第2部第294話 商業ギルドその2
(7月2日です。)
商業ギルドのギルド長の事務室で物流部長が、青い顔をしながら報告していた。
「結局、昨日、クズ薬草を売りに行った者は、何も売れずに追い返されたそうです。これで、今回仕入れたクズ薬草が売れなければ裏組織への依頼料だけでも大損です。でも、それだけじゃあないんです。夜中に、軒先でボヤでも出してやろうとした組織の者2名が帰ってきておりません。勿論、ボヤだって起きてないです。これじゃあ、組織に支払った依頼料が丸損どころか、2人の補償も支払わなければならなくなるかも知れないです。」
「しかし、それでは商業ギルドから仕入れると言う約束が違うではないか。」
「そんなことを言ったって、問答無用だったのですよ。組織でも強面の二人が何もできずに追い払われて。組織のボスは『殲滅の聖女』が相手だったとは聞いてねえと、大怒りでしたよ。」
「それで、これからどうするんだ。」
「冒険者ギルドからのルートは止められないので、ウチもそれなりの薬草を仕入れて納入しますよ。儲けは度外視で、暫くは『マルニー薬品』は静観です。」
「ううむ、仕方がないか。それで、『製糸工房』の方はどうなんじゃ。」
「周辺の綿花と蚕糸の生産農家には、商業ギルドを通じなければ納入してはならないと言っております。遅くても来季からは全量、ギルド経由になるはずです。あと、羊毛については、これから納入が始まるはずですが、手配は済んでおります。」
「そうか。あの製糸工房は、以前は裏組織の息がかかっていたが、これからはうまい汁を吸えそうじゃな。」
「はい、この街の周辺の農家は全て抑えてますから。」
「そうか、そうか。あのガキに商売の難しさをいやと言うほど教えてやろうじゃないか。」
その日の夕方、私はクラウディア様から、特産品の生産をお願いされた。特産品と言っても、毛織物の生産なんだけど。この街の周辺には、広大な農地が広がっていて、いろいろな作物を作っているが、大規模な牧羊農家も多いそうだ。しかし、紡績技術が貧弱なため高級毛織物が発達していないそうだ。絹製品は、高価ではあるが、庶民が使うには高級すぎるし、富裕層が少なくなったこの街では、大規模な製糸工房は過剰設備となりかねないそうだ。その点、羊毛の紡績はこれから発展する余地が充分にあるし、単に太い毛糸にするだけでは、勿体無いそうだ。
一口に紡績と言っても、ウールを、洗い、すき、紡ぐといった毛糸を作る段階があり、それぞれに専用の機械と熟練した技を持つ職人が必要だ。勿論、私はその辺は素人にすぎないので、クラウディア様の言ってる事の半分も理解できなかった。
まず仕入れた羊毛を選別することから始める。羊毛の品質チェックし、太さ、長さ、スタイル、植物 質含有量などをベテランの目でチェックしなければならない。この辺は工房の職人には難易度が高い気がする。と言うか、若い女高しかいないのだ。工房で作っていた毛糸は、軽くしか洗わないで、製糸するだけの荒っぽい作り方だ。それでもセーター位は編めるだろうが、毛織物を作るほどの細い毛糸はとても無理だ。
クラウディア様が、選別のプロを紹介してくれるそうだ。人間界の南大陸には魔人族の王国があり、その国の特産が毛織物製品らしいのだ。そこの職人を指導員として2年契約で派遣要請をしてくれるらしいのだ。
直ぐには無理だが工房の生産ラインが完成した時には、派遣が決定しているはずと言ってくれた。検査されたウールは、人の手により異常なウールが取り除か品質に応じてブレンドされる。この工程は、今の女工さんでも作業可能だろう。
これからは、新しい機械が必要になるが、まず『洗毛器』が、石鹸とソーダ水を使い、油や土砂や植物質の不純物を含むウールを、ゆっくりと押し洗いし、純白な洗い上げウールにする。それほど高度な機会ではないが、かなり大きな機械らしい。
洗い上がったウールは大小のふっくらした固まりになっているが、これを『カード機』と言う機械にかけて繊維1本1本にほぐし、スライバーという「繊維の長さを平行に並べたロープ状の繊維の束にする。この工程を『梳毛』と言うらしい。『カード機』とはどんな構造か知らないが、ゴロタ帝国の機械工場で作らせるので心配しなくても良いと言われた。
できた『スライバー』をまた洗い、引き伸ばしと工程を重ねて、きれいになったスライバーを巻き上げて西洋こまのような形にするので、これを『トップ』と言うそうだ。この段階で染色に掛けてもいいが、スライバーは赤ちゃんの腕くらいの太さで、1m当り25グラムもある。さらに補足する作業は、機械によるものであり、スライパーをリング精紡機で糸の太さに引き伸ばすとともに、糸を紡いで行く。この糸を1分間に1万回転以上回るスピンドルで 巻き取っていくのだが、完全に機械にしかできない。またできた糸は『単糸』と言って、細い1本の繊維だが、通常は2本の単糸を撚り合わせて『双糸』の状態にして出荷となる。
これを自動織機にかけて毛織物生地にするのだが、複雑な工程を重ねて、いろいろな生地にしていくのだ。ウール生地の種類は、
サージ、モスリン、セル、クレバネット、ギャバジン、ポーラ、アルパカ,トロピカル、ウーステッド、アストラカン
など多岐に渡るらしいが、それらがどんな生地なのか、想像もつかない。それに、今の施設はあくまでも製糸・紡績の工房だ。工房から出荷された生糸や綿糸は、零細な機織り工房や家内工業で生産されて商業ギルドに納入しているらしいのだ。高級な絹織物となると、1反織るのに3か月もかかるらしいのだ。木綿の反物は、細かな細工もないので、3〜4台の織り機が置いてある工房で生産している。毛糸は、ほぼ手編みなので、家庭内で生産されているのが現状だ。
基本的に織機は、構造が同じなので、毛織物も同様の工程で製作でき、専用パーツを交換することで、バラエティを出せるそうだ。問題は、市内いや国内の織物職人の組合を作って貰いたいそうだ。それって商業ギルドと真正面からぶつかる気がするんですが。
「問題は、商業ギルドの体質です。何軒かの織布工房と癒着して、他の工房や内職者からの買取りを不当に安く仕入れているんです。これでは優良な工房は育ちません。そのため、工房では労働単価の安い子供達を劣悪な環境で働かせているのです。しかし、これを禁止すれば子供達の働き先がなくなるのです。」
これは困った問題だ。高級な絹織物は、大人にしか織れないので問題はないが、単純な綿布などは子供でも織れるので、安い労働力で大量に生産させれば、納入値段が安くても利益が出せるのだ。なんとかして見たいが、商業ギルドに加入したばかりで喧嘩するのもねえ。取り敢えず、一旦持ち帰る事にして、領主館を後にした。
お屋敷に帰ってから、ノムさん達に織布工房のことを聞いたら、そこだけは行くもんじゃないと教えて貰った。1台の織り機に2人の子供が付き、1時間交代で織り機で織るんだけど、子供にとっては重労働らしいの。織り機の前に座らない時は、糸の準備や製品の梱包など仕事が休まることがないそうだ。最近は、ある程度待遇が良くなったらしいが、以前は病気になって死んでしまった子が多かったらしいけど今は、12歳までは小学校に行かせなければならないので、それまでの小さな子達は全て馘にし、12歳以上の魔人族の女の子か、もっと安いゴブリン族の子を雇っているらしい。でも朝の6時には織り始め、夜の8時まで働き続けるのは一緒なんだって。こんな無理な労働をさせるのは、やはり商業ギルドの買い入れ価格が安すぎることが原因なんだけど、行政庁としても労働環境の改善を指導できても、直ちに違法とは言えないと言う事で、手をこまねいているしかないみたい。
1日14時間労働だと思うんだけど、1時間交代で休ませているから、実質7時間しか働いていないとか、休み時間に糸の準備をしているのは、自分からやっていることなので、休み時間はしっかり休めと指導しているとかの弁明を覆せないようなのね。うーん、やはり構造改革が必要なのかな。でも、未だ紡績工房も完成していないのに、織布工房までは手が出ないわよ。
次の日の放課後、織布工房に見学に行ってみることにした。驚いたことに、『マロニー製糸工房』のすぐ近くに織布工房街があった。近づくと、『ガチャン、ガチャン』と織機が布を追っている音が至る所から聞こえてくる。比較的大きな『ロブ織布工房』と言う工房に行って、中の様子を見ていると、中からおじさんが出てきた。
「おい、うちの店に何の用だ。うちは、小売りはやってねえぞ。」
「いえ、小学校を卒業したら、織布工房で働こうかと思って。」
「お前、今、何年生だ。」
「5年生です。」
「それじゃあ、来年、また来い。こっちは遊びに付き合っている暇はねえんだ。」
そんなやり取りの間、工房の中を見ると、魔人族の女の子が汗を流しながら織機を操作している。両手と両足を使っての重労働だ。全部で、5台の織機が稼働している。あ、奥から、ゴブリンの子が出てきた。手に持った籠に巻かれた糸を持っている。かなり重そうだが、それぞれの織機に数個ずつの糸を置いていく。今度は、魔人族の子が降りあがった布を取りに来て奥に運んでいる。どうやら、奥も作業場になっているのだろう。みんなやせ細っているし、顔色も良くなかった。
「いつまで見ているんだ。邪魔だ。出ていけ。」
あ、怒られちゃった。まあ、状況は分かったからいいわ。ここで働いている子達は、かなり酷い待遇みたい。それでも、寮や食事がまともなら、厳しい仕事と言う事で納得はできるんだけど。まあ、今度は、夜に来てみよう。そうしたら全貌が分かると思うわ。