110話 最も危険な冒険者
ローグたちは、目の前で起こっている光景を見て、思わず足を止めていた。
「なんだありゃ……?あんなのが平然とうろつけるのかこの街は」
「いえ、ありえねえですよ……。異常極まりねえです」
「……」
ローグ、メロウ、プーカの三人は唖然とした顔で、先を歩く一人の男を見つめる。
それは返り血に塗れた着流し姿の男だった。子供が風船でも持つかのように、刀で串刺しにした上半身のみの男性の死体を担いで、口笛交じりに歩いているのだ。
この無法の街においても明らかに異様な光景。
さらに不思議なのが、周りの人間が誰もその血塗れの男を気に留める素振りを見せないこと。まるで存在に気づいていないかのように。
そして、ローグの側にも一人、異様な光景に気づいていない人物がいた。
「三人とも、なんで急に立ち止まるんですか?早く行きましょうよ」
「……ん?お前はアイツが見えないのか?」
「アイツ?誰のことです?」
アイリスはキョトンとした顔で聞き返した。
これでローグは、自分たち三人にしかあの着流しの男の姿が見えていないのだと確信する。
「迂回しよう。もしアイツに絡まれたりでもしたら面倒だ」
ローグの提案に同意するように、メロウとプーカはこくこくと頷く。
しかし、状況を飲み込めないアイリスは当然の疑問を口にする。
「え?もうキヨメちゃんのいるところまですぐですよ。なんでわざわざ遠回りする必要が?」
「あー説明がめんどい。お前は黙ってついてこい」
そう言ってアイリスの手を引っ張り、横道に入ろうとした時、ローグの目の前を何かが勢いよく通り過ぎた。
直後に、ベチャリと不快な音。
音の方を見れば、上半身のみの血塗れの死体が建物の外壁に張り付いていた。
「――おい女ァ。てめえ今確かに、キヨメと言ったよなァ?どういう関係だ?」
そう口にしたのは、前方を歩いていた着流しの男。
彼は口元まで隠す首巻を整えながらさらに続ける。
「あァ、今は俺の存在には気づけねえか。……だが、そこの三人は別だ。純粋なエルフのガキ共に、混人種の男。てめえらは俺のことを認識できてんだろ?」
正体不明の男の言動を前に、ローグ、メロウ、プーカの三人は警戒を強める。
「……アンタの口ぶりから察するに、何らかの魔法で自分の存在を認識させないようにしていた。そんな感じか?」
「んなことはどうでもいい」
「えぇ……」
着流しの男は、ローグたちの方に歩みを進めながら鼻を鳴らす。
「言え。てめえらはキヨメの何だ?」
「はあ?キヨメ?」
(この首巻き侍。格好といい、ハウンドの関係者か何かか?でもこんなイカれた奴に正直に話してやる必要なんて――)
「チッ、さっさと言え愚図」
「――ッ!」
ドンッ!と地を蹴って急激に間合いを詰めてくる着流しの男。既に刀を抜き、その切っ先をアイリスへと向けている。
「ローグさん。さっきから誰と話してぎゃばッ!」
ローグは未だ状況をわかっていないアイリスの首根っこを掴んで後ろへ投げ飛ばし、着流しの男との間に割って入った。
「“紫電一閃”、【裂雷】!」
着流しの男の一撃を雷の刀剣で受け止めるローグ。
「ほう、意外とやる。……で、てめえらとキヨメの関係は?」
「……同じギルドの仲間だ。これでいいだろ?どこかへ行ってくれ」
「嘘だな」
「はあ⁉」
「――【逆夢】、解除」
着流しの男が呟いた直後、アイリスはようやく事の異変に気がついた。
「え……?え⁉ローグさん⁉」
突如として現れた男と鍔迫り合いをしているローグを見て、声を上げるアイリス。
さらに、通行人の一人が、外壁に投げつけられた死体を発見して悲鳴を上げた。それに反応して、他の通行人や娼館の女たちが喚きながら蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
その様子を見た着流しの男は、不快を露わにした顔をする。
「死体の一つ見ただけでこれかよ」
よそ見をした一瞬を狙って、ローグは着流しの男の腹部に蹴りを繰り出す。
「まったく、醜いったらありゃしねえ」
が、着流しの男は事もなげに片手で防いでみせた。
さらに流れるような体移動でローグの胸ぐらを掴み、一瞬にして、体を懐へと低く潜り込ませる。
(速――)
ローグが懐に入られたと認識した瞬間には既に、彼の体は宙を舞っていた。鮮やかな背負い投げを受けたローグは強く地面に叩きつけられる。
「ぐッ!」
痛みに苦悶する間もなく、ローグの眼前に追い打ちの切っ先が迫る。ローグは飛び跳ねるように横に転がって回避する。
「うおおッ!」
「あァ、いかん。つい殺しちまうところだった」
「はぁッ、はぁッ」
(コイツ、体術が半端ない!魔法なしでこれとか、何もんだよ!)
「次は少し抑えねえとな」
着流しの男はそう言って、その場で刀を軽く振るう。
そんなふざけた男に向かって、ローグは静かに問う。
「お前は、キヨメと俺が仲間じゃないと即答した。その根拠は?」
「簡単なことさ。俺がアイツと同じ、ハウンドの冒険者だからだ」
(ん……⁉)
「五番隊隊長、キョウシロウ=アマチだ。この名に聞き覚えくらいあるだろう?」
「……あんたがあの『凶剣』か。道理で。悪名はかねがね聞いてるよ」
言いながらローグは周囲を軽く見回す。この場にいるのは、立ち竦んでいるメロウとプーカ、そして魔法を発動するタイミングを窺っているアイリスのみ。近くにいた他の人々は既に全員退散したようだ。
「アイリス。二人を連れて先に行ってくれ」
「え!わ、私も戦えますよ!」
「邪魔になるんだ。早く」
「なッ……!私だって!」
アイリスは自分が戦えることを証明しようと魔力を右手に込めたところで、メロウに裾を握られていることに気がついた。
「メロウちゃん?」
「ロ、ローグ様の言う通りですよ。どうやらアイツ、エルフの血を持つ者じゃないとまともにやり合えそうにねえです」
「どういうこと?」
「あの男の魔法はおそらく、一定の空間内にいる者の認識を阻害するもの。魔力耐性のある私たちエルフにはそれが効きません。混人種のローグ様にもね。ですので今ここでは、戦闘能力に乏しい私たちとエルフでないアイリス様はお荷物同然です」
続いて寡黙なプーカが言う。
「私たちにできること、姫様に助けを乞うことだけ」
「ッ……!」
イザクとの修行を経て戦えるようになった。ようやく仲間の力になれると思っていた。
それなのに、まだ共に戦うことができないというのか。
下唇を噛んで、悔しさを押し殺すアイリス。
彼女は決断する。
「――待っててくださいローグさん!すぐに応援を呼んで戻ってきます!」
そう言い残し、アイリスはメロウ、プーカと共に、ミトのいる塔へと向かって走り出した。
「おい待て。何勝手に逃げてやがる」
キョウシロウは三人を追おとするが、ローグが立ち塞がる。
「あいつらがクシナダ姫を連れてくるまで俺が相手をしてやる」
「あァ?クシナダ姫だと?」
「いくらアンタでもあの人には敵わんだろ。キヨメの仲間である俺たちに危害を加えたこと、あの人にこってりと絞られるがいいさ」
キョウシロウが眉をひそめたところで、ローグが自身の刀剣に雷を迸らせた。
「……!」
「けどその前に、一発かましておかないと気が済まねえ」
雷の斬撃を放つローグ。キョウシロウの姿が、雷光の中に消える。
その凄まじい威力の斬撃は、人のはけた遊廓の建物を次々と薙ぎ払っていった。
斬撃が潰えて、静寂が訪れる。
だが、ローグは未だ警戒を緩めてはいなかった。
「おい。生きてんだろ。出て来いよ。奇襲は成功しない」
「……油断もなし、か。なかなかに戦いに慣れてやがる」
ガラガラと瓦礫を崩しながら、キョウシロウが姿を見せる。
その姿を見たローグは思わず目を見開いた。
全くの無傷。服には焦げ目すらついてはいなかったからだ。
(腕一本ぶった斬ったつもりだったんだが。それに、明らかに治癒魔法や回復薬の類じゃない。何の魔法だ?)
「何が起きたか理解できてねえ面だな。俺のこの刀、夢想正宗は他人だけでなく、俺自身にも夢を見せる」
「夢……?」
「複雑なんでな。これ以上の説明は面倒だ。そんなことより、てめえはさっさと話せ。キヨメとの本当の関係をよ」
「いや、だからァ……」
そこでふと、一つの仮説が浮かぶ。先の会話から感じていた違和感。
ローグは怪訝な顔をした。【猟犬の秩序】のメンバーであるキョウシロウなら、キヨメの近況を知らないはずがないのだから。
「……まさかアンタ、キヨメのこと何も聞かされてないのか?」
「あァ?」
やっぱりな、とローグは溜め息をつく。
「この間、キヨメは【猟犬の秩序】を抜けて俺たちのギルドに入った。アイツはもう、【毒蛇のひと噛み】のメンバーだ」
キョウシロウは一瞬、驚いた様子を見せると、すぐに眉根を寄せて口を開く。
「もし仮に、それが事実なら、てめえらは皆殺しにする」
「……あ?」
ローグがキレかけたその時だった。
「――そんなことは許さないのだ。キョウシロウさん」
突如として、第三者の女の声が割り込んだ。
その声の主は建物の屋根の上にいた。刀を携えた東洋顔の少女。
彼女の姿を見たローグが声を上げる。
「あれ?ナナハか!」
「やあやあ。久し振りなのだ、ローグ君」
ナナハは気さくな感じに挨拶をすると、建物の屋根から軽やかにローグの近くに飛び降りた。
「聞いたよ。ヘラクレスを追い出されたんだって?」
ニヤニヤとそんなことを言ってくるナナハに、ローグはイラっとしながら返答する。
「うるせえな!ていうか今そんな状況じゃないんだよ!あれなんとかしろ!お前んとこの伝達ミスのせいでえらい目に遭ってんの!」
キョウシロウもまた、ナナハに言う。
「説明しろナナハ。キヨメの件、どうして俺に隠していた?事と次第によっちゃ、てめえも殺す」
「……キヨメのためを思ってのことなのだ。あなたに秘密にしていたのは、知れればローグ君たちのギルドに迷惑がかかることを危惧しただけ。もっとも、想像した通りの事態になっているけど」
「たりめえだ。キヨメは俺のモンだ。アイツを唆した、そいつらが悪い」
キョウシロウにギロリと睨まれたローグは、隣のナナハに尋ねる。
「……アイツ、キヨメとどういう関係?」
「あの人が一方的にキヨメに執着しているだけなのだ。だから気にしなくていいのだ」
「そう言われても向こうがなぁ」
「ところでローグ君はどうしてこんな場所に……って、男がこの街に来る理由は一つしかないよね……」
「ち、違うから!キヨメに頼まれてクシナダ姫に会いに来ただけだから!」
「キヨメもここにいるの?なら、尚更急がないといけないのだ。そんなわけでローグ君。ちょいと協力しておくれ」
「あ?何に?」
ナナハはゆっくりとキョウシロウに顔を向けて告げる。
「――あの男を粛清することに、ね」
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『111話 八豪傑 クランベリー=レッドローズ』に続く
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