第2部第284話 薬師マロニーその5
(6月21日です。)
下賜された子爵邸は、3階建てだが、私の部屋は、2階の東南の角部屋にした。つまり南向きの屋敷に向かって右端の部屋だ。この部屋が、この屋敷で一番広い。2部屋続きの部屋だ。天蓋付きのベッドだったが、長い間使われていなかった様なので、マットレスを交換しなければならないだろう。
それよりも確認したい事があった。頭の中で、シェルブール市の屋敷の私の部屋を思い出す。ベッドや机の位置も思い出して、その中間地点に『空間の揺らぎ』をイメージする。ほんの僅かだが、『力』がどこかに飛んでいった。続いて、目の前に『空間の揺らぎ』をイメージする。うん、これは問題なく現れた。私は、空間収納から使わなくなった木刀を『空間の揺らぎ』の中に投げ込んだ。当然、木刀は一瞬で消えてしまった。これで、向こうに帰って自分の部屋に木刀が転がっていれば実験は成功だ。さあ、誰かが間違ってこっちに来たりしない様に、『空間の揺らぎ』を消去しておく。
さあ、帰りましょ。メルローズさんと一緒に屋敷を出てから別れ、私、一人でゴロタ帝国の離宮に戻っていった。
次の日、ドリアとキラちゃん、銀ちゃんを連れて子爵邸に向かった。屋敷の中に入ると、ドリアが掃除をしたそうだったが、今日は、我慢して貰う。屋敷で待っていると、メルローズさんが見知らぬ男の人達を連れて来た。この人達は、この屋敷のリフォームをするために、下見に来た人達だった。お互いに挨拶をしたが、今回リフォームを担当する会社は、『バルーン・セントラル建設』と言う会社だそうだ。リフォームは、多岐にわたる様で、一番最初にするのが屋根の点検・補修だそうだ。屋敷の屋根は銅葺きだが真っ青に緑青が噴き出ている。しかし、酸性雨等で腐食すると屋根材の接合部に緩みが出て雨漏りの原因になるらしいのだ。後、壁材の煉瓦がひび割れている箇所もあるし、トイレや水回り、空調も点検しなければならないそうだ。母家だけでなく使用人棟も一緒に点検補修をするとのことだった。費用は、大金貨2枚は見て貰いたいとの言われた。工事の人達は、最初、ここの主人はドリアだと思っていたらしいが、金銭のことになって、私が承諾した旨の発言をして初めてメイド服を着た私が、ここの主人だとわかったらしく、大汗をかいて謝っていたんだけど、今に始まったことではないので、特に気にならなかった。
メルローズさんは、今は市内の公務員住宅に独り住まいをしているが、そのうち子爵邸に越してくる事になっている。両親は健在だが、兄夫婦と甥達がいるので、実家に帰っても居場所がないそうだ。
昼食の時、メルローズさんに子爵領のことについて聞いてみる。子爵領は、モレアナ子爵と言う方の所領で、ずっと南側の辺境に近い場所にあるそうだ。南側は、ロッキン山脈となっていて東側は深い森、西側は大きな渓谷に接している。渓谷を渡る橋などはない。領都からは、およそ1000キロ程の距離で、現在のグレーテル王国では最辺境の地にあるそうだ。
領都は『モレアナ市』と言い、人口3万人程の小さな街だ。気候は、高温多雨で、冬も雪は降らないので、2期作が可能だが、住民の気質ものんびりしていて、穀物収穫量もそれなりだとのことだった。
近いうちに訪れて見たい旨をメルローズさんに伝えておいたけど、そこに行けば『領主様』になってしまうかも知れないが、何か嫌な気がした。今は、代官が領内を見てもらっているそうだが、中央の目が届かない天領となると、色々問題がある様な気がするのだ。後、気になる点がもう一つ。
「あのう、『危機管理室室長』って、どう言うことをするんでしょうか?」
「あ、それについては具体的に何をすると言うこともないんです。この前の様なスタンピードが起きた時の対応とか、王国騎士団では対応が難しい事態が起きた時に支援していただく役職と聞いております。」
うーん、聞いただけでは辞退することもないかな。だって、そんな時、本当に困る人達って国民に決まっているんだから。
昼食後、メルローズさんと別れて、お土産なんかを買って帰ることにしたの。あ、その前にドミノ様と一緒にピアノを見に行く事にしてたっけ。一旦、離宮に戻りドミノ様と一緒に楽器店に向かった。楽器店は、音楽学院のすぐそばにあった。中に入ると、いろいろなピアノが置いてあった。アップライトピアノも幾つかあったけど、あ、これが良いかなと思ったのは、子爵邸に置いてあったのと同じメーカーの物だった。色は黒色で、中古品だったが、完全調整をしてから引き渡して切れるとのことだった。調整料込みでグレーテル金貨7枚だったので、ティタン王国金貨80枚位かな。引き渡しは1週間後とのことだった。
お店を出て、離宮に戻ったらエーデル陛下がお待ちになっていたので、慌ててしまった。帝国の皇后陛下を待たせるなんて不敬もいいところよね。転移部屋から魔界の領主館にある転移部屋まで、いつもの様に転移したんだけど、エーデル陛下は、『空間の揺らぎ』の事を『ゲート』って呼んでいた。ゲートって門のことなんだけど、転移する門、『転移門』の事なのね。ふーん、私も、これからは『ゲート』って呼ぼう。なんかカッコいいし。
自分達のお屋敷に戻ったら、早速、自分の部屋に確認しにいったんだけど、床には、ちゃんと木刀が転がっていた。実験は成功みたい。今度は、子爵邸の私の部屋をイメージして、『ゲート』を作るようにイメージする。うん、できた感じがする。後は、目の前にも『ゲート』を作ってと。『ゲート』を潜ったら、そこは子爵邸の2階の部屋だった。うん、出来た感じ。何回か往復してから、両方の『ゲート』を閉じておいた。次は、『マロニー薬品』の裏庭に『ゲート』を繋いでみる。店内や工房内で誰かの真上に転移したら不味いもんね。
転移して、ぐるりと店頭の方に回ったら、『マロニー薬品』では、大変なことになっていた。大勢のお客さんが並んでいるの。ほとんどのお客様は、回復ポーションや毒消しポーションを求めてきた様だが、中には違う薬を求めてきた人もいる様だ。ヒルさんと何人かの店員さんが対応している様だが、お客さまの容態を見て処方するお薬を決める事ができずに四苦八苦している。つい、見かねて声をかけたら、
「おお、導師、良いところへ。」
ヒルさんの大声で、お客様達が一斉に私の方を見た。小声で『あれが聖女様か。』と言っている様だが、気にしないことにしている。
「ヒルさん、どうしたんですか。」
「いや、導師の作られたポーションを売り出したのですが、それ以外にも病気で困っているお客様達が相談に来られて。」
うーん、ポーションを作るだけではなく、お客様の症状に合わせたお薬を処方するのも大切なお仕事みたい。ヒルさんに代わって相談カウンターに座って、相談に乗ってみる。最初は、高齢の女性で、朝、起きた時に眩暈がするそうだ。手首を取って脈を見てみる。かなり弱い。心臓の病気か、血管の病気じゃないかな。そっと『鑑定』を掛けて見ると、『高血圧』と『狭心症』の鑑定結果が見られた。心臓の周りの血管を探査すると、何箇所か血流の悪い場所が見つかった。しかし一遍に取り除くとどこかで血管が破裂する可能性もあったので、ほんの少しだけ通りを良くしてあげた。後は、既存のお薬を出してあげる。
『ニッキの木の皮』
『芍薬の根』
『桃の種』
『マツホドの粉』
『牡丹の根』
この5種類に『聖水』を小瓶1本だ。7日分だが、『聖水』は、無くなったら新しい井戸水でも良いと教えてあげた。ヒルさんが、じっと見ていて、その女性に金貨2枚半を要求していた。少し高すぎませんかと思ったのだが、これくらい高くしないといけないと言われた。でも、お薬だってあり合わせの物だし。
次の人は、大きな火傷を負った男性だった。既に境界で『ヒール』を掛けてもらったので、壊死する事なく回復に向かっているが、治りが遅くて困っているそうだ。この場で直してもいいのだが、ここはあくまでもお薬を売る店なので、治療行為は厳禁だそうだ。仕方がない。『聖水』に『消毒草』と『癒し草』の粉を混ぜて『錬成』の力を流しこむ。これで火傷治療薬が出来上がりだ。傷口に当てるガーゼにこの薬液を浸しておく様に指示する。
こうして、今日販売予定のポーションが全て売り切った後でもお薬相談の列が無くなることもなく、最後の人に処方し終わったら、午後8時を回っていた。今日の売り上げだけで、大金貨1枚半だったそうだ。あ、薬屋さんって儲かるのね。ヒルさんが、どこかの有名レストランで売っているローストビーフサンドを買って来ていて、私の夕食だと言ってくれた。あ、本当に気が効くのね。
ヒルさんの話では、昨日の午後からお客様が増え出してきたそうだ。この町だけではなく、周辺の町や村からも訪ねてくるお客さんが多いそうだ。それだけ、良い薬を求める人達が多いと言う証だろう。ヒルさんが、今日、私がやった様な医療相談を定期的にやってほしいと言ってきた。今まで怪我をした人は協会直営の治癒院で治しているが、病気は薬師に相談して処方薬を買っていたそうだ。しかし前の導師が亡くなってから、お客様から相談を受けても正確な診断が出来ず、その結果、大切なお客様を失うと言う結果になってしまったそうだ。
工房の職人さん達は、薬のレシピは知っていても、病気の知識がある訳ではないので、医療相談に応じることはできないだろう。と言うか、難解な医学書を呼んで理解出来るほどの教養を持ち合わせていない。誰かいないかなと思っていたら、ふとベティさんの事を思い付いた。
ヒルさんに、前導師が読んでいた医学書を持ってきてもらった。それは、『医薬品の基礎知識』と言う本と『病気別薬事全書』と言う入門書レベルの本だった。ベティさんは、もう仕事を上がったそうなのだが、明日の午後、医療相談コーナーを担当して貰う様にお願いしよう。勿論、その分の手当ては十分に支払うつもりだ。
後、お客様の相談窓口を別の部屋に作るようにお願いした。女性のお客様などは、自分の症状を言うのが恥ずかしいこともあるだろうから、今のままでは、キチンと症状を確認することが出来ないと思うからだ。ヒルさん、少し考えているようだった。
「あのう、マロニー導師、提案があるのですが。」
「何でしょうか。なんでも言ってください。」
「相談窓口を増設するのも良いのですが、『治癒院』を併設されてはいかがでしょうか。『治癒院』で診察してもらって、投薬については、こちらに処方を頂いて調薬するという仕組みにするのです。現状では、治癒院なのか薬局なのか判別しにくい店になっておりますので。」
うーん、そうかも知れない。でも、治癒院を作るとなると、街の治癒師ギルドに登録しなければならないだろうし。それに経費だって、結構、掛かると思うんだけど。
これは、直ぐには答えが出ないので、明日の午後、もう一度考えてみることにしましょう。