第2部第86話 クルス教総本部
(9月23日午後です。)
午前中の会議が終って、昼食後、シェルと二人で街の散策に出ることにした。見た目は粗末な冒険者服で、革カバーをかけた『ベルの剣』を腰に下げている。シェルは、いつものミニスカ姿ではめだつので、少年用の冒険者服を着て貰っている。まあ、胸が全くないシェルにとってはジャストサイズなのだが、そのことは決して口にしてはいけない。皇居の北側、裏門の隣にある通用口から出ると、そこは大きな商店街だった。皆、3階建て以上の建物ばかりで、洋品店から両替商、穀物商や工務店などあらゆる業種が集まっていた。中には、高級な服飾を売っているのだが、看板に『王室御用達』と大きく書いているのだが、きっとあの看板は取り換えるのだろう。
その先は、すこし趣が変わって、小さな森があった。森を抜けると、そこは大聖堂が威容を誇っている教会だ。この国の宗教はクルス教と言い、神の言葉を託された『預言者』が導いてくれた教えに従って、禁欲的な生活をしていれば、『神の国』に必ず入れるという教えだそうだ。僕は『神の国』と言うと、あの天上界の神々がいた世界を思い出すのだが、あの国、絶対に禁欲的なんかじゃないから。
そう言えば、そのクルス教も1人の男性が何人もの女性を妻にするのは許されているそうだ。どうやら、裕福イコール優秀な男性が多くの女性に子供を産ませることは、国が豊かになる礎と言う事らしいのだ。その点、僕はマリアちゃん一人しか作っていないので、この国の宗教の理想とはかけ離れているのかも知れない。シェルと一緒に、その大聖堂に入ろうとしたら、門番の人に、拝観料として大銅貨4枚を要求された。1人2枚だそうだ。単なる拝観ではなく、この協会に救いを求めに来た人にも要求するのか聞いたところ、その場合には拝観料は寄進額に含まれるので要求しないとの事だった。
寄進額は幾らか聞いたら、『銀貨1枚以上』と答えたので、少しだけ頭が痛くなってきた。とりあえず、拝観料を支払って聖堂内に入ると、1階の待合室みたいなところには大勢の人々がいた。ほとんどの人は綺麗な服で着飾っていたが、中には埃まみれの薄汚れたご婦人もいた。胸には小さな赤子を抱えていたが、その女性は、目もうつろにして、黙って座り込んでいた。その様子を目ざとく見つけたシェルが声を掛けた。
「あのう、どうされたんですか。その赤ちゃん、具合が悪そうなのですが。」
「はあ、この子は目を悪い虫に刺されてしまって、それから目を開けなくなってしまったのです。もう、泣き疲れたのか、ちっとも泣かなくなって。」
赤ちゃんを良く見ると、目が大きくはれ上がって、瞼が目やにでくっついたままになっていた。聞くと、この王都にいるクルス教の聖者様は、あらゆる病気を治す不思議な力を持っているとのことで、治療を受けるために、大勢の人々がこうして集まっているらしいのだ。この女性も、高い旅費を払って急行馬車に乗り、4日間かけて300キロ以上東の町からやってきたらしいのだ。しかし、馬車の度がきつかったのか、昨日から、赤ちゃんが乳も飲まないし、泣きもしなくなってしまったらしいのだ。
シェルが赤ちゃんの額に手を当てて、ジッとしている。きっと『治癒』スキルでどこが患部なのか探っているのだろう。その様子を周りで見ていた者達が興味深げにシェルと女性を見ていた。
「ゴロタ君、あの薬持っている?」
それだけで何を言っているか分かった。僕は、胸のポケットを探るフリをして『イフクローク』から、万能治療薬『エリクサ』を出した。女性の手のひらに『エリクサ』を置き、僕の『治癒』スキルを流し込んだところ、その紫色の薬が青く光り始めた。シェルが続いて指示をする。
「さあ、この薬を、この子の目に当てて。絶対に、手を動かしたら駄目よ。」
女性は、オズオズと手のひらに乗っている薬を我が子の目に当てて、上から手の平でこぼれていかないように押さえていた。女性の手のひらと赤ちゃんの頭が白く光り始めた。もう、大広間にいる人達全員の注目を浴びていた。突然、赤ちゃんが泣き始めた。吃驚して女性が手の平の平をどけると、赤ちゃんの目の腫れが引いて大きくつぶらな目で母親の顔を見ながら泣いていた。きっと、お腹が空いているのだろう。母親は、向こうを向いて、乳を与え始めた。
おずおずと別の若い女性が近づいて来た。左手で一人の老婆を引っ張っている。
「あのう、私の祖母を見て貰えないでしょうか。大きなオデキが背中にできてしまって、痛がるし苦しんでいるのです。治癒師からは、『悪いデキ物なので治すのが難しい。』と言われているんです。」
シェルが、老婆の背中に手を当てている。手が白く光り始めた。そのまま、光を強くしていく。2~3分位そうしていただろうか。『ふう!』と大きなため息をついてシェルが手を離すと、それまで元気の無かったお婆ちゃんが、娘さんにコソコソ話している。どうやら、痛いのが治ったらしい。娘さん、お婆さんの背中に手を当てて何故回している。デキ物がなくなっているのを確認したようだ。大きな目を見開き、
「あ、ありがとうございます。手を当てただけで、オデキが無くなっていることが分かりました。」
さあ、それからが大変なことになってしまった。30人位はいただろうか。大広間にいた人達が皆、僕達の周りを取り囲んでしまった。シェルが次々と治療をしていく。怪我や病気など、この人達の症状は千差万別だ。一人一人の症状を聞いて、手を当てて原因を探る。シェルの『治癒』スキルだけでなおる者もいれば、僕の作った『エリクサ』が必要な者もいた。中には、治療が終わってから小さな革袋を渡そうとする者もいた。きっと僅かばかりのお金が入っているのだろう。勿論、僕達はそんなものを貰うつもりは無かった。そんな時だった。大きな声が広間に響き渡った。
「何をしている!!」
男の大声が広間に響き渡った。見ると、白の司教服を着た男が、奥の扉から出てきていた。後ろには、真っ白な革製の鎧を纏った聖騎士達10人程が控えていた。
「お前達、神の赦しを乞わずに神の福音を得ようなどとは。邪教徒がする事だぞ。」
僕達、邪教徒決定です。でも『神の赦し』ってなんだろう?何を許して貰うんだろうか。今、直した人達って、一体、どんな罪を犯したのか、僕には分からなかった。
その司教服をきた男の人は、僕のそばまで来て物凄く怖そうな目で睨みつけながら言った。
「お前か、この騒ぎの張本人は。ここは、クルス教本部大聖堂と言う神聖な場所だ。こんなところでヒーラーや薬師風情がペテン治療をするなど、神の天罰が下るぞ。」
あまりの剣幕に僕は黙ってしまった。こんなに怒られるような事をした覚えは無いんだけど。こんな時は、シェルに任せるに限る。困った時のシェル頼みだ。直ぐにシェルが反応してくれた。
「大司教様、何か勘違いしていますわ。私達は、しがないヒーラーではございますが、決してここで商売などしておりません。この赤ちゃんが苦しそうだったので、少し楽にさせてあげただけですの。いえ、決してお金などいただいておりませんわ。」
周囲の人たちも大きく頷いていたが、声を上げる者はいなかった。さっきのお婆さんが、口を開いた。
「この子達は何も悪くねえだ。オラの背中のオデキ、村の治癒師も匙を投げただ。でも、見てみれ。今じゃな、なんともね。この背中見てみろ。」
お婆ちゃん、ここで上着を脱がないで下さい。一番最初のお母さんも声を上げた。
「そうです。この子の顔を見てください。ここに来て、見て下さい。」
もう止まらない。皆も口々に僕達のために弁解を始めた。この状況にますます怒りが込み上げたのか、
「ええい、煩い。この異教徒ども。お前らみたいな貧乏人を相手にしている暇はない。今日は、もう終わりだ。早くここから出て行け。」
皆が、ゾロゾロと帰り始めた。シェルが皆に呼びかけた。
「皆さん、大聖堂の外の広場にお集まりください。皆様の傷や病気を診てあげますよ。」
「ならんならん。邪教徒が大聖堂の前で神を愚弄する行為など許されるか!ええい、皆の者、この2人を捕まえろ。異端審問だ。」
「ねえ、あなた。さっきから邪教とか異端だとか言っているけど、この国はクルス教以外は異端なの?」
流石にシェルも頭に来ているようだ。口調がぞんざいになってきている。
「当たり前じゃ。ここインカン王国は、至高にして唯一の神を崇め奉るクルス教が国教と定めているのじゃ。」
「一体、誰が決めたのよ?」
「それは・・・。今は亡きインカン国王の初代宗家じゃ。ええい、兎に角、邪教徒どもには神罰が降るのじゃ。」
これから、ここにいる20人位の人達を診なければならないのだ。いい加減、この男の言う事が小煩く感じて来た。僕は、小さな声でつぶやいた。
「黙れ。そこを動くな。」
男の顔付きが変わった。それまでの居丈高な顔から、恐怖に満ちたような顔になった。聖騎士達も、その場を動けずじっとしていた。さあ、これで落ち着いて治療に専念できる。殆どの者は重篤な病や障害を負っていた。本国では、各種治療薬も揃っているし、医学学校を創設したので、優秀な治療技術も確立されるだろう。しかし、この国ではそうはいかないようだ。治癒魔法を使える者は、全魔道士の1割程度だ。その中でも魔法レベルが高い者は国防軍のヒーラーとして高給にて雇われるので、市井においてヒーラーとして活動している者は、それなりの能力しか発揮できないようだ。
僕は、シェルと2人で、次々と皆の患部を治癒して回った。全員の病気や怪我を治癒し終えた時には、陽は大きく傾いていた。皆が、帰路についた後、チラと男の方を見た。男の足元には、大きな水たまりが出来ていた。さあ、総本部の中を案内して貰おう。




