余力は残されていなかった。
震える体でミトはゆっくりと振り返る。
そこには、ミトの返り血を浴びたキヨメが佇んでいた。
「……どういうことでありんすか……キヨメ……ッ」
脂汗を滲ませ泥のような顔色になっているミトを見たクランベリーは、天地がひっくり返るような勢いで大爆笑していた。
「ぐはははははははははッ!てめえの魔法、最ッ高じゃねえか凶剣のォ!傑作すぎるぜマジで!ぐはッはははははッ!」
そんなクランベリーの笑い声が届いたかのように、キョウシロウもまた首巻の下で笑みを浮かべていた。
「そろそろ向こうも合流した頃だろうなァ。ははッ、いいねェ……!ゾクゾクする。
ようやく、混沌としてきたじゃねぇの」
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『114話 口調』に続く
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