18、タイムリミットと嬉しい報告
梅雨の季節が訪れた。しとしとと降る雨の中でも、風太と麻里緒の幸せな日々は続いていた。色付いた庭の紫陽花たちも、二人の幸せな時をやさしく見守っている。
いつしか梅雨も明け、夏の暑さとセミの声に包まれる季節がやって来た。うだるような暑さの中でも、風太と麻里緒の幸せは続いていた。
そして、時は八月も半ばにさしかかっていた。当初の余命宣告のタイムリミットがこの八月だった。これまでの日々は、風太の命が燃え尽きる日を恐れながらの毎日であったが、風太の体調が悪化する兆しは全く無かった。風太が帰郷して以来、倒れる事も無く平穏な日々を過ごしていた。
麻里緒は今日も風太の実家に来ていた。いつものように家族そろっての夕食後、麻里緒と母は、並んで食事の後片付けをしていた。母が洗った食器を、麻里緒が拭きながら食器棚にしまっていたのだ。
「麻里緒ちゃん、最近どうなの?」
「えっ?」
「最近体調があまり良くないのかなって思って」
「そうですか? 特に変わりは無いと思いますが」
「そう? 変なこと聞く様だけれど、えっとぉ……、生理とかは?」
「ちょっと遅れていますけれど、遅れる事も多いので」
「もしかしてなんだけれど、妊娠ってことは無いよねぇ」
「たぶん……、無いとは思いますが、そう言えばいつも以上に遅れているかなぁ」
「明日はお休みでしょう? 何か予定はあるの?」
「なにもありませんが……」
「一度病院に行ってみない? 私が一緒に付いて行ってあげるから」
「は、はい」
「じゃあ、そうしましょう。お父さんには風太と一緒に出掛けてくるように言っておくわね」
母は麻里緒にウィンクをして、父の傍らで何か耳打ちをしていた。
「麻里緒、明日なんだけれど、父さんが叔父さんの家に行くのに付き合って欲しいって言うから、ちょっと出掛ける事になっちゃったよ。どうせだから今夜は泊まって行けって言っているんだけれど、どうしよう?」
「はい、私は良いですよ。泊まって行っても」
麻里緒は母の対応に感謝していた。妊娠が確定しないうちに風太に話すのは気が重かったのだが、さすが年の功と言うのだろう。
翌朝、風太と父を送り出した麻里緒と母は産婦人科医院に居た。診察と検査を受けて待合室で待っていると、再度診察室に呼ばれた。
麻里緒と母の前に座っている笑顔の女医は、まるでテレビドラマのような言葉を発した。
「おめでとうございます。二か月と言ったところですね」
その言葉と共に、麻里緒の目から涙があふれた。もちろん嬉し涙だった。母は麻里緒の肩を抱きしめた。
「麻里緒ちゃん、良かったね。先生、ありがとうございます」
病院を出た二人は買い物を済ませてから帰宅したが、風太と父はまだ帰っていなかった。
夕食準備前の一時を居間ですごしていた母は、涙目で麻里緒の手を握った。
「麻里緒ちゃん、風太があんな病気になっちゃったから、私はもう諦めていたんだよ。まさか風太が結婚出来るなんて思ってもみなかったのに、麻里緒ちゃんがお嫁さんになってくれて……。その上赤ちゃんまで出来るなんて」
「お母さん、私こそ風太さんと知り合って、こんなに早く結婚出来るなんて思っていませんでした。これもお母さんやお父さんの協力があったからです。本当にありがとうございます」
「いいえ、お礼を言うのは私の方よ。お嫁に来てくれてありがとうね。おばあちゃんにしてくれてありがとうね」
母は涙が止まらなくなっていた。麻里緒の目からも涙がこぼれ出していた。
ひとしきり涙を流した後、母は急に立ち上がった。
「さてと、夕ご飯の支度をしなくちゃね」
麻里緒も立ち上がって母と共に台所へと向かった。
夕飯の準備が整った頃、風太と父が帰って来た。居間に用意された夕食を見て、風太が麻里緒に向かって言う。
「なんか豪華な夕食だね。今日は何かのお祝い?」
その言葉を引きとったのは母だった。
「それは後でね」
そう言って麻里緒と視線を合わせる。そして、風太と父に向かって言った。
「風太もお父さんも、早く手を洗って来て! ご飯にしますよ」
母にそう言われては、風太も父もその言葉に逆らう術は無い。黙って洗面所に向かい、手を洗ってから食卓に着いた。
食事が始まると、我慢できずに風太が質問を始めた。
「それで、今日は何の日なの?」
母と麻里緒が視線を合わせた。
「発表は麻里緒ちゃんからしてもらいましょう。さあ、麻里緒ちゃん」
風太と父の視線が麻里緒に集中する。
「あのう、今日、お母さんと病院に行って来たんです」
病院と言う言葉に風太が慌てた声をあげた。
「病院って、麻里緒、どこか悪いのか?」
「あの、えっと、そうじゃなくって」
風太の剣幕に驚く麻里緒に代わって、母が風太をたしなめる。
「風太! 落ち着いて最後まで聞きなさい!」
久しぶりに母にたしなめられた風太は、まるで小学生の様に首をすくめた。
「えっと、今日お母さんと病院に行って検査をしてもらったら、……二ヶ月だって」
「ん? 二ヶ月?」
訳の解らない顔をしている風太の様子にあきれた母が口を出した。
「鈍感な子だねぇ! 嫁さんが二か月って言ったら決まっているじゃない!」
きょとんとしていた風太が呟く様に言う。
「もしかして……赤ちゃん?」
「はい、妊娠しました」
恥ずかしそうに俯いた麻里緒を見詰める風太の顔が、しだいにゆるみ、やがて満面の笑顔に変わった。
「麻里緒、赤ちゃんが出来たんだね」
「はい」
「俺と麻里緒の赤ちゃん」
「はい」
「まりおおおぉぉぉ」
両親がいるのもかまわず、風太が麻里緒を抱きしめた。その姿を、父も母もうれしそうに、そして、やさしく見詰めていた。