第2部第149話 恐怖の街 その4
(4月13日です。)
ボラード侯爵は、呼吸が止まっていた。目の前の重厚なテーブルがギシギシ悲鳴を上げるほどの重量の金貨。推定150キロ、帝国通貨で10億ギル相当だ。この国の通貨では、97000万デリスだ。この国の国民の平均年収や貨幣価値を考えると莫大な財産である。
僕は、全ての金貨を回収すると、『ヒゼンの刀』を抜いた。瞬間、目の前の分厚いテーブルを一刀両断する。音もなく2つに分断されたテーブルの前で震える侯爵に、
「今朝、殺された魔人の男性は、こんなに綺麗に切られてなかったので、ずいぶん苦しんだと思いますよ。」
と教えてあげた。侯爵閣下は、家令に申し付けて8000デリスの小切手を切らせていた。額面を確認したシェルが、ニヤリといやらしい笑いを浮かべて小切手を胸にしまい立ち上がった。
僕は、『念動』と『復元』で、テーブルを元の形に戻しておいた。それから家令さんを両替所まで同行して貰って、小切手を交換しに行く事にした。真っ青な顔で脂汗を流している家令さんに案内して貰って、大商店街の一番大きな両替所に行って、全額をデリス金貨800枚に替えてもらった。重さにして12キロになるが、イフクロークにしまうので問題ない。この両替所は、『リチャード・ブレイン金融会社ボラード侯爵領本店』と看板に書いてあったので、最初の街で寄った両替店の系列なのだろう。現金にしたのは、金融小切手だと、侯爵が手を回して不渡りにする恐れがあったからだ。
店を出て、家令さんと別れてから、街の西側、魔人達のスラム街に向かう事にした。勿論、行き先はルイズさんの家だ。ルイズさんの家では、大勢の人達が弔問に来ていた。この国の風習は分からないが、フィロさんは、ベッドに安置されていて、顔には黒い布がかけられていた。ベッドの前は祭壇になっていて、魔人ツノが置かれていた。どうやらフィロさんのツノを切り取ったらしいのだ。これが遺影と言うか、遺品になるらしい。
ツノの周りには硬貨が積み重ねられていた。鉄貨や銅貨ばかりだったが、仲間や近所の人達が、少ない所持金の中から贈ってくれたのだろう。ルイズさんとリアちゃん達は、黒い布を頭から被っているので顔が見えないが、きっと泣いているのだろう。僕とシェルは、それぞれ銀貨1枚をテーブルの上に置いてフィロさんの冥福を祈った。
埋葬は、明日、城外の魔人用の共同墓地で行うらしい。暫くしたら、神父さんが訪れてきた。これから鎮魂祭を行うらしいのだ。神父さんは、1枚の布を壁に貼り付けた。魔人族の始祖である魔王神が描かれている。スラッとした男性だが、何処か幼顔だ。山羊型のツノに背中には蝙蝠のような翼が付いている。シェルが僕の顔を見つめている。いや、僕は知らないから。この世界に来たのは今回が初めてですから。神父さんは、経典を詠唱し始めた。
男は 未来の王の地位が 約束されていた
約束は神より賜り 民から託された
王たる御印は二つ
その一つは 真紅の血よりも紅き剣
全ての人と獣と妖精を断ち切る力を統べるもの
失われし古代の力を纏いしもの
その一つは 深き海よりも蒼き盾
如何なる力にも 立ち向かう力を統べるもの
恐怖と専制と隷従に抗う 唯一のもの
彼は一人の妖精と出会った
決して結ばれることのない 不毛の出会いであった
全てを捨てて かの妖精の愛を得ようとした
王たる御印の 剣も盾も そして 誰よりも優れたる その黒き角も
彼は愛を得るため 楽園を捨て 死する定めの地上に降り立つ
最愛の者とともに
彼の者は大魔王となり世界を統べる者となった
僕は、黙って家の外に出た。シェルも続いて出てきた。この世界でも、あの伝承が伝わっている。しかも経典としてだ。魔人族は、待ち望んでいるのだろう。専制と隷従に満ち溢れたこの世界で、迫害を受けるだけの被抑圧人種たる自分達を救ってくれる神の顕現を。
葬儀が終わると、皆は帰っていった。残っているのはルイズさん親子だけとなった。フィロさんの亡骸の前でボンヤリしているルイズさんに声を掛ける。ボラード侯爵から巻き上げた賠償金を渡すためだ。食堂に出てきたルイズさんに、事情を話して金貨800枚を渡す。後、『少ないけれど。』といってお見舞金としてゴロタ帝国金貨20枚を差し出した。すぐには使えないけど、金地金としてなら換金できるだろう。
ルイズさんは、見たこともない大金を目の前にして、驚いていたが、その内目に涙を溜めて泣き出してしまった。一家の大黒柱を失ったルイズさん親子は、物価の高いこの街を離れ、故郷に帰るつもりだったそうだ。故郷に帰っても、決して暮らしは楽ではないが、両親が健在で兄夫婦もいるので、農作業の手伝いをしながらリアちゃんを育てようと思っていたのだが。でも、このお金があれば、この街で生きていける。リアちゃん達にも学校に行かせることができる。ルイズさんは、泣きながら、そう話してくれた。
僕は、キッチンで簡単な夕食を作ってから、今日は街のホテルに泊まるからと言ってルイズさんの家を出た。ご主人のご遺体でベッドを一つ使っているので、僕たちの寝るベッドがないことは分かっていたし、最初から今日は街のホテルを予約するつもりだった。僕は、一般住宅街と貴族外の境界付近のホテルを予約することにした。このエリアには裕福な魔人族も居住しているので、僕達が泊まれるホテルがあるだろうと考えたのだ。
ホテルは、木造2階建てのそれなりの風格を持っている建物で、中に入ってみると、グールやレブナントが7割、魔人族が3割位の比率でお客になっているようだった。僕は、ホテルの受付で、風呂付の一番良い部屋がないか聞いたところ、2階の奥にツインとシングルの組み合わせの部屋が1室だけあるが、1晩12デリスだと言われた。すぐに金融小切手12枚で支払うってから、魔人族のポーターに案内してもらった。チップとして1000ビコの大銅貨1枚を渡しておく。かなり多かったようでとても喜んでもらえた。
部屋は、かなり大きな部屋で大きなリビングのほかに寝室が二つある部屋だった。久しぶりにゆっくりと風呂にはいれるので、シェルが非常に喜んでいた。やはり、洗濯石でいくらきれいにしても、風呂上がりのさっぱり感は得られないのでずっと風呂に入りたがっていたようだ。夕食は、ホテルのレストランでとることにしたが、お客さんで魔人族は僕達だけだった。席も窓際の良い席を取ってくれたが、やはりホテルで一番良い部屋に泊まっていることが影響しているのだろう。食事は、かなり美味しいもので、人間界と大差ない。海鮮オードブルから始まり、コンソメスープ、大きなエビとホタテの海鮮料理、とても柔らかな牛肉のパイ包み焼き、小エビのサラダ、デザートはふわふわプディングだった。シェルも久しぶりのきちんとした食事で、ワインのボトルも注文してほとんどを飲み切ってしまった。結局、この日の夕食は4デリス5000ピコだった。うん、それならかなり安いかな。
いつものように悪酔いしてしまったシェルを抱えながら部屋に戻り、シェルを着替えさせてから、ベッドに放り込む。風呂は、明日の朝起きてからでいいだろう。あ、僕だけは一人で入ることにした。浴槽に入ってのんびりしていると、イフちゃんが念話で話しかけてきた。
「ゴロタよ。魔人のルイズ達が襲われているぞ。既に母親と長女は息をしていないようだ。」
僕は、風呂から飛び出た。濡れた体のまま服を着て、部屋から直接ルイズさんの家まで『空間転移』する。到着した時には、ルイズさんの家は燃え上がっていた。魔人族の人達が懸命に消火活動をしていたが、油でも蒔いたのか、火の勢いが強すぎてなかなか消せないようだった。僕は、『ウオーター』でや根の上から大量の水をかけて、消火しようとした。本当は、燃え盛っている家の中に水を放出したかったが、それでは水蒸気爆発を起こしてしまうので、仕方がない。10分ほど、水をかけ続けたところ、ようやく火の勢いがなくなり、真っ白な煙が出始めていた。僕は、そのまま家の中に入っていく。普通の人が入ったら、熱と一酸化炭素で即死してしまうだろうが、僕なら『蒼き盾』が守ってくれる。
探すのは、ルイズさん達だ。家にはほとんど壁が残っておらず、床も地面が見えている状況だ。奥の寝室、フィロさんの遺体が置かれた部屋にルイズさんとミレムちゃんがいた。というか黒い炭になっている。だめだ。これでは『治癒』や『蘇生』、『復元』ができる訳がない。僕は、二人のことはあきらめてリアちゃんを探す。子供部屋にもいない。うまく逃げてくれたのだろうか。でも4歳の子供が逃げられるだろうか。僕は、ルイズさんがうつぶせになって炭になっているが、背中が大きく膨らんでいる。何かおかしい。僕は、念動でルイズさんの体を持ち上げると、ルイズさんの胸の下にリアちゃんが仰向けになって倒れていた。髪の毛はチリチリに焦げており、全身の火傷がひどい。口に手を当ててみるが息をしていない。しかし、皮膚は炭化していないのは、ルイズさんが身を呈してリアちゃんを守ったからだろう。僕は、リアちゃんの左胸に左手を当てて『治癒』で火傷を治療しつつ、『蘇生』で心臓と肺を強制的に動かし続けた。肺の中の火傷まで治癒されたことを確認してから、弱い電流を左手に流す。電気ショックを受けたリアちゃんは、体を大きくのけぞらせてから、弱い心臓の鼓動が始まった。良かった。蘇生できたようだ。
焼け焦げた服はそのままに、リアちゃんを抱っこして、さっきまで消火活動をしていた人に事情を聞いたところ、思った通りボラード侯爵の所の兵士達が大勢来て、ルイズさんの家に押し入ったらしいのだ。すぐに兵士たちは家から出てきたが、その時には、家の中から煙が上がっていたそうだ。おそらく、ルイズさん達を殺害する役、賠償金を奪う役、それと家に放火する役と手分けしていたのだろう。イフちゃんが異変に気付いて様子を見に行った時には、すでに遅かったのだろう。
僕は、リアちゃんを抱っこしながら、胸の中から抑えきれない熱が噴出してくるのを感じてしまった。あ、いけない。このままでは自分が自分でなくなってしまう。しかし、すでに遅かった。僕は、視界が真っ赤になるのを感じた。背中も熱い、熱い。もう我慢できない。僕は、そのまま僕ではない何かに変わっていくのを感じた。
この時、付近の住民は、リアちゃんを抱いていた旅人の魔人の背中から大きな蝙蝠のような翼が生えてきて、真っ赤な目をした魔王の姿になるのを目撃したのだった。




