05、初デート
合コンの翌日、風太はスマホの着信音で起こされた。相手も確かめずに、不機嫌な寝ぼけ声で電話に出た。
「もしもし」
「おはよう、もしかしてまだ寝てた?」
スマホから聞こえて来たのは、麻里緒の声だった。まだ寝ぼけていた風太は、一気に目が覚めた。しかし、突然のことに言葉が出て来ない。
「あっ、うん」
「今ね、流れ橋にいるんだ。ちょっと出て来ない?」
「う、うん。わかった、急いで行くから」
「ゆっくりでいいよ。外は寒いから、パジャマのまま出て来ちゃダメだよ」
風太は大急ぎで身支度を整え、玄関へと向かった。台所から母の声が聞こえて来た。
「風太、起きたのかい? 朝ごはん出来ているよ」
「ゴメン、急いでいるからいいや」
そう言って、風太は家を飛び出した。
何年ぶりかのダッシュで土手に到着した。高校生くらいまでは、よく走っていた記憶がある。あの頃は元気が有り余っていたのだろうか? そんな風太もここ数年、こんなに走った事は無い。それは病気の所為ではなく、ただ単に大人になったということなのであろう。
風太は大きく深呼吸をし、呼吸を整えた。そして、まるで散歩の途中ででもあるかのような態度で、土手を昇った。土手の上に出たとたん、冬の名残と思われるような風が風太の頬を撫でた。そんな冷たい風に髪をなびかせながら、流れ橋の真ん中に座る麻里緒が居た。
風太は逸る気持ちを押さえ込んで、ことさらゆっくりとした歩みで麻里緒に近付いて行った。
「ごめん、待った?」
「急に呼び出したのは私の方だから……」
「どうかしたの?」
麻里緒は首を横に振りながら、目線を川面に落とした。
「なんでも無いよ。ただ……、風太に会いたくなっただけ」
風太も麻里緒の隣に座り、川面を見つめた。
「良い天気だけれど、まだ寒いね」
「そうね、まだ三月も半ばだからね。何だかここ、のんびりしていて良いなぁ」
「うん、子供の頃はここでよく遊んだんだ。親には、危ないから川で遊んじゃダメだって言われていたけれどもね。ここら辺の子供たちはみんなここで遊んでいた」
「ふーん、悪い子だったんだ」
「そうかもな。みんな悪い子だったけれど、それなりに大人になった」
「風太もそれなりに?」
「そのつもりだったけれど結局……、悪い子のままだったみたいだ」
風太が麻里緒の方を向くと、麻里緒の視線は風太に向けられていた。
「そんなこと無いんじゃないの? ほら、今だって両親のところに帰って来たわけだし……」
風太は視線を川面に戻し、独り言のように呟いた。
「親より先に死ぬなんて、最悪だよな」
「そんなこと無いよ。それに、治療が上手く行けば……」
顔をあげ、視線を麻里緒に向けた風太の瞳から、一滴の涙がこぼれた。麻里緒は言葉を失い、風太の肩を抱きしめた。ふたりの間に、川の流れのような静かな時間が流れ始めた。
ググググー
突然、風太の腹が鳴った。未来でも過去でも無い、今という時間に引き戻された風太と麻里緒は吹きだして笑った。
「こんな時に腹が鳴るなんて、雰囲気が台無しだよな」
「いいえ、とっても良いタイミングだと思うよ」
そう言って、麻里緒は風太のお腹をなでた。
「朝ごはん、まだなんでしょう?」
「ああ、急いで出て来たからな」
「私も食べていないから、駅前で何か食べましょうよ」
「そうしようか」
ふたりは立ち上がって、駅への道を歩き始めた。並んで歩くふたりの手が時折触れ合う。その手は、どちらからと言うことも無く、極々(ごくごく)自然な事のように繋がれた。
駅に近付いた時、風太は困ったことに気付いた。
「あっ、急いで出て来たから、財布を忘れて来た」
困った顔の風太にニッコリと笑いかけた麻里緒が言う。
「あらあら、私はちゃんと持っているから大丈夫だよ」
「ごめん、まだ会ったばかりなのに、貸してくれるかな?」
「貸してあげない。私が急に誘ったんだから、今日は私に奢らせて」
「それじゃ悪いよ」
「大丈夫よ、私は社会人なんだからね。プー太郎になった風太よりは安定しているんだから」
本来、プー太郎などと言われたら落ち込むべきなのであろう。しかし、麻里緒の笑顔には、風太の気持ちを和ませる温かさがあった。
風太と麻里緒は、駅前のファーストフード店の窓際でハンバーガーにかぶりついていた。
「麻里緒って、この辺の生まれなの?」
「いいえ、生まれは都内。でも、まだ子供の頃にこっちに引っ越してきたから、育ちはこの街っていう感じかな」
「駅前のマンションに住んでいるんだろう」
「そうだよ」
「良いよなぁ、俺の家なんか古い農家だからな。マンションってヤツに住んでみたいよなぁ」
「ついこの前まで、都内に住んでいたんでしょう?」
「そうだけれど、かなり古いアパートだったからなぁ」
「家だってもう十年以上経っているから、そんなに変わらないよ」
「俺の住んでいたアパートはそんな程度じゃなかったよ。築三十年近い木造アパートだったからなぁ。隣の話声まで聞こえて来た」
「隣はどんな人が住んでいたの?」
「俺と同じくらいの歳の男。そいつがチャラい男でね。しょっちゅう女の子を連れ込んでいた。チャラい男だったから、すぐにそういうことを始めるんだよなぁ」
「それを盗聴していたんだ」
「人聞きの悪い言い方するなよ。純朴な青年には刺激が強すぎたから、耳にイヤホン突っ込んで音楽を聴いていた」
「なんだ、つまんないの」
「何を期待しているんだよ」
「でも、たまには聴き耳を立てていたんでしょう?」
「聴き耳なんか立てていないよ。たまには聴こえて来ちゃったこともあるけれど……」
「あは、やっぱり聴いていたんだ」
「聴こえて来ちゃっただけだよ」
ふたりは他愛も無い話をした後、ファーストフード店を出た。
「今日は楽しかったです。急に呼び出してごめんなさい」
そう言って、笑顔を見せながら手を振る麻里緒はとても可愛かった。風太は後ろ髪を引かれる思いで、麻里緒に背を向け歩き始めた。
帰り道、風太は麻里緒との会話を反芻するように思いおこしていた。しかし、話していたのは風太ばかりで、麻里緒に関する新しい情報は殆んど聞くことが出来なかった。
「まあ良いか、時間はもう少し残されているからな」
そう呟きながら、風太は流れ橋を渡って行った。