第2部第303話 闇の帝王その3
(7月23日です。)
今日の朝、お庭でキラちゃんと銀ちゃんと一緒に遊んでいたら、離宮から従者さんがエーデル陛下からのお手紙を持って来たの。陛下からのお手紙は、その場で読んでお返事をことづけるのがマナーなので、すぐ開けてみたんだけど、今日から北の教会に行くので午後1時に冒険者服を着て離宮に来てくれって。私は、従者さんに『必ず行きます。』ってお返事しておいたわ。エーデル陛下からのお誘いを断るなんてできわけるないわよね。
少し早めに簡単な昼食を取ってから、冒険者セット、つまりチェーンメイルを下に着て、オフホワイトのチュニックに緑色のズボン、黒色のつま先に鉄板の入っているブーツを履き、冒険者必携、何でも入るポケットだらけの迷彩ベストに着替えて、約束の時間前に離宮を訪問した。装備は腰に『聖剣エスプリ』を下げ、背中に矢筒を背負っている。『エルフの弓』は、手に持っている。中折れの帽子を被って完全装備だ。『妖刀コテツ』は、長いので『空間収納』の中にしまっておいた。
エーデル陛下は既に玄関ホールの前でお待ちになっていて、直ぐに応接室に案内されたの。そこでお茶をしながら、これからの行動予定について話されたわ。今回の冒険は、北の山脈の麓にある協会及びその周辺の調査なんですって。どうやら、最近、大量の魔物や魔人が西にあるエーデル市に襲来したらしいの。その時は、市の防衛火器で対処したらしいんだけど、どうも北の協会跡、いえ、それよりも北側で何かあるようだとのことだった。調査ならキラちゃんに騎乗していった方がいいかなと思い、『空間収納』から飛竜騎乗服を出して着ることにした。驚いたことに、エーデル皇后陛下もピンクの飛竜騎乗服を持っていらした。それも私のものよりかなり高級品みたい。ま、当り前よね。皇后陛下様ですもの。離宮の裏庭にキラちゃんを呼んで、タンデム用の鞍をセットして準備完了。私が前鞍に乗って手綱を握ったの。エーデル皇后陛下は、後ろの席に乗ったんだけど、なんかフワッと騎乗してしまった。よっぽど身体能力が強いのね。
「キラちゃん、ゆっくり上昇してから北に向かって!」
『キュイー!』
大きく羽ばたいて、本当にゆっくり上昇を始めた。地上を見ても土ぼこりが立っていないので、それほど強くは羽ばたいていないみたい。龍種って、もともと魔力で飛翔しているの。そうでなければ、あんなに大きな身体を、小さな翼で浮かばせるなんて無理に決まっているんだもん。高度200mくらいまで浮上したら、そのまま、進路を北に向けて水平飛行に移ったの。私もエーデル皇后陛下もゴーグル付飛行帽を被っていたから、ある程度の速度までは問題ない。シェルブール市外に出て地上を見るとおびただしい数の魔物が斃れているのが見えた。そのまま北に飛んで、教会の手前2キロ位の地点に着陸してもらったの。キラちゃんの首周りの鬣の中にいる妖精のウエンディちゃんが、教会の中から邪悪な魔力が感じられるって教えてくれたんで、私も魔力感知を広げてみたら、確かに何かいるみたい。銀ちゃんを呼んで教会の周辺を探索してくれるようにお願いしたら、すぐに教会に向かってくれた。銀ちゃんと『意識共有』をしたので、これで教会の中に誰がいるのかわかるでしょう。
廃墟となった教会の中には、ベリアルが潜んでいた。一昨日、20体のレッサーデーモンを召喚して、南の街を襲撃させたのだが、あっという間に殲滅されてしまい、また、召喚のために一気に魔力をつかってしまったために、じっと魔力の回復を待っていたのだ。本当なら、人間を喰らうことにより、血肉とともに魂の叫びを喰らうことができれば、かなりの量の魔力が回復するのであるが、一昨日の光景を目にして、このまま人間の街に進むのは危険と判断し、今はじっとしていることにしたのだ。しかし、先ほど、何かが接近してきた気配がしたので、南の方角を見たところ、銀色の飛竜、いや、あれは下等な飛竜ではない、それ以上の存在が飛翔してくるのを確認した。飛竜と自分の間は2キロ以上離れているので、はっきりとはわからないが、飛竜にはだれかが乗っているようだ。気配からすると2人の女のようだが、一人はそこそこ戦えそうな竜騎士で、もう一人は全く使えない幼女の様だ。あいつらを喰うことができれば、レッサーデーモンの50体位は召喚できるだろうが、問題はあの銀色の飛竜だ。ここからでも戦闘力の高さが分るほどだ。
今の状態で、戦闘になるのは避けたいベリアルは、そっと教会の裏手から外に出ようとしたが、背後に不穏な気配がしている。教会裏手の窓からのぞいてみると、大きな狼、いや銀色に光り輝いている獣がいた。その気配は、ベリアルにとっては信じられないが、間違いなく『精霊獣』のものであった。
『まずい、まずい、まずい!』
精霊獣の牙は、自分が使える闇の結界など、簡単に破られてしまう。それに、こいつ、精霊の力を身体から放っている。最悪、たった1個しか持っていない『転移の石』を使って冥界に逃げることができるが、そうしたら、当分、この世界に来ることはできない。せっかく、分厚い岩をくりぬいてきたというのに、何もせずに逃げ帰るのもしゃくに障る。見たところ、この精霊獣、精霊力以外大した戦闘力もなさそうだし、あの飛竜が来る前に、こいつを何とか出来れば勝機があるかもしれない。
ベリアルは戦うことを決意した。今の自分の魔力では、大した召喚もできないが、とりあえずレッサーデーモンを5体、ジャイアントタランチュラを1体召喚しておいた。自分は、気配を消して教会の屋根に移動して高みの見物だ。
頭を低くして、牙をむき出し戦闘態勢に入っている銀ちゃんに、ジャイアントタランチュラ糸の網を振りかける。銀ちゃん、慌ててよけようとしたが、細くて四方に広がる蜘蛛の糸が体中にまとわりついてしまった。前足や牙を使って破ろうとしたが、全く役に立たずにがんじがらめになってしまった。聖なる力で身体じゅうを光らせてみたが、光っただけで、蜘蛛の糸に変化はなかった。銀ちゃんは、体を小さくして逃れようとしたが、体を小さくした瞬間、蜘蛛の糸が覆いかぶさり、単に小さな糸玉になってしまっただけだった。その糸玉めがけて、レッサーデーモンの持つ二股の槍が殺到した。闇の属性でも何でもない物理攻撃に銀ちゃんの抵抗は無力だ。体中に突き刺さってくる槍の痛さに、思わず悲鳴が出てしまった。
『キャイーン!!』
2キロ先の協会の裏手からの銀ちゃんの悲鳴は、マロニーにしっかり聞こえてきた。銀ちゃんの様子については、意識共有により把握していたが、同時に苦痛も共有している。右太ももと左肩に激痛が走った。出血こそしていないが、意識が持っていかれそうな痛みだ。
「キラちゃん!」
キラちゃんが教会の上に転移する。眩い光のブレスを教会の裏手に吐き出した。聖なる光のブレス、癒しの力を与えるブレスだ。その光が銀ちゃんを包み込む。光に包まれた銀ちゃんは、光が消えると同時にその姿を消した。マロニーの知らない空間に転移していったようだ。よかった。マロニーは、キラちゃんと同時に転移し、キラちゃんとは別の位置に現れた。その時には、右手に弓を持ち、左手には矢を5本持って弦を思いっきり引き絞っていた。狙うのは、地上をはい回っている蜘蛛ジャイアントタランチュラ、そして空中をパタパタと飛び回っているレッサーデーモンのうち4体だ。
「よくも銀ちゃんをケガさせたな!」
赤く光り輝く炎属性の矢5本が、それぞれ別の方向に放たれた。ジャイアントタランチュラは腹部が爆裂してしまい、わずかに残った胸部の左右に伸びている毛だらけの10本の足がもがいているが、うまく歩くことができずにその場でぐるぐる回り始めた。残りの4体のレッサーデーモンは、何が起きたかわからないまま、この世界から消えてしまった。いや、消えたのではない。命中と同時に爆発した矢により、細かな肉片と化して四方八方に散らばってしまったのだ。ベリアルは、何が起きたのか理解できないでいた。銀狼を蜘蛛の糸でしばりつけたときは、確実に勝ったと思ったのだ。レッサーデーモンといえども、悪魔族の片割れ、それが5体も同時に攻撃をしたのだ。通常の精霊獣ならば、絶対に生き残れないはずだ。『勝った。』と思った瞬間、精霊獣が光り輝き、と同時に大爆発が起こったのだ。もし、この時、ベリアルが上空にホバリングしている銀色に光輝く精霊獣を見ていたら、そして、すぐに貴重な転移石を使って逃げていれば、ベリアルの寿命ももう少し伸びていたかも知れない。しかし、一瞬、何が起きたか判断が遅れたベリアルは、異様な光が上空に輝いていることに気が付いた。教会の壊れた屋根越しに上空に輝く大きな火球に気が付いた。
「な、なんじゃ!あれは?」
それは、マロニーの怒りによって膨れ上がった大火球だった。人間界では最高難度の災害級極大魔法『ヘル・ファイヤー・テンペスト』ではない。単なる『ファイア』だ。通常は、焚火や竈、それに蝋燭に火をつける程度の初級魔法だ。しかし、その大火球は、あまりにも大きく高温だった。ベリアルの来ている魔導服もポケットの中の貴重な魔道具とともに燃え上がってしまった。もちろん、ベリアルの毎日2時間もかけてセットしている黒色の髪の毛からも炎を立ち昇らせている。
大火球の中心には、数千万度になろうかという炎の核があり、それがゆっくりと教会に落ちてきていた。核と教会が接したとき、核の中の原子同士が素粒子レベルで大振動を起こし、それぞれが反発または結合して、変質を遂げようとしていた。その際に生じた膨大なエネルギーは、周囲の物質を吸収しながら、さらなる連鎖を起こし始めていた。
マロニーは、すぐにエーデル陛下のもとに『空間転移』をして、エーデル姫の手をつかむと同時に、再度『空間転移』をした。行先は、エーデル市の北門前だ。はるか北の地平線の先の上空が白く輝いていたかと思うと、真っ赤な雲が乱れ飛び、そのご、大きな轟音とともに大地に振動が伝わってきた。空間が揺らいでいるように見えたかと思うと、こちらの方に真っ赤な炎が津波のように押し寄せてきた。マロニーは、北門の外に『聖なるシールド』を展張した。2重に、3重に、4重にと。魔力が尽きる寸前まで張り続けた。17枚張った時点で、猛烈な脱力感に襲われた。
『あ、いけない。このままでは倒れてしまう。」
いつの間にか、すぐそばに現れていた銀ちゃんに顔をぺろぺろ舐められながら意識を手放してしまった。