第2部第299話 商業ギルドその7
(7月16日です。)
私専属メイドのドリアは、最近、ようやくお屋敷での生活に慣れてきたようだ。でも、メイド長としての自覚に足りない面が見られる。と言うか、何をさせても自身が無さげなの。掃除だけは天下一品、完璧にこなすんだけど、あとは駄目ね。
「ねえ、ドリア。あなた、メイドの嗜みってなんだか知っている?」
ドリアは、しばらく考えてから、
「ご主人様を大切にすることですか?」
「うーん、そうなんだけど。」
やはり、メイドとして教育されていないので、知識が極端に少ないようだ。
「いい、メイドの嗜みというのはね。」
私は、『メイド7か条』を教えてあげる。
『1.メイドたるもの、常にレディであれ。』
『2.メイドたるもの、常に控えめであれ。』
『3.メイドたるもの、常に美しくあれ。』
『4.メイドたるもの、常に博識であれ。』
『5.メイドたるもの、常に優雅であれ。』
『6.メイドたるもの、常に正しくあれ。』
『7.メイドたるもの、常にメイドの誇りを持て。』
本当は、もっと細々とした規律があるんだけど、今はいいわ。外出する時のメイド服の様式とか、冬の寒い時にスカートの下に履く毛糸のパンツの形とか、本当に細かいの。中には納得できない項目もあったけど、今から考えると必要だから決められているんだなって分かるわ。ドリアは、私専属のメイドだけど、お屋敷のメイド達の長でもあるんだから、『メイドの嗜み』位はきちんと覚えてもらいたいわね。
あと、彼女、金銭感覚がおかしいの。ある時、市場に買い物に行って、何も持たずに帰ってきたので、どうしたのか聞いたら『後で配達してくれる。』と言っていた。でも、暫くしたら荷車に一杯の食材が届けられて、びっくりしてしまった。金貨1枚を持たせて買い物に行かせたんだけど、食材を指差して『買えるだけ。』買ってきたみたい。それからは、彼女一人では買い物に行かせないことにしたわ。
それで、今日もドリアを相手に細々とした指示をしているとき、ブルニエさんが訪ねてきた。ブルニエさん、製糸工場と職布工場の管理で超忙しいはずなのに、お屋敷に来るなんて珍しいわねと思ったんだけど、かなり焦っている様子があったので、1階の応接間に通しておいた。キラちゃんと銀ちゃんは、ブルニエさんに興味を引かれずにそのまま眠っているみたい。
ブルニエさんからのお話は、ちょっと困ったことだった。製糸工場への綿花と蚕繭の仕入れが止まっているということだった。仕入れが止まるってどうしたんだろう。だって、綿花農家と養蚕農家とは全量買い入れの年間契約を結んでいて、仕入れが止まるなんてあり得ないわ。ブルニエさんの話では、ティタン大魔王国の業者が大量に買い付けに来て、マロニー商会の買取価格の2割増しで買い取ってくれることになったんだった。でも、年間買取契約を結んでいるんだから、他への売却はできない筈なんだけど。でも、違約金を支払っても、今年の契約は解約することにしたそうだ。
「それっておかしくない。違約金って、買値と同額でしょ?そんな大金を払ったら儲けなんか出ないじゃない。」
「それが、今回の買取業者は、違約金も負担する約束なんだそうです。」
「そんな馬鹿な。そんなことをしたら、利益なんか出ないじゃない。」
「ええ、これはうちの工房に対する嫌がらせではないかと。」
「誰が?」
「証拠はありませんが、多分『商業ギルド』の企みなのでは。」
「え、なんで?」
「この前、粗悪な原料を持ち込んだ業者がいましたが、あの業者の背後には商業ギルド長のファーガスさんがいるみたいなんです。それで、今回に嫌がらせをしているみたいです。」
なるほど。領内で唯一の商業ギルド、農産物を含め、ギルドの意向に反した取引はできないだろうし、まして通常価格の2割増しでの買い取りとなると、生産農家では明確に反対することはできないだろう。ファーガスの狙いは、まちがいなくマロニー商会の廃業だろう。しかし、ファーガスは大量に買い付けた蚕繭や綿花をどうするのだろうか。特に、蚕繭は早く処理をしないと中の蛹が羽化してしまい、大切な繭に穴をあけてしまう。また、綿花についても膨大な量の割に単価が安いので保管するのにはかなりの経費が掛かるだろうから余剰在庫など抱えていられない。現に、マロニー商会の製糸・紡績部門では1週間以上の在庫は抱えないように生産者の方々にお願いしているのが現状だ。
まあ、在庫がなくなっても、1カ月くらいは問題なく持ちこたえられるが、このままファーガスの思惑通りになるのも癪に障るので、対抗策を講じることにした。私は、製糸工場の仕入れ責任者である男性とともに仕入れ先を訪問することにした。その男性は50過ぎの人間族の方で、元グール人だったそうだ。名前をブランケットさんと言い、以前、この工場で仕入れ部長をしていたのだが、あまりにも仕入れ価格が安すぎて生産農家の方々が困ってしまったのだが、ドプト工房長はそんなことにお構いなく、仕入れ価格を買い叩くので、我慢しきれずに辞めてしまったそうだ。今回、新生マロニー商会製糸・紡績部門の職人さん達を新規募集したところ、復職して貰った方だった。
仕入れ先については、領内では適当な農家さんは皆、ファーガスの言いなりになっているだろうから、ティタン大魔王国の生産農家さんにお願いしようと思っていた。当てはないけど、ブレナガン伯爵なら何とかしてくれるかも知れない。早速、行ってみることにしよう。
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(7月19日です。)
小学校は、昨日で1学期が終了した。9月1日まで、長い夏休みだが、他の子供たちの様に遊んでいるわけにも行かない。今日は、ブルニエさんとブランケットさんの3人で、ブレナガン伯爵に会いに行くことにした。
午前10時、二人が屋敷を訪ねてきた。ブランケットさん、私の屋敷を見て吃驚していたみたい。というか、応接室に行く前の広間でキラちゃんと銀ちゃんが、元の姿のまま寝ているのに驚いたようで、すこし震えているようだった。応接室で、そのまま、ブレナガン伯爵邸の前庭に転移することにした。頭の中に伯爵邸の前庭をイメージしながら『ゲート』と発動呪文を詠唱する。別に詠唱しなくても良いんだけど、その方がカッコ良いみたいだから真似しているの。応接室に空間の揺らぎが現れたので、その中に入っていく。続いてブルニエさんとブランケットさんも一緒に入って来た。ゲートの先は、ブレナガン伯爵邸の前庭で、庭師の方が庭木の剪定作業をしていたが、私達の姿を見て、声を掛けてくれた。
「マロニーちゃん、久しぶりだね。元気だったかい。」
「ベンドさん、お久しぶりです。ご無沙汰していて申し訳ありません。」
一応、ブレナガン伯爵の使用人については、すべて顔と名前を記憶している。これはメイドとしては必須の能力で、お客様のお名前を間違えたりしたら大問題となってしまうので、最初に訓練されることだった。お屋敷のドアのノッカーを静かに叩く。本当は、門番さんに案内を頼まなければいけないんだけど、直接前庭に転移してきたので、こうするしか仕方がない。すぐにドアが開いて、家令のジェフさんが出てきた。
「これは、これはマロニー嬢、お久しぶりです。ご訪問の予定を聞いていなかったのですが、本日はどなたにご用件でしょうか。」
「すみません。突然、お邪魔をして。ブレナガン伯爵閣下は御在宅でしょうか?」
まあ、原則、領主は毎日、お屋敷に居て執務をすることになっているのだが、今日は土曜日、仕事はそんなにないはずだ。
「はい、ただいま、ソニーお嬢様とお茶をしているはずです。どうぞ、お入りください。」
そのまま屋敷内の応接室に案内された。若いメイドさん、たしかビアンカさんと言ったかな、その人が紅茶とクッキーをテーブルに出してくれたけど、私を見て、パチリとウインクしてくれたの。彼女とは、キッチンで何度もお茶をしたことがあるので、仲良しだったわ。暫くすると、ドアを開けてソニーお嬢様が飛び込んで来たの。私が立ち上がると、飛び込むように抱き付いてきて、暫くハグし続けていた。そのうち、ブレナガン伯爵と奥様も部屋に入ってきて、ご挨拶をしたんだけど、お二人ともお若く、全然お代わりがないみたい。まあ、別れてから4カ月位だから、そんなに変わる訳ないわよね。
伯爵とソニーお嬢様には、シェルナブール市で流行っている『ティタンの月』を10箱ほど差し上げたんだけど、とても喜んでくれたみたい。あと、織布工場で織り上げた毛織物も差し上げたんだけど、寒いこの地方では重宝するはずね。暫く雑談をしていたんだけど、人間界のグレーテル王国で子爵に叙せられたことを話すと、少し意外そうな顔をされていた。ティタン大魔王国からの叙爵の話を断ったのに、人間界で叙爵された理由について聞かれたので、この国で叙爵される条件として、ゴロタ皇帝陛下と婚約させられる恐れがあることから、逃げたこと。グレーテル王国での叙爵は貴族としての義務など関係なく、自由に活動していいと言われたので、受けることにしたことを話すと、何となく納得してくれたみたい。あれ、伯爵様、なにか変なこと考えていませんか?
まあ、そんなことは置いておいて、今日、突然に訪問したことについて用件を話し始めた。お願いは、たった一つ、こちらの糸問屋を紹介して貰いたいことだ。個別に生産農家にお願いしてもいいのだが、領内全域を回るわけにも行かないので、領都にある問屋さんに行って交渉をしようと言うことにしたのだ。具体的なことは、ブルニエさんとブランケットさんにお任せして、取り敢えず、急遽、昼食会をすることになって。え、ブルニエさん、ブランケットさん、何かとても汗をかいているんですが、大丈夫ですか?