第2部第147話 恐怖の街 その2
(4月12日)
リアちゃん達が住む家は、城門を入って塀沿いに南に2キロくらい入ったところにあり、木造の4世帯が住む長屋だった。木製のドアを入ると土間になっていて、キッチンとダイニング兼リビングになっており、その奥に寝室が2つあるようだ。キッチンは竈が1つあるだけで、水道や井戸はないようだが、共同の井戸があって、そこから甕に水を汲み置きしているらしい。生活魔法は、火魔法くらいしか使えないので、水は井戸に頼るしかないそうだ。
ご主人は、道路整備の仕事をしているらしいのだが、今日は割の良い夜間工事が入っているので、夕方から仕事に行っているとのことだった。母親はルイズさん、お姉ちゃんはミレムちゃんと言うらしい。お姉ちゃんは、去年までレストランの下働きをしていたが、体調を悪くして、今は家事手伝いをしている。
今日の夕飯は、玉蜀黍のような穀物の粉をお湯に溶いた物と、野菜のピクルスだ。野菜といっても、どうみても根菜の尻尾とか実の両端など捨てられていた物のようだ。食べてみると、全体的に塩味が薄い。シェルが僕をジッと見ている。仕方がない。ちょっとキッチンを借りてベーコンとジャガイモのバター炒めと、太いソーセージを衣に包んで揚げたものを作ってあげた。
「これは今日泊めて貰うお礼です。一宿一飯の恩義というんですか?」
シェルが説明した。子供達は、美味しそうな匂いのする料理に目を輝かせている。
「貴方様は、お貴族様ですか?このような魔法を使うなんて。」
うーん、厳密にいうと貴族ではなく皇族なんですが。この世界では、魔人族は、殆ど魔法が使えず、簡単な生活魔法を使うのが精一杯らしい。グールをはじめとするアンデッド種は、魔法を使うのが当たり前で、王族のハイブリースト・リッチは強大な魔法使い一族らしい。ルイズさんは、僕がイフクロークから食材を取り出しているのを見て、高位の魔法使いだと思ったそうだ。
ルイズさんに色々聞くと、この都市は中心の高台に領主館と麾下の貴族達の邸宅が建てられており、中腹には大商人や高位の軍人の邸宅がある。東側の門から中心部までは大通りが貫いており、グールや富裕層の魔人族が居住する区域に指定されているそうだ。
食事が終わると、寝室は夫婦の寝室を貸してくれることになった。部屋に入ると粗末なベッド2つに藁布団が敷かれている。ルイズさんがシーツを替えてくれていたが、かなり草臥れている。僕は、イフクロークからシングルサイズのマット2つとベッドパット2つ、それとリネンの新品シーツを敷いて羽毛布団を掛けて置く。子供部屋の分も同じように寝具を変えてあげた。ルイズさんは、次から次へと出てくる豪華な寝具に吃驚していたが、これもお礼の品ですと説明しておいた。本当は、シェルが藁布団で寝るのを嫌がったからなんですけど。
翌朝、空が明るくなる前に家のドアを乱暴に叩く者がいた。
「ルイズさん、俺だ。ネズだ。旦那のフィロが大変だ。」
ルイズさんは、慌てた様子で子供部屋から出てきた。僕も簡単に身支度を整えて寝室から出てみた。ルイズさんがドアを開けると、作業服を着た魔神族の男が大きな声で、ルイズさんの夫のフィロさんが馬車に撥ねられたと言っていた。ルイズさんは、小さな悲鳴をあげてドアの外へ飛び出していった。僕も外に出てみると、数人の男達が戸板に乗せた怪我人、いや遺体を運んできていた。戸板には夥しい血痕が付いている。馬車に撥ねられたにしては血の量が多すぎる。遺体を見てみると、左肩口から胸にかけて斜めに切り下ろされた刀傷があった。ドアを叩いていたネズさんに事情を聞くと、東の貴族街に続く道を清掃作業中、物凄いスピードで馬車が走って来たので、避けようと道の端に寄っていたところ、子猫が直前を横断しようとしたらしいのだ。フィロさんは、その子猫を助けようとして馬車の前に飛び出してしまい、轢かれてしまったらしいのだ。でも、この傷はどうしたのか聞くと、馬車を止めたことで、随行の棋士に無礼打ちされたのだと説明していた。
シェルが『治癒』の力を使っていたが、傷口が治ることはなかった。しばらく、手を当てていたが、そっと手を放して首を横に振っている。『治癒』が効かない、つまり死んでしまったということだ。僕には『蘇生』スキルがあるが、このスキルは強制的に心臓と肺を動かし続け、その間に『ヒール』や『治癒』で傷を修復して仮死状態を脱するというスキルで、完全に死んで魂が失われた死体を生き返らせることはできない。体の損傷がひどく、すでに冷たくなっている人間を生き返らせる術は僕にはない。それこそ、神のなせる業であろう。
『無礼打ち』は、以前のグレーテル大陸でも貴族の特権としてあったが、現在は正当防衛又は緊急避難或いは正当業務以外では他者を傷付ける事は犯罪となり、貴族であっても当然に処罰される。しかし、この世界では貴族と平民の間には身分以前に種族の差があるので、無礼打ちも許されるらしいのだ。無礼打ちをした貴族は、このハイ・ボラード市を治めるボラード侯爵の馬車だったそうだ。領主が領民を無礼打ちするのは、これを咎める者がいないことから日常茶飯事らしいのだ。
しかし、単に馬車を止めただけで無礼打ちというのは納得いかない。僕は、フィロさんとは面識がないが、一家の大黒柱を失い、これからどうやって生きていくのだろうか。もともとが蓄えなどなさそうなルイズさん一家だ。これから悲惨な生活が待っているだろう。
僕は、一緒に来た仲間に、誰がこんなことをしたのか聞いたところ、
「騎士様が、『侯爵様の馬車を止めるなど無礼者め。』と言っていたんで、ボラード公爵様の馬車に間違いねえだ。」
と教えてくれた。なるほど、ここの領主、ボラード侯爵か。僕は、シェルと顔を見合わせた。この件について、きっちり謝って貰おう。シェルが、ルイズさんに声をかけた。
「ルイズさん、フィロさんをきちんと葬ってください。わずかですが、埋葬料の足しにしてください。いえ、気を使わないで。この件では、ボラード公爵様にきちんと詫びを入れてもらいますから。」
ルイズさんは、シェルが出した5枚の金貨と『詫びをいれさせる』という言葉に涙であふれている目を大きく見開いていたが、僕たちが普通でないことは理解しているようで、黙って頭を下げていた。
近くの人に、丘の上に見える邸宅がボラード侯爵邸に間違いないことを確認してから、とりあえず、身支度を整えてルイズさんの家を後にした。魔人族街を抜けて一般住民街に至った。ここはグールや富裕な魔神族が居住する区域だ。二階建ての木造建築が軒を連ねていた。その先は、石組みの塀で囲まれた貴族街だ。西側からは、それほど大きくないゲートを通って街区に入るようになっているが、ゲート両側にはグール兵が門番をしている。見ているとグール以上の場合にはフリーパスだが、魔人族の場合には、身分証明書の提示を求められているようだ。
僕とシェルは、門番の兵士に身分証明書を見せたが、貴族街区に入る理由を聞かれてしまった。さすがに侯爵に面会するためという理由では入れてくれないだろうから、『自分達は旅行者で観光のために中に入りたい。』と申し入れたところ一人の門番が僕の耳に小声で囁いた。
「本来、観光目的では許可できないが、特別に許可してやっても良いぞ。」
何が言いたいか良く分かった。僕は、銀貨1枚を渡したところ、さっとポケットの中にしまい、『よし、通れ。』と大きな声で通行を許可してくれた。僕たちはペコペコと頭を下げて門の中に入って行った。貴族街の中は、赤いレンガ造りの3階建ての建物ばかりで、表通りには大きな商店が並んでいた。一般住宅も庭こそ狭いがかなり大きな屋敷で、表通りから10m以上は奥まったところに建てられている。屋敷の前には馬車や竜車が停められており、樹木に囲まれていて、非常に裕福そうな家ばかりだった。大通りを侯爵邸の方に近づいていくと、もう完全なお屋敷街で、石造りの塀で囲まれていて、ロートアイアン製の門扉の向こうには、やはり石造りの3階建ての屋敷が見えていた。グールの門番が1人立っているが、着ている来ている制服は、この国の兵士の者ではないようなので、きっと私兵なのだろう。
緩やかな坂道になっている大通りの先には、5m位の高さの丘になっていて、周りを大理石の塀がグルリと囲んでいた。分厚く大きな門扉は閉じられていて、グール兵が2人、門の前に立って警戒をしている。門の造りから、どうやらこの門は裏門らしいが、それでも高さは5m位で、馬車1台は余裕で潜り抜けられそうな造りだ。
僕たちは、門番の前まで行って、『こんにちは』と挨拶をした。胡散臭げに僕達を見た門番は、手に持っていた槍を僕たちの方に向け、
「何が『こんにちは』だ。ここはボラード侯爵閣下のお屋敷だ。お前ら魔人族が来るところではない。早く帰れ。」
と言い、今にも僕たちに槍を突き出しそうな雰囲気だ。
「いえ、そのボラード侯爵閣下に用があってきたのですが。」
「何の用だ。招待状か紹介状が無い者は入れるわけにはいかん。帰れ、帰れ。」
まあ、そうなるでしょうね。僕は、相手の目をじっと見つめた。『威嚇』の力をほんの少しだけ相手に向けながら、
「僕達は、どうしても侯爵閣下にお話ししたいことがあるのです。悪い話ではないので、ぜひ、通してください。」
と言うと、ボーッとした様子で、回れ右をし、門の脇の小窓を開けて中の兵士に門を開けるようにとお願いしてくれた。しばらくすると、重厚そうな音を立てながら門が内側から開けられ、中から10人位の兵士が出てきた。レブナント兵が1名混ざっているところを見ると、彼がこの部隊の指揮官なのだろう。彼は、まっすぐに僕の方に近づくと、僕に用件を尋ねてきた。僕は、今日未明に発生した事件について、侯爵閣下にお話をしたいと申し入れたところ、その指揮官は、心当たりがあるのか2歩位下がってから抜剣をした。
「お前は、今日の朝の魔人の仲間か?全員、抜剣。こいつは侯爵閣下に文句を言いに来た不敬罪の現行犯だ。」
は?なんで、話をしに来ただけで『不敬罪』になるのだろう。そうおもっていたら、右側の兵士が上段からショートソードを打ち込んできた。別に戦闘をするつもりもないので、知らんぷりをしていたところ、僕の右肩に当たりそうになった瞬間、蒼い光が剣を跳ね返してしまった。もちろん、僕は、その兵士の方など全く見ていなかったが、『蒼き盾』の自動防御機能が働いたのだ。それを見た指揮官は、『こいつは魔法使いだ。気をつけろ。』と言って、僕から距離をとるように他の兵士の陰に引っ込んでしまった。あ、なんて意気地のない指揮官なんだろうか。




