第2部第65話 開戦準備その1
(7月24日です。)
ベンジャミン司令官は、愛剣『ミステリア』を両手正眼に構えた。この剣は、騎士になりたての頃に、ダンジョンに潜って魔物の討伐をしていた時に手に入れたものだ。当時から、王都の近くのダンジョンは、冒険者に任せっきりにせず、国防軍でも定期的に魔物の掃討をおこなっていたのだ。その時、あの『死の宣告』と呼ばれる魔物、キメラが部隊に襲ってきたのだ。圧倒的な力の差によりほぼ全滅しかけた時、偶然、キメラの真横に転がり込むことが出来たのだ。必死になって、キメラの巨体の下に潜り込み、剣を深々と上に向けて差し込んだ。キメラの血を浴びながらも、死んでも剣を抜くものかと思っていたところ、キメラはその巨体をベンジャミンの上から押しつけるように死んでしまった。その時、ベンジャミンは十数か所の骨折ととともに、この宝剣を手に入れたのだ。その宝剣は、見た目にはそれほど豪華なものではない。しかし、刃体はミスリル銀に覆われたあの伝説の金属、ヒヒイロカネだった。このような剣は、我が王国で初めて発見されたそうだが、若いベンジャミンが手に入れたことで、一躍、彼の名は有名になってしまった。それからは剣にふさわしい技量を得るため死ぬほどの鍛錬を重ねていったのだった。彼のその構えには一部の隙も無かった。まだ『身体強化』のスキルは発動していない。あのスキルは、使い終わってからもずっと疲労が残り、最近では、その疲労がいつまでも抜けないのだった。
光の中から、この前、勅使だった女の子が出て来た。この前は確か緑色の髪の色だったはずだが、今日は銀色になっていた。少しイメージが違って見える。その後ろから、始めて見る女の子が出て来た。やはり美形の少女なので姉さんだろうか。しかし、身長が高い。女性なのに190センチはありそうだ。私と同じくらいだろうか。しかし、年齢は15~6歳位だろうか。この姉妹、一体何をしに来た。そう言えば、この前の、警護のコボルト族の兵士はいない。それに彼女達も丸腰だし。一体、何をしに来たのだろう。
「ベンジャミン閣下、シルフです。どうか剣をお納めください。私達は、ご覧のとおり武器を所持していません。」
これは、真っ赤な嘘だ。シルフは貴族服の上から巻いているベルトにクロッグ23のホルスターを装着していたし、僕は、いつでも『紅き剣』を顕現できるからだ。しかし、そんなことは知らないベンジャミン司令官は、剣を鞘の中に収めた。しかし、左手に堤げ刀で持ち、いつでも抜刀できる体制をしている。
「今日は、我がゴロタ皇帝が折り入ってベンジャミン閣下にお話が合って参りました。あ、こちらに負わしますのが、我が神聖ゴロタ帝国初代皇帝『ゴーレシア・ロード・オブ・タイタン陛下』です。」
僕は、シルフの半歩前に出て、佇立している。特に挨拶の言葉も浮かばなかった。ベンジャミン司令官は、吃驚してしまった。ゴロタ皇帝とは女帝だったのかと思ったが、その割には胸がまっ平なので、自分が勝手に女の子だと思っていただけだと気が付いた。それどころではない。慌てて、愛剣を脇に置き、45度の最敬礼をした。さすがに右こぶしを左胸に当てての臣下の礼はしなかった。敬礼をしながら、
「初めてお目にかかります。私は、ここインカン王国国防軍司令官を申し付かっておりますトム・ベンジャミンと申します。」
ベンジャミン司令官の本来の名前は『トム』だったのだろう。男爵に叙爵されるときに『ベンジャミン』という貴族名を貰ったのだ。
「ゴロタです。よろしく。」
これ位は、初めてでも言えます。これ以上だって、原稿さえ暗記すれば言えるけど。僕は、立ち尽くしているベンジャミン司令官に構わずに、部屋の中央に設けている応接セットの名がソファに腰かけた。ハッとしたベンジャミン司令官が、秘書を呼ぼうとしたが、それを阻止してソファに座って貰った。シルフが用件を切り出す。
「これから、ブレードナット宰相とともに当方の城に来ていただきたいのです。お二人には危害を加えません。その気なら、この場で瞬殺もできましたけど。」
怖い事を言うが、それは事実だ。この部屋の位置は、イフちゃんに偵察して貰って特定できたのだ。あとは、イフちゃんの所在地とゲートを開くだけだった。宰相の事務室には、現在、イフちゃんが先行して貰っている。まあ、精神体だから誰からも見られないが。
「そちらの城と言いますと、サウス・インカン市にあるブキャナン侯爵邸のことでしょうか?」
「いえ、あれは城ではありません。私達が城と言うのは、皇帝陛下の居城『白龍城』のことです。」
「え、『白龍城』?それは、どこにあるのですか。」
「おほほほ、勿論、ゴロタ帝国の首都、セント・ゴロタ市ですわ。」
ベンジャミン司令官は、ポカンとしてしまった。この人達は、一体何を言っているのだろう。聞けば、ゴロタ帝国とは、この星の裏側、人間が決して行くことのできない大陸にあると聞く。そこにこれから行くなんて。まるで、隣の城に行くような感じではないか。しかも、私だけでなくブレードナットも一緒とは。
「さあ、時間もありません。ブレードナット宰相の所へまいりましょう。」
そのまま、光のゲートの方に向かって歩き始めた。両手には、しっかりと愛剣『ミステリア』を握り締めていた。
ブレードナット宰相の部屋は、同じ階の奥にあった。大きな閣議室を挟んで反対側だ。もちろん、その閣議室など通らない。光の輪に1歩踏み込んだ先は、宰相事務室だった。ブレードナット宰相は、立ち上がって呼び鈴を押そうとしたが、最初に私が入ってきたので、押すのを踏みとどまることができた。続いてシルフ、最後に僕が入って行く。ベンジャミン長官が状況を説明してくれた。ブレードナット宰相は、不安そうな顔と期待に満ちた顔の両方が入り混じった不思議な顔をしていた。
僕達は、そのままセント・ゴロタ市にある『白龍城』の屋上に転移した。セント・ゴロタ市は、もう夜であった。屋上から近くの『南西尖塔』に入って行く。ブレードナット宰相たちは、初めてのエレベータに不安そうだったが、尖塔の最上階に上がって、窓の外の風景を見て、我が目を疑っていた。眼下には大きな都市の光が広がっており、その光は、はるか地平線まで続いているようだった。
シルフがセント・ゴロタ市の概要について説明していたが、ブレードナット宰相にとっては、信じられない数字が述べられていた。都市の人口が100万人を超えており、この都市には大学が3校と高校が10校あり、病院や診療所は数えきれないほどあるようだ。碁盤の目のように区切られた町は、1ブロックで概ね200m四方、これが9個まとまって1街区、さらに9街区で1行政区であり、現在、この城の周りには64行政区があるそうだ。聞いているだけで、気が遠くなるような規模だ。ただ、周辺の行政区はいまだ整備中で既存の住宅を撤去して新しい高層住宅に転居させている最中だそうだ。その費用は、全てゴロタ皇帝が負担しているそうだが、莫大な金がかかるのではと心配していたら、街区整備が終了したら市民の生活レベルが上がり、それはひいては税収の増加になるので、長い目で見たら社会インフラ整備は絶対に無駄にならないと言っていた。よく、意味が分からなかったが、この街を見ていると、そんなものかと思ってしまう。
あと、この尖塔が立っている建物も半端なかった。どう見ても巨大な城塞だ。東西300m、南北200m4階建ての居城だと説明してもらったが、このような巨大な建物が必要なのだろうか。王都にある王城も大きいと思っていたが、この城に比べたら、非常にコンパクトに感じられてしまう。というか、王城は中庭などが広く取られているため、延床面積では、全く比較できないだろう。階下に降りていく。3階の皇帝事務室に入って行くときに、この城で勤務している家臣たちを見たが、我が王国とは全く異なる服装だ。なんというか、活動的というか地味とというか。皆、首に紐を巻いているが、貴族ではないのだろうか。王城では、下女、下男以外は貴族でなければ入れないし、事務官でも、王城で勤務する段階で貴族に叙爵している。しかし、他の事務官たちはどこにいるのだろうか。あと、警備の騎士達が見当たらない。王城では、要所要所には必ず騎士が立っていて、万一に備えているのだが、ここでは誰もいない。ガランとしていて掃除するメイドしか見当たらなかった。
会議室も、だだっ広いばかりで、一体何人で会議をするのかと思うのだが、この会議室は普段、何も使わないそうだ。定例的に行う閣議は、2階の閣議室で行われるのだが、閣僚は、この城では勤務していないとの事だった。ブレードナット宰相が、それでは、閣僚はどこで勤務しているのかと尋ねたところ、それぞれの行政庁で勤務しているとの事だった。
宮内庁、宰相府、総務庁、法務省、外務省、財務省、文部科学省、厚生労働省、農林水産省、経済産業省、国土交通省、環境省、防衛省と13の省庁があり、その他に警察庁、国防軍は別組織で運用しているそうだ。あと、裁判所も法務省の管轄ではあるが、裁判はあくまでも最高裁判所の所管で法務大臣は口を出せないそうだ。そして、それらの組織は、このお城とは別の建物にそれぞれ入っているそうだ。
ブレードナット宰相は、聞いていて気が遠くなりそうだった。しかし、一番気になるのは財政状況だ。これだけの組織を維持していくのにはとんでもない経費が掛かるはずだ。その点について、シルフは、
「これは国家機密ですので、他言は無用ですが、昨年の税収は、およそ30兆ギル、王国通貨に換算すると大金貨360万枚ほどです。」
と説明した。王国の税収が、年間大金貨1万枚程度であることを考えるとその360倍、桁が違い過ぎる。国民は、一体何人いるのだろうか。その点については、現在、国政調査を実施する予定であり、確定値ではないがと言ってから信じられない数字をあげて来た。およそ2億人との事だった。ブレードナット宰相は単位を聞き間違えたかと思った。2億人などとは、王国では、最近、少し人口が減ってきたが、最盛期でも300万人に届かなかった。領地の広さも桁が違い過ぎていたが、王国の面積は、未開の地を除くと1200万平方キロメートル程度だが、4000万平方キロメートルと言うと王国の3倍以上だ。国力とは、国土の広さと国民の数に比例しており、ゴロタ帝国は、何をとっても王国を圧倒していたのである。




