第2部第287話 薬師マロニーその8
(6月23日です。)
今日午前9時をもって、神聖ゴロタ帝国ティタン大魔王国統治領の通貨制度が変わる。本国と同じ通貨となるのだ。通貨名称はギル。旧通貨の様に『デリス』と『ピコ』の2種類の名称は使わずに1種類のみだ。旧通貨の金貨の金含有量と新通貨の金貨の金含有量は旧通貨の方が1割ほど低いが、同貨交換となる。ただし、帝国金貨は、100万ギル、旧金貨は10万ギル価値が異なるので、旧金貨は10万ギル大銀貨と交換となる。1デリス銀貨は、10000ギル銀貨となり、重さが100グラムもある。新たに1000ギル銀貨が発行され旧大銅貨と交換されるが、重さが僅か10グラムでかなり小さい。そして、貨幣のほかに帝国銀行発行の紙幣が流通することとなった。この紙幣は、100万ギルで帝国金貨1枚と無料で交換できるので、持ち運ぶなら、紙幣の方がずっと便利だ。紙幣は、10000ギル、5000ギルそして1000ギルの3種類だ。少額の場合には貨幣の方が便が良いようで、1ギル鉄貨、5ギル鉄貨、10ギル銅貨、50ギル白銅貨、100ギル白銅貨となっている。この紙幣と貨幣は帝国本土で作られて統治領に持ち込まれているが、王国の『リチャード・ブレイン金融会社』の各支店で両替してくれる。そう言えば、このシェルブール市には東にシェルナブール市本店と北、西そして南に各支店があるそうだ。私の近くには南支店があるので、ギルドに預けている口座を移そうかとも思ったけど、まあ、もう少し様子をみることにする。と言うか、この市だけではなくグレーテル王国のギルド総本部でも降ろせるギルド口座の方が便がいいのかなとも思うし。
最近、屋敷の庭の草が伸び放題になっている。やはり、ダボラさん一人では、広いお屋敷を管理するのは無理があるかも知れない。屋内は、ドリアがいるのである程度綺麗に掃除されているが、グレーテル市の子爵邸のようにきちんと必要な人員を雇う必要がある。と言って、特に当てがあるわけではないので、孤児院のキエフ院長に相談したところ、孤児院出身者で何人か心当たりがあるそうだ。早速お願いする事にした。ある程度の人数が纏まったら面談の上決める事にして、こちらの希望人員を伝えておく。執事2名、メイド3名、それと庭師が1名だ。院長先生が、『そんなに採用して大丈夫?』と聞いてきたが、たぶん大丈夫だと思う。現在、冒険者ギルドに預けている口座預金が大金貨で40枚位あるはずだし、それに薬局の売り上げもかなり見込める。新しく新設している治癒院も、建設費はほぼ補助金対応なので、完成の暁には、さらに収益が見込めるだろう。
屋敷に戻ってから、自分の部屋に行き、『ゲート』をグレート王国子爵邸の自室につなげて『転移』をしてみる。うん、この前、見たとおりだ。そのまま、階下に降りて、ピアノの前に行く。うーん、どうしようか。統治領のお屋敷に置きたいけど、調律されていないので、それが終わるまで待とうか、それとも少しくらいの狂いは無視して、毎日弾くか。どうしようか。このままでは、子爵邸の改装が終わってから調律を頼むと、ずっと遅れてしまうし。あ、そうだ。ドミノ様に相談してみよう。そのまま、子爵邸を出て、帝国の離宮に向かうことにした。
辺りは、夕闇が迫ってきていたが、離宮からピアノの音がきこえてきているので、ドミノ様がいるのだろう。門番の衛士さんに案内を頼んだらすぐにメイド長のダルビ様がお迎えに来てくれた。邸内では、やはりドミノ様がピアノの練習中だった。私が、突然現れたのに吃驚していたようだが、私の相談には快く応じてくれた。簡単なピアノの調整はドミノ様でもできるが、長い間、引かれていないピアノの場合、ハンマーの部分を交換したりする必要もあるので、専門の業者さんに依頼する必要があるそうだ。すぐには決められないので、お願いだけしておくので、また来て貰いたいとのことだった。
用件が済んだので、直ぐに帰ろうとしたら食事をしていくようにと誘われた。でも、王国のお屋敷でも準備しているし、ここに来るのも皆には言っていないので、『帰ります。』と伝えたら、残念そうにしていた。
「あ、そう言えば、ここにはどうやって来たの。」
「あ、はい、子爵邸と王国統治領のお屋敷とを『ゲート』で繋げたので、それを使って転移してきました。」
「え、ゲートを繋げたって。誰が?」
「私です。冒険者のゴータ様が何回か使っているのを見て、私も使えないかなと思って練習していたんです。」
「えー?あれって、練習すればできるものなの?マロニーちゃん、本当にチートね。でも、それって、超便利よ。いつでもピアノのレッスンができるじゃない。」
「あ、練習と言えば、新しいピアノを1台欲しいのですが、業者さんに注文しておいてくださいませんか。仕様はドミノ様にお任せします。」
「え、新品のピアノ?予算は?」
「ピアノの値段って詳しくないのですが、大金貨2枚程度までなら大丈夫です。」
「大金貨2枚?マロニーちゃんってお金持ちなのね。」
もう、帰ろうかなと思ったら、ここから直接お屋敷とつなげば良いと言われたので、さっそく『ゲート』をつなぎ、王国統治領のお屋敷に帰って行った。あれ、ドミノさん、どうして一緒に来るんですか。聞いたら、私のお屋敷に興味があったんですって。一緒に階下に降りていったら、キラちゃんと銀ちゃんが『誰か来た?』という表情で見ていたけど、以前、あったことがあるドミノ様と分かったら、そのまま眠り続けている。大きなキラちゃんの姿を始めてみたドミノ様は、すこし緊張していたようだが、直ぐに平気になってしまったみたい。
食堂で、お茶でもと思ったら、もう、食事のお皿が並べられていた。ダモラさんは、まだキッチンに立っているけど、ドビちゃんはレビちゃんとラルちゃんをきちんと座らせている。ドリアは私が入ってくるまで、入り口で待っていたようだが、ドミノ様が一緒に入ってくると、少しびっくりしていたようだが、直ぐにキッチンに向かっていった。小さいレビちゃん達は、興味津々でドミノ様を見ている。ドミノ様がにっこり微笑んだら、
「「こんばんわ。いらっちゃい。」」
と、声を揃えてご挨拶をしてくれた。とてもいい子ね。ドミノ様が、この子達の事を聞いてきたので、ドビちゃん一家を迎えた経緯を説明したところ、とても感心していたようだ。あ、食事も一緒にすることになったんだけど、今日はキャベツと豚肉のスープとチーズの盛り合わせだったんだけど、スープが気に入ったようで、お代わりをしていた。ダモラさん、本当に料理が上手になったみたい。あ、ダモラさんに新しい使用人が来ることを言っておかなくっちゃ。まだ、誰が来るか分からないけど、孤児院出身者の中から執事さんやメイドさん、それにシェフもお願いしているって言ったら、少し顔が引き攣っていた。あれ、どうしたんだろう。
ドミノ様が、小さな声で教えてくれた。
「マロニーちゃん、あのゴブリンのおばさん、自分はもう、用済みでお屋敷を追い出されると思ったみたいよ。」
え、そんな事ある訳ないじゃない。あ、でもそう思われたかも知れないわね。
「あ、ダモラさんは、これからはメイド長として全般を見て貰うつもりよ。それに、ダモラさんの作る料理、私、好きだから。いつまでもここにいてね。」
それを聞いて、ほっとしたのか、少し涙ぐんでいた。あ、私の言い方が悪かったのね。あ、これから採用する執事さんやメイドさん達には、ゴブリン族への偏見や差別意識がないことが最重要ポイントね。
食事後、ドミノ様は、銀ちゃんの襟元をモフモフしてから、グレーテル王国離宮に帰られたんだけど、いつでも遊びに来てって言われてしまった。ドミノ様、優しい方だったわね。
次の日、学校に行く途中、孤児院に寄ったら、ネネさんから『メイド募集』のことについて聞かれた。採用条件や、給与、手当等細かなことを聞かれたが、そこまでは決めていなかったので、キチンと答えられなかったの。どうしたのか聞いてみたら、孤児院の先輩で、去年の5月からある工房に努めている女の子がいるんだけど、その工房って結構待遇が酷いらしいの。何とかしてあげたいけど、魔人族の女性が就職できるところなど極端に少ないので、我慢していると言っていた。その工房って何の工房なのか聞いたら、製糸工房だそうだ。北側の職人街にある大手の工房で、職人や職工が数十人も雇っているらしいの。
まあ、本人が希望しているのなら、そちらを辞めて転職してもらっても良いんだけど、まず、会って意思確認しなくっちゃね。放課後、ネネさんと一緒に行ってみることにした。ティタン大魔王国ではどうだったか知らないけど、ゴロタ帝国の統治領になってからは、帝国憲法を始め、あらゆる法律が統治領にも適用されているので、労働者の権利や未成年者の労働基準もキチンとしているはずよね。去年、孤児院を卒業したということは13歳か14歳の女の子だろうから、あまり過酷な労働ってさせられない筈なんだけど。
午後、孤児院に寄ってから、二人で北10区にある製糸工房に行ってみる。職人街でも、この辺りは大きな工房ばかりが立ち並び、工房の周りは倉庫ばかりで、原材料や製品の運ぶ馬車が行きかっている街だった。先輩が働いている製糸工房はすぐ見つかったが、周りを高い塀に囲まれていて、敷地の中は全然見えない。出入口の門のところには、獣人の門番さんがいたが、工房の法被を着ているが、なんかガラが悪いような印象を受けた。ネネさんが、門番さんに先輩を呼んでくれるように頼むことにした。
「すみません。こちらで働いているノムさんに会いたいんですが。」
「ああん、誰に会いたいって?」
「ノムさんです。去年4月から働いているはずですが。」
「ああ、女工か。ダメダメ。今は、仕事中だ。今日は、もう会えないよ。」
「あのう、仕事は何時に終わるんですか?」
「そんなこたあ知らねえよ。夜勤かも知れねえし。平日はダメだから、公休日に来い。」
「公休日っていつですか?」
「そんなこと、知るわけねえだろ。女工のことは工房総務課に聞いてくれ。」
「じゃあ、その『工房総務課』の人に合わせてください。」
「面会予約のねえもんは、会わせられねえ。」
「じゃあ、その面会予約はどうやって取るんですか?」
「それは、工房総務に聞いてくれ。」
ダメだ。全く話にならない。最初から合わせる気がないのが、アリアリと分かってしまった。私達は、諦めて一旦帰る事にした。