23.クロナツ達の逃走
走る列車の中。
男二人がクロナツの腕を掴んでいる。一人はサングラスをかけ、もう一人は帽子を目深にかぶり、素顔を分かり難くしている。
つまり、彼らはあまりよろしくない行いをしようとしているのだ。
彼らは事前に“クロナツは怪力を持っている”という情報を入手していた。だから二人がかりで挑んだのだろう。が、甘い。
にやりとクロナツは笑う。
そのままクロナツを取り押さえようとした二人は、クロナツの一振りで軽く投げ飛ばされてしまった。
彼らは矮躯童人であるクロナツの小さな体格に油断したのだろう。たったの二人では、彼を取り押さえるには足りない。
列車の中にいる他の客達は、突然起こったその活劇に目を白黒させていた。どよめき、軽い悲鳴、車掌に連絡をしようとする者。
それに構わず別の男の一人が声を上げた。
「動くな! こいつがどうなっても良いのか?」
見ると、男はナイフを握っており、それをクロナツの妹のフユに突きつけていた。フユは片手で押さえられている。その傍らには戦闘ではまったく役に立たない技術者のノーエンが何もできずに他の男に腕を掴まれて転ばされていた。
けっこうなピンチだ。
フユを人質に取っている男が言う。
「お前の妹を殺されたくなかったら、大人しくこっちの指示に従え。とりあえず、例の資料を渡してもらおうか」
しかし、クロナツはそれを聞いてもまったく動揺しなかった。男を睨みつけている。彼の最愛の妹にナイフを向けているその男に対し、どうやら怒りを覚えているらしかった。怒り。彼の熱の魔法の発動条件。爪を立てるような形に五本の指を曲げ、その指からは熱を発していた。
それを見て取ったフユは、自分を掴んでいる男に対し、何やら魔法を使い始めた。男はそれを不審に思うが、慌てはしない。彼の着ている服はアンチ・マジックの処理が施されている。弱い魔力であるのなら、攻撃タイプの魔法は全てシャットアウトしてくれるはずだ。
が、フユが使っていたのは、攻撃魔法ではなかったのだった。
治癒系の魔法。
しかも、不安神経症用の対症療法として開発された、強制的にリラックスさせる効果のある魔法だ。アンチ・マジックでは跳ね返せない。それを彼女は最大出力で放っている。
青白い優しい寂光が男を包んだ。瞬間、ふんわりとした心地良い気分が男を襲った。恍惚となる。思わず、それで男はナイフを握った手を緩めてしまった。
その隙に、フユは男の手を振り解こうとする。しかし、彼女の弱い力では、体勢をわずかに崩す程度しかできなかった。
ただし、それで充分だった。
クロナツは動きも速い。一足飛びで、一気に間合いを詰めると、熱を帯びた五本の指で男の顔、目の辺りを思い切り引っかいた。
爪が彼の目に当たる。それだけなら、或いは彼は耐え切れたかもしれない。しかし、それと同時に熱が彼を襲った。
「ぐあああぁ!」
と、悲鳴を上げながら、彼は目を押さえて転がった。その所為で、フユから手を放してしまっている。
クロナツは着地すると同時に、床でノーエンを押さえつけられている男を思い切り蹴っ飛ばした。
油断していた男はそれで弾け飛び、列車の壁に激突する。ただ、ダメージは充分ではなかったようで、直ぐに立ち上がろうとしている。しかも、隣の車両からは別の男達がこの車両に入って来ようとしていた。
「チッ!」
それを見たクロナツは舌打ちをすると、「この列車から飛び降りるぞ!」とそう叫ぶ。そして、フユを右手で抱きかかえ、ノーエンは左で無造作に掴み、列車のドアを蹴破ると、そのままそこから飛び降りた。
隣の車両から入って来た男達は、あまりに大胆なその行動に目を見開く。信じられないようなことをする男だ。普通、高速で走っている列車から飛び降りようなどとは思わない。
「――マジで?」
男達のボスのメイナンは“クロナツ達が列車から飛び降りて逃げた”という報告を受けると、抑揚のない声でそう言った。彼はクロナツ達の捕獲を任されているグッドナイト財団の責任者の一人で、奥の車両からクロナツ達がいる車両へと向っている最中だった。
それから彼は、走る列車の外の猛スピードで流れる外の景色を指差す。
部下はそれが何を意図しているのか察したらしく「はい」と頷く。もちろん、その指は“本当に、こんな中に飛び込んだのか?”という意味だ。
それを聞くと、メイナンは「マジで、マジでぇ? それ、死んでるんじゃないのぉ? 普通、そんな事する? アクション小説かなんかと勘違いしているよ」とぼやくような口調で言いながら座り込んだ。
彼は骨格に恵まれているのか、見た目がっしりとしているように見える。ただし、筋肉はそれほどついておらず、やる気のなさそうな外見もあって、運動はそれほど得意そうに思えない。
恐らくは、頭脳労働の方が得意だろう。
それから彼は近くの空いている席を見ると、いかにも億劫そうなやる気のない動作でそこに腰を下ろした。
「まぁ、次の駅で降りて、歩いて探すしかないよなぁ」
そして、そうとても嫌そうに言った。
外は森が広がっている。クロナツ達はその何処かにいる。当然、森の中を探すことになる訳だが、そんな装備は用意していない。仮に装備があってもかなり大変そうだ。
「まずいなぁ。この仕事、トップからの直接の指示らしいじゃん。失敗したら、怒られちゃうよ」
そうは言っているが、メイナンの口調からは危機感が感じられなかった。それから彼は「シークレット・ボイス」と呪文を唱えた。これで彼らの声は遮断され、他の人間には当り障りのない別の会話に聞こえる。秘密の会話をしたい時用の魔法だ。
それから、こうメイナンはぼやいた。
「捕獲じゃなくて、殺して良いのだったらもう少し楽なんだけどな。どうして、途中から捕獲に変わったんだろうな?」
クロナツ達から聞き出したい情報があるとかで、“殺すな”という指示を彼らは受けたのだが、具体的な理由までは聞かされてはいなかったのだ。
「もしかしたら、また“手紙”による垂れ込みがあるかもしれませんよ。無理に森を探すよりも、それを待ってはどうでしょうか?」
部下の一人が、困っている様子のボスにそう提案した。自分が楽をしたいからでもあったのだろうが。
「手紙? あったね、そんなの。ああ、うん。でも、どうだろうなぁ?」
「と言いますと?」
「その手紙、ちょっと怪しくないか? 本当に味方からなのかなぁ?」
クロナツ達がリッセの街に向っているという情報までは、グッドナイト財団も掴んでいた。しかし、移動手段は分からず、どうしようかと悩んでいるところに、“クロナツ達は列車でリッセに向っている”という匿名での情報提供が彼らにあったのだ。
正体不明でとことん怪しいが、或いはクロナツに敵対する何らかの組織が密かに協力しようとしているのではないか、と考え、一応、彼らは動いてみたのだ。
メイナンは煙草を取り出し、火を付け一口吸って吐き出すとこう続けた。
「トップが狙っている、オリバー・セルフリッジって野郎の所にもさ、似たような手紙が届いているらしいんだよ。
だから、まぁ、オレはあの手紙の情報を信用したってのもあるんだが、その手紙の送り主は、どうもオレらの味方ってわけじゃないらしいんだよな」
それを聞いて、部下は「しかし、では何の為に、その手紙の送り主は我々にクロナツ達の居場所を教えたのでしょう?」と疑問を口にする。メイナンは淡々と答えた。
「この先のリッセって街では、うちのトップの連中が罠を張っているらしい。ま、あのクロナツって奴ら用の罠じゃないんだが、それでも向かわせるのは得策じゃない…… そう判断したのじゃないか?
だから、オレらを使って、こうして強引に行き先を変更させた」
「ですが、クロナツ達が捕まったら元も子もないではないですか。我々はこうして実際に後少しのところまで奴らを追い詰めたわけですし」
「さぁ? でもなぁ、例えば、手紙の送り主はクロナツの腕を信頼しているとか、ダメだったらダメで仕方ないとか思っているんじゃないのか?」
「そんな無茶苦茶な」
「無茶苦茶だからこそ、オレらを騙せると考えているのかもよ?
もし、クロナツって奴の仲間だったら、充分にあり得る。走っている列車から飛び降りるなんてアホは初めて見た」
それに部下は「はあ」と、納得いかない表情でそう返した。
そして、次の駅に着いたら辛い森の中の探索が始まるのかと、心の中で愚痴を言っていた。
森の中。
列車から飛び降りたクロナツは、木の枝に引っかかてぶら下がっていた。どうやら、木々がクッションになってくれたお陰で地面への激突を免れたようだ。
クロナツは抱きかかえているフユが無事なのを確認するとホッと安心する。しかし、それでもう片方の手で掴んでいたノーエンを思わず放してしまった。ノーエンは地面に落ちてしまったが、幸いにも怪我はなかった。
「ちょっとぉ、クロナツさん、酷いじゃないですか」
地面に落ちたノーエンは、彼にそう文句を言う。随分と仲が良くなったようだ。
「うるせぇ、この足手まといが!」
そう悪態を吐きながら、クロナツは木の上から飛び降りて来た。抱えていたフユを降ろす。
ノーエンは特殊な情報処理技術とやらの資料を仕舞ってあるカバンを大事そうに抱えながら、ゆっくりと立ち上がった。
それを見ながらクロナツは言った。
「考えてみればよ、その何とかって技術の資料を焼いちまえば、それで連中にその技術を奪われる心配もなくなるんじゃないのか?」
それを聞くと、ノーエンは激しく首を左右に振った。
「いやいや、とんでもない! この技術があればどれだけ世の中の役に立つか! 破壊するのじゃなくて、有効活用してくれる人の手に渡すべきです!」
それに苛立たしげにクロナツは返す。
「あ? それで俺らが殺されたら、どうするんだよ?」
「ですけどもね!」
「“ですけどもね”じゃ、ねぇ!」
それからクロナツは、ノーエンの持っているカバンを無理矢理奪おうとした。直情径行な気質のクロナツならば、即座に燃やしてしまうかもしれない。
ノーエンは恐怖に引きつった表情を浮かべる。
ところが、そこでフユが「ちょっと待ってよ、お兄ちゃん!」と声をかけてそれを止めたのだった。
「なんだよ? フユ」
カバンを奪おうとする直前でクロナツはストップしていた。そんな兄に向けてフユは言う。
「もし、そのカバンを燃やしても同じなのじゃない?」
「同じって?」
「“燃やした”って言っても、グッドナイト財団がそれを信じなかったら、わたし達は殺されちゃうのじゃない?ってこと」
それを聞いて「んー、そうかもなぁ」と彼は返す。かなり弱腰になった。そもそもフユには弱い上に、理屈でも勝てそうにないからだろう。
更にフユは続ける。
「それよりも、グッドナイト財団との交渉材料に使えるそのカバンを持っていた方が良くない? 生き残る可能性が上がるわ。
それに、なんだかあの人達、わたし達を殺すつもりはないみたいにも思えた。理由はよく分からないけど」
そのフユの説得に、ノーエンも説得を重ねる。
「そうですよ。それに誰かに助けを求めるのにも、この技術の説明資料があった方がやり易いです。これを渡す代わりに助けて欲しいって頼めますから」
その二人の説得を受け、「チッ」と舌打ちをすると、「分かったよ」とクロナツはそう返した。カバンを放すとこう言う。
「とにかくだ。どうあれ、これからどうするか、だな。何処を目指す?」
それから目の前に広がる森を見やりながら、彼は腰に手を当てた。
それにノーエンは、「近くに村か何かないか探すのがベストですかね? ただ、駅の近くは危険ですから避けた方が無難ですが」とそう返した。
「まぁ、それしかねぇな」とクロナツが言うと彼らは歩き始めた。もちろん、当てなどない。運良く何処かの村に辿り着くのを期待しているだけだ。しばらく歩いてクロナツが口を開く。
「ちょっと、疑問があるな。そもそもどうして、俺らがあの列車に乗っているってあいつらにバレたんだ?」
それを聞いて、ノーエンが言った。
「まさか、僕がリッセにいる友人に送った手紙を見られたのでしょうか?」
その言葉にクロナツは反応する。
「おい!」
そう怒鳴ってからこう続ける。
「ノーエン!こら! 初耳だぜ! 何してくれてんだよ、お前はよ!」
そして、ノーエンの襟首を掴んだ。
「いえ、リッセで協力を求めるのなら、前もって報せる必要がありますし、それに列車に乗るとは書かなかったんです。具体的な日にちだって書かなったから、ルートの特定はできないはずなんですが」
ノーエンは慌ててそう言い訳をした。そんな彼をクロナツは責める。
「“特定はできないはず”って、実際にバレているじゃねぇか! 遠くから手がかりも何にもなしに誰が何処にいるのか分かる奴なんているはずもねぇしなぁ! な?」
が、そう言った後で自分で気が付いたらしく、「あ、」とクロナツは声を上げた。フユも同時に気が付いたらしい。
「お兄ちゃん……」
と、そう言う。
それに合わせるように、憎々し気な表情をクロナツは浮かべた。
「そう言えば、一人だけいたなぁ…… 遠くからでも、俺らの場所を把握できるはた迷惑な能力を持った野郎がよぉ!」
もちろん、それはアカハルのことだった。そして、
「アカハルの野郎めぇ!!!」
と、彼は大声で叫んだのだった。
……少し離れた森の中、その声に敏感に反応した一団があった。彼らは“人間”を警戒しているのだ。
そして、だから、声の主を探すべく、彼らは動き出した。合図は目配せだけ。気取られてはいけない。
森の中は素人のクロナツ達は、彼らの接近には気が付けなかった。周囲を囲まれてしまっている。
“ヒュンッ”という風を切る音が聞こえ、クロナツの傍の木に矢が刺さった。警告だ。いつでも殺せる、動くな、という。そこで初めてクロナツ達は彼らの存在に気が付いた。
「何者だ? お前らは」
それから、そうその一団の一人が訊いて来た。クロナツは歯ぎしりをする。
かなりまずいか? どうする?
だが、彼の行動は決まっていた。何としてもフユだけは守る。絶対に。