第2部第290話 薬師マロニーその11
(6月28日です。)
昨日、領主館から使いの者が来た。グレーテル王国にお住まいのドミノ様から、『ピアノの調律師が今日来るんだけど、ピアノは何処にあるの?』ということだった。あ、そう言えば、ピアノを運んだことを言ってなかったっけ。早速、今日の放課後、自分の部屋から子爵邸に転移した。子爵邸は、外壁補修が終わり、内装の補修に入っていた。特にキッチンとバスルームは大掛かりな工事になっており、今はガランとした大きなスペースになっていた。メルローズさんが、邸内にいて作業員の方達に色々と指示をしている。私が急に現れたので吃驚していたが、私が挨拶をするとニッコリ微笑んでくれた。
子爵邸を出てから、ゴロタ帝国離宮に向かったんだけど、1ブロックしか離れていないので、目と鼻の先だ。もう衛士の方も顔馴染みになってしまった。玄関を入って直ぐの大広間には、既にドミノ様とピアノの調律師の方がいた。早速、空間収納からピアノを取り出した。こういう大型の物は、床に置いた状態で出てくるんだけど、どう言う原理なのかしら。調律師の方は、出現したピアノを見て、ちょっと驚いていたけど。『ほう、B-211ですか。良いピアノですね。程度も良さそうだ。』と言ってくれた。ちょっと弾いてみて、ハンマーの状態を点検していたけど、ウールのハンマーを交換するのに、これから3時間はかかると言われた。その間に、この前買ったアップライトピアノを取りに行くことにした。楽器店では、配送のために木枠で梱包されていたけど、お屋敷に持って行って木枠から外すのも面倒だったので、折角組み立てた木枠を外して貰った。後は、空間収納に収納するだけだったが、配送の手間が省けたお礼にピアノ用の椅子をサービスしてくれた。うーん、ピアノの値段からすると、しょぼいサービスね。
後は、ドミノ様の通っている王立音楽学院大学附属高校を見学させて貰った。緑に囲まれた、とっても雰囲気の良い学校だった。でも流石高校だけあって、大きな人ばかりだった。まあ、私が小さすぎるんだけど。でもピアノ科では、ドミノ様が一番小さいらしいの。何でもピアニストって背が大きい人が多いみたい。その方が手が大きくて指も長いので、ピアノを弾くのにも有利なんだって。あ、そうか。私の手って絶対不利よね。まあ永遠の10歳の代償かな。でもピアニストになる気はないし、美しい音が好きなだけだから。どこからかピアノの音が聞こえてくる。ショパンかしら。え、もしかしてドミノ様、今日授業があったのかな。
「ドミノ様、ピアノの音が聞こえていますが、今日、授業がお有りでは無いんですか?」
「いいえ、大丈夫よ。今、実技試験期間なの。ああやって一人一人の生徒達が試験を受けているのよ。あ、私は、いつも一番最初だから。」
ドミノ様、試験の時は一番最初に皆の前で課題曲を弾くらしいの。それが課題曲の基準になるんですって。ていうか、それじゃあ試験じゃあないような気がするんですけど。あ、今のピアノの音、なんか違う。
「あーあ、今、ちょっと間違えてたわよね。」
あ、やっぱりそうなんだ。毎日ピアノのレッスンを受けていても、間違えるんだ。ピアノって難しいのね。まあ、私はできる範囲で弾けるようになれば良いんだけど。
離宮に戻ったら、グランドピアノの調律が終わっていた。ちょっとだけ弾いてみる。勿論、弾いてみるのは『子供のハノン』だ。ああ、綺麗な音ね。ハノンの12番まで弾いてみる。それをジッとみていた。試し弾きを終えたら、
「マロニーちゃん、『C』に右手の親指を置いて、思いっ切り指を広げてみてくれる?」
と言われたので、追われた通りにやってみる。やっと『B』に小指が届く程度だ。これだって、目一杯指を広げているんだけど。手の大きさから、これが限界みたい。
「マロニーちゃん、もう少し手が大きくならなければ、難しい曲は弾けないわよ。」
「はい、頑張ります。でも、私、ピアノの音が好きですし、どんな曲も好きなので、弾ける曲があるだけでも幸せです。」
本当にそう思っている。弓や剣の実力の様に、自分や他の命を守るためには、限りなく強さを求めなければならないだろうけれど、ピアノは自分の趣味で弾いていくつもりだから。それに、きっと手は大きくならないだろうから。でも、椅子に座って、手首が変に曲がらない姿勢をとると、ペダルが遠くなるのには困ってしまうわね。調律師のおじさんがそれを見ていて、いい装置があるって教えてくれた。『補助ペダル』って言うんだって。おじさんが作っている工房を知っているというので、2つ注文しておいた。
グランドピアノも空間収納に格納して、帰ろうとしたら、今度、ティタン大魔王国統治領の森に冒険に行きたいって言われたの。王都の近くのダンジョンは、当分の間、封鎖なんですって。各階層のレベル認定をして、魔物の異常な発生がないと分かれば解放するそうなんだけど、年内いっぱいはかかりそうだって言っていた。それなので、統治領の森に魔物狩りに行きたいんだって。私も最近は、『マロニー薬品』の運営で忙しいし、あ、製糸工房の仕事も増えそうなんだっけ。それでも魔物狩りには行きたいし。もう、次の日曜日は絶対に魔物狩りよ。ドミノ様に、『明日の日曜日、午前7時に迎えに来ます。』と約束して、統治領に帰る『ゲート』をくぐったの。
統治領のお屋敷に戻ったら、さっそく、大広間の一角にアップライトピアノとグランドピアノを置いて、ちょっとだけ弾いてから、『マロニー薬局』に向かうことにした。きっとお客さんがいっぱいなんだろうなと思ったら、お客さん達が2列で長さが50m位の長さになっていた。工房の人が、『ここが最後列です。』という看板を持って、最後尾に立っていたけど、もうゲンナリしていたみたい。私は、メイド服のまま、『マロニー薬局』のエプロンを付けて、ヒルさんに、取り敢えず、ポーションを買いに来たお客さんと、具合が悪くてお薬を買いに来たお客様に分けてもらう様にお願いしたの。私は、お店と工房の間に立って、具合が悪くて並んでいるお客さんの顔を見ながらメイド魔法『鑑定』を掛けている。ある程度は、病状が分かるの。熱のある人、咳の出る人。食欲のない人。あと、火傷や切り傷が酷くなって熱のなる人なんかだ。風邪やアレルギー程度なら、調合済みのお薬で何とかなるけど、そうでない人は、ある程度症状を聞かないとお薬を調合できないの。調合の間は、椅子に座って待ってもらっているんだけど、難しい薬だと、私が直接調合をしてあげる。
『鑑定』を掛け、症状を聞いて、お薬を調合、結構忙しかったけど、午後5時過ぎには、すべてのお客さんが帰って行った。みんなクタクタの様だ。ヒルさんが、ゲッソリしながらお昼のサンドイッチを今食べている。なんとなくわかったんだけど、お店の窓口が狭すぎるみたい。あんなに大勢のお客様を処理するだけのキャパシティがないのよ。と言って、工房を狭くすることもできないし。これは、もう店頭販売専用の店舗を隣接に開店するしか無いわね経費はそれなりにかかるけど、今日の売り上げを見ると絶対にチャレンジすべきよ。幸いなことに、治癒院建設予定地の隣の土地も売りに出ていたので、購入する事にした。これは補助金対象事業では無いので、一時的に私が出資することになる。お金のかかる事ばっかりね。
次の日、午前7時にグレーテル王国のゴロタ帝国離宮に『ゲート』を繋いで、ドミノ様を迎えに行く。ドミノ様は、すでに準備万端だったけど、フェルマー王子も一緒だった。本当にお二人は仲が良いわよね。挨拶もそこそこに、ティタン大魔王国統治領の冒険者ギルド前に『空間転移』した。
朝の7時半だというのに、もう冒険者でいっぱいだった。依頼ボードを見てみると、流石に『D』ランク位じゃあ大した依頼がないわ。でもフェルマー王子の『E』ランクじゃあ、これ位しかないし。仕方がないので、また、薬草採取を受注する事にした。『癒し草100本の採取』だったけど、これ、すでに持ってるし。依頼人欄を見たら『マロニー薬品』ですって。あ、そう言えば以前だ開いた記憶があるわね。報酬が、銀貨1枚だって。これ、普通の冒険者じゃあ無理よね。100本最終完了の頃には、最初に採取した分が乾涸びているわよ、きっと。この依頼は、常設依頼で、誰でも達成さえすれば成功報酬が貰える依頼だった。
ギルドを出たら、一旦お屋敷に戻って、そこから北の森の入口に『ゲート』を繋ぐ。キラちゃんと銀ちゃんも一緒に『ゲート』を潜って来た。ずっとお屋敷にいたので運動不足みたい。森は、不思議な気配を漂わせていた。木々は鬱蒼と葉を茂らせ、下草もビッシリと生えていて、獣道さえ覆い尽くすかのようだった。あ、この匂い。癒し草の匂いだ。風上である西側から漂って来ている。3人で向かい、群生場所を見つける。鮮度を保つため、素早く根から掘り起こして、次々と袋に入れる。フェルマー王女とドミノちゃんにも袋を渡すが、2人が漸く袋に一杯にした頃には、私は3袋も採集していた。勿論、ギルドには渡さず、成功報酬を貰うだけにして、2人が採集した分は私がギルドの買取値段で買い取る事にするつもりだ。
さあ、それじゃあ出発しますか。雑草を踏み分けながら森に入っていく。色々な匂いがしてくるが、この森の王者は猫達だろうか。熊もいるようだ。でも強い『瘴気』の匂いがする。この前、『レッド・リリー』のメンバー達と来た時よりもずっと強い匂いだ。ゆっくり奥へ進んでいく。
「フェルマー王子、抜刀しておいて。敵は樹上に潜んでいます。数が多いです。10体以上います。」
フェルマー王子は、スラリとヒヒイロカネとオリハルコンのハイブリッド・ショートソードを抜く。剣の名前は『斬鉄剣・紅』と言うそうだ。何かカッコいい。私の持っている『コテツ』や『エスプリ』とは大分違うわね。構えは、『明鏡止水流』の短剣の形、下段の構えだ。私は、『虹の魔弓』を構える。今日は、生捕りはしない。数も多いので、殲滅するつもりだ。空間収納から5本の弓を出して、猫達が潜んでいる場所を狙う。頭の中に、それぞれの位置が浮かび上がってくる。矢の属性は『氷』にした。急所に刺さると同時に周囲を凍らせれば、血も流れず、体内から凍って即死する筈だ。矢を放つ。それぞれの矢が、梢を避けながら目標に向かって誘導されていく。
「「「ニャオ!」」」
何匹かの猫の断末魔の声が聞こえて来たと同時に、地面に落下して来た。2匹は地上にいたので、ファングタイガーかも知れない。まだいる。というか、こちらに向かって来ている。背の高い下草が揺れている。
「来ます。」
二人に警告を発する。ドミノ様の魔法攻撃は、ここでは使わないでもらっている。森林火災が起きたら困るもんね。