第2部第146話 恐怖の街 その1
かなり間隔があいての投稿ですが、いよいよ魔界の王への道が始まります。
(4月12日です。)
僕達はボラード公爵領領都であるハイ・ボラード市に到着した。既に夕日が地平線近くにまで落ちていて、間もなく城門が締まる時間が迫っていた。僕達の竜車は、西からの街道を進んで来たので、西側にある大きな城門から都市内に入るのだが、驚いたのは城壁の外側にテントというか、天幕が延々と広がっているのだ。道は、少し小高く造成されているので、竜車に乗っていると遥か彼方まで見通せるのだが、地平線が見えない位広がっている。4本か6本位の木の棒をつっかえにして、みすぼらしい布を雨避けに張っている。城壁の外側にスラムが広がっていることは、グレーテル大陸やアメリア大陸でもよく見かけたが、そこでは粗末とは言え木製の小屋に人々は住んでいた。しかし、ここでは、そのような小屋は見当たらない。あんな天幕程度なら、嵐の時は吹き飛んでしまうだろうし、雨だってしのげるかどうかも疑問だ。
もっと驚いたのは、その天幕に住んでいるのは魔人族ではなかった。ゴブリンやオークなど、元の世界では魔物に分類される者達だった。そんな光景を見ていたら、竜車に同乗していたレブナントさんが、ため息をつきながら僕に教えてくれた。
「困ったもんですな。あいつらは森や山に住めないからって、街に出稼ぎに来てそのまま住み着いてしまって。最近では増える一方ですよ。」
「彼らは、人を襲わないんですか。」
「はあ、あんな弱い存在では、女・子供にだって負けてしまいますよ。私など、現役だったころはゴブリンの10匹程度、瞬殺でしたよ。」
うーん、ゴブリンやオークの強さがかなり違うみたいだ。道理で、竜車の旅の間もゴブリンなどの低級魔物を見なかった訳だ。出現したのは、6足の野牛や3目の狼位だった。それらも警護の王国兵士に瞬殺されていたから、強力な魔物は周辺にいないのかも知れない。というか、きっとレブナントやグールの兵士がかなり強いと言う事かも知れない。しかし、このゴブリン達、こんなところでスラムを作って食料などはどうしているのだろうか。
「彼らは、どうやって生活しているんですか?」
「あいつらは、都市の残飯を食っているんですよ。それに都市内の下水やトイレの掃除、それから屋根の修理などの危険な仕事をしてわずかばかりの鐘を稼いでもいるみたいで。はっきりはしませんが、共食いもしているとの噂もあるんですよ。」
「でも、彼らはどうやって子供を作っているんですか?」
「はあ?女ゴブリンやオークが孕むに決まっているでしょう。あいつら、一度に2~3人は産みますからね。」
これも驚きだ。元の世界では、ゴブリンやオークはオスしかおらず、人間を浚って繁殖しているのだが、この世界ではメスがいるのか。なるほど。それなら無闇に魔人族を襲う事もないだろう。そう言えば、目の前のグールの親子も、元の世界ではありえない存在だ。グールやレブナントなどのアンデッドは生殖機能が無いはずなのに、普通に子供を作っているようだ。彼らの生存条件に魔石や魔力は関係ないのだろうか。
竜車が城門の前に停止すると、小さなゴブリンやオークが竜車に群がってくる。何か食べ物を恵んでくれるように小さな手を差し伸べてこちらを見ている。
「パン頂戴。お腹空いたの。パン頂戴。」
必死に声を掛けてくる。突然、パシーンと鞭の音がした。御者が子供達に向かって鞭を振るったのだ。城門の兵士達が出て来た。子供達が蜘蛛の子を散らすように逃げていく。あ、小さな女の子が転んだ。兵士の1人がその子の背中を踏みつけている。体格のいいグール兵だ。体重を掛けたら女の子のか細い身体は折れてしまうだろう。さすがに殺すようなことはしないみたいで、その兵士は、動かなくなった女の子に唾を吐きかけて城門の方に戻って行った。竜車は、そのまま城門の中に入って行く。後ろの方を見ると、その女の子は、近づいて来た男の子に助けられて立ち上がっているようだ。良かった。死ななかったようだ。
城門の中に入ると、入城審査が始まった。一旦、竜車を降りて、身分証明書を係官に見せる。魔人族とグールやレブナントなどの受付窓口は違うようだ。僕とシェルは、明らかにレベルの低い建物に入って行って入城審査を受ける。受付の係官はグールだった。建物の入り口には、『ハイ・ボラード市入城審査事務所(魔人族用)」と書かれていた。建物の中に入る列が30m位並んでいる。真夏や真冬は並ぶのも大変だろうと思うが、誰も文句を言わずに並んでいる。僕たちみたいに竜車で来城する者は少ないようで、皆、徒歩で長い距離を歩き続け疲れ切った様子で並んでいた。都市で消費する物資の竜車や牛車は、別の入り口があるようで、カードを見せるだけのフリーパスで入っているようだ。
列の中には小さな子もいるようで、『お腹が空いたよう。』と泣いているが、手をつないでいる母親は、困った様子で我慢するように諭していた。見かねたシェルが、僕に目配せしたので気づかれないようにイフクロークからパンと水を出してあげてシェルに渡した。シェルは、その親子のそばに行って『お嬢ちゃん、これ食べる?」と言って、パンと水を差しだした。母親は、びっくりしたような顔をしていたが、何度も何度もお礼を言って受け取っていたが、パンを半分に分けて娘に渡していた。残りの半分を自分で食べるのかと思ったら、そっと粗末な服の胸の中に入れていたので、きっと市内に残っている子供に食べさせるのだろう。周りの大人たちも、しきりに僕たちにお辞儀をしている。彼らは、物質的には貧しいけれど礼儀正しく心優しい人たちなのだろう。
結局、僕たちが入城事務所の中に入れたのは1時間も列に並んだ後だった。事務所の中には、受付が3つしかなく、事務所の中で3列に分かれてまた並ぶのだった。僕たちは、左側の列に並んだが、期せずして先刻パンを渡した親子の後ろだった。何気にシェルと話し合っていたが、その母親は、郊外の農場に働きにいっていた帰りだそうだ。今の時期は、畑の耕しや種植えなど仕事が結構あるらしいのだ。昨日の朝早くに行って、今、帰って来たらしい。子供は4歳で、置いていくとお姉ちゃんが困るので、仕方なく連れて行ったらしいのだ。しかし雇用主から支給される粗末な食事は1人分だけなので、子供と分けて食べていたそうだ。しかし、力のいる畑仕事なのに子供に多く分けているのか、ものすごく顔色が悪かった。本当ならお菓子や他の栄養価の高い食べ物を分けてあげたいのだが、他の人達の目もあるので我慢しておいた。
ようやく前の親子の番になった。よれよれの市内居住証明書を出していたが、なにやらトラブルになっているようだ。係官の話では、母親の出した証明書に子供の名前が記載されていないので、子供は入城できないというのだ。え、4歳の子供だけ、城外に残せるわけないだろうと思ったが、いったん、母親だけ場内に入り、子供の名前の書いてある証明書を持って来いと言っているらしいのだ。母親は、オロオロして頼み込んでいるが聞く耳を持たないようだ。シェルが、その母親に『子供を預かってあげるから、急いで証明書を貰ってきて。』と言うと、さすがに見も知らない者に子供を預けるのはどうかと言う目で僕たちを見ていたが、魔人族にしてはかなり上等な服装の僕たちを見て預ける気になったらしい。
「リア、いい子でいてね。母さん、すぐに帰ってくるから、このお姉さんと一緒に待っていてね。」
リアと言う子は、目に涙を浮かべながら、
「ママン、必ず迎えに来てね。あたち、待っている。」
と言って、母親に抱き着いていた。母親も、目に涙を浮かべて、娘の頬にキスをしてから荷物を持って、受付の脇の入城口から事務所の外に出て行った。僕たちは、リアちゃんの手を取って、事務所内のベンチに3人で座って、母親の帰ってくるのを待つことにした。僕は、イフクロークから、チョコレートを出してリアちゃんに渡したところ、最初は、遠慮したのか手を出そうとしない。僕は、チョコの包みを開けて、中の板を割って、一欠けらを口の中に入れてあげた。きっと、チョコなど初めて食べるのだろう。最初は、恐る恐るモグモグしていたが、おいしいお菓子だと分かったみたいで、目を輝かせてかじりつき始めた。それから、片言の言葉使いでいろいろと話をし始めた。聞いていると、リアちゃんは両親とお姉ちゃんの4人で住んでいるそうだ。父親は道路の掃除なんかをしているみたいで、母親は日雇いの賃仕事をしているそうだ。
「昨日ね、街の外に行ったの。暗いうちに門を出て、あとね、あたち、お花を摘んで待っていたの。夜はね、お馬さんと一緒に寝たんだよ。」
農場の雇用条件はかなり厳しいようだ。基本的には、魔人族は一定の広さ以上の土地は所有できないようで、リアちゃんの両親のように労働条件の悪い仕事にしか就けないようだった。道理で、受付の列に並んでいる魔人族の人達がチラチラ僕達を見ているようだ。彼らの格好は、農夫、それもかなり貧しい農夫のような姿で、足元は汚れ切っているし、手の爪には泥が詰まったままの者が多い。きっと、手を洗う暇もないほど働かされ、仕事が終わればさっさと追い払われてしまうのだろう。それでも、1日の労働の対価がきちんと支払われる仕事は貴重らしく、結構な倍率で希望者が殺到するらしいのだ。
そのうち、夕方6時になってしまい、事務所の閉鎖の時間が来てしまった。結局、リアちゃんの母親は間に合わなかったようだ。係りの者が、僕たちに事務所から出ていくように言ってきたが、『母親が来るまで待たせてくれ。』と言っても聞く耳を持たないようだ。このまま、外に出されてしまうと、戻ってきた母親だって困ってしまうだろう。しょうがない。僕は、そっと『威嚇』の力を発揮した。一瞬、ハッと驚いた係官は、目から光を失い、ゆっくりと受付のカウンターの向こうまで回って行った。僕達を見て、力のない声で、
「次の人、どうぞ。」
すでに、僕たち以外の人がいなくなっているので、当然に僕たちがその受付に行って入城審査を受ける。僕たちは、市内居住証明がないので、割高の入城税2人分銀貨4枚を支払い、リアちゃんともども、事務所の出口から市内に入ることができた。リアちゃんは、僕たちの入城税の半分、銀貨1枚だった。
事務所の外は薄暗く、広場の先には、木造の粗末な建物が並んでいた。はるか先には、おそらく貴族街や商店街があるのだろう。空が明るく輝いていたが、この辺は、魔人族用の街区らしく、街灯もない街路が広がっていた。僕たちは、リアちゃんの家がどこか分からないし、リアちゃんだって案内できるわけがないので、広場の脇の馬寄せの所で母親の戻るのを待つことにした。
「お姉たん。あたち、何か食べたい。」
この子が何時、何を食べたかわからないが、きっとお腹がすく時間なのだろう。でも、ここでキャンプセットを出すわけにもいかない。イフクロークからクッキーの袋を出して、渡したら、さっきのチョコの時に美味しいものを出してくれるということを学習したのか、すぐに袋の中からクッキーを取り出して食べ始めた。シェルも小腹が空いていたようで、目で合図をよこしたので、もう1袋取り出しておいた。
結局、母親が僕たちの所に来たのは、午後7時過ぎで、広場で僕達を見つけて吃驚していた。どうやって場内に入れたのか不思議そうだった。でも、リアちゃんが母親の所に走り出したので、すぐに駆け寄り泣きながら抱きしめていた。お姉ちゃんだろうか、10歳位の女の子も一緒にいたが、やはり泣き出していた。話を聞くと、結局、場内居住証明書は貰えなかったようだ。本人がいないのに証明できないということだそうだ。戸籍がしっかりしていないからか、リアちゃんが存在するという証明は、本人が受付窓口に顔を見せないといけないらしい。
この日、僕たちはリアちゃんの家に泊まらせて貰うことになった。




