第385話 或る少女への思い
カーマン王国は、上から下まで腐っているようです。
(11月3日です。)
カーマン王国では、突然の国王陛下の失踪に大騒ぎだった。犯人は分かっている。隣国、ゴロタ帝国の皇帝だ。宣戦布告書にもはっきりと書いているし、あんなことが出来るのはゴロタ皇帝だけだ。
通常だったら、すぐに報復のためにゴロタ帝国フェニック州国境に進軍し、帝都を目指すべきなのだろうが、現在のカーマン王国軍の現有勢力は約3万人である。前回のゴーダー共和国との戦争を視察した時には、20万人の敵軍を一瞬で撃退している。とても敵う相手ではない。
ここは、ガーリック侯爵にお願いするしかない。まず、国王陛下の行方だ。あのゲートとも違う。虚空に吸い込まれるようだった。いったい、あれは何だったのだろうか?
その時、外務省の官吏が走り込んできた。
「大変です。シャウルス空港に飛行機がいなくなりました。それに交易船も沖合に停泊して入港してきません。」
これで、ゴロタ帝国の本陣、タイタン市に行くすべはなくなった。ガーリック侯爵の外交手腕を発揮出来るチャンスが無くなった。
52歳になる皇太子殿下が、執政を摂ることになったが、凡庸を絵に書いたような王子だった。趣味は絵を描くこと。未だに子はいない。女性に興味がないようだ。
第2王子は、国内有数の大馬鹿者だ。脳筋男で、短気で、ナルシストだ。若い頃、結婚したが、直ぐに姫に逃げられてしまった。
第3王子から3人は夭逝し、現在、12歳になるフェルマー第6王子のみが頼みの綱だ。この王子は、若いが、常に冷静沈着、理知的で正義感が強く、また剣術も12歳としては感心するほどの腕前だ。唯一の欠点は、身体が少し小さいことだった。
王子達と閣僚を集めて、戦略会議をすることになった。皇太子殿下は、父親を返して貰うように交渉しなければと言うばかりだ。交渉をするにしても、交渉材料が全くない現状では、どうしようもない。
第2王子は、意見など無かった。戦争一本槍だ。軍が言うことを聞かなければ、自分一人で父を助けに行くと言い張っている。自己犠牲の言葉に陶酔しているようだ。
フェルマー王子は、敵の情勢を知らなければ、手の打ちようがない。時間が掛かっても、情報を入手すべきだ。東隣の帝国領に潜入し、フェニック領内の空港から、密偵をタイタン市に送ろうと言うことになった。
国王陛下はご病気なので、公式の場には出られないと言うことにして、重要案件については、フェルマー王子が吟味してから、皇太子殿下の裁可を仰ぐことになった。
会議終了後、宰相と有力閣僚のみフェルマー王子の部屋に集まった。フェルマー王子は、皆の前で当面の方針を話した。
「今回の事件は、父君の女色に溺れた、淫蕩生活が招いた事が原因と思えます。そこで、父君が居ない今、後宮の大掃除をしたいと思います。」
「宰相、現在後宮には何人の愛妾がいるのですか?」
「はい、概ね300名程かと。」
「では、姫を設けていない愛妾全てに暇を取らせて下さい。今後の生活ができるように、十分な手切れ金を渡して下さい。」
「後宮のメイド、執事の中で、今回の事件の発端となった『虐め』に加担した者、知っていて見ぬフリをした者は厳しく処断して下さい。」
「それと、彼女を連れて来た行政長官の素行、それに彼女の生育した孤児院の関係者も、厳しく取り調べて下さい。」
「とにかく幼い者、弱い者、特に彼女のように、身体に障碍がある者を迫害する者は、絶対に許してはいけません。」
「市中で、15歳未満の婦女子を娼婦や性的興行に使用している業者は、全て死罪、従業員も同様です。直ぐに始めて下さい。」
フェルマー王子の考えは簡単だった。ゴロタ皇帝陛下の逆鱗に触れるような行為を、絶対に許さない姿勢を示す事で、赦しを乞うのだ。我がカーマン王国が生き延びる道は、それしか無かった。
皆が、部屋から出て行ったあと、フェルマー王子は深いため息をついた。ああ、これで良かったのだろうか。以前から、後宮の乱れた風紀の噂は聞いていた。
メイド達も、扇情的な服装で国王陛下の気を引くことばかり考えている。愛妾達への経費も馬鹿にならない。
後宮ばかりではない。市中、いや国内も乱れ切っている。貴族でまともなのはガーリック侯爵位だ。殆どの貴族は、領民に苛政を強いている。そのため、現閣僚は宰相と外相以外は、全て領地を持たない新興貴族だ。
衛士隊も腐っているようだ。貴族よりも裕福な衛士などいる訳が無い。無頼どもと結託して、市民の生き血をすすっているらしい。しかし証拠が無い。今回の市井の浄化対策、どのくらい効果があるか不明だ。
突然、部屋の前に光の輪が出来た。中から、シルフが出て来た。フェルマー王子は、腰の剣に手をかけたが、出て来たのは自分と同じ位の大きさの女の子だったので、一瞬気が抜けてしまった。シルフは、ミニスカートの両脇をつまみ、綺麗なカーテシを決めた。
「初めまして。私は、ゴロタ皇帝陛下のお側に仕えているシルフと申します。」
「あ、ああ、僕はフェルマー。カーマン王家の第6王子だ。」
シルフは、今回の件について詳しく説明した。カテリーナさんの孤児院のこと、行政院のこと、国王陛下のこと、それに後宮での扱い。それから、今まで収集した情報と証拠についても話した。
フェルマー王子にとって、初めて聞く事ばかりだった。それよりも、シルフの美しさにボーッとしてしまった。
ゴロタ帝国は、これからのカーマン王国の政治姿勢を、見極めることにしたそうだ。弱い者、正しい者が、不条理な扱いを受けないで済む国に、なってくれるように見守っている。そのために協力できる事は何でもすると言ってきた。
シルフは、王子の部屋の奥の、クロークタンスのほうに歩いて行った。ローズウッド製の大きなタンスだ。バラの模様の入った大きな扉を開けて中に入って行った。後を追ったフェルマー王子は、クロークの奥の壁に、光り輝くリングを見つけた。ゲートだ。
その向こうに行くと、見たこともない部屋だった。部屋の中には沢山のゲートが並んでいた。それぞれには、行き先の札が表示されていた。
先に行っていたシルフが待っていた。
「ここはゴロタ帝国タイタン離宮です。つまりゴロタ皇帝陛下の居城となります。」
フェルマー王子は、緊張した。いかに優秀とは言え、12歳の少年だ。部屋から出ると長い廊下だった。扉がいくつも並んでいる。途中に階段があった。
シルフと一緒に降りていくと、舞踏会が開けるほどの大広間だった。高校生位の金髪のお姉さんがピアノを弾いている。聞いた事がある曲だった。
大広間の一角にソファセットが置かれ、1組の男女が座っている。女性を見て驚いた。シルフさんにそっくりなのだ。いくら兄弟でもここまで似るはずがない。
隣には、背の大きい冒険者服を来た男性が座っている。顔つきは、どう見ても少年なので、年齢不詳だ。しかし、ここがゴロタ皇帝陛下の居城と聞いていたので、この少年がゴロタ皇帝陛下かも知れない。
シルフがお互いを紹介している。フェルマー王子は、ゴロタの部下ではないので、臣下の礼は取らないが、最敬礼をしてから、反対側のソファに座った。
シルフが、色々質問して来たが、フェルマー王子は、つかえる事なく、シルフの質問に答える事ができた。しかし、父親がいなくなった事については、言葉を詰まらせてしまった。駄目な父親でも、やはり大切なのだろう。
ゴロタ帝国に対しての報復については、考えていないそうだ。元々の原因は、非は当方にあるのだろうし、正義の鉄槌に対して報復をすべきではないと思っているそうだ。
考え方がしっかりしている。とても12歳とは思えない。しかし第6王子では、政治の表舞台に出る事は無い。今の愚鈍な皇太子では、強欲な貴族どもに、いいように利用され、国を食い物にされるだろう。
ゴロタは、フェルマー王子の後ろ盾になってあげることを約束して、王子をカーマン王国の彼の部屋に帰した。
部屋に戻ったフェルマー王子は、気持ちが高揚していた。あの方が、いま、この世界で最も権力を持ち、神様に最も近い方なのだ。それにあのシルフさん。なんて可愛いのだろう。
フェルマー王子は、皇太子殿下つまり兄上の執務室を訪ねた。しかし、兄上は部屋には居なかった。聞くと、国王陛下の執務室にいるそうだ。嫌な気がした。通常、国王陛下の執務室には勝手に入ってはいけない。陛下の執政といえども、その原則は守らなければならないはずだ。
部屋に入ってみると、兄上は国王陛下の執務机に座っていた。机の前では、或る人物が、書類を抱えて立っている。あまり評判の良くないブリザード侯爵だ。
「フェルマー、何用じゃ?」
「兄上、何をなさっているのですか?」
「いや、ブリザード候が、素晴らしい絵具を持って来た。もっと入手するためには、交易の御朱印が必要だとのことなので、書類に署名していたんじゃ。」
「え、交易?その書類、見せて下さい。」
フェルマー王子が、書類を見ようとした瞬間、ブリザード侯爵が、その書類を奪い取り、
「殿下、これにて全ての書類は、あい整いました。明日にも、例の絵具を持って参りましょう。」
と言い捨てて、逃げるように帰って行った。
「兄上、あの書類は何だったのですか?」
「ああ、彼が珍しい絵具を入手するのに必要な交易許可証だよ。」
「でも、書類が何枚もありましたよ。」
「うん、よく読まなかったけど、交易許可に必要な書類だという事だったよ。」
「で、その控えを見せて下さい。」
「いや、急いで作ったので、控えはなかったよ。」
そんな事は有り得ない。国王陛下のご裁可を得るためには、写しを添えた『御裁可伺書』を提出することになっている。執政たる兄上に対しても同様の筈だ。
フェルマー王子は、同席していた兄上付きの廷吏達を睨んだ。皆、下を向いてしまった。この腐れ廷吏どもが。
フェルマー王子は、部屋に戻ると、真っ直ぐクロークタンスの方に向かった。
シルフは、誰が見ても完璧です。