39. 彼女は戦闘そのものを無効化する
その兵士は死にかけていた。
何が起こったのかはよく分かっていなかった。大木の陰から顔を出し、敵兵の様子を探ろうと思った瞬間に眩い光が襲い、気が付くと少し離れた場所で倒れていたのだ。どうやら、しばらくの間、意識を失っていたらしい。
恐らくは、何らかの爆発に巻き込まれたのだろう。魔法によるものか、それとも爆薬の類か。
いずれにしろ、彼はもう戦える状態ではなかった。
ただし、それでもまだ僥倖と言えるのかもしれなかった。一昔前の装備だったなら、恐らく彼は即死だったろうから。最近になって支給された最新式の装備は防御面が大幅に強化されていて、抗魔法処置が施されている上に衝撃にも強いのだ。
近くにはまだ敵兵がいて、どこかの国の軍隊と闘っていた。もう戦闘不能状態の彼は無視されている。
敵兵達は、止めを刺しには来ない。
がしかし、例えこのまま敵兵が攻撃して来なくても、もう自分は長くは持たないだろうと彼は考えていた。数時間も経てば、自然と死んでしまう。
彼の身体はそれでもまだ生きようとしていて、敵兵の動きを必死に観察していた。そして、その“情報”はネットワークを介して、仲間達へと伝わっているはずだった。
最新の装備の特徴的な点はそこにあった。ネットワークによる仲間同士の情報共有。それは共学習という機能にも結び付き、有効な戦略を部隊全体が身に付け、更にそれを軍全体に伝える……
いずれ自分は死んでしまうが、少しでも皆の役に立てるのなら。
彼は既に覚悟を決めていた。
故郷に残して来た妻と子供達の事を想う。
……まさか、軍に所属しているギリギリで、戦争をする破目になるなんて。
運が悪いな。
そう思う。
彼の徴兵の任期はあと少しで終わるところだったのだ。
彼はまさか、自分の人生の終わりがこんなにも惨めなものになるとは思ってもいなかった。
ところが、そんな彼の視界に突然女性の人影が映ったのだった。目の錯覚だろうと彼は思う。こんな戦場の真ん中に、一般人の女性がいるはずもないのだから。
どうせ幻を見るのなら、妻の幻が良かったのに。
そう思ったが、それからその女性が物凄く心配そうな顔で治癒魔法を自分に施し始めたのを見て、
“まさか、本物なのか?”
と、彼はそう考える。
いけない。こんな所にいては、戦闘に巻き込まれて殺されてしまう。
彼は彼女に逃げるように必死に声を絞り出そうとした……
「――グッドナイト財団が開発したネットワーク機能を搭載した新装備は、防御面を大幅に強化してありますね。
それは、恐らくは例えダメージを受けて戦闘不能状態に兵士が陥ったとしても、その兵士がネットワークを介して情報を送り続ける役割を果たせるようにする為でしょう。有効な情報を膨大に蓄積してこそ、ネットワーク機能は活かせるものですから。
もっとも、それは同時にあなたのその魔法疑似生命体製造技術にとっても有用なものだったのでしょうがね。元々は、アカハルさんなしで計画していたのでしょうし。
ただそのお陰で助かりました。もしかしたら、今回の戦闘で、死者を一人も出さないで済むかもしれませんから」
オリバー・セルフリッジがそのような事を滔々と語っている。
それはゼン・グッドナイトの「何をやった?! オリバー・セルフリッジィ!」という言葉に返したものだったのだが、グッドナイトはそれを自分の言葉への返答だとは受け取らなかったようだった。
「ガイダイ! 一体、何が起こっているのか、説明しろ!」
セルフリッジを無視して、魔法疑似生命体製造の責任者である彼にそう問い詰めたからだ。
完成したはずの魔法疑似生命体は、いつの間にか製造装置から出て来ていて、クラゲのラクガキのような間抜けなその姿を、皆に向ってさらしていた。
フワフワと浮いている。
「いや、ワシにも分からん。装置に故障はないのだ! この疑似生命体は、間違いなく戦場からの戦闘情報を吸収して生成されている。
何か問題があったのかと思って、ワシは何度も何度も確認したが、何も見つからんかった」
どうやら、だから彼は中々、魔法疑似生命体を解放しないでいたらしい。
「そんな事は分かっている!」
と、グッドナイトはそれに怒鳴る。
「セルフリッジが、何かをやったんだ。それを説明しろと言っているんだ! どうして、あんな姿になった?」
ガイダイはそう言われて返答に窮していた。どうやら彼にも見当が付かないらしい。ところがそこでこんな声が上がる。
「どうしても何も、ケーブタウンの近くの戦場で、最も有効な戦略を体現した姿を取ったというだけの話だと思いますよ。
あなたがしようとしていた事、そのままが起こったのです。
……ま、残念ながら、僕のいる位置からでは、どんなモンスターが現れたのか見えないのですがね」
それはアカハルの声だった。
アカハルはまだ壁の向こうで製造装置に結びつけられて座らされたままでいるらしい。
「ほー、そうかそうか。君はどんな類の情報が流れ込んで来ていたのか知っていたのか。僕を騙していたな」
グッドナイトがそう言うと、アカハルは「まぁ、その通りです。がんばって無表情を装うのは大変でした」などと飄々とした口調で返した。
「途中から、明らかに情報の質が変わったのですよ。戦場で何か抜本的な変化があったのは明らかでした。有効な方略が根本から変わったのでしょうね。そして、その“気配”は僕もよく知っている女性のものでした」
そのアカハルの説明を聞いてグッドナイトは「女性?」と声を上げた。闇の森の魔女のことかと思ったが、状況からいってその可能性は低そうだと思い直す。
「彼女は戦闘そのものを無効化する。なるほど、考えたなセルフリッジさんって僕は思いましたよ」
アカハルのその言葉をグッドナイトは不可解に思う。
「戦闘そのものを無効化する? よく分からないが、その能力をこのふざけたラクガキが身に付けているってことか?」
「多分ね。僕はその製造装置についてそれほど詳しく知りませんから、本当にそうかまでは分かりませんが。
或いは、姿形は酷くても、何らかの役に立つかもしれませんよ」
そのアカハルの言葉に反応したのは、アンナ・アンリだった。
「セルフリッジさん…… わたし、あれと戦うの嫌なのですけど。色々な意味で」
それにセルフリッジは「安心してください」と返す。
「――戦う必要はないと思いますから。いえ、そもそも戦闘などできないかもしれませんがね」
そう彼が言い終えたタイミングだった。
「ふんぬがぁぁ!」
という叫び声と共に、隣の部屋から女性が転がり入って来た。全身を火傷している。イザベラ・センスだ。
どうやら、なんとかクロナツの手から逃れ、このフロアに逃げ込んで来たようだ。が、かなりの重傷で危険な状態なのは一目瞭然だった。
「シャチョー! やばいって! これ、アタシ、死ぬ。あと少しで死んじゃう! 助けてぇ!」
地面を這うようにしながら手を伸ばす。ゼン・グッドナイトはそれを見て、余計なイベントを増やすなといった目で彼女に侮蔑の視線を送った。騒がしい。
「アーッハッハッハ! 無様だな、女ぁ! 逃げたって無駄だよ。直ぐに殺してやるからな」
そうクロナツの声が聞こえる。そして、それから現れた彼の姿に皆は驚く。両手両足がムカデのようになっていたからだ。
「あー あの人、またあの病原菌を使ったのですか。ワンパターンですねぇ」
と、それを見て呆れた表情でアンナが言った。
ゼン・グッドナイトは乱入して来た彼女に何の反応もしなかった。助けろとも何とも言わない。部下達はそれに戸惑っているようだった。
「お願いー! 痛いのぉ!!」
それを受け、イザベラはそう絶望感のこもった懇願の声を上げる。誰もその声に反応しないかのように思えた。が、そこで白い影が突然、彼女の前に現れたのだった。
例の、製造装置から出て来た、クラゲのラクガキのような姿の白い魔法疑似生命体。
キョトンとして表情でイザベラはそれを見上げる。そしてその次の瞬間、それは「アー!」と声を発しながら、彼女に向って治癒魔法を使ったのだった。
眩い寂光が彼女を包み、彼女の火傷はみるみる治癒されていった。
それに彼女は感動の声を上げる。
「凄い! 痛みが消えていく!」
その光景に、全員が注目する。凄まじい治癒魔法だ。攻撃魔法ではないが、これなら戦闘で充分に役に立つかもしれない。
その様子にクロナツは表情を歪める。
「なんだぁ? この間抜けなクラゲは?」
そして、その異様なムカデの手足で、白い魔法疑似生命体を攻撃しようとする。が、そのクロナツの姿を見るなり、それは再び魔法を使ったのだった。
「アー!」
眩い光がクロナツを覆う。
攻撃を仕掛けたように見えたが違った。クロナツの両手両足が元に戻っていく。これは治癒魔法だ。
「んだぁ? 敵じゃねぇのか?」
それを受けてクロナツはそんな疑問の声を上げた。疑問に思ったのは、彼だけでなく、この場にいるほとんどの人間が疑問を覚えているようだった。
――こいつは、一体、何をしようとしているんだ?
「よく分からねぇが、とにかく、死んどけ、女ぁ!」
病気が治癒されたクロナツは、再びイザベラに襲いかかった。彼女も不敵な笑みを浮かべて、それに応戦しようとする。
「やってみなさいよ! ここには、これだけ仲間がいるのよ? 反対にぶっ殺してあげるわよ!」
が、二人がぶつかり合う前に、また白い魔法疑似生命体が動いていた。
「ラー!」
と、叫びながら波紋のようなものを二人に浴びせる。どうやら、それは睡眠魔法のようだった。しかも、かなり強力な。
二人とも、攻撃を行う直前で眠ってしまっていた。白い魔法疑似生命体は、二人の戦闘を未然で止めたように思えた。
二人が眠ると、白い魔法疑似生命体は辺りをキョロキョロと見渡す。自分の使命を思い出したかのように。そして、傷ついている人間達を見つけると、「ウ」と声を発してから、手当たり次第に治癒魔法を使って治癒していった。
あちらこちらで眩い光が。
凄まじい治癒魔法のスキルだ。それに、速い。かなりの速度だった。
「なるほど。治癒系の能力か。充分ではないが、これならこれで使いようはあるな」
それを見て、グッドナイトがそう言った。が、それにセルフリッジはこう返す。
「そうですかね? 果たして、あなたが想像している通りにいくでしょうか? 僕は言いましたよね? 敵味方の区別をつけないかもしれないと……」
それにグッドナイトは「何?」と言う。そこで壁に空いた穴から、スネイルとゴウがフロアに入って来た。治癒魔法は使ったのだろうが、二人とも完全には上の階で負った傷が癒えてはいないようだった。
「いやー、酷い目に遭った。なんか、とんでもないのが上の階にいやがってさ。随分、手こずったよ」
キャサリンの姿を見つけるなり、そうスネイルは彼女に向けて言った。キャサリンはそんな彼を見て、変な視線を向ける。なんだ?と彼は思う。そこで気が付いた。目の前に、謎の白いクラゲのラクガキのようなものがいる事に。
「こっちの階にも、とんでもないのがいたー!(別の意味で)」
そう彼は叫んだが、その後でその白いラクガキは彼らに向って治癒魔法を使っていた。
「おお! 凄いな」
と、癒されていく自分の身体を見ながら、彼はそう独り言を言う。
ただ、その白いラクガキが何であるのかはよく分かっていないらしく、戸惑った表情を浮かべていたが。
その光景を見て、ゼン・グッドナイトが言った。
「つまり……」
彼はセルフリッジに顔を向ける。
「こいつは、敵味方の区別なく、傷ついた者達を治癒しているという事か?!」
この場で傷ついた者達は、既に全員、治癒されていたようだった。白い魔法疑似生命体は、円らな瞳でフロア内をキョロキョロと見渡している。傷ついている者を探しているのかもしれない。
セルフリッジはそれに頷く。
「その通りでしょうね。
この姿は流石にちょっと予想外でしたが、行動パターンは大体、僕が考えていたものと一致します」
しかし、グッドナイトは首を横に振ってそれを否定する。
「いーや、信じないぞ! そんな行動が戦場で何の役に立つと言うんだ? こいつは戦場で最も有効な戦略を吸収しているはずなんだ!」
それからゴース・ガイダイに目を向けると、「おい! 敵味方を識別する機能に誤りがあるはずだ! さっさと調べろ!」とそう言った。
そんなタイミングで、アニアが「キャー!」と悲鳴を上げる。
やはり、戦闘能力を持っていたか、そう喜んでグッドナイトは視線を向けた。
が、飛び込んで来たのは、目がハートマークになったアニア・ゴールドが、白い魔法疑似生命体が自分に甘えて来たことに感動して喜び悶えている姿だった。
傷ついた者達がいないと判断すると、白い魔法疑似生命体は、彼女の愛情のこもった熱視線に反応したのか、抱き付きにいったのだ。
「ずるい! アニアさん! 次、わたし!」
と、それを見てティナが言う。
――はっきり言って、戦闘が起こるような気配は微塵も感じられない。いつの間にか、そんなものは存在しない世界に迷い込んでしまったかのようだった。
「彼女は戦闘そのものを無効化するからねぇ」
そこで、そんな声をアカハルが上げた。