31.ゼン・グッドナイトの逆襲とオリバー・セルフリッジの変な動き
アカハルは青い顔のまま、何も言えずにただ目の前にいる爽やかな中年男性を見つめていた。
その中年男性…… ゼン・グッドナイトはにこやかな笑顔で彼をじっと見つめていたが、その笑顔は作っているのが明らかに分かる偽物で、友好を示しているどころかむしろ彼を威圧しているように思える。
口を開いた。
「その反応を見る限り、どうやら君は僕の事を知っているようだね。でも、不思議だな、僕は君には一度も会った事がないっていうのに」
それを聞いてようやくアカハルは反応をした。弱々しく「そうですね。ゼン・グッドナイトさん。あなたは有名だから」とだけ返す。
そして、
「ちょっと用事を思い出しました」
と、言って席を立とうとした。が、その動きを封じるようにゼン・グッドナイトは言う。
「一応断っておくが、この店は既に囲まれているよ」
その言葉で、アカハルはビクッと身体を震わせて動きを止める。再び席に腰を落ち着けた。
「賢明な態度だ」
ゼン・グッドナイトは満足そうに言うと、それから「シークレット・ボイス」と会話を他人に聞かれないように呪文を唱え、こう続けた。
「――さて、しばらくお話をしようじゃないか、アカハル君。もちろん、君に拒否権はないよ。あ、心配しないでくれ、お互いにとってとても有意義な話になると思うから」
ケーブタウン。
オリバー・セルフリッジは、街の一角にある魔石用の倉庫の前で、何やら話をしていた。相手はどうやらその倉庫の持ち主で、ノームのオウドのようだった。
彼はノームの中でもリーダー的な存在で、宿屋の他にも色々とビジネスをやっているらしい。もっとも、“金稼ぎ”にどこまで執着があるのかは不明なのだが。
「え? もっと魔石の発掘量を増やしてくれって? 正気かい?」
オウドはセルフリッジの話を聞くと、そう驚きの声を上げた。
彼が驚くのも無理はない。何故なら、彼の倉庫には既に魔石が収納し切れていなかったからだ。はみ出している。
ただでさえ、しばらくの間、軍が駐留していたお陰で商取引ができず、魔石が倉庫に溜まっている上に、ここ最近で魔石採掘のスピードは益々上がっており、魔石の運搬が追いついていないのだ。クルンの街の魔石協同組合は、物流会社を懸命に手配しているのだが、今のところ補充は見つかっていないというのが現状らしい。
セルフリッジは大きく頷く。
「そうです。ただし、商売目的ではありません」
「じゃ、何の為に?」
オウドは物凄く訝しげな表情を浮かべていた。そもそも、どうしてセルフリッジがそのような事を提案して来るのかが分からない。彼はアカハルの紹介でやって来たこの街の客人で、アカハルの説明を信じるのなら、この街を守るのに重要な役割を果たしてくれるのだそうだ。
多分、この提案はその“街を守る”ことの一環なのだろうが、オウドにはあまりに奇妙に思えた。
「魔石は知っての通り、エネルギー源です。魔法を使えるものが活用すれば、様々な用途に用いる事ができる。だから、いざという時の備えになるのですよ。この街は、まだまだ安全とは言えない立場ですからね」
オウドはそれを聞いて軽く首を傾げた。“安全とは言えない”というセルフリッジの言葉が、彼には上手く響かなかったのだ。
彼らケーブタウンの住人達は、軍隊が近くに駐留している間ものんびりと過ごしていたくらいだから、それも当然なのかもしれないけれども。
「ふん。まぁ、よく分からないが、これ以上、魔石に増えられても困るから、ちょっと乗り気にはなれないな」
そうオウドは返す。
が、そこで不気味な人影が、その彼の言葉に反応したのだった。
それまでセルフリッジもオウドもアンナ・アンリでさえ、そこに彼女がいる事に気が付いていなかったのだが、倉庫の影に座っていた彼女はゆっくりと立ち上がると、ヨロヨロとした動きで彼らの近くにやって来た。
「どうしたんだい? アイン」
それはノッカーのアインだった。彼女は暗い…… イビルとでも表現すべき歪んだ顔つきでオウドの傍に寄ると、小声で何事かを訊いているようだった。
「え? 本当に魔石の発掘量を増やすと困るのかって? ああ、もちろん、困るよ。君にだって、今の倉庫のこの惨状が見えているだろう? 魔石を置く場所がもうないんだ」
それを聞くとアインは「ククク……」と笑い声を上げる。その笑い声も小さかったが、なんとかセルフリッジ達の耳にも届いた。
それから数度頷くと、彼女はまた何事かを言うつもりなのかオウドの耳に口を近づけた。彼は「アインの拡声器の役目は、クーのやつがいつもやっているのになぁ」と愚痴を言いながらもそれを聞く。
「え? “じゃ、魔石の場所を探り当ててくるわ”って? いや、アイン。魔石の採掘量を増やすと困るって言ってるじゃん」
が、そうオウドが止めても、アインは構わずに恐らくは魔石発掘現場があるだろう方向に向って歩き始めてしまった。
それを頭をポリポリと掻きながら、オウドは見送る。
「まいったなぁ、珍しくやる気出しちゃったよ、アイン」
ノッカーはこの街で魔石が何処に埋まっているのか探知する役目を担っていて、その中でもアインはかなりの腕前なのだった。
「あの、どうしてやる気を出したのでしょうか?」
それを聞いて、不思議に思ったセルフリッジがそう尋ねると、オウドはこう返した。
「多分、オレが困るって言ったからだろうなぁ…… アインは、そーいうネガティブな事が大好きだから」
「はぁ……」
よく分からないといった表情でセルフリッジは返す。そんな彼に向けて、オウドはこう言った。
「とにかく、これであんたらの望み通りになったよ」
セルフリッジは驚く。
「え? どうして、ですか?」
するとその彼の疑問に、オウドはまるで当たり前の事のように、
「だって、そりゃ、アインが魔石の場所を探り当てたら、ドワーフ達が掘っちまうだろうし、ドワーフ達が掘ったら、どっかに運ばざるを得ないだろうし、どっかって言ってもこの街しか運ぶ場所はないし」
などと説明をした。
そんなことに彼は疑問を抱いた訳ではなかったのだが。
「まいったなぁ…… 他の倉庫もいっぱいなんだけどなぁ」
困った様子のオウドにセルフリッジは疑問を述べる。
「あの…… あなたが責任者なのですよね?」
困るのだったら、命じて止めさせればいいのに、と彼は考えたのだ。
「そうだけど?」
が、その疑問の意味をまるで理解していないらしく、オウドはキョトンとした表情を見せるのだった。
それにセルフリッジは何も返さない。ただ、この街を外の世界の常識で考えてはいけないのだという点だけは悟った。
「なんで上手くいったのかはよく分かりませんが、取り敢えずはよしとしましょうか」
戸惑った顔で笑顔を浮かべ、アンナに向って彼はそう言う。彼女は軽く肩を竦めるような動作でそれに返した。
――その数時間後、オリバー・セルフリッジは国知らずの森にいた。
そこでは勇者キークの冒険者パーティがいて、試合に向けてトレーニングをしていた。後少しで負けられない冒険者同士の武闘試合があるらしい。
「あら? どうしたの? セルフリッジさん」
セルフリッジがやって来たのを見ると、ティナがそう話しかけて来た。
“なんで、わざわざ女の子に話しかけるのよ”
と、それを見てアンナはそう思う。
が、もちろん、別にセルフリッジから話しかけた訳ではない。
「実はあなた方に少しばかり頼み事がありまして」
そうセルフリッジは言うと、指し示すように自分の足元に視線を向ける。それでティナが地面を見てみると、ハダカデバネズミが数匹そこにいた。
「デバ!」
と、後ろ足で立ち、両手を広げてハダカデバネズミ達はそう挨拶をする。
「あら? 可愛い。それで、このハダカデバネズミ達がどうかしたのですか?」
そのティナの質問に、セルフリッジは淡々と返した。
「実は、このハダカデバネズミ達に、魔法を少し教えてあげて欲しいのです」
「魔法? どんな?」
「身体強化魔法です。スピードアップとガードの魔法が良いでしょうか? 治癒魔法はもう使えるみたいなので」
「どうして?」
「身を守らせる為ですよ。もしかしたら、危ない目に遭うかもしれないでしょう? ケーブタウンは狙われていますから」
それを聞くと、ティナは「ふむ」と腕組みをした。
「まぁ、そうね、可愛いし。わたしもこの子達が傷つくのは見たくないし、別に良いか」
そして、そんな事を言って、早速魔法を教えようとした。
が、そこでスネイルが口を挟んだ。
「ちょっと待て。こいつら、大量にいるだろう? もし敵に回ったら、かなり厄介になるぞ。魔法なんて教えて良いのか?」
しかし、セルフリッジはそれを聞くと、「それは恐らく考え難いかと。それよりも、強化した場合のメリットの方が大きいです」などと反論をした。
「強化した場合のメリット?」
スネイルは疑問を覚えたようだったが、ティナは特に気にした様子を見せず、ハダカデバネズミ達に魔法を教えようとする。
「別に良いじゃない。可愛いんだから」
などと言っている。
まったく理由になっていない。
アンナはそれを見ながら軽くため息をついた。
本当は彼女が教えて上げられれば良かったのだが、彼女はあまり身体強化魔法が得意ではないのだ。そこで、彼らは冒険者達を頼ることにしたのだが。
因みに、ハダカデバネズミ達は「魔法を覚えれば、もっとイノマタさんを守れるようになる」と言うと、あっさりと説得できた。愛である。
アンナ・アンリは、オリバー・セルフリッジは、ケーブタウンに溜まった膨大な魔石を利用して、自分に魔法を使わせるつもりなのかとそう思っていた。彼女は近くに魔力があれば、それを吸収もしないで使う事ができる。はっきり言って、今、ケーブタウンに溜まっている規模の魔石を使えば、けっこーな事ができてしまえる。
下手すれば、一国の軍隊とだって戦えるかもしれない。
が、ところが、彼はどうもそのようには考えていないようなのだった。もちろん、多少は彼女の魔法にも頼る予定のようだが、主にはハダカデバネズミ達に活躍をしてもらうつもりでいるらしい。
“なーに、考えているのかしらねぇ?”
ティナはスネイルの不安に構わず、ハダカデバネズミ達に魔法を教え始めた。そんなハダカデバネズミ達の魔法の稽古を嬉しそうにセルフリッジは見つめる。
狡猾なお人好し。
ふと、そんな言葉がアンナに浮かんだ。そしてそんな狡猾なお人好しを、彼女は愛おしそうに眺めるのだった。
「――僕はどうしても納得がいかなったんだよ。ほら、クロナツ君だっけ? 彼の騒動の時に、不自然な情報の流出があったろ?」
喫茶店で青い顔をして固まっているアカハルに向けて、ゼン・グッドナイトはそのようなことを滔々と語った。
「何の事だか……」と、アカハルは言いかけたが、それを言い終える前にゼン・グッドナイトは言う。
「とぼけるのはよくないな、君の友達だろう? クロナツ君は」
「友達というか、何と言うか。ま、知り合いではありますね」
「知り合い? 同じ施設出身の仲間なのに、ちょっと冷たいのじゃないか?」
「いえ、あいつが“友達”と言うと怒るんですよ」
「そうなの? 別にどうでも良いけど、そのクロナツ君の騒動の時にさ……」
そこまでを聞いて、アカハルは顔をますます青くしていた。
グッドナイトが自分の事を事細かに調べているだろうと察して、より危機感を高めたからだ。
グッドナイトは語り続けていた。
「……不自然な手紙が何通も送られていたんだよ。主にはオリバー・セルフリッジという男宛てに。
うちの工作員達の所にも届いたのだが、より不思議なのはオリバー・セルフリッジの方だな。彼は僕らから逃げ回っていたからね。どうやって、居所を掴んで手紙を送っていたのかがまったく分からない。何しろ、我々の組織力を使っても捉えられなかったんだ。多分、あの厄介な闇の森の魔女の力を使っていたのだろうとは思うのだけどね」
「は、はぁ……」と、それにアカハル。
「で、あまりに不可解だったものだから、一度、自分の組織や周辺の情報の流れを徹底的に洗い直したんだ。
情報ってのは、そこまでやる価値のある事だ。君だって充分に分かっているだろう? その重要性を。
ただ、残念なことに、その過程で何人かの親しい友人を犠牲にしてしまった。その中には袋を頭から被ったような変人もいてね。彼の損失は大きかった。楽しい奴だったから」
「それは悲しいですね」
「だろう? ところが、そこまでやってもどうやって情報が流れたのか、まるで何も出て来なかったんだよ。これはいくら何でも不可解過ぎる。
そんなところで、この街の近くにあるケーブタウンで起こった事件を僕は知ったのさ。正確には“事件”と表現するべきじゃないのかもしれないが、ま、驚くべき出来事だったから、“事件”で許してくれ。
なんと、ケーブタウンに攻め入ろうとした軍隊が、その途中でそれを勝手に止めてしまうという信じられない出来事があったのさ。
軍隊って連中は貪欲だからね。普通は攻め落とせるのに攻め落とさないなんてことはしないはずなんだ。何しろ、ケーブタウンを手に入れれば、魔石という貴重なエネルギー源を膨大に得られるんだぜ?」
「そうですね」と、それを聞くとアカハルは目を泳がせる。
「神様って本当にいるのかもしれませんね。奇跡をお起こしになられた」
「はっ」とそれを聞くとグッドナイトは笑う。
「もしも、神様がいるのなら、僕なんてとっくに天罰で殺されているさ。分かっているんだろう? それとも、自分が神様とでも言うつもりかな? アカハル君は」
「いやいやいや」と、それにアカハル。
「ちょっと返答に困ります」
「うん。まぁ、それはいい」とそれにグッドナイト。
「問題は、恐らくここでも不自然な情報の流れがあっただろうって点さ。そうじゃなけりゃ、ここまで都合良く軍隊をコントロールする事なんてできない」
そこで言葉を止め、少し間を空けると彼はまた言った。
「つまり、不自然な情報の流れは、僕の組織とは関係なかったという事になる。そこでちょっと調査してみるとだね、この事件以外にも情報をどうやって得たか分からないような事例がケーブタウン絡みで起こっていたと分かったんだ。
なんだと思う?」
「さぁ? 僕にはなんとも」
「ケーブタウンがダンジョン認定されて、冒険者達に狙われかけた時だね。その時に、冒険者達の特性と居場所を的確につかみ、手紙を送っていた何者かがいた。
ただ、クロナツ君のケースとは違って、こちらは少し手紙の送り方がお粗末でね。一応、誰が送ったかは分からないようにはしてあったのだが、それでもヒントはたくさん残されてあったんだ……
で、もうちょっと調べてみると、このクルンの街には、失せ物探しがとても得意な変わった男がいるというじゃないか。
しかも裏社会のシロアキと繋がりがあり、ケーブタウンを守った一人として、顔が利くときている」
「へー」と、アカハルはそれに返す。グッドナイトは構わずに続けた。
「ただ、これだけでもまだ証拠不十分だ。それにそんな事を可能にする情報収集能力があるなんて俄かには信じ難い。
そこで僕は一計を案じたのだね。
非常に厳重に情報を規制した上で、ヘゲナ国にケーブタウンを攻めるように僕が直接促したのさ。もちろん、軍事力の供与を条件として。
すると、どうだ? 誰にも知り得ないはずのその情報があっという間に漏れてしまったじゃないか。しかも、君の友達の裏社会のシロアキって男が、それを拡散する為に動いたらしい証拠も出て来た。
こうなって来ると、その半ば反則とも言える情報収集能力の存在を信じない訳にはいかなくなってくる」
アカハルは思う。
“あの、ヘゲナ国に対する働きかけは、僕が犯人だと特定する為の罠だったのか! 分かるかい、そんなの……。見事に騙された”
グッドナイトはそんな彼の様子ににやりと笑う。
「単刀直入に言おう。君のその特殊で非常に強力な情報収集能力が欲しい。
ま、君に拒否権はないのだけどね。
しかし、安心してくれていい。君はVIP待遇だよ。こんな店のスイーツよりも遥かに美味しくて高いスイーツをいくつも食べられる」
「ハハハハハハ」
半ば自棄になってアカハルはそう乾いた笑い声を上げていた。気付くと周囲を喫茶店とは不釣り合いな人間達で囲まれている。
――これはもう駄目かもしんない。
実験動物行きだー!
絶望していた彼は、苦手なはずのクロナツが現れて、暴れまわってくれないかとそんな期待すらした。
それなら、もしかしたら、万に一つくらいは逃げられるかもしれない。
もちろん、クロナツの気配は何処にもなかったのだが。
或いは、大声で悪口でも言えばクロナツは現れるかも、などと彼は妄想する。
……もっとも、その時は、自分も殺されるかもしれないけれど。