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10、今が全て

 風太はあり余った暇な時間を、春の陽光が降り注ぐ暖かな縁側で過ごしていた。新学期も始まり、昼間は子供たちの声も聞こえない。庭の桜の花は散ってしまったけれど、その足元にはさくら草たちが、まるで主役が回ってきた事を喜んでいるかのように咲き乱れている。


 病気が発覚する前には、自分が何をやりたいかなど考えた事も無かった。だから、タイムリミットが刻々と迫って来ているというのに、風太は残り少ない時間の有効な使い方が解らない。平日の昼間の大部分を空想と妄想に費やしていた。麻里緒と初めて会った日に見た、川面を流れる桜の花びらのように、時間という川にただ流されているだけの生活を送っていた。


「あの花びらはどこまで流れて行ったのだろうか?」

 風太の想像は桜の花びらに乗って川面を流れた。ゆらゆらと流れに身をまかせていると、目の前に一本の杭が現れた。花びらは杭に引き寄せられるように近付いたかと思うと、分断された流れによって杭の脇をすり抜ける。ふたたび周囲のゆったりとした流れに合流し、のんびりと穏やかな流れに身を任せた。

 やがて目の前に現れるせき。堰を越える流れに乗り、川水と共に落下して渦に呑み込まれた。

「ここが俺の終着点なのか? ここで川底に沈んで朽ちて行くんだろうな」

 そう呟いた風太だったが、想像は妄想へと姿を変えながら、更に流れ続ける道を選んだ。


 花びらは渦に巻き込まれて回転を続けていたが、突然の春風に吹き飛ばされる様に渦から逃れた。ふたたび流れ始めた花びらは、春の陽光を浴びながら川面の旅を続けた。

 川岸では裾に黄色い菜の花を飾り、陽光眩しい青空を背にして立ち並ぶ満開の桜達が、春風に花びらを舞わせている。。

 流れ続ける風太の花びらに近付いて来る一片ひとひらの花びら。風太の周りを回る様に近付き、やがて磁石が引き合う様に接する。二片の花びらは、ともに手をとり散歩するカップルのように、穏やかに流れ続ける。


 やがて周辺に潮の香りが漂い、海に到達した事を告げる。

「とうとう海までたどり着いたか。さすがにここまでだろうな。ここで海底深く沈みこんで行く……、俺の人生の終焉しゅうえん。やっぱり最後を飾ってくれるのは麻里緒なんだろうな。今までたいした事の無い人生だったからなぁ。最後くらい……」

 風太は頬を流れる涙を意識していた。



 夕刻、麻里緒の退社時間に合わせて家を出た。駅の改札前で麻里緒の到着を待つ。吐きだされてくるサラリーマンやОLに混じって麻里緒が現れた。風太の姿を確認すると、小走りで駆け寄り風太の腕に飛び付く。

「ただいま」

「お帰り」

 ふたりは腕を組んだまま、駅前のスーパーマーケットで買い物をし、麻里緒の部屋へと向かった。


 部屋に入ると、風太はレジ袋をテーブルに置き麻里緒にキスをする。そして、リビングのソファーに座ってテレビをつけた。麻里緒はエプロンをつけてキッチンに立つ。まるで新婚カップルのような行動だ。


 夕食が風太の前に運ばれて来た。

「今日はカレーライスです。サラダもちゃんと食べてね」

「いただきまーす」

 風太は頬張ったカレーを飲み込み、麻里緒に満面の笑顔を向けた。

「美味い! 麻里緒は料理上手だね。きっと良いお嫁さんになれるよ」

 麻里緒の顔に一瞬浮かんだ哀しみの表情に、風太は気付かなかった。

「じゃあ、風太のお嫁さんにしてくれる?」

「俺の? 麻里緒が嫁さんだったら幸せだろうなぁ。でも、俺には未来が無いからなぁ」

「誰だって未来なんかわからないよ。私だって明日、交通事故に遭うかもしれないし……。パパとママだって……」

 麻里緒の表情が曇った。

「ごめん」

「ううん、謝るのは私の方。ごめんね。風太が一番辛いのに……」

「俺は大丈夫。こうして麻里緒と居られるなら、どんな境遇だって受け入れられる。麻里緒、愛しているよ」

 沈黙がふたりを包んだ。見つめ合う瞳には、互いの姿しか映っていなかった。耳にはテレビの音さえ届いてはいなかった。


「カレーが冷めちゃうよ。あったかいうちに食べてね」

 我に返った麻里緒の言葉で、風太も現実世界へと戻ってきた。

「そうだね。しかしこのカレー、美味しいなぁ」

 風太の病状は今のところ、たまに起こる目眩めまいと頭痛くらいしか無い。意識を失ったのも、仕事をしていた時の一回きりだ。だから、傍目(はため)にはまったくの健康体に見える。そんな風太がカレーライスをモリモリ食べているところを、麻里緒は楽しそうに眺めていた。

「いっぱい作ったから、たくさん食べてね」

「うん、でももうお腹いっぱいだ。まだたくさん残っているの?」

「うん、作り過ぎちゃった」

「カレーは二日目がまた美味しいんだ」

「そうね。じゃあ、明日の朝ごはんも一緒に食べようか?」

「えっ?」

「ほら、明日は土曜日で……、休みだから……」

 恥ずかしそうに俯く麻里緒を見ながら、風太の思考回路が高速回転を始めた。結論を導き出した風太は、顔を真っ赤にしながら言った。

「知り合って……、まだ、ひと月半くらいしか経っていないし、俺に残された時間も少ししか無いんだ。それでも……、いいの?」

 麻里緒は青い瞳をまっすぐ風太に向けた。

「時間の長さなんか関係ないと思うの。だって、私は風太の貴重な時間を共有させてもらっているんだもの。私たちには浪費する無駄な時間なんか無いし、残り少ない時間だって大切にしたいの。だから……」

 風太は麻里緒をきつく抱きしめた。



 カーテンの隙間から差し込む一筋の光が、風太を目覚めへといざなっていた。ベッドの中は心地よい温もりで満たされている。布団を少しめくると、そこには風太を見つめる青い瞳があった。

「おはよう」

 風太が声をかけると、青い瞳は風太の裸の胸に押し付けられるように隠れた。風太が麻里緒の黒髪を撫でながら温もりを享受していると、再び青い瞳が現れた。今度は隠れること無く、風太の目の位置まで近付いて来た。そして、風太の唇に温もりを伝えた。


「すぐにカレーを温めるね」

 キッチンに立つ麻里緒が声をかけると、風太もキッチンへやって来て麻里緒を後ろから抱きしめた。そして耳元で囁く。

「愛しているよ」

 麻里緒はくすぐったそうに身をよじりながら応える。

「私も……」

 そして二つの唇が重なる。今日何度目の口づけだろうか? ふたりの空間は幸せに満ち溢れていた。そんな二人にとっては未来の事よりも、今、この瞬間にふたりがふたりでいる事の方が重要だった。






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