第2部第67話 開戦準備その3
(7月24日です。)
ビンセント君、閣議の場に居合わせたが、何も聞かれることなく帰されてしまった。自分としては、開戦の愚かさを説得するつもりだったが、国王陛下の性癖が重大問題となったことを説明してから急に開戦が決定されてしまった。一人、ベンジャミン防衛軍総司令官だけは苦虫をかみつぶした顔をしていた。閣僚メンバーのうち、平民出の貴族はベンジャミン男爵だけだった。後は、公爵や侯爵・伯爵に叙爵されている者ばかりだ。ブレードナット宰相でさえ、公爵家の出身ではあるが、あれよあれよと出世したのには、国王陛下に獣人の貢物を絶やさなかったからだと噂されていた。
ビンセント君は、会議室を出たところで、騎士を従えた宰相の副官に呼び止められた。副官といえども、身分は伯爵なので、ビンセント君よりは格段に上位者だ。
「ビンセント男爵、どちらに行かれますか?」
「いえ、会議も終わったので実家に戻ろうかと。」
「いや、それは困りましたな。宰相閣下には、貴殿にお礼がしたいので帰さぬようにと仰せつかっておりまして。」
ビンセント君、流石にピンと来てしまった。副官の目が笑っていないし、そもそも、そんな用なら騎士を4人も引き連れている理由がない。仕方がない。半分、予想していたが、『開戦』と決まった段階で無事にゴロタ殿の元へは帰れないだろうと思っていた。しかし、不安は無かった。ゴロタ殿が危険な場所と分かって放置するようなことは無いと確信していた。副官は、そのまま1階におり、北側の小さな部屋に案内してくれた。牢屋でないだけマシだった。しかし、粗末なベッドっと洗面所、それに用足し用の壺があるだけの部屋だ。そこに入ると、扉を閉められ、カチャリと鍵をかけられてしまった。
ゴロタはイフちゃんから王城の中の様子を教えて貰っていた。と言うか、王城に精神体として派遣しているイフちゃんと、視覚と聴覚を共有していた。すぐに助けに行っても良かったが、暫く王城内にいて貰うことにした。イフちゃんにも、王城内を色々と調べて貰いたかったのだ。
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インカン王国の国王陛下直轄の騎士団は、『インカン王国国防軍』と呼ばれている。昔は、魔導士部隊と一緒だったのだが、3年前に魔導騎士達が、独自の組織を作り独立して、『魔法騎士団』を作ってしまったので、騎士団が2つあるのはおかしいとなって、従来の騎士団が、そのまま『国防軍』となったのだ。騎士団長は『総司令官』と呼ばれることになった。
グレコ中隊長は、未だ16歳になったばかりだと言うのに、国防軍大尉で第1輜重中隊を任されている。父が男爵だった事から、入団時から将校として処遇されていたが、父が病気を理由に家督と爵位をグレコに譲ったのが、つい先日の事だった。その次の日、国防軍大尉に2段飛びで昇任し、中隊長を任されてしまった。部下は騎士だけで40人近くおり、軍馬担当や調達・補給担当の事務官を入れると200人近い組織になる。しかし、若輩者のグレコに、そんな大人数を指揮できるわけがなく、年配の副官と伝令が全ての部隊運用や調達事務を指揮してくれた。副官は、ジャンと言う人で、平民から上がって来たのだが、少尉になるときに準男爵になったらしい。もう出世はできないが、平民出としては最終ポストらしい。伝令はビルと言う農家の出で、騎士団に入隊して18年経つらしい。階級は上級曹長で、准尉の一歩手前の下士官だ。
グレコを含め、皆はもう3日ほど家に帰っていない。部隊に大量の糧食調達の命令が出されたのだ。近く戦争があるらしい。『え?そんな馬鹿な!』とグレコは思ってしまった。この前、北方戦線に糧食を搬送して来たばかりだ。その糧食だって、村々に頼んでやっと入手したものだ。勿論、代金は3年手形だ。つまり3年後に支払うと言う約束だ。実際には、3年後には、繰延の新規手形を切ることになるのだが。その間の金利だって馬鹿にならない。それが、今度は輜重隊の馬車一杯になるほど調達しろなんて絶対無理だ。
こうなったら、割高でも周辺の公爵領内の村に頼みに行かなければならない。一番困るのは、公爵領内の村では手形が使えないと言うことだ。ブレードナット宰相やヨーク財務相は、どうするつもりだろう。
24日の夕方、部隊の出発は8月1日と決まった。それまでに、とにかく集められるほど集めろとの命令が来た。購入代金は、いつものように手形だったが、今度の手形は今までのものと違った。王都内の大商人の裏書きがあるのだ。これは王室の手形ではあるが、大商人が債務保証をしているのだが。さあ、明日は東の村々を片っ端から回るぞ。
今日は、久しぶりに家に帰ると、母が心配そうに迎えてくれた。
「グレコ、戦争が近いって本当なの?」
「はい、どうやら8月1日には出陣になるようです。」
「え、そんなに急なの?」
「はい、でも戦線は、遠い南の公爵領堺あたりだと思いますので。戦端を開くのは2週間後位ですかね。」
「グレコ、そのような軍事情報をペラペラ喋るものじゃない。」
杖をついた父上が出て来た。
「あ、いけねえ。いや、父上、ただいま帰りました。」
「うむ、息災が何よりじゃ。ところで、出陣の前に例の話、決めておけばどうじゃ。」
『例の話』とは、グレコの結婚話だ。子爵家の4女との婚約の話が持ち上がっている向こうの方が格上だが、グレコより3歳年上で、一度結婚に失敗しているらしいのだ。両親は、子爵家と縁ができるのを喜んでいるようだが、それよりも莫大な持参金が魅力的らしいのだ。
グレコには、2人の弟と1人の妹がいるが、弟達には大学まで行かせて、王宮事務官にさせたいし、妹には持参金を付けて貴族の家に嫁がせたいらしいのだ。領地を持たない我が家にとっては、国王陛下から賜る爵位手当とグレコの収入だけが頼りだ。年収にして金貨14枚程だ。その中から執事とメイドの給料を払ったら、あまり余裕はなかった。屋敷だって、官舎だし財産らしい財産は何も無い。知り合いには、官舎の1室を間貸しして現金を得ている者もいるらしいが、兄弟の多いグレコにとって、弟達と妹を一緒の部屋と言う訳にも行かない。
グレコは、今まで恋愛の経験は無い。しかし女の子に興味が無い訳では無い。なんとなくではあるが、相手の女の子は小さい方がいいなと思っている。グレコは、身長164センチと、男子としてはかなり小柄だ。釣り合いを考えても、相手は150から160センチ位の身長が望ましいなと思っていた。
後、胸が余り大きいのも嫌だな。無ければ困るけど、ボヨンボヨンと大きいのは、余り好きでは無い。顔に好みは無いが、王城内で見たエルフの肖像画、あの女の子の顔が忘れられない。あんな顔の女の子なんか居る訳ないが、せめて目の感じだけでもあんな子はいないかな。
今度の婚約相手という女性は、そんなグレコの憧れとは正反対だった。きっと身長だってグレコより高いだろう。髪の毛だって、真っ赤だし。ああ、あんな絵の様に綺麗な銀色の髪なんて、人間にいる筈もない。しかし、しょうがない。困っている家をなんとかするのも当主の務めだ。父上に、婚約の話を進めて貰おう。
しかし、それからのグレコはそれどころでは無かった。翌日、午前4時には、空荷の輜重部隊は、東の村々を目指した。しかし日程がきつい。移動にとれる日数は、往復4日だ。これでは、公爵領内では2つの村を回るのが精一杯だ。それで100台近い馬車を満杯にするなど絶対無理だ。
まず一番遠い村を目指す。と言っても、王都から北東120キロ程の村だ。この前も徴用したので余裕が無いことは十分に承知だが、そうも言っていられない。国防軍の仲間のためにも、補給を欠かせる訳にはいかないです。
一昨年卒業した士官学校の同期は、輜重部隊に配属になったグレコを馬鹿にしていたが、グレ自身は、『補給を制するものは戦いを制し、戦いを制する者は国を制する。』の言葉を信じていた。グレコは、身体的に同期生に比較しても叶う訳無いので、知識と戦略で勝負しようと思っている。
同期の中では、一番早かった。それはたまたま男爵に叙爵したからであって、貴族の次男、三男では、少尉になるのは3年もかかってしまうのだ。そんな事をぼんやり考えていたら、ジャン副官から声をかけられた。
「隊長、ようやく到着しました。あれが目的のヘラ村です。」
ハッと気がついたグレコが目にしたのは、寂れた村だった。冬の寒空の中、活気が無くなるのも分かるが、この村は余りにも寂しすぎる。輜重馬車を待機させたまま、ジャン副官と伝令のブルさんの3人だけで村に入っていく。村の真ん中に教会と村長の家があった。村長の家は、ドアに鍵が掛かっていた。ビルさんがドアをノックする。
「すみません。国防軍の者です。どなたかいらっしゃいませんか。」
中から人の気配がする。暫くして、ドアが開き、一人の老人が出てきた。きっと村長だろう。グレコ達の軍服姿を見てホッとした様子が見てとれた。村長は、グレコ達を招き入れると、外の様子を伺い、直ぐにドアを閉めて鍵を閉めた。ただごとでは無い。
村長事務室のソファセットに腰掛ける。事情を聞くと、どうやら魔物が村を襲っているそうだ。魔物は、備蓄している食料などには見向きもせず、ある一つの獲物だけを狙っているそうだ。そう、『人間』を狙っているのだ。
魔物は、夜だけ襲ってくるそうだ。最初は、村の外で野良仕事をしている者達が襲われていたが、その時は、気が付かなかった。しかし、夜、外に出ていた子供が襲われた時、悲鳴を聞いて外に飛び出した大人達は信じられない物を目にしたよ子供を逆さ吊りにして、ハラワタを引き摺り出して食っている大男、その周りには十数匹のゴブリンどもだ。
子供の父親が、鋤を持って、その魔物に向かっていったが、鋤を叩き折られると同時に胸から背中に腕が突き抜けていた手には心臓が掴まれていた。ドサリと落ちた父親はもう動かなかった。ギロリと睨んだ目は、灯りもないのに赤く光っていた。
それからは、虐殺と蹂躙の一夜だった。1800人いた村民のうち、その日30人近くが殺されて食べられた。それから、夜になると襲って来て、最近では、あの大男が3人も来る様になった。もう王都の冒険者ギルドには救援の依頼を出しているのだが、まだ誰も来てくれないらしいのだ。
ジャン副官が、魔物の正体を教えてくれた。
「そいつは多分、グール、食人鬼ですね。」




