06、ミカちゃんの人形
真っ白い壁に囲まれた部屋に、黒い服を着た大人たちがたくさん集まっている。前方には白い花がたくさん飾られ、その中央には写真が掲げられている。まだ幼い女の子の写真だった。そして、その前に置かれた小さな棺。
「可愛い子だったのにねぇ」
「まだ七つでしょう?」
そんな声があちらこちらから聞こえてくる。子供の葬儀は大人のそれよりも濃く、落胆と虚しさが会場を包むものだ。やがて鐘の音に続いて僧侶が現れ、木魚の音と読経の声がホールに響いた。恭しいアナウンスに誘われ、参列者たちが焼香の列を作る。
読経が止み出棺の時を迎える。小さな棺の中で、桜色の唇をした幼い女の子が安らかに横たわっていた。その身体も、参列者の手によって花で埋め尽くされ、最後に母親が少女の可愛がっていた人形を棺に入れようとした時だった。
「ダメ! マリーちゃんがかわいそうだからダメ!」
幼い男の子の声がホールに響きわたった。ホールにいた参列者たちが注目する中、少年は棺に駆け寄る。
「マリーちゃんは生きているの。だからミカちゃんと一緒に行けないの」
そう言って、少年は人形に手を伸ばす。少年の母親があわてて少年を抱きとめ、諭すように言う。
「ミカちゃんとマリーちゃんは天国で一緒に遊ぶのよ。天国で遊び相手がいなかったら、ミカちゃんがかわいそうでしょう?」
「でもダメ! マリーちゃんがかわいそう! ミカちゃん、マリーちゃんを連れて行かないで!」
少年は泣きながら棺の中の少女に訴えた。参列者の中に、すすり泣く声と嘲笑の声が入り混じった。ミカちゃんの母は少年の前にひざまずき、涙をこらえながらも優しい声で言った。
「ミカといっぱい遊んでくれてありがとう。マリーちゃんのこと、大事にしてくれる?」
「うん、大事にする」
「ありがとう。ミカの分まで……大事にしてね。そして、ミカのことも思い出してあげてね」
そう言って、ミカちゃんの母は人形を少年に手渡した。
棺は閉じられ、金属製の扉の内側へと消えて行った。参列者たちが控室へと去った後、涙と鼻水にまみれた顔で人形を抱く、少年だけがその場に佇んでいた。
太陽が高みに昇り切ろうとする頃、風太は目覚めた。ベッドから抜け出すと、押し入れの中にある物を片っ端から引きずり出した。子供の頃に使っていたグローブやバット、わけのわからないガラクタや卒業アルバム。押し入れの中には風太の歴史が詰まっていたが、肝心の探し物は見つからなかった。押し入れの捜索を断念した風太が階下に降りると、母が昼食の仕度をしていた。
「母さん……」
「今頃起きて来たのかい。もうすぐお昼ご飯になるから、顔を洗ってらっしゃい」
「うん、あのさぁ、ミカちゃんの人形ってどこにあるか知ってる?」
母は昼食の仕度の手を止めて、しばらく宙を睨んだ。
「ミカちゃんの人形? …………、ああ、ミカちゃんの葬式の時にもらってきた人形かい?」
「そう、その人形」
「あんたの部屋じゃないの?」
「押し入れを探したけれど見つからないんだ」
「うーん、じゃあ物置に入れたかなぁ? 覚えていないけれど……。後で探しておくよ」
「いや、いい。自分で探す」
「そうかい、じゃあ、早く顔を洗ってらっしゃい」
風太は洗面所へと向かった。
昼食を済ませると、風太は物置の捜索にかかった。物置の中には、普段使わない物が入れられている。しかし、そのほとんどは不用品と化していた。分量も押し入れの数倍はあるので、全てを確認する為にはかなりの時間を要しが、結局探し物は見つからなかった。落胆を隠せない風太に母が声をかけた。
「人形は見つかったのかい?」
「いや、見つからなかった」
父は怪訝な顔で二人の話を聞いていた。そんな父に母が事情説明を始めた。
「風太がね、隣のミカちゃんが可愛がっていた人形を探しているんだって。お父さんは知らないよね」
「人形?」
父も昼の母と同じ様に、宙を睨みながら遠い記憶をたどっているようだ。何かに思い当たったように風太を見て笑いかける。
「あの人形なぁ。ミカちゃんの葬式の時に、風太が泣きわめいた人形だろう。あの時は恥ずかしかったなぁ」
「そんな事は思い出さなくていいんだよ。人形の在りかを父さんが知っているわけ無いよな」
「ああ、知らないなぁ。お前が大事にしていたんだから、自分の部屋にあるんじゃないのか?」
「それが見付からないから探しているんだよ」
「そうか、俺は知らんな。でもあの時は……」
「もういいよ!」
風太が自室へ戻ってから、父が呟く様に言った。
「ミカちゃんの人形かぁ。青い目が印象的だったよな。なんだかアンバランスで……。ミカちゃんが亡くなってから、風太のヤツ人形とばかり話をしていたっけな。そんな状態が一年くらい続いたからなぁ」
「そうね、あの頃は精神的に不安定だったみたいで心配したわよね」
「何かあったのかな?」
「さあ?」
「…………、今も不安定な状態だからな。気を付けてやってくれよ」
「はいはい。でも、あの子……、私たちよりしっかりしていると思うわ」
「そうかも知れないな。あいつも強くなったもんだ」
父と母は、悲しげに微笑みあっていた。
「今頃、なんであんな夢を見たんだ?」
自室に戻った風太は、今朝見た夢のことを考えていた。呟いた独り言の答えは風太自身が一番理解している。
「あいつ、あの人形に似ているんだよな」
あいつとは、もちろん根戸麻里緒のことだ。ロングの黒髪に目の上でまっすぐに切りそろえられた前髪。そして日本的な顔立ちに青い瞳。麻里緒の容姿には人形の特徴的な部分がそのまま反映されている。
風太は脳裏を駆け廻ろうとする、空想とも妄想ともつかない思考を封じ込めるように呟いた。
「バカな! そんな筈、あるわけないじゃないか!」
論理的に思考したならば、風太の言葉は正しい。しかし、その思考は風太の心にこびりつき、離れようとしなかった。




