17.憎しみと暴力のクロナツ
クロナツは自分を社会不適合者だと思っていた。直ぐに頭に血が上る。カッとなると何をするか自分でも分からない。加えて、怪力を持っている上に怒ったり憎しみを覚えたりすると“熱”を発するという謎の、恐らくは魔法の類だろう特殊能力を生まれた時から持っている。これでは、周囲の人間達は常に危険にさらされているようなものだ。
彼は戦災孤児だった。戦争で親を亡くし、妹のフユと二人で施設で育ったのだ。ただ、正確に言えばそれは戦争が原因ではなかったのかもしれない。
戦争が切っ掛けで彼は親を亡くしはした。がしかし、例え戦争でなくとも、矮躯童人という差別されている種族である彼らの両親は、何らかの切っ掛けで社会情勢が傾けば、殺されていたのかもしれないのだ。
実際、彼らの両親は敵兵に殺された事に表向きはなっていたが、実は同じ国の誰かの手によって殺された疑いだってあった。
「余裕のない時期に、お前らのような下等種族を生かしておく理由なんかない」
そのような事を、常日頃から彼らは言われ続けていたのだ。
もっとも、それでもクロナツは戦争を嫌ってはいた。
“戦争さえなければ”というよく聞く言葉が本当か嘘かは分からない。本当は戦争が起こる背景にこそ問題があり、その背景の問題を解決しなければ、戦争がなくなっても、自分達のような人間は仕合せに生きる事などできないのかもしれない。しかし、そんな捉えどころのない難題よりも、“戦争”という明確な言葉を敵視した方が、彼の中で座りが良かったのだ。
だから、八つ当たりは言い過ぎにもしても、本質ではないかもしれない“戦争”を、彼は嫌っていたのだった。
まるで、呪文のように、
「オレは戦争が嫌いだ」
という言葉を使う。
そしてそれは、施設で一緒だった他のアカハルとシロアキという矮躯童人も同じなのではないかと彼は思っていた。
だけど、連中は自分よりも器用で、そしてある意味では歪んでいる。だから、そんな言葉を使わないでも上手くやれている。きっと、そうじゃないのか。
クロナツは、アカハルもシロアキも自分と同じ様に社会不適合者だとも思っていた。ただ、アカハルは自分を騙すのが巧みで、シロアキは社会を騙すのが巧みだ。だから、それが表面化しないのだ。
“ま、オレはあいつらみたいに器用じゃねーからな。アカハルみたいにせこくは生きられないし、シロアキみたいに卑怯で狡猾でもない”
――だから
こんな生き方しか、選べなかった。
「うるせぇよ! たかが酒を一杯二杯頼んだくらいで、店の女がてめぇの自由になると思ってるんじゃねぇ!」
そうクロナツは怒鳴った。
相手は中年の男で、運動不足の所為かよく太っていたが、身体はクロナツよりも随分と大きかった。クロナツは矮躯童人の中では大きい方だが、それでも150センチくらいしかないから、それも当然だ。
だから、相手のその客の中年男性が彼を軽く見ていたのも無理はない。
「なんだぁ、このチビは?」
そう言って立ち上がった。身体の大きさを誇示して、威圧したつもりだったらしい。
しかし、クロナツはそれに全く臆しなかった。
クロナツはその店で用心棒の仕事をしている。その時は、店の女の子に許される範囲を超えて触ろうとした酔っ払い客を止めに入ったところだった。
……彼は頭を使う仕事は自分には無理だと分かっていた。真っ当な肉体労働も無理。絶対にトラブルを起こす自信があった。
ならば、何かしら荒っぽい仕事…… という事になるのだろうが、彼がいたヘゲナ国ではそういった仕事は冒険者絡みと相場が決まっていた。そして、軍隊崩れの多くがなる冒険者という職業は“戦争”と直結している…… 少なくとも彼はそう思っていた。だから戦争嫌いの彼は冒険者などになりたくなかったのだ。
となれば、ヘゲナ国では仕事がない。
いや、知り合いのシロアキを頼れば、何かしら裏の仕事を紹介してくれたかもしれないが、それも癪だった。彼はプライドが高いのだ。シロアキの世話にはなりたくない。
戦争が終わってしばらく経つと、アカハルとシロアキとクロナツ、そしてクロナツの妹のフユの四人は施設に住む事ができなくなった。それは彼らがそれ相応の年齢に達したからでもあったのだが、施設の運営側の一部の人間が贈収賄の容疑で逮捕された事も大きかったらしい。
これはシロアキの推測に過ぎないのだが、彼らが施設で暮らせていたのは、珍しい矮躯童人という亜人種の彼らを、その贈収賄で逮捕された運営側の人間が、いずれ人身売買の業者に売り払うつもりだったからではないかというのだ。
売る目的がなくなった以上、施設には彼ら置いておく理由がない。それで、彼らは追い出されてしまった。
それがシロアキの見立てだった。
アカハルとシロアキは施設を追い出された後、それぞれの技能を使って生活していたようだった。特にシロアキは、……どうやったのかは分からないのだが、裏社会の人間達と繋がりを持ち、施設にいた頃よりもよっぽど良い暮らしをしていたようだった。
が、クロナツは上手くいかなかった。
そして、職を転々とした挙句、妹のフユと一緒にべニア国に移住した。
べニア国では、戦争とは縁のない非合法の団体が蔓延っているらしいという話を聞いたからだった。
そんな社会でなら、自分のような人間でも暮らせるかもしれない。
彼はそう考えたのである。
どうしても職が必要だ。妹のフユを守らなくてはならない。
彼は彼なりにそう必死になっていたのだ。
もっともそれは、彼の自己欺瞞だったのだが……
「バカ! クロナツ! やり過ぎだ! もう止めろ!」
店の男性従業員がそう吠えている。
中年の酔っ払い客と何回かの罵り合いを繰り返した後、クロナツは机を蹴り上げ、それで相手の酔っ払い客を圧し潰した。
ここまでなら、まだ良かった。
客は身動きが取れなくなっているだけだ。
しかし、問題はその後だった。
「何をしやがる! お前らみたいな矮躯童人は、戦争でみんな焼き殺されちまえば良かったんだ!」
そうその酔っ払いが悪態をついたのがいけない。それでクロナツの頭に血が上り、彼の中の何かに“点火”してしまった。
「お前の方こそ焼け死ねぇ!」
そう叫ぶと、彼は“熱”を発し始めた。怒れば怒るほど、憎めば憎むほど、温度が高くなっていく特殊能力。
ジューッ!
肉が焼ける音が聞こえる。肉を焼いた臭いが店内に漂い始める。
机に圧し潰された酔っ払いは、「ギャー! 熱いー!」と悲鳴を上げた。身動きの取れない抗えない状況で生きながら肉を焼かれている。
「熱い! やめろ! 俺が悪かった!」
酔っ払いはそう懇願したが、クロナツは止まらなかった。
「うるせぇ! もう遅いんだよ! このままバーベキューだ! てめぇの肉なんざ、不味くて誰も食わねーだろうがなぁ!」
邪な笑みを浮かべている。
「やめろぉぉ!」
その様を見て、店の従業員達は慌てた。
「これはやばいぞ! おい! 誰か、フユちゃんを呼んでこい! 早く!」
誰かがそう叫ぶ。
その数分後、フユは直ぐにやって来た。クロナツとフユの兄妹は、店の二階を借りて住んでいるのだ。フユは兄が乱暴をしている姿を見るなり叫んだ。
「ちょっと! お兄ちゃん! 何をやっているの! やめなさーい!」
その妹の言葉に、クロナツはビクンッと反応をした。そして振り返る。
「フユ」と、一言。
振り返ったその彼の顔からは、さっきまでの怒りは何処かへと消え、彼の発していた熱の温度も急激に下がっていた。それどころか怯えているようにすら思える。
フユはクロナツの暴走した怒りを冷ます事ができる唯一の存在だった。極度のシスコンである彼は、妹のフユにだけは頭が上がらないのだ。
「いや、兄ちゃんはな、単にこの男が暴れていたから止めていただけで……」
「暴れていたのはお兄ちゃんに見えたんだけど?」
「いや、違くてな……」
クロナツは机から手を放して、フユに情けない表情で近づていった。
それによって自由になった酔っ払いは、ぜぇぜぇと息をしながら、「この街から追い出してやるからな! この矮躯童人ども!」とクロナツの後姿に向けてそう怒鳴る。
が、それを聞いて振り返ったクロナツの表情を見て、顔を青くした。
「なんだとぉ? それはフユもって意味か、この野郎?!」
先程よりも遥かに凶悪な表情で、クロナツが自分を睨んだからだ。クロナツは酔っ払いに掴みかかりそうだったが、そこにフユが割って入る。
「ダメ! お兄ちゃん!」
両手を広げて彼を止めた。
それから「この人は怯えているだけよ。お兄ちゃんが怖がらせるから酷い事を言うの」と続け、後ろを振り返ると、
「お兄ちゃんが、ごめんなさい。お兄ちゃんはちょっと…… と言うか、凄く怒りっぽいんです。でも、本当は優しいんです。どうか許してあげてください」
と、そう言って頭を下げ、それから治癒の魔法で酔っ払いの火傷を治療した。酔っ払い客は痛みが引いていくその感覚に、恍惚の表情を浮かべる。
“なんなんだ、こいつらは?”
そう酔っ払いは思う。
天使のような妹の向こう側では、悪魔のような兄が未だに凶悪な表情で自分を睨みつけていた。
「もう、分かった。もう、いい。もう、俺は帰る。二度、お前らには関わりたくない」
そう言って酔っ払い客は弱々しく立ち上がった。
クロナツに怒りをぶつけたいが、怖すぎてできない。ならば、クロナツの妹らしいフユという女の子に文句を言えば良いのかと言えば、その方が更に危険に思える。そもそも矮躯童人とはいえ、自分を治療してくれた女の子に怒りをぶつける事は、流石の彼にもできなかった。
そしてそれから、何がなんだか分からなくなったその酔っ払いは、泣き出しそうな表情で店の外に出て行こうとする。
「お代はけっこうです」
そう店員が告げると、「当たり前だ、バカ野郎!」とだけ返して店の外に逃げてしまった。
それから店主が怒った表情で、クロナツ達の前にまで来る。今はフユがいるから安全だ。説教をしなくてはならない。もし歯向かうようならばクビだ。この損失は、給料から絶対に支払わせる。
が、そんなところで大きな笑い声が聞こえて来たのだった。
「アッハッハッハ! いやぁ、楽しかった。実に面白い見せ物だったぞ、店主」
見ると、それは客の一人で、いかにも高そうな服を身に纏っていた。中年の男でがたいが良く、蟹に似ていた。恐らくは、裏社会の人間だろうと思われた。
「さっきの客が払わなかった代金は俺が出そう。壊れたグラスやボトルの料金もだ。ただ、その代わり、そのクロナツ君と少し話をさせてくれ」
それを聞いてクロナツは不可解そうな表情を浮かべた。そんなクロナツをフユは心配そうに見つめた。
……本当を言うのならば、クロナツがフユを守っているのではない。フユがクロナツを守っているのだ。
フユは恐らくは一人でも生きていける。だが、クロナツはフユがいなくては暴走を抑えられず、直ぐにトラブルを起こして殺されるか、警察に捕まるかのどちらかだ。
クロナツも心の何処かではそれに気が付いている。が、それをはっきりと自覚してしまうと心の均衡を保てなくなる。だから、気付かない振りをしているだけだ。
それは彼のプライドの高さによるものではない。
“フユを守らなくては”
その想いが、彼の生きる心の支えになっていたのだ。
クロナツを助けた中年男は、見た目の予想通り、裏社会の人間だった。しかも、ボスをやっているらしい。名はカニンといった。
「お前の腕っぷしの強さを見込んでな。是非、雇いたいと思ったんだ」
カニンはそうクロナツを自分の組織に誘った。彼の誘いに乗れば、収入は今の三倍にはなりそうだった。
クロナツはその誘いに乗る事にした。カニンという男を信用した訳ではない。もしかしたら、このカニンという男も人身売買の組織と繋がっていて、自分達を売るつもりなのかもしれないとも疑っていた。
自分は矮躯童人という珍しい亜人種であるばかりでなく、特殊能力を持っている。それに、何より、妹のフユはこんなにも可愛い。高値で売れると踏んだとしても、おかしくはない。
“仮に罠であったとしても、ある程度、金を稼いだら、とっとと逃げちまえば良いだけの話だ”
彼はそのような事を考えたのだ。
そして、或いはそのような考えを持っていたからでもあったのかもしれない。
そのしばらく後、彼が事件を起こしたのは。