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40.やさしさが、ネットワークを占拠する

 「彼女は戦闘そのものを無効化するからねぇ」

 

 そのアカハルの声を聞くと、ゼン・グッドナイトは怒りを堪えたような暗い表情でその声の方を見た。

 「そう言えば、お前は大体事情を知っているようだったな。戦場で何が起こったのか、説明してみろ」

 グッドナイトの位置からでは見えなかったが、その言葉にアカハルは肩を竦める。

 「今更説明したって無意味でしょう。

 ここではもう戦闘なんてできそうにないし、僕をさらったあなたは誘拐犯だし、他の犯罪もたくさんしてそうだし、各国を敵に回してしまったみたいだし。

 さっさと逃げる算段でもした方が、あなたにとっても良いと思いますよ。もう諦めて僕を解放してください。

 実は、さっきからずっとトイレに行きたくて堪らないんです。もうけっこー時間が経っていますし、これだけ人数がいれば、僕の他にもトイレに行きたいと思っている人はたくさんいるんじゃないでしょーか?」

 そして、飄々とした口調でそんな事を言った。もう随分と余裕が出て来ている。その発言を受けて、アカハルの能力を使ったのか、この建物内を監視していた作業員の一人が「8人程がトイレに行きたいと思っているようです」などと言った。

 ……彼も或いはその一人で、トイレに行きたがっているのかもしれない。

 無情にもグッドナイトはそれを無視して、「いいから説明しろ」とそう言う。

 「その“彼女”とやらは一体何者だ?」

 ケーブタウンには、彼の知らない謎の魔術師がいるのかもしれないなどと考えている。が、それにアカハルはこんな事を言うのだった。

 「彼女の名前はイノマタさん。ケーブタウンの出入り口近くで飲食店を営む優しい女性です」

 「ああ?」

 と、それにグッドナイト。

 「ふざけているのか?」

 「いいえ、大真面目です。彼女が兵士達を戦闘不能状態に陥れた張本人でしょう」

 “大真面目”というのは嘘かもしれないが、彼は事実を言っていた。

 「彼女はとても優しいですからね、恐らく、近くで兵士達…… いえ、人間達が傷ついて死んでいこうとしているのに耐え切れず、戦場の中を治療しに行ったのだと思いますよ」

 「それがどうした? そんな世間知らずの馬鹿なお人好しが仮に本当にいたとして、それで戦闘が治まるはずがないだろうが」

 「もちろん、彼女だけなら無理でしょう。しかし、彼女はケーブタウンに棲むハダカデバネズミ達に異様なほど好かれていましてね。あいつらが協力したのなら、充分に考えられる話です。

 最新装備によって、ネットワークで繋がちゃっていますしねー、兵士達は……」

 

 ――国知らずの森の中。

 イノマタさんは激しい爆発音がした方に駆けて行き、その兵士を見つけた。その兵士は爆発でぶっ飛ばされ、瀕死の状態になっているようだった。

 内臓が潰れているのか、口と胴体から血が大量に出ている。足が曲がってはいけない方向に曲がっている。

 早く助けなければと、彼女は治癒魔法を使い始めた。

 朦朧としたその兵士の瞳には、何も映っていないように思えていたが、彼女が治癒を開始すると何事かを訴え始めた。

 「……いけない、 こんな場所にいては、 早く逃げ」

 助けを求めているのかと思ったが、違った。どうやら彼は自分はもう助からないから、早く逃げろと言っているようだった。

 彼女は首を激しく横に振る。

 嫌だ。絶対に助けるんだ。

 彼女が更に魔力を込めると、その兵士は酷く悲しそうな顔で「ありがとう」とそう言った。

 お願いだから喋らないで、

 そう彼女は目で訴える。

 しかし、それから彼は弱々しく指を伸ばすのだった。その指の方角に目をやり、彼女は愕然となる。

 そこには銃で撃たれただろう別の兵士がいて、やはり瀕死のようだったのだ。ただ、目の前にいる彼よりは、助かる見込みがあるように思える。

 自分よりもあっちを助けてやってくれと言っているのか、それとも、多少救ったところでどうせそう変わらないから逃げろと言っているのか。

 彼女は激しく首を横に振った。

 もっとも、彼女は何を嫌がっているのか、自分でもよく分かっていなかった。この悲惨な現実を全力で拒否しているだけかもしれない。

 彼女は涙をボロボロとこぼし、彼女の持つ最大限の治癒魔法を使う。

 滂沱。

 ……そんな事をしても、無駄なのは彼女自身も分かっていたのだが。

 が、そんな彼女の姿にショックを受けている小さな影達がそこにはあったのだった。

 ハダカデバネズミ達が十匹程。

 茫然としている。

 ――イノマタさんが泣いている。

 ――あんなに悲しそうにして。

 真っ黒な円らな瞳の中に、彼女の姿が吸い込まれていく。それは彼らにとって最優先事項として、刻印されていった。

 

 ――助けなくちゃ!

 

 しばらく固まっていた彼らのうちの一匹が、そう決断すると、それで発火したかのように他のハダカデバネズミ達も一斉に目の色を取り戻していった。

 デバババババッ!

 最大級緊急事態警報! 最大級緊急事態警報!

 イノマタさんが泣いている! 繰り返す、イノマタさんが泣いている! ……彼女を絶対に悲しませるな!

 その情報は、まるでイナズマのようにハダカデバネズミ達のネットワーク内を駆け巡った。

 ケーブタウンにいるハダカデバネズミ達は、その“声”を受信して、一斉にビクリと反応して立ち上がる。そして、同時に魔石が納められている…… もとい、魔石が納めきれないで外に漏れている倉庫を目指したのだった。

 倉庫の管理者のノームのオウドは、ハダカデバネズミ達が大量に押し寄せて来るその光景に目を白黒させていた。

 「え? ハダカデバネズミ? どうしたんだ、お前ら?」

 狼狽えている彼に構わず、ハダカデバネズミ達は倉庫の魔石を食い始める。

 「ちょっと待て! 本当にどうしたんだ? 何かの悪い病気にでもかかったか?」

 そんな彼に向けて一匹が言う。

 「最大級緊急事態! イノマタさんが泣いている!」

 「はぁ?」それにオウド。

 「イノマタさんが何だって?」

 しかし、ハダカデバネズミ達はそれに応えない。魔石を食い、魔力マックス越えのオーバーヒート状態にまで至ると、「デバババババッ!」と黄金色に輝き、スピードアップの魔法を使って目にも止まらない快速とも表現すべき速度で、ケーブタウンの外を目指し始めた。

 それからも次々とハダカデバネズミ達はやって来て、やはり同じ様に魔石を食べてはオーバーヒート状態と化し、猛スピードでケーブタウンの外を目指す。

 「お前ら!とにかく、一回、落ち着けぇぇぇ!」

 オウドは軽くパニックになって、そう叫んだ。

 そんな彼を少し遠くで体操座りで見ていたノッカーのアインは「ククク…… 困っているわ。困っているわ」と、とても楽しそうにしていた。

 

 オーバーヒート状態と化したハダカデバネズミ達は高速度で、国知らずの森を進んだ。黄金色の光を放っているそれらは、大空から眺められたなら、まるで粒子線のようだろう。

 やがてその光の粒たちは、国知らずの森の中を散っていく。あちこちで戦闘をしている兵士達の所に向っているのだ。

 戦闘の最中の兵士達は、ハダカデバネズミ達に驚いていたが、銃で撃っても、小さい上に異常に速い彼らにはほとんど命中しなかったし、稀に当たってもどうやら硬質化していたらしく、ほとんどダメージを与えられなかった。

 ただ、ネズミ達に敵意がない事に、兵士達はやがて気が付いていった。寄って来ては、強力な治癒魔法で傷を治療してくれるからだ。

 強力な治癒魔法である上に、ネズミ達が凄まじい魔力を帯びているお陰で、その効果は著しかった。戦闘で受けた傷がみるみる治癒していく。

 そのうちに、兵士の何人かはそんなハダカデバネズミ達を不思議に思ってネットワークへの接続を試みた。

 「おい! 何をやっているんだ?」

 「いえ、何の報告も受けていませんが、この奇妙なネズミ達は、治療を行ってくれています。

 もしかしたら、我が軍の秘密兵器かもしれません」

 そんなような会話が様々な場所で交わされている。

 軽率と言えば、軽率だったかもしれない。しかし、そのような兵士が各部隊に最低でも一人や二人は必ずいた。自分達の命を救ってくれるかもしれない存在の正体を確かめたいという欲求には逆らえなかったのだろう。

 そして、わずかでもそんな兵士がいればそれで充分だった。彼らはネットワークで繋がっている。ハダカデバネズミ達から伝わって来るその情報は共有され、更に共学習によって皆に行動パターンとして刻印される。

 

 ……なんだ、この女性は?

 

 凄惨な戦場の体験の中で、その存在はあまりにやさし過ぎた。傷つき瀕死の状態の兵士にとってはその効果は特に顕著で、自分を癒し、包み込んでくれるその温もりは、心の奥の底の底の部分から兵士の戦闘に対する概念を、世界に対する概念を書き換えていった。

 “……この人を悲しませてはいけない”

 それが何処の誰かは分からないけど、この人は絶対に存在している。

 そして、自分達が争い合い傷ついていくことが、この人を最も悲しませるのだと、彼らは理解してもいた。

 瀕死の昏睡状態から回復し、生まれ変わったかのようになった彼らからは、もう戦闘を続けようとする意志はすっかりとなくなっていた。

 そしてそれは、ネットワークで繋がった他の兵隊達とも共有されていた。

 更に、ネットワークが結びついていなかった各軍隊も、ハダカデバネズミ達のネットワークを介して繋がっていく。

 それにより、その“やさしさ”は、凄まじい速度でネットワーク内を埋めつくしていったのだった。

 パーコレーション。

 相転移現象。

 極まれに、それでも戦闘を続けようとする兵士もいたが、そういった者をハダカデバネズミ達は強力な睡眠魔法で眠らせた。そして、その眠りの中の無防備な夢で、彼らはやさしさを刻み込まれていった……

 

 そんな彼らには、もう戦闘は不可能だった。

 

 「――そんな話を、信じられるか!」

 

 アカハルの話を聞き終えたゼン・グッドナイトは大声でそう言った。それはまるで駄々をこねる子供の姿のようにも思えた。

 そんなグッドナイトの様子に、軽くため息を漏らすとセルフリッジは言った。

 「実際に、戦闘は随分前に停止しています。更に、その情報を元に生み出された魔法疑似生命体は、敵味方の区別なく、皆を治癒しているじゃありませんか。

 それでも、まだあなたはそれを受け入れませんか?」

 グッドナイトはその言葉を、炎のような瞳で睨む。

 「ああ、受け入れないね! 全てはお前の仕組んだ詐欺かもしれない! 僕は騙されないぞ! 僕の知っている世界は、そんなにやさしくはない!」

 「違いますよ」と、それにセルフリッジ。

 「僕が騙しているのじゃない。今まで、あなたがずっと騙され続けて来たのです。だから、事実が嘘に思えるだけです」

 それにもゼン・グッドナイトは歯向かう。

 「ならば説明してみろ! あの産み出された魔法疑似生命体の能力を! あんな強力な回復魔法や睡眠魔法を、ハダカデバネズミごときが使えるのか? 一体、どうやって学習したというんだ?」

 セルフリッジは軽く首を横に振る。

 「回復魔法と睡眠魔法は、アンナさんがハダカデバネズミ達に教えたものです。スピードアップや硬質化の身体強化魔法は、ティナさんに頼んで教えてもらいました。

 それくらいは、多少、仕込みましたが、後は自発的に起こった現象ですよ。世界は、あなたが思っているよりも、ずっと協調行動で満ち溢れているのです。

 我々の住むこの社会も、生物達が生きる森や海などの生態系も、いえ、そもそも、我々のような多細胞生物は、本来は別の生物である細胞同士が協調する事で成り立っているのですけどね」

 ゼン・グッドナイトは今までの人生を、権力争いや戦争といった奪い合いが当たり前の世界で生きて来た。

 とても男性原理的で、勝たなければ意味がない価値観が支配する世界。

 だから、

 それ以外の世界の価値観……、イノマタさんのような人間が持つ価値観が存在する事を理解できない。

 「本来、協調行動の方が方略としては、より優れているものなのですよ。争い合う方略は、互いに傷つけ合う。つまり、足を引っ張り合っているのです。

 更に、争い合う為に身に付けなくてはいけない軍事力で、資源までも浪費してしまう。

 少し考えれば簡単に分かりますが、もし仮にこの世に軍隊が存在しなかったのなら、その為の資源を人々の救済や、自然破壊問題の解決の為に使う事ができるのです。

 その方が、より社会が良くなるのは自明でしょう」

 そこまでを聞いたゼン・グッドナイトの顔からは、以前の力が消えていた。いや、もう随分前から、それは単なる虚勢になっていたのかもしれないのだが。

 セルフリッジの言葉が真実であろうがなかろうが、彼の取り巻く状況が、絶望的であるのは覆しようもない事実だ。

 シロアキとサンド・サンドが、いつの間にかフロアの中に入って来ていて、そんな彼を憐れんだ表情で眺めていた。

 彼はそれに何か言おうとしたが、握られた拳の力は一瞬でなくなり、溶けていった。そんな彼に向けて、セルフリッジがまた言う。

 「本当かどうかは分かりませんが、人間が他人の為に何かをする行動の起源は、子供を守る本能だそうです。

 次世代に生命を継がなくては、生き物は生き残っては来れませんでしたから、説得力はあるのじゃないかと僕は思いますがね……」

 

 ……老兵のライアン・オーガは、手に持った銃の銃口を少し離れた場所にいる女性に向けていた。

 「やめてください! ライアンさん! あの人だけは絶対に傷つけてはいけない!」

 そう若い兵士が彼を止めようとする。

 その制止の言葉に、彼は忌々し気にこう返す。

 「うるさい! 元凶はあの女なのだろう? あの女が奇妙な術を使った所為で、皆はおかしくなっちまったんだ!」

 ライアンはヘゲナ国の部隊長を務めていたが、最新装備を信頼せず、ネットワークに接続してはいなかったのだ。

 だから、皆に起こった変化の正体を理解してはいなかった。

 「あの女を殺して、皆を元に戻す!」

 彼の視線の先には、イノマタさんがいて、傷ついた兵士を治療していた。もう助からないかに思えた兵士は、ハダカデバネズミ達の治癒魔法によってかなり回復していた。これならもう死ぬことはないだろう。

 「やめてください! あの人を傷つけたら、いくらあなたでも許さない!」

 そう言って、若い兵士は自らの身体で彼の銃口の先を塞いだ。

 「そこをどけ! お前は、術でおかしくなっているんだ! 正気に戻れ!」

 その言葉に若い兵士は激昂する。

 「正気に戻れ? 正気を失っているのはあなたの方だ! まだ、あんな馬鹿馬鹿しい狂った戦いを再開しようと言うのですか?」

 その言葉を受けて彼は黙る。

 若い兵士は続けた。

 「よく見てください。あなたは、あんなにやさしい女性を撃ち殺そうとしているのですよ?」

 その時、ライアンは初めて彼が撃ち殺そうとしている女性をじっくりと見た。

 武器も何も持っていない。“戦闘“などという言葉からはかけ離れた姿をしている。非戦闘員どころじゃない。とても、とてもやさしい。

 彼女は治療しているその兵士を、深く労わっていた。兵士が助かりそうなのを、心の底から喜んでいるように思えた。

 微笑んでいる。

 その微笑みには、ライアン・オーガは覚えがあった。

 

 「ママ……」

 

 そう呟くと、彼は彼女に向けていた銃口をゆっくりと降ろしたのだった。

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