103話 負け続ける男
イザクたちが密会している一時間ほど前。
アイリスとリザは、歓楽街のメインストリートを歩いていた。
「意外にすんなり入れましたね」
「気を抜いちゃダメよアイリス。白服がそこらを巡回してるはずだから」
そう言われて、アイリスは辺りを見回すが、
「でもそれっぽい人は見当たりませんよ」
「……たしかに。休憩中とか……?」
ちょうどこの時、白服たちがローグを追い回しているとは夢にも思わない二人だった。
「こんなことなら、わざわざアイリスに来てもらう必要もなかったかな」
「そういえば、私にとある役を演じてほしいって言ってましたよね?どんなことをすればよかったんですか?」
「設定はこんな感じよ。アイリスはお金欲しさに妹を身売りに出す非道の姉。そんで私が身売りに出される悲劇の妹」
「えぇ!何ですかそれー!そんな役嫌ですよ!」
口を尖らせて怒るアイリスをどうどうと両手を突き出して落ち着かせるリザ。
「いやー、私がこの歓楽街に踏み入るにはそれしか思いつかなくて。それに私だって妹なんて演じるのは苦渋の決断だったんだからね。これもすべてはキヨメを救うためよ」
そう、二人はキヨメをローグから助ける(勘違い)ために、この悪い噂溢れる歓楽街にやって来たのだ。
生半可な覚悟ではない。
「どこを探せばいいんでしょうね。こんなところ来たことないので勝手がわかりません」
「う~ん、私も初めてだからなぁ。なんかエロそうなところを探せばいいんじゃない?」
「た、例えば……?」
「…………」
自分で言っておいて具体的なイメージが湧かない。
リザは自分の経験不足を心の中で呪った。
「とにかくそれっぽいところを探せばいいのよ!ここはカジノばっかりだから違う気がする!他の通りを探しましょ!」
「は、はい!」
どのみちローグとキヨメを探す手がかりは何もない。
聞き込みをしながら探すしかないかなぁ、などとアイリスが考えていると、
「ん?」
少し離れたところにあるカジノ店で人だかりができているのを見つけた。
その人だかりは店先まで飛び出るほどで、みな一様に店の中を覗き込んでいる。
「リザさん、あそこだけやけに人が集まってます!」
「ほんとだ。もしかしたら、アイツらが何かトラブルでも起こしてるかも」
リザのそのセリフはあながち間違いでもないのだが。
二人の少女はひとまず、その人だかりの原因を確認してみることにした。
「トラブルの原因はアレみたいね」
人だかりをかき分けた先にあったのは、一人の男性客が店の従業員であるディーラーと二人でポーカーに興じている光景だった。
「これならどうだぁ。“3”と“8”のツーペアぁ」
「申し訳ございませんお客様。私は“キング”のスリーカードでございます」
「ぬぅ……。いかんなぁ。ツキが悪いようだぁ、今日はどうもぉ」
「そろそろ、おやめになられますか?」
「馬鹿を言えぇ。一生の恥だぁ、一度も勝てずに退くのはぁ。勝つまでやらせてもらおうぅ」
「かしこまりました。いくらでもお相手致しましょう。……フフ」
その客は灰色の着流しの上に桜色の羽織を着た、この国では珍しい格好をしていた。黒い短髪に幾つもの剃り込みを入れた髭面の大男で、服の上からでも膨らみが見て取れるほど筋肉質だ。そばには、鞘に納まった刀をテーブルに立て掛けている。おそらく彼の私物なのだろう。
アイリスとリザは当初、その服装の珍しさから人だかりが出来ていたのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
「あの客、これで三十連敗だぜ……」
「一体何ドルク巻き上げられてんだ?」
そんな周りの会話を聞いたアイリスは、同情を禁じ得ない気持ちになった。
「聞きましたリザさん?三十連敗なんて、流石に可哀そうになってきますね……。というか、そんなに負けることがあるんですね。ギャンブル怖い……」
「運が絡む勝負で三十連敗なんてあるわけないでしょ。イカサマよ、イカサマ」
「え……⁉本当ですかそれ……!」
「随分単純な方法よ。ほら、そこに黒い服の男がいるでしょ」
アイリスは眉をひそめながら、人だかりの中に紛れた黒い服の男に注目する。
それと同時に、テーブルでは三十一戦目のポーカー勝負が始まった。
「……あの人がどうかしたんですか?」
「よく見てて。もう動くはずだから」
数秒後、リザの言う通り、黒い服の男は両手で何らかの合図を出し始めたのだ。それも腹の前で、目立たないように。
「あの手の合図で、ディーラーにオッサンの手札を伝えてるようね。こっち側からだと手札が丸見えで、オッサンの死角だし」
「よ、よく気づきましたね」
「あのディーラーがチラチラこっちの方見てたしね。ほんの僅かな目線の動きだからわかりづらいかもしれないけど」
目を凝らしてその目線の動きとやらを確認してみるアイリスだが、彼女の目にはそれらしい挙動は判別できなかった。
それほどの微細な動き。カード勝負に没頭しているあの髭面の男には、尚のこと気づけないだろうとアイリスは思った。
「ズルしてお金を取ってるんですね。許せない……!」
「こんな街に来る方が悪いのかもね。ま、私らには関係のないことだし、さっさとアイツらを探しにいきましょ」
リザは踵を返しつつそう話し掛けたが、返事はなかった。
「……あれ?」
それどころか、振り返ればすぐそばにいたはずのアイリスの姿がなかった。
その直後、
「こんな勝負は今すぐやめましょう!あなたはこの人たちに嵌められています!」
ポーカー勝負が行われているテーブルの方から、聞き覚えのある声が届いた。
まさかと思い、そちらを向いたリザの目に飛び込んできたのは、物怖じすることなくポーカー勝負に横やりを入れるアイリスの姿だ。
「なーにやってんのあの子はぁ⁉」
リザは改めて思い知った。目の前で困っている人を見捨てることができないのが、アイリス=グッドホープという少女なのだと。
「嵌められてるぅ?俺がぁ?どういうことだぁ?」
「はい!向こうの黒い服を着た人があなたの手札を伝えていたんです!」
「ほうぅ……」
アイリスの真剣な話を聞いた髭面の男は、怪訝な顔で対戦相手の男を見た。
「お、お客様ッ!ふざけた言いがかりは困ります!営業妨害とみなして通報させて頂きますよ!」
「私はありのままのことを言っただけです!ふざけているのはそっちです!」
「ッ……!言わせておけば調子に乗りやがって!口を閉じろクソガキがァ!」
本性を現し激昂したディーラーは、座っていた椅子を蹴飛ばしてアイリスに殴り掛かった。
「やばッ!」
咄嗟に駆け出すリザだが、いくら彼女でも到底間に合わない。
冒険者といえど、素の戦闘力は一般人のアイリス。
成人男性との殴り合いになれば、勝ち目はなかった。
「く――」
このまま殴られるのを覚悟したアイリスだったが、
「――それはよくないぃ」
割って入った髭面の男が、その拳を右手一つで軽々と受け止めた。
「手を上げるもんじゃないぃ、男が女にぃ」
そう言って、掴んだ拳をぐちゃりと握り潰した。骨などなかったかのように、簡単に。
「ぎゃあああああああッ‼」
ディーラーの絶叫が店内に響き渡る。
「危険を顧みず教えてくれるとはぁ、ご親切にどうもぉ」
「あ、いえ……」
アイリスが常軌を逸した握力を目の当たりにして呆気に取られていると、悲鳴を聞きつけた男たちが続々と集まりだした。屈強な体つきの者や凶器を手にする者。この店の用心棒たちだろう。
その全員が、髭面の男とアイリス、そして彼女の元に駆けつけたリザを怒りの形相で睨みつける。
「あんたら!やろうっての⁉」
腰の銃に手を掛けるリザ。
だがそれよりも早く、髭面の男は刀を抜いていた。
「妖刀『大典太』、抜刀ぅ」
((妖刀――⁉))
アイリスとリザが揃ってギョッとした瞬間、店内は突如として破壊の嵐に見舞われた。
髭面の男が刀を軽く一振りをしただけで、途轍もない衝撃波が放たれたのだ。
目に見えない暴力の渦が、用心棒たちもろとも店内を蹂躙していく。
「「「あああああああッ⁉」」」
悲鳴が止んだ頃には既に、店は半壊していた。
用心棒たちは全員瓦礫の下敷きとなったまま気絶し、店の隅っこでは店長らしき男がガタガタと震えて失禁している。
それらを満足気に見渡した髭面の男はゆっくりと刀を鞘にしまった。
「悪徳店とその一味、成敗ぃ」
「ちょッ!やりすぎでしょ!危うく私とアイリスまで巻き込まれるところだったじゃない!」
「その辺りは配慮していたぁ、しっかりとぉ。受けた屈辱は十倍にして返すぅ、それが俺のモットーぉ」
そしてぇ、と髭面の男はアイリスに顔を向けて、
「受けた恩は百倍にして返すぅ、それもモットーぉ。俺の名はザオウマル=サカキというぅ。【猟犬の秩序】というギルドで冒険者をやっているぅ」
「え、ハウンドのザオウマル=サカキさんって、三番隊隊長の……⁉」
有名な名を聞いて、目をパチクリとさせるアイリス。
そんな彼女を真っ直ぐと見つめたザオウマルは、自身の厚い胸板を拳でドンと叩く。
「力を貸そうぅ、何か困りごとがあるのならなぁ」
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『104話 歓楽街に集う者たち』に続く
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