08、元ヤン
麻里緒のマンションからの帰り道、風太は流れ橋の上で月を眺めていた。夜空には薄雲がかかり、月の輪郭をぼやかしている。行く末の無い、風太と麻里緒の恋を憂うかのような、物悲しい光が流れ橋を照らしていた。
「あの時、麻里緒は何を言おうとしたのだろうか? やっぱり俺の病気のことなんだろうなぁ。俺の未来は閉ざされているわけだから、あまり深入りしちゃ不味いよな」
溜め息をつき、流れ橋を後にした。
すでに両親は寝ている時間だ。風太が上着のポケットから出したキーホルダーには、実家の鍵の他に見なれないピンク色の鍵が付いていた。
「麻里緒だな。いつの間に……」
風太の顔に、思わず笑みが浮かんだ。
両親を起こさないように、そっと玄関を開けて自分の部屋へ向かおうとした。
「風太か?」
居間から父の声がした。普段はこんな時間まで起きている事は無いのだが、独り手酌でビールを飲んでいた。風太の帰りを待っていたのだろうか?
「父さん、起きていたんだ」
「ああ、何だか眠れなくてな」
「かあさんは?」
「先に寝た。お前も飲むか?」
「じゃあ、一杯だけ」
そう言って、父は用意してあったグラスを風太に渡し、ビールを注いだ。グラスが用意してあったということは、風太の帰りを待っていたのだろう。
「もしかして、帰りを待っていた?」
「眠れなかっただけだ」
「心配しなくても大丈夫だよ。無理はしないから」
「今日はデートだったんだろう? 母さんが言っていた」
まるで話が噛み合っていないようだが、ふたりの間では十分に通じ合っていた。父と息子の会話とはこんなものなのだ。
「うん、そうだよ」
「どんな娘だ? 病気のことは知っているのか?」
「ああ、知っている」
「そうか、ならいい。俺は寝る」
グラスに残ったビールを一気に飲み干し、父は寝室へと消えて行った。
取り残された風太はグラスを見つめながら、まるで残されたビールに語りかけるかのように呟いた。
「親孝行をしようと思ったのに……。心配掛けてごめん」
涙が零れそうになった。グラスのビールを飲み干し、流しに置くと自分の部屋に行き、ベッドに潜り込んだ。
翌日はあいにくの雨だったが、夕方には雨も上がり西日が眩しかった。風太は光からの電話で駅前の居酒屋に呼び出された。月曜日は光の職場であるイタリアンレストランの定休日だった。
風太が店に着いた時、光は既に一人でビールを飲んでいた。笑顔でグラスを掲げる光の前に座り、目の前のグラスに手酌でビールを注いだ。酒は自分の飲みたいだけを自分の好きなペースで勝手に飲む。それが風太達のルールだった。
「どうした? 里奈ちゃんと上手く行ってないのか?」
「いや、上手く行っているよ。ただ、休みが合わないからな」
「そうだよな。向こうは週末休みで、光は月曜休みだからな」
「そう、だから逢うのはもっぱら週末の夜、店が終わってから」
「そんなに遅い時間じゃ、何処にも行けないじゃないか」
「おいおい、子供じゃないんだから。どこにも行けなくたってやる事はあるだろう」
「はぁ?」
「里奈ちゃんは独り暮らしだからな。毎週末の夜は里奈ちゃんの部屋に居る」
「あっそう! それでのろけ話でも聞かせようと言う魂胆で呼び出したのか?」
「そんなんじゃねえよ。信一から招集がかかったんだよ。俺はただの連絡係」
「じゃあ、信一と勇も来るのか?」
「ああ、二人は仕事が終わってから来るってさ。そろそろ来る頃だろう」
風太と光が飲みながら待っていると、信一と勇が揃ってやって来た。
「お待ちどうさま、信一とはそこで会ってな……」
そう言いながら、勇は風太の隣に座った。当然信一は光の隣に座る。
「で、話ってなんだよ」
早速光が信一に話を即す。
「早いな。とりあえず飲ませてくれよ」
四人は互いのグラスにビールを満たして、乾杯した。
「それで話ってなんだよ」
光は信一の話が気になって仕方が無いようだ。そんな光に急かされて、信一が話し始めた。
「まず、確認しておきたい事があるんだけれど。光は里奈ちゃんと付き合っているんだろう?」
「もちろん! 良い感じになっているよ」
「風太は麻里緒ちゃんと?」
「ああ、付き合っているよ」
「勇は?」
「俺はだなぁ。付き合って……無い。向こうにその気が無いみたいだ」
残念がる勇に、光が追い打ちをかけるような事を言う。
「それは残念だな。四人共カップル誕生とはならなかったか」
「まあ、そう上手くは行かないさ」
勇は持ち前の明るさで切り抜けようとする。
「それで、信一はどうなんだよ。愛美ちゃんと上手く行っているのか?」
そう言う勇に、信一はニヤケ顔で答える。
「昨日もデートした」
「なにニヤケてんだよ! あーあ、彼女なしは俺だけかよ!」
そんな勇のぼやきを無視して、光が信一を追求する。
「それで?」
「うん、愛美から聞いたんだけれど、光には一応話しておいた方が良いのかなって……」
「えっ、俺に?」
「うん、里奈ちゃんってさ、あんな感じだろう? 可愛らしいって言うか……なんて言うか……」
さすがに友人の彼女を卑下する様な言葉を吐露する事は無かったが、ハッキリしない物言いがそれを物語ってしまう。光もそれを理解したうえで、信一の話を素直に聞く姿勢を見せた。
「まあなんだ……、それがどうかしたのか?」
「愛美って如何にも元ヤンだろう。そんな愛美が言っていたんだけれど」
勇は信一が『愛美』と呼び捨てにしている所に引っ掛かったようだ。信一の言葉を遮る様に口を挟んだ。
「おうおう、もう呼び捨てにする仲になったのかよ! 信一らしくないなぁ」
「今はそれよりも気になることがあるだろう? それで愛美ちゃんは何て言っていたんだ?」
風太が勇をたしなめながら、信一の話を即した。
「愛美が言うには、里奈ちゃんって愛美の先輩なんだって」
「二人ともこの街の出身なんだから、同じ学校に通っていたって別に問題は無いだろう?」
そう言う光を直視しながら、信一は話を続けた。
「それが、学校の先輩じゃ無くて、ヤンキーグループの先輩らしいんだ」
『ええー』
三人の声が揃った。
信一の話に依れば、里奈はヤンキーグループの女リーダーで、周辺の不良たちからも一目置かれる存在だったらしい。今の里奈が醸し出す雰囲気とは大違いで、気が短く喧嘩っ早い。その上喧嘩で負けたことが無いと言う『つわもの』で、かなり攻撃的で危ない性格をしていたらしい。その半面情に熱く、仲間が男三人に拉致された時には、木刀片手に大立ち回りの末、男達を半殺しの目に遭わせたと言う武勇伝は有名らしい。
「あの里奈ちゃんが元ヤン?」
「あんななのに?」
「信じられん! 本当かよ?」
「間違いない。ヤンキー時代の写真も見せてもらったよ。特攻服を着て、木刀担いでバイクにまたがっていた」
光はショックを隠せないようだ。何かブツブツと呟きながら、うつろな瞳でテーブルを見つめている。そんな光を尻目に、勇が言う。
「だよなぁ。あのメンバーに元ヤン丸出しの愛美ちゃんが入っていることが不思議だったんだよな」
その言葉に、風太も続ける。
「確かに! あんなに雰囲気の違う里奈ちゃんを『ネエサン』呼ばわりしていたものなぁ」
光はと言えば、まだテーブルに向かってブツブツと呟き続けている。
「ブツブツ……元ヤン……里奈ちゃんが……」
「光、しっかりしろよ!」
信一は光の肩を揺すって、現実世界に引き戻した。
「でも、里奈ちゃんって、昔から仲間想いの良い人だって言っていたよ。だから愛美も里奈ちゃんを慕っているんだって」
突然、視線をテーブルから天井に移した光が声をあげた。
「元ヤンだって関係無いね。俺は今の里奈ちゃんが好きなんだ!」
風太と勇は、そんな光を優しい目で見ていた。
しかし、風太は信一の視線が風太の方に向けられていることに気付いていた。