16、結婚式
あっという間に二週間が過ぎた。一昨日、教会でリハーサルも済ませた。いよいよ明日は結婚式だ。
「麻里緒ちゃん、今夜ウェディングドレスを受け取りに行くんでしょう?」
終業間際に声をかけて来たのは彩香と愛美だった。
「はい、里奈さんと一緒に行く事になっています」
「試着するんでしょう? 私たちも一緒に行って良いかなぁ」
二人はキラキラと目を輝かせながら微笑んでいる。一日でも早くウェディングドレスを見たいのだろう。
「はい、かまいませんよ」
そんな訳で、四人はブライダルショップに来ていた。ショップではハルカが笑顔で迎えてくれた。
「いらっしゃいませ。麻里緒さんにピッタリなウェディングドレスが完成しましたよ。さあ、こちらへ」
ハルカに導かれ向かった先には、純白のウェディングドレスが飾られていた。形状はシンプルだが、レースをふんだんに使った美しいドレスだった。
「こちらが麻里緒さんの為に作らせていただいたドレスです。いかがですか?」
ハルカに問いかけられたが、四人の耳にはハルカの声など届いていなかった。美しいウェディングドレスに唯々見入るばかりだった。
「良いじゃない! 麻里緒ちゃんに似合いそう。ハルカ、ありがとう」
里奈はハルカの手を両手で握りしめた。
「喜んでもらえて、私も嬉しいです。それでは、奥で試着をお願いします」
麻里緒はハルカに誘われて、試着室に入って行った。
ほどなくして、純白のウェディングドレスを身にまとった麻里緒が現れた。
「キレイ」
「カワイイ」
「私も結婚したくなっちゃったなぁ」
などという言葉が飛び交う中、麻里緒は幸せをかみしめていた。それは結婚するという事だけでは無かった。二ヶ月ほど前までは全くの他人だった里奈たちに祝福されていることがこの上も無く嬉しかった。それは、孤独だった麻里緒がこの街で生きて行く事を許された気がしたからでもあった。喜びが涙となって、麻里緒の頬をつたった。
「麻里緒ちゃん、なに泣いているのよ。涙は明日の為にとって置かなくちゃダメだよ。結婚式で流す花嫁の涙は、みんなの感動を呼ぶんだからね」
そう言って、里奈が麻里緒の涙をハンカチで拭いてくれた。そのやさしさに、更に涙してしまう麻里緒だった。
いよいよ結婚式当日の朝が来た。青く澄み渡った空に、気の早い鯉のぼりが元気に泳いでいる。
信一が手配した教会のチャペルは、木造の古い建物であったが、壁は真っ白なペンキで塗り替えられたばかりで、可愛らしい印象さえ感じさせるものだった。内部は格式と伝統に支えられた古い教会らしく、木製のベンチや古びた装飾が厳かな雰囲気を醸し出していた。
麻里緒はチャペルの扉の前に立っていた。隣には職場の課長がハンカチで涙を拭いながら立っている。父の居ない麻里緒が上司にエスコート役をお願いしたのだが、リハーサルの時でさえ涙ぐんでいた課長が、今日の本番に泣かない筈は無かった。係の人が近付いて来て、麻里緒と課長に声を掛けた。
「そろそろ入場の時間です。準備はよろしいですね」
「はい」
麻里緒がそう応えて課長の腕に手を掛けると、またも課長の目から大粒の涙があふれ出した。
「根戸君……、ありがとう。ぐす。こんな日が来るなんて思ってもみなかった」
課長の涙に刺激されて、麻里緒の目にも涙が浮かんできた。
「課長、今日はお父さんなのですから、しっかりエスコートをお願いしますね」
「はは、そうだったね。根戸君が落ち着いているのに、私が舞い上がっていたんじゃ仕方ないよな」
目の前の扉が開かれた。チャペル内の全視線が麻里緒と課長に注がれた。
流れ始めたメンデルスゾーンの結婚行進曲に合わせて一歩一歩、厳かに歩を進めた。涙でぐちゃぐちゃな顔をした課長も、音楽に合わせて規則正しく歩を進めていた。
一歩、また一歩、風太の元へと近付いて行く。
祭壇の手前で待つ風太の前で立ち止まり、課長が麻里緒の手を風太へと引き継ぐ。
讃美歌を歌い、牧師が聖書を読み、そして誓約と指輪の交換。
そして、クライマックスのベールアップ&キス。チャペル全体から歓声と拍手が沸き起こる。署名と結婚の宣言が行われ、教会での結婚式は滞りなく済んだ。
教会から披露宴会場となる、光の兄が経営するイタリアンレストランまでは、歩いて数分の距離だ。出席者は皆、歩いて向かうことになっている。風太と麻里緒も皆と談笑しながらチャペルを後にしようとしていた。そこに、ボディーを花で飾った真っ白なオープンカーがゆったりと現れた。
「なんとか間に合ったみたいだな。急遽頼んだから時間ぎりぎりに成るって言っていたけれど、間に合って良かったよ。風太、麻里緒ちゃん。俺からのプレゼント。みんながレストランに集合する間、このウェディングカーでそこいら辺をひと廻りして来いよ」
派手な上にかなり恥ずかしい演出だったが、風太は勇の手を握って感謝の念を示した。
「勇、ありがとう。でも、これで行くのかよ。恥ずかしいなぁ」
「一生に一度の事だ。せいぜい恥ずかしい思いをして来い! それが思い出になるんだから。さあ、麻里緒ちゃんも乗って」
風太と麻里緒はウェディングカーの後部座席に座り、見送る参列者に手を振った。ダークスーツに白手袋をした運転手は、クラクションを鳴らしてからウェディングカーをゆっくりと発進させ、街中へと向かった。
街を走るウェディングカーなどと言うモノは、なかなかお目に掛かれるものではない。当然のごとく、沿道の人々の注目を集めた。
指を指して華やかな歓声をあげる女子高生たち。「おめでとう」と声を掛けて手を振るおばさん達。風太と麻里緒ははにかみながらも、沿道の人たちの祝福に、手を振って応えていた。
ものの十分ほどだったが、ウェディングカーに乗った風太と麻里緒は街の人々の祝福を受けながら、披露宴会場のイタリアンレストランの前に到着した。玄関前で待っていてくれた友人達に迎えられ、風太と麻里緒は店内へと入って行った。
麻里緒には両親も親戚も居なかったけれど、職場の人たちや風太の家族と親戚たちから、あたたかい祝福を受けた。
そして、披露宴の最後には、独身の女性達に向かってブーケトスが行われた。麻里緒は里奈に「私が取れるように投げてね」と言われていた。結婚式にあたって最も協力してくれた里奈だったから、麻里緒も里奈に受け取ってもらいたいと思っていた。うまい具合に里奈の所へとブーケは投げられ、里奈がブーケをキャッチしたと思った瞬間、ブーケはその手をすり抜けるように落下し、愛美の手へと納まった。
「里奈さん、私……とっちゃいました」
「うーん、残念。次は愛美の結婚式かぁ」
里奈の言葉に愛美は、柄にもない恥じらいを見せていた。そしてその視線の向かう先には、勇と光に小突かれながら照れている信一がいた。
喜びの中で披露宴もお開きとなり、麻里緒と風太は麻里緒のマンションに戻っていた。本来ならば、風太の実家に帰るべきなのであろうが、風太の両親の意見で、しばらくはマンション暮らしをする事になっていた。
やっと二人きりになれると思ったが、結婚式の後の新郎新婦が二人きりになるなんて事は、そう簡単には許してもらえなかった。麻里緒のマンションには、当然のように光・信一・勇、そして里奈・彩香・愛美も来ていた。麻里緒にとって、親しくなってからまだ二ヶ月にも満たないこのメンバーが、今では最も信頼できる友人となっていた。
「しばらくはこのマンションで暮らすのか?」
光の言葉に答えたのは、何故か里奈だった。
「決まっているじゃない。新婚さんなんだから、両親と一緒じゃ都合の悪いことだって有るでしょう」
「里奈も俺と結婚したら、しばらくは別居したいのか?」
「何言っているのよ。私は光と結婚するなんて一言も行っていないし、光は次男なんだから親と同居しないでしょう」
「いや、兄貴は近所のマンション住まいをしているから、親と同居は俺になるんじゃないかなぁ」
「ええっ! そんな話聞いて無いよ」
「言って無かったっけ?」
「聞いていません!」
痴話喧嘩を始める光と里奈を止めに入る物好きはこのメンバーには居なかった。誰も止めてくれないので、里奈は麻里緒に助けを求める。
「光ったらあんなこと言っているのよ! これって詐欺だと思わない?」
「詐欺かどうかは別として、そんな光さんを好きになっちゃったんだから仕方ないんじゃないの?」
麻里緒の落ち着きはらった返答に、里奈は驚いていた。
「麻里緒ちゃん、結婚したとたんに変わったねぇ。だけど、好きになったのは私じゃなくって、光の方だからね! そこはハッキリさせておかなくちゃ。光! そうでしょう」
里奈は光を睨むように見た。かなり酒が回っているようだ。
「はいはい、おっしゃる通りです。先に好きになったのは俺の方です。これからもずっと好きでいるから、よろしく!」
こちらもかなり酒が回っているようだ。そんな酔っ払い達の戯言はいつまでも続いた。窓の外が明るく成り始めた頃、酔っ払い達はソファーや絨毯の上で眠ってしまった。
麻里緒は毛布やタオルケットを押し入れから引っ張り出すと、酔っ払い達に掛けて回ったあと、風太と共にベッドに入った。