16.アカハルとシロアキの密談
その頃のケーブタウンは、すっかり観光地が板についていた。往来には明らかにこの街の住人ではない観光客が行き交っている。
既にケーブタウンのダンジョン認定は施行されていたが、冒険者達がここを攻略しに来る気配は見られない。もっとも、彼らは街を訪れてはいた。しかも、頻繁に。
「どっせぇぇ!」
ティナが大声を上げて、アッパーカットを放っている。ただのアッパーカットではない。その右手にはつむじ風が渦巻いていた。ただし、そのアッパーカットは相手には命中していなかった。が、相手が油断したところで異変が起こる。
「呪符魔術“風の拳”! 疾風アッパーカットォ!」
そう彼女が技名を叫ぶと、それで鋭い風が起こった。相手は彼女より二回りほど身体の大きなパワーファイターだったが、それであっけなくぶっ飛ばされてしまう。
その信じられないような、かつ爽快な光景に、聴衆は大いに沸いた。
「凄いぞ! ねーちゃーん!」
「あんなに可愛いのに、凄い力だ!」
そんな声援が上がる。ティナはそれに照れまくって舞い上がっていた。顔を赤くして頭を掻いている。
それは広場で行われている冒険者達の試合イベント、“ハイクラスに挑戦のコーナー”だった。勇者キークの冒険者パーティが指名され、低レベルの冒険者達と一人ずつ戦っているところだ。先ほどはキークが指名され、相手の呪術師が張った罠を、“なんとなく”で回避して、見事勝利を収めていた。
「……順調みたいじゃないか」
そんな光景を見ながら、シロアキがそう言った。対面にはアカハルの姿もある。二人は喫茶店のテラスでレモネードを飲みながら、何やら相談事をしているようだった。
その喫茶店は、元々はケーブタウンにはなかった。観光地化の成功に伴って、兎人のラットが始めたのだ。アニガニットの飲食店は、確かに美味しいし色物として一応人気ではあるのだけれど、気軽に立ち寄るにはやや難がある。それでこのような飲食店が必要だったのだ。
――そんな感じで、この街の風景と観光産業は徐々に一体となっていた。
「だろ? この街は今や冒険者達にとっても貴重な収入源だ。破壊するようなバカな真似は多分しないと思うよ。
選手になれなかった連中も、地上の森でがんばっているらしいし。お陰でイノマタさんの店も盛況みたいだ」
アカハルがそう言う。
ハイクラス以外の冒険者達は、前もってアカハル達が予想していた通り、選手として生活するのは難しそうだった。このような“ハイクラスに挑戦するイベント”で、時折、出番があるくらいだ。もっとも、上位を目指してがんばっている冒険者達も決して珍しくはないのだけど。
だから、基本的に冒険者達は、ケーブタウンの地上部である国知らずの森で魔法植物の害獣や害虫を退治することを生業にしていた。
そして、そんな彼らにとって、イノマタさんの経営する飲食店は、憩いの場となっているらしかったのだ。
「冒険者どもの中には、荒っぽい連中も多いだろう? 大丈夫なのか、それ?」
シロアキがそんな疑問の言葉を述べる。
「大丈夫だよ。もし、彼女に何かあったら、ハダカデバネズミ達が黙っていないだろうし」
「ハダカデバネズミ? ああ、あれだけ数がいれば確かに厄介かもな」
「数だけじゃないよ。連中には、ちょっとした特殊能力がある。ひょっとしたら、この街で一番恐ろしいのはハダカデバネズミ達かもしれないぜ?」
その説明に、シロアキは不可解そうにする。
「どんな能力だよ?」
その疑問に、アカハルは「共学習」と一言返した。
「共学習?」
「そう。この街のハダカデバネズミ達は、何かを一匹が学習したら、それを全員が使えるようになるんだ。魔法でも何でもね。実際、滅多に使わないが、連中は既に魔法も使えるみたいだよ。
そして、連中自体に魔力はわずかしかないけど、ここには魔石がふんだんにある。もし本気になったらどうなると思う?」
その説明を聞くと、シロアキは「アッハッハ」と楽しそうに笑った。
「なるほど。確かにそりゃ怖いな。敵に回さないように気を付けた方が良さそうだ」
それからふと気付いたらしく、彼はこうアカハルに尋ねた。
「もしかして、ハダカデバネズミ達が、全員、あのイノマタさんって女に懐きまくっているってのもだからか?」
「そうだよ。彼女に何匹かが助けられて、全員がそれを共有したんだ」
「なるほど。だとすれば、その能力、諸刃の剣だな。弱点にもなり得るぞ。覚えない方が良いもんだって全員で共有しちまうって事だろう?」
「そうかもしれないけど、今のところ、そんな弱点をつくだけの理由はどこにもなさそうだよ」
そう語るアカハルの態度からは、どことなくやる気が感じられなかった。ただし、それに反して、彼はここ最近で、シロアキに対して少しばかり協力的になっているのだった。
一見矛盾しているようだが、シロアキは何があったのかをなんとなく察していた。
“恐らく、冒険者達の契約ルートを変更した時に、何かあったな”
そう予想している。
少し前までは、国知らずの森で害虫駆除を行った冒険者達の報酬はケーブタウンを介して支払われていた。ところが、最近になってそれが直接、国知らずの森に住むピクシーやエルフ達とやり取りするように変わったのだ。
その結果として、彼らが得た報酬として得た魔力のある蜜や魔石などは、川上で取引され、そのまま船でクルンの街にまで運ばれるようになった。その方が効率が良いが、それは同時にケーブタウンを迂回するルートでもあった。
“もしケーブタウンが紛争の場になったとしても、なんとか取引が継続できる体制”
つまりそれは、そう言い換えても良かったのだ。
そして、それを企画し推し進めたのは、他ならぬアカハルだった。
「ま、冒険者どもの生活の手段を確保する為、というよりは、冒険者どもがケーブタウンを襲わないようにしたんだろ? お前は」
仮に、ケーブタウンが何者かに襲われたとして、それで冒険者達の収入源が断たれてしまったのなら、生活に喘ぐ冒険者達がその何者かに加担する可能性は充分にあった。
アカハルはそれを回避する為に、そんな体制を作り上げたのではないか?
シロアキはどうやらそのように考えているらしかった。
「突然、話が飛び過ぎだよ。どうして、そんな話題になった?」
そうアカハルは文句を言ったが、シロアキはそれに構わない。小さな声で「シークレット・ボイス」と呪文を唱える。彼らの“声”が彼らの間以外には響かないようにし、同時にカバーとして他愛のない会話の声を響かせるという、主に密談をする為に使われる魔法だ。
クルンの街に比べれば、ケーブタウンは随分と安全だが、それでも用心に越した事はないからだろう。それから彼は続けた。
「しかし、ブラウニーのナイルスって野郎をよく誤魔化せたな。頭が切れるっていうじゃないか」
アカハルはそれに「誤魔化せてないよ」とそう返した。
「ほー」と、それにシロアキ。
「何があった?」
「大したことは何も。ただ、この街にある“美しいもの”を見せられただけだ」
そんなタイミングで、こんな声が聞こえて来た。
「あ、アカハルー! やっほー!」
見ると、そこにはキキーモラのシュガーポットがいて、愛想良くアカハルに向って手を振っていた。
アカハルは軽く手を振り返す。
そんなシュガーポットの態度が不思議だったのか、隣を歩いていたレプラコーンのノーボットが「どうして、手を振ったんだ?」と尋ねた。
「なんだかね、ナイルスがアカハルには愛想良くしておけって言うから」
それに彼女はそう答える。
“リンッリンッ”と、ベル型のスカートを鳴らしつつ。
「なんだか分からないけど、そーいう事は大声では言わない方が良いと思うぞ」と、それにノーボット。
そのまま彼女らは通り過ぎてしまう。
それを見送った後でシロアキが言った。
「まさか、この街にある“美しいもの”ってあれか? いや、ま、否定はしないが、お前、ロリコンになったのか? まぁ、ボクらも見た目は子供みたいなもんだが」
「それを言ったら、彼女だって多分子供に見えるだけだと思うぞ…… って、違う。彼女じゃない」
それから軽くため息をつくとアカハルは続けた。
「ナイルスにハダカデバネズミ達の共学習能力について教えられてさ。そんなの聞いたら、どうしたって好奇心が刺激されるじゃないか?
それで……」
「ああ、お前の例の“読み取る”能力で触ったんだな。ハダカデバネズミを」
「そうさ。そうしたら、必然的にイノマタさんの情報もたくさん入って来る。あんな優しい人間がいるもんなんだな。僕はちょっと信じられなかった。柄にもなく感動しちゃったよ」
「はっ それがわざとだとすると、ナイルスって野郎はお前の能力に薄々勘づいているって事になるな。どうするんだ?」
「それについても問題だけど、彼にそれを悪用するつもりはないみたいだから、取り敢えずは放っておく。
それよりも、イノマタさんだよ。彼女があんな人なら、ハダカデバネズミ達が懐くのも当然だ。天然記念物だよ。貴重だ。
彼女が人里離れたこんな場所で暮らしている理由もなんとなく分かった気がした。あんな人が普通に街で暮らせるとは思えないからな」
「ふーん」と、それにシロアキ。
「まぁ、お前はロリコンってぇよりは、マザコンだよな」
「なんで、そういう捉え方しかできないのかな、君は」
「何でも良いよ。それで、お前はその“イノマタさん”を守る為に、ボクに協力する気になったってワケか」
「彼女だけじゃないけどな。なんだかんだでこの街の連中は好きだし、それに生活に困ったら助けてくれそうでもあるし。
もし、紛争になっても、逃げそうにないしなぁ、イノマタさん」
「だから、何でも良いよ。それよりも、ビジネスの話だ」
そう言って、シロアキはノートを取り出した。細かい数字がたくさん書かれてある。どうやらこの街の魔石採掘の記録のようだ。恐らくシロアキにしか読めないだろう。
「今日一日、街を観察して大体は分かった。この街の魔石の生産力はまだまだ伸ばせるぞ。グッドナイト財団が一度、ここに視察に来たらしいが、恐らくは似たような分析をしたんじゃないかな。狙う理由も分かる。
さて。
もし仮にこれから先、この街で増産した分の魔石の取引をボクに任せてもらえるのなら、充分過ぎる程のメリットがある訳だが……」
そう言い終えると、彼は薄眼でアカハルを見据えた。
「分かっている。多分、大丈夫だよ。この街を救うってなら、余裕でその条件を呑むだろうさ、皆。僕も交渉を手伝うし」
「オッケー」
そう言うと、シロアキは何かの手紙を見せた。
「それは?」
「べニア国で起こったある事件のレポートだ。それ自体には何の価値もない。くだらない報告書さ。
が、お前が“読め”ば違うだろう?
取り敢えず、オリバー・セルフリッジってぇ、使えそうな…… もとい、協力を得られそうな奴がいるってのは分かったが、グッドナイト財団の相手をするには、まだまだ情報が足らないんだよ。協力するつもりがあるのなら、さっさ読め」
それを聞いてアカハルはとても嫌そうな顔をしながらも、その手紙を開く。そして手で触れるなり、彼はこう言った。
「なんてこった! アイツかよ」
「アイツ?」
「この報告書、届いたのはいつだ?」
「三日前だが、どうした?」
「まさか、知っていたのか?」
「何の事だ?」
シロアキが嘘をついていないと判断すると、アカハルは頭を抱えた。
「はー どうするかなぁ? アイツを助けると色々と厄介なんだよ。でも、フユちゃんもいるしなぁ」
“フユ”というその名前で、シロアキは察したらしかった。
「まさか、クロナツか?」
そう驚いた顔で返す。
「そう。アイツだよ。しばらく顔を見ないと思ったら、べニア国なんかに行っていたみたいだ」
クロナツというのは、彼らと同じ施設で育った矮躯童人の一人だった。