第2部第56話 恐怖と戦慄の街その3
(6月30日です。)
フォックス市は、海産物が特産品だ。西側に広がる海は、南からの冷たい海流と北からの温かい海流がぶつかってプランクトンが大量に発生し、好漁場となっているそうだ。
しかし、魚は保存が効かないため、干物にして売り捌くくらいしかできず、今年のように農作物が不作の場合、漁師は忽ち食べ物に困ってしまう。フォックス子爵領の西端の村、オルガ村では恒常的な食糧不足だった。海が豊漁でも、馬車で、2日掛けてフォックス市に運べるのは気温が低い冬だけだし、その冬の間は海が時化て漁ができない。そのため、夏の間に塩漬けや干物にした海産物を、街まで運んで売った現金で小麦や野菜を買うのだが、今年は農作物の価格が高騰し、とても十分な量の食料を入手できないでいた。村でも僅かばかりの田畑を耕作していたが、潮風が強くて収量には限界があった。
これから冬を迎え、どうやって乗り切ろうかと思っていた時、ゴロタ達一行が来村したのだ。ゴロタ達一行はオルガ村の倉庫に積み上がっていた干物類をほとんど買い上げ、対価として一冬では食べきれない程の小麦や芋類を提供してくれたのだ。
それから、小さな漁船しか停泊していない港を大改修することになった。オルガ村の村長兼船名主のアジオは、初めて聞く言葉に戸惑っていたが、若いゴロタという男が只者でないことは、直ぐに理解できた。とにかく、これで村の誰も餓死しなくて済む。そういえば、秋口に街まで出稼ぎに行った若い衆も呼び戻せると言うもんだ。
シルフは、この村の位置が、将来、交易の拠点になると僕に進言してきた。大規模な港湾工事をしなくても、大型船舶が接岸できる岸壁が作れるらしいのだ。フォックス市からも馬車で2日の距離だ。領都のサウス・インカン市までは距離にして250キロ、馬車で6〜7日とこの世界では近い方だ。
この村は、もう大丈夫だろう。本来は、国防の重要拠点になり得る筈なのだが、フォックス子爵やブキャナン侯爵は、全く考慮しなかったのだろう。西海岸は、ずっと峻険な断崖絶壁が続いており、この辺りだけが切り開かれたように海に面しているのだ。
最大3500人位居たオルガ村の村民は、現在1800人に減ってしまった。飢餓に加え、遺体を放置したせいでの疫病が蔓延しているのだ。
村に唯一ある教会が診療所の代わりになっていたが、マザーと応援のシスターだけでは焼け石に水だった。この国の宗教はクルス教といい、この世界に神は創造主しかおらず、教義を広めた預言者が神の奇跡を行って人類を救ってくれるという一神教だったこの村の教会もクルス教の教会だ。屋根に飾られている大きな十字架が象徴だった
僕とシェル、それとミリアさんで教会の中に入って行く。教会の中は、すべてのベンチがベッドになっていて、それでは足りずに床に寝かされている者もいた。
シェルは直ぐに『治癒』に当たった。ミリアさんも、『治癒』スキルを使っている。まだ『ヒール』の詠唱をしているが、力は『治癒』を発動している。僕は、教会の裏にある墓地に案内されて行った。袋に入れられたままの遺体が並べられている。敗れた穴から蠅が出入りしている。
僕は、マザーに埋葬の許可を貰った。墓地の一角に、土魔法で大きな穴を開けた。その穴の中に、遺体を次々と並べる。全て並べ終えると、体の中の火球を顕現させる。3000度の高熱だ。あっという間に、遺体は灰になってしまう。その上に土を被せた。最後に台形の台と十字架を土魔法で作り上げる。組成を大理石と同じようにしておく。100年以上持つ筈だ。マザーが我が儘を言ってきた。埋葬者の名前を台座に刻んで貰いたいと言うのだ。名簿を貰ったら100人以上いた。この名前を刻むのに、2時間以上かかってしまった。
教会に戻ると、治療は終わっていた。今は、ミルク粥を患者に食べさせている。勿論作ったのはシスター達だ。シルフが小麦粉を積み上げていた。あと雑穀類と芋や野菜が入っている袋もあった。イフクロークには、まだまだ食材が蓄えられていた。それで足りなければ、ゴロタ帝国から備蓄食料を買い上げてきても良かったが、きっと大丈夫だろう。
マザーの案内で、孤児院に行く。本当は、教会に併設されている施設が、孤児院になっていたのだが、疫病の看護と同時に空き家を孤児院として活用させてもらっているそうだ。食料を支援したが、この小さな家にどうやって暮らしているんだろうと思う程、子供達が大勢いた。
この日の夕方、教会にいた村人達は皆、自宅帰っていった。夜、村長さんやマザー達とささやかな慰労会が行われた。村の娘さん達が、僕にお酒を注ぐために並んでいたが、シェルがジト目で見ているために怖くて娘さん達を見ることが出来なかった。
村長が、僕の真向かいに座った。可愛らしいお嬢さんを連れている。村長、少しお酒に酔っているかも知れない。
「ゴロタこ、こ、皇帝陛下。お願いがあるんですが。」
この酔っ払い村長、絶対に僕を『皇帝陛下』などと思ってはいない筈だ。
「ここにいるのは、儂の孫でヘレナと言うのじゃ。まだ12歳だが子供は産める。どうじゃ、嫁にしてくれんか。」
ヘレナちゃん、顔が真っ赤だ。それを聞いた村のおじさん達が、『それなら、うちだって。』と言って集まってきた。中には孫娘ではなく、出戻りの娘や隣の後家さんを推薦している人もいた。女なら誰でも良いのだろうか?
シェルさん、かなり怒ってます。シルフに、一番強いお酒を樽で持ってきて貰っている。トウモロコシから醸造して、上流蒸留を何回もした高級なお酒だ。それを、コップに並々と注いで、
「まず、このお酒を飲み干してから、話を持ってきなさいよ。」
あ、シェルさん、何杯飲みましたか?
このようにして、2週間で、フォックス領内を平定した。大きな混乱もなく治めることが出来たのは、やはり潤沢な食料を無償で与えたことが大きかった。それでも、今まで甘い汁を吸ってきていたために僕の支配下になるのを拒否したり、ゴロツキと結託している村長もいたが、ゴロツキを2〜3人殲滅したら手のひらを返したように態度を変えてきた。まあ、生きたまま焼け焦げていく悲鳴を聞いたら、普通そうなりますね。
フォックス市の周辺には6つの村があった。だが不思議なことに町はなかった。フォックス子爵は、地元の者が権力を握ることを極端に恐れていたらしい。財力と住民の信頼を得て反乱でも起こされたら、自分がブキャナン侯爵に粛清されてしまうからだ。フォックス市は、ある程度賑わいが戻ってきていた。物流も活気が出てきた。政策上、当分の間、通行税や物品税をかけないでおく。城門では、指名手配等の犯罪者だけをチェックするようになった。
フォックス市とサウス・インカン市の間にはボリオン男爵が支配しているボリオン町と2村があった。取り敢えずボリオン町に行ってみることにした。街の郊外にゲートを開き、皆で転移した。
ボリオン町の入り口には城門と言う程では無いが、街に入ろうとする者に対して身分確認と通行税を徴するための関所があった。通行税は、一人銀貨1枚だ。通行税を払おうとしたところ、『ちょっと、お待ち下さい。』と言われて、事務所のような所で待たされた。外に馬車が停まる音がした。扉が開き、いかにも貴族ですというような男が入ってきた。きっと町長のボリオン男爵だろう。顎の尖ったキツネ顔の男だった。
彼は、入って来たらすぐに片膝を付き、臣下の礼をした。
膝をついたまま、
「初めてお目にかかります。私は、ここボリオン町長を務めさせて頂いておりますボリビア・ボリオンと申します。本日はご来臨賜り、至上の悦びにございます。」
後は、歯の浮くような言葉が捲し立てられたが、全く誠意が感じられなかった。イリス隊長が、
「ボリオン男爵、ご挨拶はその辺で宜しいのでは。」
と言ったら、キッと睨んで、『平民の衛士隊長風情が口を挟むでない。』と、完全に馬鹿にした口調で抗議していた。うん、僕の一番嫌いなタイプだね。
それからは、『馬車に乗れ。』だの『屋敷に泊まってくれ。』だのと煩かったが、住民の実情視察を兼ねているからと言って、なんとか断ってしまった。まあ、シェルが冷たい視線を浴びせながら言ってくれたんですけど。
冷や汗を流しながら、
「それでは、ごゆっくり我が町をお楽しみください。」
慇懃に臣下の礼をして立ち去っていた。
「チッ!ガキが。生意気に。何が皇帝だ!」
距離もあったし、小声だったが、しっかり聴かれたことには気が付かないボリオン男爵だった。ゴロタ達は、中程度の小さいが小綺麗なホテルを予約した。
ダブルを2つとシングルを1つ頼んだ。ミリアさんとメリちゃん、それにセレンちゃんが一つの部屋だった。夕飯は、アジの干物定食だ。オルガ村を出発するときに大量に購入しておいたのだ。干物と言っても、脂が乗っていて大きさも超特大の高級品だ。最近は、毎日食べている。シェル達は流石に食べ飽きたのか、ステーキがメインディッシュのディナーコースを頼んでいる。
しかし、食材を提供しているのに、ステーキのディナーコースと変わらない料金を取られるのはどうも納得がいかない。聞いたら持ち込み料金は、割高に設定されているそうだ。そうしないと、レストランと取引している店の商品が買い取れなくなるからだそうだ。少し納得した。
僕達の部屋は2階だったが、深夜、イフちゃんに起こされた。3人に賊が忍び込んで来たらしい。今までに無いパターンだ。気配を探ると、どうやら僕達の部屋を狙っているらしい。シェルも目が覚めたらしい。ベッドから出てガウンを羽織る。
部屋の明かりをつけないでおく。ドアの鍵が、ほんのり光り音もなく、鍵が開けられた。『解錠』の魔法だ。そっとドアが開けられる。右手にダガーを持っている。甘酸っぱい匂いがしている。毒物が塗られているのだろう。スッと入ってきた瞬間、『ライティング』で部屋を明るくする。目が眩んだ先頭の男を飛び越え、後ろの男がダガーを突き刺してきた。
ガキーン!
衝撃音がして、ダガーの刃が折れ飛んだ。覆面をしていたのでよく分からないが、男は目を見開いて、折れた自分のダガーを見ていた。僕は、パンツ1つで何も身につけていない。『紅き盾』以外は。その後ろの男が、甘酸っぱい匂いの毒物を振り掛けて来た。前の仲間にかかることなどお構いなしだ。前の男が、毒物を吸い込んだらしく、首元を押さえながら死んだ。最後の男もダガーを持って突っ込んできたが、真っ直ぐ窓の方に向かって走り込み、そこで、体が赤く光ったと思ったら自爆した。窓が吹き飛んだ。それが合図だったのだろうか。外から弓矢を射る音がした。外を見ると火矢が何本も撃ち込まれて来た。あと、ファイヤー・ボールが1発飛んできた。
燻っている窓から外を見ると、200人くらいの騎士達がいた。顔に黒いマスクをしていたが、あれで誤魔化せると思っているのだろうか。この町にいる騎士は、ボリオン男爵の部下しかいないので、今回の襲撃はボリオン男爵の仕業に決まっている。
僕は、騎士達の始末をイフちゃんとシルフにお願いした。暗闇の中、MP5のフルオート発射音と『地獄の業火』の炎が立ち上ったが、僕は、ホテルの外壁を消火するとともに元の通り修復をしておいた。あと、室内の死体を片付けると共に部屋の中の毒液の除去や焼けた窓の修復をしておいた。シェルは、隣のミリアさんの部屋に避難していたようだ。
暫くして、外の音と光がやんだ。イフちゃんから、『一人も逃がさなかったぞ。』という自慢げな念話が聞こえて来た。もう、今日は寝ることにしよう。




