第2部第45話 サウス・インカン市
(6月23日です。)
ずっと続いていた原野が、やっと畑や牧草地になって来た。サウス・インカン市が近づいて来たのだ。普通は、サウス・インカン市の手前に幾つかのブキャナン侯爵領内の市町村がある筈だが、全くなかった。あったのは野営地だけだった。1週間前に止まった村が、ガッシュ伯爵領の最後の村で、後は、侯爵領といっても原野と森ばかりだった。
サウス・インカン市の手前10キロ位からスラム街が広がっていた。また獣人とイオークの奴隷達かと思っていたら、人間族の住民もいた。街には入れない人間もいるようだ。時刻も夕飯前だったので、至る所で、炊事の煙が上がっていたが、何を煮ているんだろうか。変な匂いがしていた。
そのまま進んで行くと、突然スラム街がなくなり、整備された森と牧草地が広がっていた。サウス・インカン市まで後1キロ位だろうか。ビンセント君が、
「城壁から1キロ以内には市民権のない人間や亜人は住んではいけないようです。王都では、さらに厳しく、城壁から5キロ以内には許可なく立ち入りを禁止されていました。』
肉体労働従事者や奴隷は、この国の重要な労働力であり、資源であるのに、このような扱いでは、絶対に国の発展はあり得ない。毎日1キロ以上も離れたところへ、働きに行く労力を考えても、効率は悪いし、病気や怪我をしたときに十分な医療が受けられないとなると、労働力の損耗も激しいはずだ。
そもそも、市内の食糧需給を賄う貴重な労働者を毛嫌いしていたら、どうやって5万人以上いる人間族の市民を食べさせていけるのだろうか。そう言えば、このスラムの住民たちは極端にやせ細っていた。これでは、満足に力仕事などできないと思うのだが、そのことについて市内の人間達は何も考えていないのだろう。
都市を維持していくためには、農業、鉱工業そして製造業その他あらゆる生産性の高い産業が有機的に機能して、初めて健康で文化的な都市機能が働くはずだ。そして各種産業が発展していくためには、生産性の高い労働力の供給が必須のはずなのに、食糧需給が貧弱なところに労働意欲や能力の低い者を大量に投入しても、絶対に生産性などあがる訳がないのだ。
以前、ヘンデル王国の奴隷都市であったダブリナ市では、隣接する鉱山から産出される鉱石を製錬するための労働力として奴隷を使っていたわけだが、精錬所のような高収益産業があればこそ、あの大量の奴隷を雇用できたのであって、農業しか主要産業のない都市では、耕作面積に比例しての人口しか維持できない。耕作面積をどんなに広げても、都市に大量に農産物を搬入するための物流ルートと大量の穀物や食料を備蓄する技術が無ければ、都市の維持は難しいであろう。
異様な雰囲気のスラム街を通過してから1キロ先にサウス・インカン市の南口大門が見えてきた。綺麗な並木道の先に大門が見える。大門の前には、城内に入ろうとする旅人や行商の人間達と、市内での仕事を終えて、大門を出てくる獣人達がいた。出てくる獣人やイオーク達は、皆、やせ細り、疲れ切っているようだ。中には、病気なのだろうか、咳をしている者もいた。手には、小さな袋を持っている者もいたので、あれが、今日1日の報酬なのだろう。あの袋の中が小麦などの穀物だとしても、5人家族の1食分くらいにしかならないと思われた。イオークの中には、大きな袋を持っている者もいたが、袋から変な匂いがしていた。ビンセント君が、鼻を押さえながら、『イオーク達は、市内から出る生ごみを食べているのです。』と説明していた。
僕達は、何もチェックを受けずに大門の中に入ることが出来た。いつも思うのだが、この国の街はとても綺麗だ。イオークや獣人による清掃が行き届いているのだ。獣人達は、夕方、役所に行って、日当を貰っているようだが、イオーク達は、商店や家庭から出たごみを運び出し、わずかなチップを貰っている。運び出したごみは、城外の集積場に運び込み、通常はそこで堆肥とするのだが、それほど痛みの激しくない残飯は、自分たちの食糧にするらしいのだ。
市外の奴隷スラムでも、亜人エリア・獣人エリアとイオークエリアは明確に分かれており、共同して何かをすると言う事はないそうだ。イオラさんとイオイチ君は、高い入城税を払って市内に入れて貰った。僕達が泊まるホテルは、中心街から南側に少し離れた中級のホテルにしたが、さすがにイオークの宿泊場所は、おなじ屋敷内にはなかった。北門近くまで行ったところに、ダウンタウンがあり、そこにイオークや獣人の専用ホテルがあるらしいのだ。イオラさん達には、そちらで泊まってもらい、明後日、馬車でこのホテルまで迎えに来て貰うことにした。明日は、市内観光をしよう。
ホテルでチェックインをしているときに、後ろからチラチラと視線を感じた。また、シェルやミリアさんを不躾な目で見る男だろうと思って、放っておいたら、チェックインを終了し、部屋に行こうとしたときに、その目線の相手から声を掛けられた。
驚いたことに、その声の主はエルフ族だった。それも3人もいて、男性が1人と女性が2人だ。エルフの年齢は、見た目では分からないのだが、男性は、まだ若いようだ。皆、軽鎧と弓矢を装備している。
「すみません。あなた達は、旅の冒険者でしょうか?」
「はい、『C』ランクパーティですが、実力は『A』ランク以上のパーティです。」
シェルが、余計な事を喋っている。『A』ランクと聞いて驚いているようだが、用件を聞くことにした。
「僕達は、こここら東に300キロ位離れている、イースト・インカン市のさらに東のエルフの村に住むボランと言います。こちらは、僕と一緒に旅をしているサイとクエです。」
サイとクエと紹介された女性2人が、黙って頭を下げている。様子から、どうも、この少年の使用人みたいだ。
「実は、あなた達にお願いがあるのです。お願いと言うのは、僕の兄を探していただきたいのです。」
え、探し人ですか?それなら、この街の冒険者に頼むべきでしょう。旅人の僕達では、西も東も分からないのですから、人探しには最も不適と思うのですが。
「無茶なお願いと言う事は、重々承知しております。しかし、この街の冒険者たちは、僕の依頼をことごとく断ってしまうのです。もう、この街に来て2週間も経つのですが、いまだに依頼を受けて貰えないのです。」
え、探し人など、通常『E』ランク程度の難易度の筈なんですが。この街の冒険者は、何故受けないのだろうか。報酬が極めて安いとか?
「実は、兄の行方は分かっております。この街の西、30キロほどの所にあるダンジョンに行っているらしいのです。兄は、旅の冒険者をしていて、この街では、何人かの冒険者とパーティを組んでいたらしいのですが、今から1か月ほど前、東のダンジョンに行くと言って、それっきり帰って来なかったらしいのです。」
お兄さんが、村を出たのは1年位前で、手紙も何も来なくなってしまったので、お兄さんの許嫁の姉妹と一緒に探しに来ているらしいのだ。許嫁は、姉妹の姉の方で、妹は男女二人では危険だと言う事で、付いて来ているらしい。うん、僕も昔、そうだった。ダンジョンは、かなり古いダンジョンらしいのだが、定期的に魔物退治の依頼が来るらしいのだ。最近、ずっと依頼が無かったので、かなり魔物が増えているのかも知れないが、古いダンジョンのことだ。ドロップ品も望めないし、貴重な鉱石も濠尽くされているだろうからと、依頼を受ける冒険者も少なかったらしいのだ。そんなときに、お兄さんのパーティが依頼を受けてダンジョンに潜って行ったのが、1か月前だということだった。
ボラン君の依頼を誰も受けないのには理由がある。ダンジョンで行方不明になった場合、そのほとんどはパーティーが全滅して、魔物に食べられている。何か証拠の品でも発見できればいいが、大体は、ダンジョンの浄化作用で、骨と剣などの金属類しか残らない。と言う事で、依頼を受けても、発見に至らないで依頼未達成になってしまうのだ。また、万が一、生きて発見できたとしても戦闘能力のない者を、地上まで連れてあがるのは、超至難の業だ。下手をすれば自分たちが全滅するし、逃げるにしても、大体が衰弱している迷人が逃げ遅れて魔物に食われてしまう。結局、依頼失敗となってしまうのだ。
でも、きっとボラン君、本当に困っているのだろう。依頼を受けてあげることにした。明日、冒険者ギルドに行って、依頼受託の手続きをしてあげることを約束した。ボラン君たちも、僕達と一緒のホテルに泊まっているので、今日の夕食は一緒に取ることにした。ボラン君達のお勧めは、この近くの川で捕れる大ウナギのソテーらしい。大ウナギを切り開いて四角い短冊にして串をうち、和の国秘伝の醤油と砂糖とワインで作ったタレに付けて、炭火で焼くのだ。たれの香りとウナギの焼ける匂いのコラボで、匂いだけで黒パン1個は食べられそうだ。勿論、このレストランでは、きちんとロールパンを食べているのだが、ボラン君、パンに焼いたウナギを挟んで食べている。うん、美味そうだ。僕やビンセント君も真似をして食べてみたが、本当に美味かった。
食事の最中に色々聞いたのだが、ボラン君は、今19歳だそうだ。お兄さんの婚約者のサイさんは48歳、クエさんは32歳だそうだ。本当にエルフの年齢って、見ただけでは分かりません。でも、サイさん、軽鎧の下には、きちんと冒険者服を着ましょうね。ほとんど下着に近いシャツとパンツをはいていて、お臍が丸見えなのですが。それに、そのシャツ、胸のポッチが丸わかりなんですが。クエさんは、キチンと冒険者服を着ていましたが、下半身がスカートなのが絶対におかしいと思うんですけど。




