15.あのフクロは、なんか変なこと言っています
その日の朝、オリバー・セルフリッジはアンナ・アンリの屋敷を去った。診察した結果、彼女が全快していると判断したからだ。それでも心配だったのか、彼は朝食を作って、それを彼女と一緒に食べてから出て行ったが、次に会う約束は特にしなかった。
「また、いつか何処かでご一緒したいです」
とか、そんな挨拶をしたくらい。
それが、彼女、アンナ・アンリにとっては不満と言えば不満だった。
三日後。
アンナは自分からオリバー・セルフリッジを訪ねることにした。
“考えてみれば、何の恩返しもしていないし、それどころか辛い目に遭わせてしまったみたいだし”
そんな言い訳をして。
彼女はローブを深く被って変装した。軍隊が近くをうろついていたから、一応、警戒をしたのだ。
村を訪ねると、彼女は適当な村人を捕まえ、「この村にオリバー・セルフリッジという方が住んでいるはずなのですが。何処に住んでいるかご存知でしょうか?」と訊いてみた。
自分の顔を見たなら、彼はきっと喜んでくれるに違いない。そんな期待をしながら。
ところが、その村人はこうそれに応えるのだった。
「セルフリッジさん?
ああ、あの人なら、先日、急用ができたとかでこの村を発ったよ。安い料金で病気を診てくれるし、子供達からも人気があったから残念だ」
それに彼女は目を丸くした。
一応、他の村人達に訊いてみたが同じ返答で、実際にその家を訪ねてもみたが、家具さえ残ってはいなかった。
……短い間とはいえ、それなりに親しい仲になったのだし、挨拶くらいしてから出ていってもいいのに。
彼女はそんな不満を持ったが、“まぁ、別にいいか”とそれからそう思った。彼がいなくなったところで、特に何が変わるわけでもないのだから。
ところがだ。
それから間もなくして、彼女に妙な症状が現れ始めたのだった。
胸が苦しい。
しかも、オリバー・セルフリッジの事を想えば想うほど、その苦しみは深くなる。聞いた事もない症状だ。
その原因不明の症状は、時が経てば経つほど強くなっていくようだった。師のログナの資料をあさって調べてみたが、該当するような症状の病気は発見できなかった。
そこで彼女ははたと思い至る。
『あなたの師のログナさんが開発した魔法研究の手法は大変に素晴らしいですが、対人用のものではない。その弱点を突かれましたか』
確か、そんな事をオリバー・セルフリッジは言っていたか。
「まさか、あの男、わたしの弱点を知って、何かわたしの知らない人間用の呪いをかけたのじゃ?」
彼女は彼の前で意識を失った。それに一緒に寝てもいる。呪いをかけるチャンスはいくらでもあったはずだ。
そう思うと、彼が突然姿を消したのは、逃げる為だったのではないかと思えてくる。
――許せない。
何が目的かは分からない。
しかし信頼させておいて裏切るという手段は卑劣だ。
このままでは、済まさない。
彼女はそう決断すると、直ぐに旅の準備をして家を出た。この胸が苦しくなる謎の呪いを解き、オリバー・セルフリッジに復讐をする為に。
しかし、出発して早々に彼女は困ってしまった。村でオリバー・セルフリッジが向かった大体の方向を聞いたは良いが、人間社会にはほとんど関わらないで生きて来た彼女には、右も左も分からない。人探しなど、どうすれば良いのかも分からなかったのだ。
そこで、ログナの知り合いのサンド・サンドという変人を頼る事を彼女は思い付いた。その男は全身に袋を被せたような奇抜な服を着ているのが最大の特徴だ。それだけならばただの変人だが、アンチ・マジックに長けていて、何歳なのか分からないほど高齢であるにもかかわらず、身体能力が異様に高い。そして、正体不明。
つまり、ただ者ではない。
まだログナが存命中に、アンナは何度か会った事があったが、ログナとサンド・サンドは仲が良いとは言い難かった。だから、歓迎はされないだろうと彼女は考えていたのだが、訪ねて事情を説明すと、意外にもサンド・サンドは彼女を歓待した。
「“オリバー・セルフリッジに復讐がしたい”だと? 何という奇縁! いや、天の采配か? 渡りに船とはこの事だ! 恐らくは、ワガハイの普段の行いが良いからだろう! そうに決まっている!」
上機嫌で、大はしゃぎだ。
“もし普段の行いの影響だというのなら、天罰が下るのが正解じゃない?”と彼女はそれを聞いて思う。
何故彼が上機嫌なのかアンナには分からなかったが、彼がオリバー・セルフリッジを知っていて、敵視している点だけは理解できた。
「あいつの居場所にまで案内しよう。
そうすれば、あいつを排除してくれるのだよな?」
そのような事を、彼が言ったからだ。
「もちろんです。何しろ、わたしはそれが目的であの森を出たのですから」
そう答える。そして、それから彼女はスミニア国の山中にまで連れて行かれたのだった。
真夜中。
雲の影に隠れた、険しい岩山に囲まれた高台。サンド・サンドを頭領とする泥棒集団“フクロ”の中に混ざってアンナ・アンリの姿がある。
彼女はオリバー・セルフリッジがいるという自警団を熱心に観察していた。もう三十分ほども彼女はそうしていたが、彼の姿は発見できていない。
サンド・サンド達もアンナ自身も黒衣を身に纏っている。月の光が届かないその場所では、向こうからは彼女達の姿は見えないはずだった。だから警戒されているわけではない、そう彼女は考えていた。
山の岩肌には夜露がついている。山の空気は冷たかった。しかし、彼女はそれをまったく気にしていなかった。彼女は今、オリバー・セルフリッジのことしか頭にない。
――どう攻めてやろうか?
自警団は武装をしてはいるが、彼女にとってそんな武装は紙っぺらと同じだ。まるで問題にならない。だから、乗り込んで残らず粉砕しても良かったが、彼女は謎の呪いをかけられている。慎重に行動した方が良いと判断して、まずは様子を見ているらしい。
そのうち、月を隠していた雲が風で流れて、三日月が山を照らした。恐らくは、アンナ・アンリ達の姿は下から見えているだろう。
「お頭」と、泥棒の一人がそれを心配してサンド・サンドに言ったが、彼は「安心しろ。その女がいれば大丈夫だ」と余裕の表情を崩さない。
「その女の魔力と魔法をもってすれば、見つかったところで、あんな連中は相手にもならん」
そのうち、案の定、アンナ達は見つかってしまったらしく、自警団が騒ぎ出した。
「敵が攻めて来たぞ!」
どうやら、そんなような事を言っている。
自警団は、“巨人の祈り岩”という巨大な魔石を護っているのだ。そして、サンド・サンド達泥棒集団は、グッドナイト財団の依頼によって、その巨人の祈り岩を、強奪しようと画策している。
つまり、自警団とサンド・サンド達は敵対しているのである。
因みに、サンド・サンド達の雇い主であるグッドナイト財団のトップ、ゼン・グッドナイトも、単に“面白そうだから”というだけの理由でそこに付いて来ていた。彼には享楽主義の一面があるのだ。
オリバー・セルフリッジは、自警団の中心人物だ。だから、彼女が彼を殺すなり何なりして排除してくれれば、自警団は自然崩壊する。サンド・サンドが彼女をここにまで連れて来た理由はそれだった。
やがて、「敵が攻めて来た」という話を聞き、奥の方からオリバー・セルフリッジが顔を出した。
“いた!”
その姿を、アンナ・アンリは凝視する。
憎くて、憎くて、仕方ない相手。
長い間、彼女に苦しい想いをさせ続けた張本人。再び会ったなら、絶対に酷い目に遭わせてやる。
そう、心に決めていた相手。
――の、はずだった。
ところが、彼の姿を一目見るなり、彼女の中のそんな黒く渦巻く感情は遠く何処かにぶっ飛んで消えてしまっていたのだった。
そして彼女は、居ても立っても居られず、今直ぐにでも彼に抱きつきに行きたい衝動を必死に堪えていた。
“――落ち着かなくちゃ、きっとこれもあの男がわたしにかけた呪いの所為なんだわ”
そう思い込もうとする。
が、そんなタイミングで、セルフリッジがアンナの姿を見つけてしまった。
「アンナさん! どうしてここに? 離れてください! その袋を被った男は危険です!」
そして、彼女を心配して、そんな大声を上げ始めた。
――んん?
“なんか、思ってた反応と違う……”
その声を聞いてサンド・サンドは笑う。
「ハハハ! 滑稽だな。間抜けにも、あの男はお前が敵になるはずがないと、心の底から信じているようだぞ?」
そう言ったサンド・サンドに顔を向けると、彼女はそのまま固まった。その固まったままの彼女の横顔に向け、セルフリッジはまだ「逃げてくださーい!」と彼女を心配する声を浴びせ続けている。
そして、一呼吸の間の後、アンナ・アンリの姿はフッとその場から音もなく消えたのだった。オリバー・セルフリッジの目の前に現れている。
驚いた自警団は、突然現れた魔女に銃口や剣先を向けた。それを彼女はまるで意に介せず、セルフリッジだけを見ていた。セルフリッジは大いに慌てて、自警団を止める。
「武器を向けるのは止めてください。彼女は僕の知り合いです」
身を挺して、彼女を守ろうとする。
必死に自分を守ろうとしているそんな彼の姿を、彼女はじっと見つめていた。目つめながら、目を潤ませている……
「――おい、本当に大丈夫なのか?」
高台の上。そんな闇の森の魔女の姿を見ながら、サンド・サンドに向けて、そうゼン・グッドナイトが訊いた。
「だから、言っているだろう? 安心しろ。あの女の魔法は本物だ」
「そうじゃなくて、だな」
「なんだ?」
「あの魔女、確かに怒ってはいたようだったが、まるで、すねている女の子みたいだったぞ?」
「何が言いたい?」
「だから、しばらく相手してやっていなくて、機嫌を損ねた女の子みたいだったと言っているんだよ。
僕の経験から言わせてもらうなら、ああいう表情の女の子は、ちょっと男が優しくすれば簡単に機嫌が良くなる……」
その時、突然、アンナ・アンリはオリバー・セルフリッジに抱きついた。
それを見て、サンド・サンドは「フフン」と笑う。
「見ろ。始めたぞ。きっと、あれであの女は強い呪いか何かをあの男にかけているのだ」
しかし、その同じタイミングで、グッドナイトは頬を引きつらせていた。
「一応訊いておくが……、
もし仮に、彼女が敵となった場合、我々はどうなる?」
サンド・サンドは答える。
「もし、そうなったら最悪だな。まぁ、逃げるしか手段はないだろう」
あっさりと。
それを聞いて、ゼン・グッドナイトは頬を更に引きつらせた。歪なくらいに。
「あの袋を頭から被ったサンド・サンドという男は、アンチ・マジックの使い手でして。魔法を使うあなたでは相性が悪い」
オリバー・セルフリッジは、突然抱きついて来たアンナ・アンリを抱きしめ返しながらそう説明した。
愛おしそうな表情で。
「はい。知っています。あの男は、仲は悪かったですが、ログナの知り合いでした。アンチ・マジック程度なら、わたしにとっては問題にならないので安心してください」
「そうなんですか?」
彼はそう言うと、「良かった。お身体は大丈夫そうですね」と続けた。
「あの村を去ってから、ずっとあなたの事が心配だったんです。体調を崩していないかとか、森に軍隊がうろついたけど見つかっていないかとか」
それを聞いて、アンナは更に抱きしめる手を強くした。
“うー…… 何の挨拶もなく、あっさりと置いて出て行ったくせにー”
心の中で文句を言っているが、喜んでいる。もっとも、喜んでいるそんな自分を、ちょっとだけ、彼女は許せていなかった。
「村を出る時も、挨拶をしたかったのですが、軍隊がいたのでできなかったんです。あなたの屋敷が見つかってしまうかもしれないから」
ところが、まるで心を読んでいるかのようにそれから彼はそう続ける。堪らず、彼女はほぼ反射的にこう言っていた。
「ずっと、 ……ずっと会いたかったんですよ? 会いに行ったの、あなたはもういなくなっていて」
駄々をこねるような口調。
「はい。すいませんでした」
それを聞いて、彼は優しそうに彼女の頭を軽く撫でる。
「あのサンド・サンドという男は、グッドナイト財団に雇われています。そして、グッドナイト財団は、あなたをあんな姿に変えたイザベラという女が所属している組織でもあるんです」
撫でながら、そう彼は説明した。それに彼女は目を丸くする。
「そうなんですか?」
「はい。だから、心配したんです。連中があなたに何かしないかと」
そう彼が言い終えたタイミングで、こんな声が聞こえて来た。
「オイ、コラー! 闇の森の魔女ぉ! いつまで抱きついている? 約束が違うだろう! その男を排除するという話はどうなったぁ?!」
サンド・サンドだ。
アンナはそれを聞くなり顔を青くした。
指差しながら言う。
「あのフクロは、なんか変なこと言っています」
「はぁ」と、それにセルフリッジ。
しかし、サンド・サンドはまだ続けた。
「その男が憎くて憎くて仕方ないと、そうお前は言っていたではないか! お前がその男に復讐したいと言ったから、ワガハイはお前をここまで案内したのだぞ?」
アンナは直ぐに言う。
「違います。あのフクロが、あなたの居場所を知っていると言うから、単に案内を頼んだだけです」
が、サンド・サンドは必死に喚く。
「さっさと約束通り、その男をなんとかしろぉ!」
そこでアンナ・アンリの目の色が変わった。ギラリと鋭い目をサンド・サンドに向ける。
「黙れ! このフクロ!」
そして手をかざす。
すると、その途端、サンド・サンド達と彼女達の間に空をも両断せんばかりの巨大な壁がせり上がって来た。
その突然過ぎる大異変に、サンド・サンド達は顎が外れるかという勢いで口をポカーンと開ける。
「おい…… なんだ、この魔力は? こんな事が人間に可能なのか?」
ゼン・グッドナイトが唖然とした表情でそう呟くように言った。
サンド・サンドが答える。
「恐らくは、“巨人の祈り岩”だ。あの女はあの魔石の岩の膨大な魔力を使っているんだ!」
「吸収したってことか?」
「違う。そんな生易しいもんじゃない。原理は不明だが、闇の森の魔女は吸収せずともそのままで他人の魔力を使えるのだ」
その説明にグッドナイトは驚く。
「なんだそりゃ? つまり、強い魔力を持ったまま彼女の近くに寄ったら、それだけで危険ってことか?」
「その通りだ!」
そう言い終えると、サンド・サンドはくるりと向きを変える。
「とにかく、ここはもうやばい。逃げるぞ!」
そして、そう言うと反対方向に向って走り始めた。それに従って、ゼン・グッドナイトや彼の手下の泥棒集団も走り始める。
ところが、その時、それに反応してか、巨大な壁が突然彼らを圧し潰そうと倒れ、襲いかかって来た。
「アンチ・マジック、ハイパーマックス大展開ぃぃ!」
サンド・サンドがそう叫ぶ。
アンチ・マジックの黒く透けた結界が出現し、それが広がっていく。が、それに壁が触れても脆くなって砕けるだけで、その巨大すぎる質量は変わらない。
その時、その倒れかかる壁の向こう側では、アンナ・アンリがセルフリッジに向って静かに説明していた。
「こーいう魔法なら、アンチ・マジックでも防げません。だから、わたしにアンチ・マジックはあまり意味がないのです」
「はぁ」と、セルフリッジは返す。彼はそのあまりの光景に目を奪われ、茫然となっていた。
が、寸でのところで気が付く。
「いけない! このままでは、山が傷ついてしまう! アンナさん! 魔法をとめてください!」
「駄目だぁ! アンチ・マジックがほとんど意味なーい!」
そう叫びながら、サンド・サンドは迫って来る巨大な壁に絶望していた。死を覚悟する。が、もう終わりかと思ったその瞬間、壁は溶けるようになくなっていく。
それはもちろん、セルフリッジの制止の言葉を聞いて、アンナが魔法を解除したからだった。
ただし、それでもその風圧はかなりのものだった。サンド・サンド達は吹き飛ばされて山を転がる。
相当なダメージ…… と思われたが、意外にもあっさりとサンド・サンドは立ち上がった。身体能力が高い。
「た、助かった? とにかく、逃げるぞ」
そう言って再び逃げ始める。
悪運が強いのか、ゼン・グッドナイトも大きな怪我はないようだった。一緒に逃げながら、彼は言う。
「契約魔法でも使って、裏切られないようにしておくべきだったんだ」
「そんなもんが効くなら、やってるわい!」
「効かないのか?」
「効かないんだよ! とにかく、あの魔女を我々の常識で考えるな!」
その言葉が真実なのは、今のサンド・サンドの必死の逃げっぷりを見れば明らかだった。逃げながら、グッドナイトは思う。
“いいな、あの魔女。是非とも欲しい”
サンド・サンド達が去った後、元の静かな夜の山に戻ったその場所で、セルフリッジ達自警団は茫然としていた。
「――とにかく、助かったってことですかね? 彼らを追っ払えました」
やがて我に返ったセルフリッジがそう言う。ところが、そこで自警団の一人が、彼に声をかけるのだった。
「ちょっと、セルフリッジさん……」
指を向けている。
何かと思ってその指の方向に目を向け、彼は固まってしまった。
“巨人の祈り岩”が、一回り小さくなっていたのだ。少なくとも、四分の一は削られている。その空気を察して、アンナは尋ねた。
「近くに膨大な魔力があるなぁ と思って思わず使ってしまいましたが…… あの、もしかしたら、何か問題がありましたか?」
自警団の皆は、その質問に対し、何も応えられなかった。