第2部第87話 クルス教の聖女様
(9月23日)
僕達は、司教服を着た男の人の案内で、クルス教総本部大聖堂の中に入って行く。男は、長い裾に隠れて見えないが、ズボンが失禁のため大変なことになっているのだろう。歩いた後には、しっかりと濡れた足跡が付いていた。その足跡を踏まないように注意して歩いていくと、大きな扉の前に着いた。扉の両脇には白い革鎧を着た聖騎士が2人、警備していたが、男の方に向かって『大司教代理補佐、どうしたのですか?』と聞いてきた。え、この男の人って『大司教代理補佐』なの?良く分からないけど、大司教の次の次くらいの地位なのかな。聖騎士達は僕達を見ると少し驚いた顔をしたが、大司教代理補佐が何も言わないので、黙って扉を開けてくれた。中に入ると、長い廊下が続いていて、廊下の両側には扉がいくつも並んでいた。それぞれに表札がかけられていたが、修道士執務室から始まり司教執務室、司教専務室、司教総括専務室、大司教代理補佐室と続いていた。なるほど、この男の人は、下から4番目の人なのかと納得してしまった。その後で、大司教代理室、大司教補佐室、大司教代行室と続いている。結局、なんだか分からない役職が続いてやっと、大司教室の前に来たが、まだ、その先には部屋があった。と言う事は、ここの大司教は一番偉い人ではないようだ。
僕を案内してきた男の人が、部屋の扉をノックした。
「ノベル大司教代理補佐です。大司教様に火急の用件があってまいりました。」
扉が半分ほど開けられ、中から、背の高い痩せた男の人が覗いてきた。銀縁の眼鏡をかけ、頭頂部を丸く剃っていて、黒色の司教服を着ている。この人が大司教様かなと思ったら、
「ノベル、何の用だ。大司教様はただいま読書中だ。」
あら、違うみたい。この人は大司教のお付きの人みたいだ。ノベルさん、非常に緊張しているみたいで、
「あ、あの、この者達が大聖堂前で怪しげな治療をしていましたので、連行してきたのですが。」
「そんなことで、大司教に合わせられるか。代理か補佐に相談しろ。」
「い、いえ、あの、どうも異端審問対象でして。」
「それがどうした?」
ノベルさん、上手く説明できないようだ。理由を説明することなく、ここまで案内させたのだ。説明できる訳がない。焦れたシェルが横やりを出した。
「私は、シェルと申します。大司教様に、大聖堂で行われている治癒についてお聞きしたくて参りましたの。」
「なんじゃ、そなたは。なぜ、エルフ風情にそのような事を説明しなくてはならないのじゃ。」
あ、絶対に言ってはいけない言葉を言ってしまった。シェルのうなじの毛が逆立つのが見えた。
「あなた、あなたは今『エルフ風情』と言いましたね。クルス教では人種差別をしているのですね。この度就任された皇帝陛下は、人種差別を決してゆるしませんよ。」
「フン、皇帝だと。笑わせるな。大司教様からの御神託も無いのに、皇帝を名乗るなど片腹痛いわ。」
なるほど、この国では、唯一無二の国教であるクルス教のトップである大司教から御神託を貰うのか。しかし、神が王を決めるのか、決まってしまった王に追従して認めているのかどちらだろうか。天上界の神々の所業を良く知っている僕としては、このクルス教の神って誰のことだろうと考えてしまった。そんなことを考えているとき、扉の向こう側から、男の人の声がした。
「うるさいぞ、メーデ、何の騒ぎじゃ。ゆっくり本も読めん。」
あ、真打の登場だ。僕は、メーデさんを押しのけて部屋の中に入って行った。そこは教会の中とは思えないほど豪華な部屋だった。入ってすぐに大きな応接室になっているが、座り心地のよさそうな革のソファセットが置いていて、テーブルもローズウッドのような赤茶色の分厚い椋の樹を使ったものだ。絨毯だって踝まで沈んでしまうのではないかと思えるようなものだ。大司教と思われる人は、紫色のシルクのガウンを羽織っており、痩せてはいるが品のよさそうな顔をした人だった。シェルが、キチンとカーテシを決めてから、
「大司教様ですか?お初にお目にかかります。私は、シェルナブール・アスコット・タイタンと申します。こちらは私の夫のゴーレシアです。」
あえて、本名を名乗った。『ゴロタ』では、素性がバレてしまうからだ。
「これはご丁寧に。儂は、この大聖堂の司教をしている『ブレンボ』という者じゃ。今日は何用かの。」
「大司教様、このような下賤なものに・・・」
シェルがメーデさんを一瞥した。あ、漏らし始めている。僕が、ちょっとだけ『威嚇』を使って黙らせただけなのに。どうも、ここの人達は、他人からの威迫に抵抗を持っていないようだ。大司教様は僕達が何かをしたと言う事が直ぐに分かったらしい。そのまま、扉の傍に垂れて下がっている房付きの紐を引っ張った。どこかで鐘が鳴っている。きっと警備兵を呼んだのだろう。
「大司教様、このクルス教の存続をお考えなら、あまり乱暴な事はしない方がよろしいですわよ。前のインカン国王のようになるかも知れませんわよ・オホホホホ!」
ああ、完全に高ビーないつものシェルに戻っている。
「そ、そなた達はもしかして。」
「ええ、こちらにいるのは、この度、この国を治めることになったゴロタ皇帝陛下ですわ。」
「その皇帝陛下が何の用じゃ。この国の唯一の神から神託を受けている儂達に手を出すと神罰が下されるぞ。」
あ、今時、子供だって使わない脅し文句だ。『言う事を聞かないと、天罰が下るぞ。』という事なのですね。でも、僕達は勿論、大司教様に手を出す機などさらさらありません。ただ、場合によっては教会が存続しなくなるかも知れないけど。
「私達は、何もしませんわ。ただ、高額の喜捨を求めて、神の治療を行うなど、そちらこそペテンなのではありませんか。」
「な、何を言うか。儂達には『聖女様』がおられるのだ。100年ぶりに事じゃ。聖女様は、崇高にして絶対のクルス様からの福音をいただいている。聖女様は、この奥で、自らの力を示し、神の奇跡を皆に与えているのじゃ。それをペテンなどと。許せん。」
そんなことを言っているうちに、警備の聖騎士達が20人ほどあらわれた。殺したら申し訳ないので、この場で眠って貰うことにした。
「スリープ!」
ほぼ無詠唱の範囲魔法をかけた。聖騎士さん達は、その場に崩れ落ちるように眠ってしまった。あ、いけない。シェルと大司教様も眠ってしまった。慌てて『ウエイクアップ』で目覚めさせた。シェルさん、こんな短時間で涎を垂らさないでください。結局、大司教様の案内で『聖女様』と面会することになった。大司教室を出て、廊下をさらに奥に進むと、大きな大きな扉があった。高さは3m以上あるだろうか。細かな彫刻をしていたが、扉の中央に張り付けられている黄金の十字架が、荘厳な雰囲気を台無しにしている。なぜ黄金製にしたのだろうか。成金趣味以外の何物でもないだろう。
その扉を開けると、薄暗い大きな部屋があった。窓もなく、何本かのキャンドルで照らされている中央の祭壇にそれはあった。それって、白いシーツを被った何かだ。いや、中に人がいるようだ。大きさから言って子供かな。高さは1m位か。シーツの裾がユラユラと揺れている。
「誰ですか?」
シーツの中から女の子の声が聞こえた。ちょっと訛りのある言葉だ。
「聖女様、この者達は、この度この国を支配することとなった『ゴロタ皇帝陛下』と皇后陛下だそうです。聖女様とお会いしたいと申しておりましたので・・・」
「え?皇帝陛下?国王陛下はどうしたの?」
うん、国王陛下が崩御して僕が後を継いだことを全く知らないようだ。
「国王陛下は、崩御されたようです。このゴロタ皇帝陛下に誅されたとのうわさもあります。」
「じゃあ、もう聖女を止めてもいいの?私、里に帰りたい。」
あれ、この子、もしかして無理やり連れて来られているのかな。
「聖女様、そのシーツ、いい加減外したら。人と話す時は、キチンと目を見て話しなさい。」
シェルの少し怒った声が部屋に響いた。ビクンと驚いた聖女様は、ゆっくりとシーツを外し始めた。中から出てきたのは、小さな女の子のようだが、薄暗くて良く見えない。
「ライティング」
部屋を明るく照らしてみて驚いた。聖女様はイオークだった。しかも、かなり小さい。イオークの子供のようだ。それに身体は毛深いままだが、何も着ていなかった。この大司教、そんな趣味があるのだろうか。
「なぜ、服を着ていない?」
僕が、『威嚇』を込めて聞いた。大司教は、震えながら答えてくれた。
「あ、あれは、その聖女様の癒しの力が損なわれないように、服を着せていないのです。体から発せられる力がそのまま救いを求める者に達しやすいようにと。」
この大司教、『治癒』の力を全く理解していないようだ。あれ、『治癒』の力って、もしかしてあれかな。僕は大司教に聖女様の服を持って来させた。あまり上等とは言えない女の子用のイオーク服だ。首からすっぽりとかぶるだけの貫頭衣だ。下着はなかった。腰に巻いた赤いベルトが、唯一オシャレだったが、大聖女様に何て格好をさせているのだろう。少し腹が立ってきた。いや、とっても腹が立ってきた。僕は、思いっきり『威嚇』を大司教にかけてやった。白目を向いて倒れ込んだ大司教からおびただしい小水が広がってきた。この部屋は、大司教室とは違い、単なる木の床なので拭けば大丈夫だろう。
僕達は、聖女様と一緒に皇居の僕達の部屋に転移した。聖女様、始めて見た異次元空間の切れ目に吃驚していたようだが、僕達と手を繋いだままで入って行ったのですんなりと転移することができたようだ。部屋にシルフを呼んで、この子に合うような服を出して貰う。さすがにシルフの倉庫には何でもあるみたいで、白いブラウスと赤い肩紐付きのスカートを出してくれた。それと白いソックスと赤い革靴だ。あれ、この格好は、ワイちゃんの姿に似ているんですが。
聖女様のお名前は、『ク』というらしい。姓はなく、たんにクちゃんと呼ばれていたらしいのだ。クちゃんは、南のイオーク村の出身だそうだ。あれ、それって、あのイオラさん達の出身村ですか?




