第2部第172話 第二次神魔戦争その3
(9月16日です。)
グレート・ティタン市の中心部にあるティタン王城の貴賓会議室では、3賢人と重要閣僚が集合しての閣議を開催していた。9月1日に調印した和平条約に関するものが議題であった。条約は調印したものの、それまでの『ティタン大魔王国』の領土の3割以上を割譲するという屈辱的内容であったし、直接統治はしていなかったが、ゴブリン奴隷の狩場として有数の北の大森林を手放したのは痛かったようだ。これに代わるべきゴブリン奴隷の供給先は見つからないし、なによりも公然と奴隷制度を認めないことに合意した条約だ。今更、奴隷狩りなどできる訳がなかった。
「現在、国内のゴブリン奴隷は23万匹ですが、このままでは5年以内に消滅してしまうものと思われます。」
奴隷省事務官から説明があった。ゴブリン奴隷は、その待遇が劣悪なため損耗が激しく、長くても5年も働いたら皆死んでしまうのが今までの通例だった。と言って、奴隷に対して安全で快適な住居や、満ち足りた食事などを供給するなど誰も想像できなかった。ゴブリン奴隷は、次々と子供を産み、北の森や東の山岳地帯からいくらでも狩ることができたからだ。
「今の奴隷たちを長持ちさせるためには、どのようにしたら良いのかな?」
キロロ宰相が事務官に質問した。
「はい、まず、十分な栄養の確保を心掛けるべきです。現在、1日に1度の雑穀主体の食事を、肉や魚などのタンパク質も含んだ食事を1日に2度与える必要があります。そのためには、現在のゴブリン奴隷給食費が倍になりますが、必要な投資と思われます。」
「他には?」
「はい、あとゴブリン奴隷用の堅牢な住居が必要と思われます。現在の布張りの簡易テントでは魔物や獣に襲われると全滅してしまいますし、また、害虫や毒蛇からの被害も防ぐことができないので早急な対策が必要と思われます。」
「食事に家か。金のかかる話じゃな。」
「それだけではありません。彼らの不潔な衣服を消毒或いは交換する必要があります。現在の状況では、皮膚病や疫病を防ぐことは困難だと思われます。」
「なに、と言うことは、飯を食わせ、家を与えたほかに服まで与えるのか。そのために必要な金額に見合った働きをしてもらえるのか?」
「これは試算ですが、現在ゴブリン奴隷が従事している単純作業等を魔人族に代替わりさせるとすると、年間に4600万デリスが必要と思われます。これも成人魔人族の平均年収である200デリスを基準に計算しております。」
「そのような予算がどこにあるのだ。まあ、国がすべてを面倒見る必要がないのだが、放っておくと貴族達の農園や鉱山の運営が立ちいかなくなってしまうのう。」
「ところで、ドスカ騎士団長、ゴロタ帝国側の新兵器は解析ずみだろうか?」
「あの空を飛ぶ機械、我が騎士団の魔導士部隊では、おそらく飛翔魔法により飛んでいると思われるが、あのような大きな物体を飛翔させる魔法など見たこともないそうだ。」
我が国の最高魔導士で魔導士部隊の軍団長をしている者でさえ、飛翔魔法で浮かぶことができるのは、せいぜい10mの高さ程度だし、あのような速度で飛行するなど考えられないとのことだった。
「それでは、あのゴーレムのような兵士達はどうじゃ。作れるのかのう。」
これには魔法省の大臣であるリッチ族の者が答えてくれた。
「ゴーレムは、魔石を機動力として動かしていることは分かっているのですが、過去の文献を調べても、人形程度の大きさの木製ゴーレムを2足歩行させたという記録があるだけで、あのような自在に動く金属製のゴーレムなど見たこともありません。それと彼らが携行していた魔法具ですが、仕組みも分からず、あんなに遠くから何かを飛ばしているようなのですが、我が兵士達が一瞬にして死に至ってしまうので、逃げるのに精いっぱいで、何が飛んでくるのか分からない状況です。」
「そらから飛んできて、地面に当たると爆発する飛翔物はどうじゃ。」
「あれは、もっと謎です。魔法だとは思うのですが、金属製の物体をあんなに空高く飛ばして、部隊中心に落下させ、大爆発を起こすなど、かの神話時代の『神の怒り』に匹敵するものと思われます。」
『神の怒り』、それは神魔戦争の際に、天空から落ちてきた災厄の火で、大陸の一部が消失するほどの炎と言い伝えられているが、誰も見たこともないし、そもそも、そのような炎を受けて生き残る者がいるとは思えないので、やはり神話でしかないのだろう。
「エメル司法長官、奴隷制度の廃止に関する法令整備はどうじゃ。」
「うーん、難しいのう。もともと市民権など与えておらないゴブリンに対して奴隷としての扱いをするなと言う法律が有効かどうか。我が王国の基本憲章に規定されている人種には、ハイ・リッチ族、リッチ族、レブナント族、グール族、魔人族、それと我が国において活動しているエルフ族、以上6族しかないし。それにゴブリンを国民として認めると、オークやオーガ、それにサイクロプスなどの魔物まで国民として認めなければならないぞ。」
「しかし奴隷制度は認めないという条約に調印したのじゃ。これで奴隷制度を認めたら、条約違反として今度こそ我が国の殲滅を仕掛けてくる可能性もあるのじゃぞ。」
「ほら、条約の中に『但し書き』があったじゃろう。『人道的な契約による人身売買は、法律の定めるところにより自国内のみ有効』とかじゃ。つまりゴブリンが納得した契約でならゴブリンの売り買いはできるのじゃよ。」
「うーん?売り買いはできても奴隷として働かせることはできないのじゃないか。あれは年期奉公のようなものとの説明を受けたのじゃが。」
キロロ宰相は、条約文の説明の際にごロタ帝国の使者の魔人族の少女から受けた説明内容を思い出していた。あの説明では、たとえ相手がゴブリンだとしても、年200デリスの報酬に契約年数を乗じた額、つまり5年間働かせるとして1000デリスもの大金を払うことによって、相手を自分のものにできるという内容だった。しかも1日1食とかテント生活を強いるなどは、人道的ではないので認められないとの説明だった。もちろん鞭で打ったり、確実に死ぬような作業に従事させることも厳禁だとのことだった。
とにかく、司法長官をはじめとした法律家達の意識を変える必要があるだろう。しかし、まだ司法省は良いとして、国内の領地持ちの貴族達をどうするかが喫緊の課題だ。彼らは、専属の騎士団を持っているし、また領内経営で得た潤沢な予算で、王国軍に匹敵するほどの兵力を持っている者もいる。もともと王国軍と言っても、近衛騎士団の200名と王都警備の警護隊500名以外は、王都や国王直轄領の住民から招集した臨時兵だ。それでも5000名程度しかいない。つまり常設軍は近衛の200と警護隊の500で、計700名しかいない訳だ。地方の有力貴族の中には1000名を超える騎士を抱える者もおり、そのような貴族に今回の出兵で協力してもらったが、甚大な被害を受けたことに対して、王国として何らかの補填をしなければならない。とは言え、数度の戦闘で国庫は底を尽きかけており、頭の痛い問題ばかりが山積している。
「財務次官、今年の年貢と税収の見込みはどうじゃ。」
「おかげさまで、南部および東部地方は天候に恵まれ豊作が予想されます。直轄領からの年貢は、2000万デリル相当と思われます。また、鉱工業及び商業税についても1000万デリル以上の収入が見込まれますが、領地経営貴族からの上納金は、この度の出兵に要した経費と相殺され、ゼロ若しくはマイナスが予想されます。」
「と言うことは、いつもの収入の半分と言う訳か。それで、殉職した兵士達への慰労金や家族の年金など支払えるわけないじゃろうに。」
閣僚達の顔は、深刻というよりも引き攣ってしまっていた。非常時ということで、閣僚達からは年収の半額を国庫援助金として奉納してもらっている。この分では、来年も、そのまま年俸を半額支給せざるを得ないであろう。モチベーションがダダ下がりだが、他に手立てはない。
『貴族達から例年の上納以外に寄付を募ることはできんのか。』
貴族省上納局長から報告があった。
「有力貴族達には内部留保金が貯まっていて余力があるようですが、正当な理由がなければ難しいでしょう。それに・・・」
「それに、何じゃ?」
「ピトリオ侯爵閣下と、その一門からは王国からの独立をほのめかす言動が見られます。」
「なんじゃと、独立じゃと。そんな馬鹿な。今の王国に、独立を狙う叛乱貴族と対抗するだけの兵力も財力もないぞ。そんなことになったら我が王国もおしまいではないか。」
「はあ、今、密偵を放っておりますが、もしそうなったら、他国の応援を貰わないと対処できません。」
「他国といっても、我が国以外に他国などどこにあるのじゃ。」
この時、閣僚達はある国を想定してしまった。『神聖ゴロタ帝国』だ。彼の国の支援を求めることができれば、叛乱貴族を鎮圧することなど容易であろう。しかし、その案は現実的ではない。そんなことをしたら、今度こそ王国全土を占領されてしまうだろう。狼を追い払うために虎を使うようなものだ。国内に入った虎が、牙を剥くと、我が王国など壊滅してしまうだろう。閣僚達は、頭の中の幻影を振り払って、現実的な方策を考え、議論したが抜本的な解決策が見つからないまま、会議は夜遅くまで続けられたのである。
深夜、閣議を終えたキロロ宰相は、一人、玉座の間に来ていた。玉座の後方には、昔、この国を治めていたという大魔王の石像があった。その恐ろしい姿とは裏腹に、その顔は優しげで慈愛と勇気に満ちた顔をしていた。かのゴロタ皇帝が『大魔王』の再臨であるならば、いっそこの国を引き渡しても良いかなと思うことがあった。しかし、その際の我々アンデッドはどうなるのだろうか。このままの満ち足りた生活などできる訳がない。自分達が魔人族から奪ったように、今度は、我々が魔人族に奪われるのだ。それだけは何とか防がないと。そのためには、我々の力は余りにも貧弱すぎる。
キロロ宰相は、知らぬ間に膝をついて祈っていた。祈りの対象は、自分達を導いてくれた、あの『名前を呼んではいけない者』だった。
『ああ、ご主人様、どうか私達をお助けください。私の魂が欲しければ差し上げます。肉体には未練はありません。ただ、我が国民を助けていただきたいのです。お願いします。お姿をお現し下さい。』
キロロ宰相は祈り続けていた。9月とは言え、まだ蒸し暑い夜が続く季節だ。額を流れ落ちる汗など構わずに祈り続ける。そして、その祈りは『かのお方』に届けられたのであった。




