14、プロポーズ
麻里緒の住むマンションに着いた風太は、玄関のインターホンに麻里緒の部屋番号を入力した。すぐにオートロックは解除され、風太をマンション内へと招き入れた。
風太が麻里緒の部屋の前に到達し、インターホンに手を伸ばした途端にドアが開かれた。
「鍵は渡してあるんだから、わざわざインターホンで呼ばなくても良いのに」
そう言いながら麻里緒の笑顔が現れ、風太を室内に誘った。
「どうしたの? 今日はお友達と飲み会じゃ無かったの?」
「うん、さっきまで飲んでいたんだけれども、あいつらに麻里緒の所に行けって言われた」
ソファーに腰掛けた風太を、足元に座り込んだ麻里緒の青い瞳が見上げている。風太がキスをしようとして顔を近付けた時、麻里緒は突然立ち上がった。
「なーんだ、急に逢いたくなって来てくれたんじゃないのかぁ。つまんないの」
そう言ってキッチンへ向かってしまった。風太は慌てて麻里緒を追いかけ、キッチンへ入った。
「急にじゃないけれど、俺はいつでも麻里緒に会いたいさ。ずっとこうして居たいんだよ」
そう言って麻里緒を抱きしめた。麻里緒は少し抗ってみせたが、二人の唇はすぐに重なった。
「実はなぁ、光たちが麻里緒と相談して来いって言うから、飲み会を抜けて来たんだ」
「相談って、何を?」
「うん、麻里緒を両親に紹介した事と、俺の病気の事を光たちに話したんだ。そうしたら、いつ結婚するんだって言われてね」
「風太はなんて答えたの?」
「俺は余命宣告を受けている身だから、結婚っていう訳にはいかないだろうって言ったんだ」
風太を見詰める麻里緒の瞳に、悲しみが宿っていた。風太は締め付けられるような苦しさを心に感じながら話し続けた。
「そう言ったらあいつらが麻里緒はなんて言っているんだって聞くから、俺はこんな状況で結婚の話なんか出来ないって言ったんだよ。そうしたら、二人でちゃんと話し合って来いって言われた。後で相談するって言ったら、今すぐに行けって……、信一なんかマジで怒っていた」
風太はそう言って笑ってみせた。
「良いお友達ね」
麻里緒はそう言って風太の胸に顔を押しあてた。身体が小刻みに震えている。泣いているのかもしれないが、麻里緒の顔は風太には見えなかった。まるで時間が止まったかのように、風太は麻里緒の肩を抱きしめていた。
ソファーに戻った麻里緒は、目の前のコーヒーをすすりながら、すっかり落ち着きを取り戻していた。風太はやさしい口調で麻里緒に話しかけた。
「光と信一は、麻里緒は結婚したいと思っている筈だって言っているんだけれども、麻里緒はどう思っているの?」
麻里緒はコーヒーカップを見詰めたまま、独り言でも呟く様に言った。
「私は……まだプロポーズされた訳じゃないし、風太が私と結婚したいと思っているのか解らないじゃない」
麻里緒の言葉を聞きながら、風太は自分の愚かさにやっと気付いた。結婚したいもしたくないも、それは風太がプロポーズをしてからのことではないか。プロポーズもしていないのに、相手に結婚の意思が有るかを確認しようなんて、順番が間違っている。
風太は麻里緒の足元に跪いた。麻里緒の手を両手でやさしく握って青い瞳を見上げた。
「麻里緒。俺は余命宣告を受けていて、あと三ヵ月余りしか生きられない。けれども、残された時間の全てを、麻里緒を愛する事に使いたいと思っている。いや、俺は天国に行くのか地獄に落ちるのか解らないけれど、この命が終わっても、その後もずっと麻里緒を愛し続けるから。だから、俺と結婚して下さい」
「…………」
風太は脳腫瘍という大病を患い、余命宣告まで受けている。短い付き合いではあっても、風太は自分の死んだ後の麻里緒の事を思い、結婚しようとは言い出さないだろうと思っていた。結婚という形式をとれば、数ケ月後に麻里緒が未亡人となる事は確実なのだ。そんな選択を風太がするとは思えなかった。麻里緒はただ、それまでの時間を風太と共に過ごしたい。それだけで充分満足だと思っていた。
麻里緒の沈黙を目の前にして、風太の心は不安に駆られていた。数ケ月の命しか持たない自分が、麻里緒にプロポーズなんかしても良かったのだろうか? 麻里緒を苦しめているだけなのではないのか?
「ごめん、突然のことで……、麻里緒が混乱するのも仕方ないよな。指輪も用意していないし……」
そう付け加えた風太は、笑顔で麻里緒を見上げた。その時、麻里緒の青い瞳から涙があふれ出した。
「はい、よろしくお願いします」
涙で震える小さな声が風太の耳に届いた。風太は黙ったまま、麻里緒を抱きしめた。
「飲み会に戻らなくて良いの?」
「うーん、どうしょうかな」
「きっと心配しているよ。風太が振られて泣いているんじゃないかって」
風太は笑顔の麻里緒にキスをしてから言う。
「俺が振られるわけ無いじゃないか。あいつらだってそのくらいは解っているさ」
「あら、ずいぶんな自信ね。さっきはあんなに不安そうな顔をしていたくせに」
「あ、あれはだなぁ。指輪を用意して無かったからだよ」
麻里緒は笑顔で風太を見詰めた。
「お友達に報告してきたら。きっと報告を待っているよ」
「うん、じゃあ行って来ようかな。そうだ、麻里緒も一緒に行かないか?」
「私も行って良いの? 男同志の話しが有るんじゃないの?」
「そんなものはどうだっていいさ。それよりも、正式に紹介したいんだ。俺の婚約者だって。だから一緒に行こうよ」
「わかった、すぐに用意するからちょっと待っていてね」
麻里緒は大急ぎで化粧を直し、着替えを済ませた。その間に風太は、麻里緒と二人で行く旨を光に連絡した。
風太と麻里緒が光たちの待つ居酒屋に着くと、勇も合流していた。すでに光と信一から話を聞いていた勇が声を掛けて来た。
「おお、風太。プロポーズは上手く行ったみたいだなぁ」
風太は麻里緒の横に立ち、改めて麻里緒を紹介した。
「えっと、さっき正式に俺の婚約者になった麻里緒です。これからいろいろ有ると思うけれど、よろしくお願いします」
そう言って頭を下げる風太の横で、麻里緒も同じように頭を下げた。
「なに他人行儀な事しているんだよ。そんな堅苦しい事は別の所でやれよ。それより祝杯、祝杯」
勇の言葉で、五人は祝杯をあげた。
「それで、結婚式はどこでやるんだ?」
勇は和菓子協会の会合を終えてから合流した筈なのに、光や信一よりも酔っぱらっているようだ。会合ですでに飲んでいたのか、ここに来てから遅れを取り戻す為にピッチを上げて飲んでいたのかは不明だが、すこぶる上機嫌だ。
「結婚式って言っても、さっき結婚が決まったところだしなぁ。まだ何も考えていないよ」
「そんなこと言っている場合じゃないだろう? 早く決めちゃおうぜ」
何とも乱暴な勇の発言を後押しする様に、信一が発言する。
「今から結婚式場を予約しても、式までは三~四ケ月掛かるんじゃないのか? それじゃ遅いだろう?」
確かに信一の言う通りだ。そんなに掛かったのでは風太の命がもたない。困った顔をしている風太に向かって、光が提案をした。
「うちの店でやったらどうだ? 結婚式場の様に立派じゃないけれど、披露宴っぽいことぐらい何とかするよ」
「いいね、それ良いんじゃない」
光や勇の言葉を聞きながら、風太は考えていた。自分の余命はわずかだけれど、麻里緒にはちゃんとしたところで披露宴をしてあげたいと。その考えを口にしようとした時、麻里緒が先に口を開いた。
「お願いしても良いですか? 私は両親もいないし親戚もいないから、結婚式って言っても招待する人はほとんどいないんです。風太さんの方がそれでよければ、その方が私は嬉しいです」
風太の家は昔からの農家だから親戚も多く、いろいろと付き合いも広い。結婚式となれば、風太が顔も知らない人たちにも招待状を送る事になるのだろう。
「一応親父にも相談してみるけれど、光の店でやってもらえたら、それが一番いいな」
「わかった。じゃあ、親父さんと相談してから連絡をくれ。日取りはいつが良いかな? さすがに今週末は早すぎるから、来週か再来週だな。早いにこした事は無いからな」
どうやら披露宴会場は光の兄が経営するイタリアンレストランに決まりそうだった。そこへ信一がもう一つの提案を持ちかけた。
「披露宴は光の所で良いけれど、結婚式はどうする? 教会で良ければ知り合いが居るけれど、聞いて見ようか?」
「信一、おまえクリスチャンだったのか?」
勇の問いに首を振りながら信一が答える。
「いやいや、そんな訳ないだろう。友達に神父の息子が居てね。古い教会だけれども、クリスチャンじゃ無くても結婚式が出来るって言っていたから、麻里緒ちゃんがそれでよければ連絡してみるけれど」
「私はそれで良いです。古い教会で結婚式なんて、素敵ですよね」
「じゃあ決まりだな。信一、いつならば式を挙げられるか聞いてくれよ」
風太の言葉に頷いて、信一は教会の息子に電話を掛けた。
「来週でも再来週でも大丈夫だってさ。最近は結婚式場のチャペルでやる人が多いから、ほとんど空いているらしい。ただ、式の前に予行演習みたいなのをやるって言っていた。大丈夫だよな」
「そのくらいはお安い御用だ。助かるよ」
友人たちのおかげで、風太と麻里緒の結婚式の準備はトントン拍子に運んだ。風太の両親も状況を考慮して、この計画を了承してくれた。
風太と麻里緒の結婚式は再来週の土曜日に行われる事となった。