12.闇の森の魔女は、その時、地獄の底にいた
暗い部屋だった。
その部屋の一番奥には大きな縦長の机が一つあり、その向こうには何者かが腰を下ろしていた。しかし、その何者かは背が小さい上に腰を沈ませている所為で、頭くらいしか姿が見えていない。
その暗い部屋の扉が静かにキィと開く。
誰かが入って来た。
その誰かも背が小さい。その誰かは躊躇することなく部屋の中央辺りまで歩を進めた。そしてこう尋ねる。
「僕だよ。分かっているんだろう?」
それを受けて、机の影に隠れている人物はこう返す。
「分かっているよ。よく来たな。
しかし、便利な能力だよな、お前のそれ。誰にも知られないように会うのに、いちいち面倒な工作をしないで済む」
その人物は、それから机の上に顔を出した。
「自分の部屋の机の上に、時間と場所を指定した紙を置いておいただけだぜ、ボクは。ま、こっちから積極的にお前にコンタクトを取れないってのが難点と言えば難点だがな。お前がアレを見てなかったら、ボクは待ちぼうけだ」
机に座っていたその人物はシロアキだった。そして、部屋に入って来たのはアカハル。アカハルはそれを聞くと、部屋の中にある椅子の一つに腰を下ろした。
「僕がお前を定期的に監視しているって分かっているくせに。そんな心配はしていなかっただろ?」
シロアキは普段は彼の能力から逃れる為に、アンチマジックの装備を身に付けている。が、その時はそれを解いてそんなメッセージを書いたのだ。ならば、彼が自分に「会おう」と訴えているのだと簡単に分かる。
「報酬は貰うよ。見事、ケーブタウンを冒険者達から守ってみせたろ?」
「そうか? まだ分からないじゃねーか」
「ほぼ決まったようなもんだろ? まさか、僕を騙す気か? いつまでも“まだ分からない”とか言い続けて報酬を払わない気だろ?」
「安心しろ。近々、払ってやるから」
それから一呼吸の間を置くと、シロアキはこう言った。
「変な腹の探り合いをしても仕方ないな。お前だってボクがここに呼び出した理由くらいは察しているんだろう?」
アカハルはそれに何も応えない。シロアキは続ける。
「単刀直入に言おう。今回の件で、グッドナイト財団を調べて分かった事を洗いざらい話せ。どうして連中は、ケーブタウンを守らせようとしたんだ?」
「自信満々だね。でも君は、本当の依頼主が、グッドナイト財団だってどうやって確証を得たんだ?」
「そんなもん、お前が執った手段で一目瞭然だろうが。できる限りグッドナイト財団を避けようとしていたくせに」
それに「チッ」とアカハルは舌打ちをする。
「それ、嘘だろ? 初めからグッドナイト財団を疑っていたんだ、君は」
「ああ、その通り、疑っていたさ。だが、お前のお陰で確信できたんだよ。それより、答えろよ。こうしてわざわざ安心して話せる場所を用意してやったんだから」
それを聞くと、アカハルはしばらく黙った。それから「キャローン」と言いながら、変なポーズを取る。
「……変な誤魔化し方をするなよ、アカハル」
と、それにシロアキ。
「てめぇの慎重な性格からいって、話したくないのは分かるよ。できる限りグッドナイト財団に関わりたくないないんだろう? だがな、グッドナイト財団は各地で妙な動きを見せているじゃないか。本当にこのまま無関係でいられると思っているのか?」
アカハルを説得にかかる。いつも通りの光景だ。
「違う」と、それにアカハル。
「お前は関わるとか関わらないとか、そんなレベルでグッドナイト財団の情報を知りたい訳じゃないだろ?
ちょっかいをかけて、金かなんかを騙し取ろうとしているんだ。冗談じゃない! そんな危ない橋に付き合わされて堪るか!」
その言葉にシロアキは肩を竦める。
「連中はこのボクを小間使い扱いで、こんんなくだらない仕事をさせたんだぞ? 思い知らせてやりたいじゃないか」
「いや、仕事をしたのは、僕だよね?」
それを無視して、シロアキは言う。
「例えば、グッドナイト財団は、北のスミニア国とヘゲナ国の国境沿いで、軍事用の魔法疑似生命体を使って事件を起こしているよな?
あれは何だ?」
「キャローン」とそれにアカハルは返す。
「だから、それやめろって……」
――スミニア国の山中。
真夜中。雲の影に隠れた険しい岩山に囲まれた高台から、奇妙な集団が下にいる別の集団を見下ろしていた。両集団とも武装している。ただし、これから戦闘をしようという雰囲気はない。
「あそこに、オリバー・セルフリッジがいるのですか?」
高台にいる集団の中で、そうある女性が問いかける。不機嫌そうな、敢えて無表情を装ったような顔。黒い服を身に纏っている。どうも魔女らしい。
ラフなボブカット。若く見えるが、女性らしい身体つきがしっかりでき上っているのが服の上からでも分かるから、恐らく年齢は20歳前後だと思われた。
「その通りだ。闇の森の魔女、アンナ・アンリ」
それにそう答えたのは、頭からすっぽりと袋を体全体に被せたような奇抜なファッションの奇妙な男だった。
……ククク
袋男はそう嬉しそうに笑った。
彼らが見下ろしている集団は、武装をしてはいるものの軍隊ではない。どうも民間の自警団の類のようだった。そして彼らは奥にある何かを守ろうとしているようだった。
大きな大きな岩。
それはそのように思えた。しかし、色合いが薄い青で、通常の岩とは明らかに違う。その名を“巨人の祈り岩”という。
実はそれは巨大な魔石なのだった。通常、魔石がそれほどまでの大きさに成長する事は有り得ない。だから、それはスミニア国の山岳民族の間で神聖視されてもいた。
高台にいる集団は、その“巨人の祈り岩”を狙っていた。
奪ってしまおうと。
それほどの巨大な魔石からなら、膨大なエネルギーを得られるだろうが、彼らがそれを狙っていたのはエネルギーが目的ではない。通常では有り得ない程に魔石が巨大化したその謎を解明し、それを技術発達に役立たせたいと考えていたのだ。
もっとも、高台にいる集団は、“巨人の祈り岩”を奪って来るようにと依頼を請けた、単に雇われただけの、“フクロ”と呼ばれる泥棒集団だったのだが。
「おい、サンド・サンド。本当に大丈夫なのか? その女の子に任せて」
どうやら“サンド・サンド”という名らしい、なんだか嬉しそうにしている袋を被ったその男に対し、一目で上流階級と分かる“ナイスミドル”とでも呼びたくなるような男がそんな疑問の言葉を投げかけた。
「なに、心配するな。お前は闇の森の魔女の恐ろしさを知らんから不安になっているだけだ」
サンド・サンドは余裕を含んだ表情で(と言っても、袋を被っているので顔は見えないのだが)、そう返した。
「しかし、お前も物好きだな、ゼン・グッドナイト。普通、トップの人間はこんな仕事には顔は出さんもんだぞ? 指示だけだして、自宅で酒でも飲んで待っているもんじゃないのか?」
それから面白そうにしながら、続けてそう訊いた。「はっ」と笑って、ゼン・グッドナイトというらしいその男はこう答える。
「こーいう面白そうな仕事には、できる限り顔を出すようにしているんだよ、僕は。それに、あのオリバー・セルフリッジって男はちょっと気になる」
それを聞いて「ワガハイには理解できん」と言って、サンド・サンドは肩を竦めた。
ゼン・グッドナイトは、まだ中年といった年齢だが、グッドナイト財団の実権を握っており、実質、トップに位置する男だ。身分差や階級差という概念が抜け落ちているので、サンド・サンドは、そんな事はまったく気にせず、まるで対等の人間関係のように振舞っているが、本来ならば身分も立場も段違いで遥か上にいる存在だ。
もっとも、ゼン・グッドナイトはサンド・サンドのそんなところを気に入っているようでもあったのだが。
「それよりも、本当にあの女の子で大丈夫なのか?」
再びゼン・グッドナイトはそう尋ねた。サンド・サンドは、それを聞いて楽しそうに笑う。
「大丈夫だ。見た目は女の子かもしれんがな、あの女は恐ろしい魔力と魔法を使いこなす闇の森の魔女だ。心配するな」
グッドナイトはそれに
「いや、僕が気にしているのは、そんな事じゃなくてな、なんかあの女の子の様子は変じゃないか? 確かに怒ってはいるようだが、微妙に違うような……」
と、不安を口にする。それに構わずサンド・サンドは続けた。
「まぁ、恨みがあるのはあのオリバー・セルフリッジという男だけらしいが、それだけで充分だろう。あの男がいなくなれば、あの自警団は簡単に崩れるぞ。
あの団はあいつが組織したみたいなもんだし、あいつは妙に勘が良くて頭が回る。一番厄介なのはあいつだ」
そして「ククク」とまた笑う。袋の中に顔が隠れているにもかかわらず、明らかにサンド・サンドがにやりと笑っているのが分かった。そんな声で続ける。
「しかし、あのオリバー・セルフリッジという男も愚かだな。どうやったのかは知らんが、この人間に興味のない闇の森の魔女に、ここまで恨まれるとは……」
それからサンド・サンドは、闇の森の魔女、アンナ・アンリをゆっくりと見やるとこう尋ねた。
「約束したよな? 案内すれば、お前はあの男を排除してくれるのだろう?」
彼女は相変わらずの無表情を装ったような不機嫌そうな顔で、こうそれに返す。
「もちろんです。わたしは、あの男だけは許せません! 絶対に」
その瞳には、深い深い憎しみの炎が宿っているように思えた。
……その、一か月くらい前。
闇の森の魔女は、その時、地獄の底にいた。
北のスミニア国とヘゲナ国の国境沿いには二つの国をまたいで大きな黒い森がある。その森は人々からは通称、“闇の森”と呼ばれていた。その闇の森には魔女がいる。“闇の森の魔女”と呼ばれている恐ろしい魔女が。
先代の魔女のログナは老衰で死に、今は二代目のアンナ・アンリという名の女が“闇の森の魔女”となっていた。
先代のログナは、無数の疑似生命体同士を戦わせ、その中で進化した魔法技術を吸収するという独自の魔法研究スタイルを執っており、個人としては破格の、しかもオリジナルな魔法技術を誇っていた。
その弟子のアンナ・アンリもそれを引き継いでいる。しかも彼女は生まれ付き、魔力の才能にも秀でていて、膨大な魔力を持ってもいた。
普通は誰にも負けない。
――ところがその時、そんな彼女が死にかけていたのだった。
闇の森の中にある結界によって閉ざされた場所、そこに闇の森の魔女の大きな屋敷があった。その大きな屋敷の倉庫に、彼女は異様な姿で横たわっていた。
彼女の四肢は、まるで鎖で繋がれ引っ張られているかのように、大きく大の字に開かれ、動きを封じられていた。
ただし、固定されている訳ではない。彼女の四肢は、引っ張られてはいたが、始終、様々な方向に蠢いていた。
……カサカサカサカサカサ
そんな音が鳴り響いている。
白いぶよぶよとした体。そのわき腹からは、無数に小さな節足が生えている。強靭な顎。彼女の両手両足は、途中からそんな姿に変わっていた。
そう。
彼女の両手両足は、途中から巨大な甲虫類の幼虫のようになっていたのだった。おぞましく醜い姿。
そして、それらがランダムに動き回っている所為で、彼女の身体は常に微かに動いているのだった。
大きな顎を持ったそれら幼虫達は、デタラメに動いて何かに反応しては、その顎で目の前の物を凶暴に破壊していた。
その様は、まるで彼女自身の憎悪が具現化したかのようだった。しかも、まったくコントロールできていない。
もう何時間……、いや、何十時間、彼女はそうしているか分からなかった。
幼虫達は動いてはいるが、法則性はまるでなく、それぞれが統一を取れた動きもしていない。偶然、そのランダムな動きが彼女を倉庫の外に連れて行く可能性もあったが、その確率は限りなくゼロに近かった。
だから、彼女は実質、倉庫の中に捕らえられているようなものだった。
このままでは、いずれ死ぬ。
水分は窓の外の露滴を魔法で集めて摂取していたが、それではとても充分とは言えない。彼女は激しい飢えと渇きを覚えていた。何か飲んで食べなければいけない。
魔法を使って脱出しようとも彼女は考えたが、どうやら幼虫達は、彼女の魔力を吸って活動しているらしく、魔法を使うとより巨大になってしまう。
だから、どうしても魔力をセーブせざる得ず、強力な魔法は使えなかったのだ。
“どうして、こんな事に……”
既に彼女は酷く衰弱していた。しかし、そんな状態になっても彼女の中にある憎悪は消えてはいなかった。むしろ、衰弱すればするほど更に激しくなっていくようでもあった。
自分をこんな目に遭わせたあの連中を絶対に許せない。
助けてやったのに、自分を敵視し、自分を蔑んだあの連中を絶対に許せない。
絶対に許せない。
絶対に……。
絶対に…
彼女は、とても惨めだと感じていた。とても惨めで孤独だと。
彼女はもう生を諦めかけていた。せめてその憎しみを晴らしたかったが、それも無理そうだった。
……自分の最期は、こんなにも無残なのか。なんという運命なのだろう?
彼女は誰にも聞こえない声で泣いていた。
――がしかし、そんな時、あの男、オリバー・セルフリッジが、その地獄の底にいた彼女の前に現れたのだった。




