第2部第296話 商業ギルドその4
(7月8日です。)
『ロブ織布工房』が正式に売却されたのは、今日の午前中だった。すでに元社長達の荷物は運びだされており、残された女工さん達は、何もせずにボーッとしていたみたい。私が、放課後に工房に行ってみる。女工さん達は、止まった機械の周りを掃除をしている。広い工場の中には女工さん達10人しかいない。私が工場の中に入っていくと、皆、私の方を見ている。でも何故だか元気がない。
「すみません。この前、ここにお邪魔したマロニーです。この中で一番先輩の方、どなたですか?」
一人の魔人の女の子が前に出てきた。名前を『ジュリアナ』と言い18歳だそうだ。
「あのう、ご主人様、何か御用ですか?」
え、ご主人様? 前の社長に『ご主人様』と呼ぶように言われていたそうだ。さっそく、止めて貰う。それではなんと呼ぶんだろう。すぐには思いつかないので、『マロニーちゃん』と名前で呼んでもらうことにした。でも、雇い主に『ちゃん』付けはできないといわれてしまい、『マロニー代表』と呼んでもらうことにした。CEOって、言いにくいもんね。それで、皆が元気がないことを聞いたら、今日は何も食べていないそうなの。え、もう午後3時よ。なんでも『今日から、お前たちは社員じゃないので、食わせるパンもねえ。』って言われたらしいの。酷い話ね。もう、さっそく裏の資材倉庫の前で、バーベキューよ。お屋敷から、ドリアやノムさん達を呼んできて、準備をさせた。食材は、私が、『空間収納』から取り出したものと、あと、パンやサラダなどは近くのお店に買い物に行かせた。女工さん達も手伝ってくれたんだけど、空腹で元気がないのと、バーベキューの準備なんかしたことがないようで、あまり役には立ちそうになかったみたい。それでも、ちゃんとバーベキューが始まり、途中からブルニエさんも参加して、楽しい食事会になって良かった。皆が食事している間に、資材倉庫や製品倉庫を見たんだけど、驚いたことに倉庫の中はほとんど空だった。ジュリアナさんに聞いたら、今日の午前中に大きな荷車が来て、全部持って行ったとのことだった。癪に障るけど、買い取ったのは工場と機械なので、倉庫の中の物については、権利はないみたい。まあ、購入した資材の請求が来たら、当然、支払って貰いますけど。
あと、ジュリアナさんや他の女工さん達がチラチラとドリアやノムさん達を見ている。何か言いたいことがあるのかなと思って聞いてみると、私達が来ているメイド服を見ていたみたい。ジュリアナさん達が来ているのは鼠色の作業服で、お世辞にも可愛いとは言えない。ところどころに継ぎが当たっているし、それに油の染みが取れなくなっているみたい。早速、明日、ドリアと一緒に用品店に行って、必要な服とメイド服を新調するようにお願いした。勿論、その経費はこちら持ちよ。あと、靴ね。長時間、履いていても疲れない作業用の布製の靴と外出用の赤い革靴を買う様に言っておいた。それと、寝具も新調しましょう。何か、気持ちの悪い虫がいそうだし。
次の日、市内のバンブーセントラル建設に行って、工場のリニューアルをお願いした。とりあえずは、10人の女の子が寝泊まりできる仮設住宅を裏に作って貰う。勿論、シャワー室も完備したシッカリしたものをお願いした。それと、女子寮の建設、これはレンガ造り2階建てのしっかりしたもので、40人程度は済めるようなものをお願いした。2人部屋が20室と大食堂、それと大浴場ね。トイレと洗面所は共同だけど十分な数をお願いしておいた。完成は来年の春頃だって言っていたけど、なんとか年末までにしてもらった。バンブーセントラルさん、領主館の新築や、学校、治療院の建設でフル稼働のようだけど、人間界のゴロタ帝国から人員と資材を派遣してもらうので何とか大丈夫みたい。
その日の夕方、工房に戻ったら、ジュリアナさん達が新調したメイド服を着ていた。みなニコニコしている。薄いブルーの綿生地で、スカーは、少し短め、スカートの中からは、白いパニエの裾が覗いている。黒のストッキングをはいているけど、絹製で、それが一番高かったみたい。白いフリル付きのエプロンも可愛らしいし、同じく、メイド服と同色のヘッドセットを付けていると、どこから見ても可愛らしいメイドさんね。特に、ゴブリン族の女の子は、身長も低いこともあってとっても可愛らしいの。今日の夕食は、お肉のスープとサラダ、それにフワフワの真っ白なパンにしたみたいだけど、キッチンで調理している子は、以前のネズミ色の貫頭衣を着ている。新しいメイド服が汚れたら嫌なんだって。それって、メイド服の趣旨を大きく間違えている気がするんですけど。ブルニエさんには、工房を運営する新しい工員を募集してもらうことにした。条件は、これから詰めることにする。
「あのう、私達、いつから働けばいいんでしょうか。」
ウーン、いつだろう。予定はないわね。原材料の仕入れもしなくてはならないし。まあ、製糸工場の製品仕上がり次第ね。とりあえず、製糸工場でできて上がった製品は、そのままここの資材倉庫に入れて貰おう。ある程度、それが出来てから考えましょう。あ、それから新しい工場名を考えなくっちゃね。うーん、どうしようか。
『マロニーバイカウント商会』
という名前にして、その傘下に『薬品工場』と『製糸・紡績工場』と『織布工場』を運営するという形式にしよう。それで、経理と運営等の事務を担当する本社機能を持った事務所を持つ必要があるみたい。あ、そうすると、また本社建物を購入しなくちゃいけないし、新しい人材も採用しなければならないわ。ああ、頭が痛くなってきた。
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(7月10日です。)
冥界の王城は、高さ8000m級の山々が連なる中でもひときわ高い山の中腹にその威容を誇らしげに示すように建てられている。何階建てなのか、誰も詳しく知らない。と言うか、知る必要もなかった。ほとんどの者は、階段などは使わずに『飛翔』で目的の階に到達するし、城内では転移門が張り巡らされてるので、階段も専用メイドが掃除するためのみに存在している。その王城の中でも中層階は、しもべ達の執務エリアになっており、東側と西側でバンパイア族とデーモン族のエリアに分かれており、相互に行きかう通路には、分厚いドアがあって、ここ数百年、開けられたことはなかった。
そして、上層階での冥界の王、その名を呼んではならない者の執務室や謁見の間、それと居住区には高位貴族達とメイドしか出入りすることができなかった。デーモン・エリアの最上位者は、『デーモン・エンペラー』の男で、虚空間での思念体であった者が冥界の王に召喚されて肉体を具現化されたものである。過去、彼は、『大魔王』と呼ばれ、人類全体の敵であった。それは、人間が死ぬようになったのは、彼がイヴという女性をそそのかして、『善悪の知識の木』を食べさせたからだと言われている。しかし、あるとき、『すべてを統べる者』との戦いに敗れ、逃げおおせた先の異次元空間において長い年月を雌伏していた。しかし、あるとき、『明けの明星』と呼ばれたもっとも偉大な天使が、堕天し、冥界の王となったことを契機に彼に召喚されて、現実世界に具現化することとなったのだ。元は、同格と思われた彼の下に付くのは業腹だったが、ほんのひと時、我慢すれば必ずや元の様に悪魔の頂点に立ち、支配することが出来る者と信じていた。そのためには、彼に、『すべてを統べる者』を倒してもらわなければならない。そのためには、1000年位の年月、大したことはないと思っていたのだ。
この残念な元大魔王の名は『メフィストフェレス・ド・サタニタリア』と呼ばれていたが、別名『地を這う者』とか『サタン大魔王』とかの名でも呼ばれている。冥界では、『デューク・サタン』と呼称しているが、彼にとっては屈辱的な名前であり、デーモン同士では、『マジェスティ』とだけ呼ばせている。身分的には、彼は冥界の公爵だが、その下には7大魔将と呼ばれるデーモン・マーキスがおり、それぞれに7人の天鬼と呼ばれるデーモン・アールがいる。その下には、やはり7人ずつの『デーモン・バイカウント』と『デーモン・バロン』がいるが、彼らはまとめて『デーモン・ロード』と呼ばれている。
デーモン・ロードは、デーモンの実戦部隊であり多くの将兵を抱えているが、一軍を率いる時には、彼らは『デーモン・ジェネラル』と呼ばれている。一般のデーモンは、『コロネル』や『キャプテン』、『ルテナン』などから『ソルジャー』までだが、兵役につかない女性や文官は、単に『デーモン』と呼ばれている。
キチンとした市民権を持っているのは『デーモン』までで、その下の『レッサーデーモン』や野獣とのミックスの『デーモン・ビースト』は、デーモンの使い魔や奴隷の扱いだ。勿論、王城に入城できるのはデーモン以上であり、爵位を持たないデーモンが、冥王のいる上層階に入ることは許されていない。
そして、この世に生を受けて200年、ずっと『デーモン・バロン』の地位に甘んじていた1人のデーモンが、ある時、『マジェスティと7大魔将との会議に非公式に同席したことが彼の運命を狂わせたのだった。そのデーモンの名は、『ベリアード・フォン・ウオルフ』と言う由緒ある名を受け継ぐものだった。しかし彼は、現在の彼に与えられている地位に不満があった。少しでも上の地位に上がりたいと思っていたのだが、もう1000年以上も争いのない冥界において彼の腕を振るうチャンスはずっと無かったのである。しかし、現在、冥王様は、人間階と魔界を全ている『ゴロタ』という若造の対応に苦慮されており、その対策として、あの汚らしい吸血一族のメイド風情をスパイとして魔界に送り込んだそうだ。それをマジェスティは大いに悔しがっていた。マジェスティにも眷属のメイド達がおり、その内の一番の若手を送り込むことも可能だったのに、冥王様が声をかけたのが偶々後ろに控えていた『マロニー』とかいう小娘だったそうだ。
マジェスティは、なんとか魔界だけでも再征服するか、それが無理でも、マロニーを亡き者にして、自分の配下を魔界に送り込みたいと魔将達に相談していた。ベリアードは、立場を弁えずに、発言を求めてしまった。
「恐れ入ります。我が敬愛すべきマジェスティ様。私に考えがあります。」
「おい、お前は誰だ。マジェスティ様に直答も許されぬ分際で。身の程を弁えろ。」
「まあ、待て。其方の考えを聞こう。」
「は、ありがたき幸せ。さて魔界には、魔人族がおると聞いております。魔人族は、我がデーモン族とは切ってもきれぬ縁かと。その中から、何人かの草を育成し、かの汚らしい吸血族のメイド風情の活動を妨害するのです。さすれば、冥王様も我らに次なる手立てをお命じ下さるかと。」
「ふむ、しかし、それは難しいかも知れぬぞ。表立っては、ルシファーの不況を買いかねんぞ。」
「その大役、是非、このベリアードにお任せ頂けませんでしょうか。」
「其方、『ベリアード』と申すか。帥の爵位は?」
「はっ!御前に立つのも憚れる一介のバロンであります。」
「ふーむ、男爵か?其方の寄親は誰じゃ。」
「は、ブルーム天鬼様です。」
「ブルーム?えーと天鬼か。ブルーム、前に出よ。」
線の細い貴族が前に出てきた。チラッとベリアードを見て
「チッ!」
と小さく舌打ちをしたのをベリアードは聞き逃さなかった。きっと、自分のスタンドプレーを快く思っていなかったのだろう。しかし、今まで自分の寄り親であったブルーム伯爵に何かしてもらった記憶はない。年の初めに挨拶に行くことと、年末に伯爵邸に麾下の子爵以下が集まってパーティをするぐらいだ。ブルーム伯爵は、マジェスティの前に進み出て、臣下の礼で膝まづく。
「その方の寄り子のベリアードの意見、大儀である。よきに計らえ。」
これで終わりだ。それ位なら直接、伝えてくれればよいのに、こういうところは、宮廷のしきたりが邪魔くさい。
デーモン族の会合は終わった。マジェスティは、また、冥王様のおられる上層階に戻られるのだが、その後、系列最上位の侯爵位『ベアドリクス』大魔将様と麾下の天鬼の一人であるブルーム伯爵が残った。勿論、ベリアードも残っている。
「して、其方、我に何も奏上せずに、マジェスティ様に進言したのはいかなる所存だ。」
ベアドリクス様、かなり立腹の様子だ。
「それがし、決してベアドリクス様をないがしろにするつもり等ありません。勿論、ブルーム様にも同様です。ただ、こうでもしないと、私の意見など誰も聞いてくれないどころか、発言の機会さえ与えられない者と思ったからです。」
「ふうむ・・・・・。」
暫く、静寂の時間が流れていた。私の献策について検討しているのだろう。成功した場合のメリットと失敗した場合のデメリットについて。はっきり言って、メリットは計り知れない。冥王様の憂いを払拭することが出来るのだから。反対に、デメリットはベリアードの吹けば飛ぶような命が失われるだけだ。
「よし、わかった。ベリアード、やってみろ。ただし、報告は細かくブルームにするように。ブルームは、作戦遂行責任者に任ずる。良いな。」
「は、有難き幸せ。御意のお召のままに。」
魔大将序列5位のベアドリクスの下、配下の天鬼序列6位のブルーム、その下のデーモン・ロード序列39位のベリアード。本当に下位も下位、上級貴族達には無名に近いベリアードに大役が任された瞬間であった。
マジェスティから下賜された宝物は、3点だった。冥界に戻るために転移することのできる『転移石』が1個と、下級デーモンや魔物を召喚できる『召喚石』、それと、冥界との通信がおこなえる『通信石』だ。どれも非常に価値があるものばかりだ。
デーモン族は、魔力により見た目を変えることができるが、低級デーモンの場合は、その特性から人間や魔人族に変異する程度で、ドラゴンなどには変異することはできない。ベリアードも尻尾と頭の角、それに長く伸びた犬歯を隠す程度で、性別や身長を変えることは出来なかった。
ベリアードは、自分の部屋に戻って、人間風に見える服に着替えた。あと、武器としてミスリルソードと、メイスを準備する。メイスは、自重を利用しての打突攻撃を目的としている武器なので、鋼鉄製の物にしておいた。あと、向こうで使用できるかどうか分からないが、金貨を100枚ほど、すべて収納魔法で収納しておく。
「バッゲージ オープン」
詠唱をすると、空間に切れ目が入った。そこに収納をする。この収納魔法は、量的には問題ないが、取り出すときに手探りで出さなければならず、あまり大量のものを収納すると、目的のものが出せなくなる。ショートソードやメイスのように大きなものならいいが、通貨や下着などは、財布や旅行用鞄に入れてから収納しなければならない。しかし、それを持ち歩くことを考えれば便利なものだ。
ベリアードは、王城の中層階と上層階の境目に当たる階に行ってみる。底は、物々しい警備兵で、守られている転移の間だった。行き先は、魔界の北西にある洞窟だ。唯一、魔界との連絡通路になっている。警備兵たちには既に通達が行っているようで、そのまま通してくれた。門を開けて中に入ると、石柱が円形に並んでいて、中央部分には魔法陣が書かれている。そのほかには何もない部屋だ。ベリアードも、昔、一度だけこの部屋に来たことがあるが、その時は、先輩が魔界に行くのを見送っただけだった。
魔法陣の中央に立つが、何も起こらない。
『くそっ、魔力が枯れていやがる。』
ベリアードは、魔法陣の脇に偉そうに鎮座している魔石に手をかざす。自分の魔力が吸い取られていくのが分かった。暫く、魔力を注いでいると、魔法陣が緑色に光り始めた。準備完了だ。ベリアードは、再び魔法陣の中央に立ち、『転移』と呟いた。白い光に包まれ、ベリアードの姿が消えてしまった。