第369話 白い空
今回は、エッチなシーンはありません。
(7月5日です。)
今日は、東の大陸のヘンダーソン市冒険者組合に行く予定だ。でも、その前に出産のために里帰りしているクレスタに会いに行く。首の傷は、完全に治っているのでクレスタに心配をかける事はないだろう。
シルフと一緒にカーマン王国のクレスタの実家に行ってみる。もう、別宅は完成していた。レンガ作り2階建ての10LLDDKK+大広間だ。
玄関で、扉をノックすると、メイドさんが出てきたが白装束だった。家の中に入ると、消毒液の匂いが充満していた。
クレスタの部屋の前にいた執事長に状況を聞くと、クレスタは、先月末から体調を崩し、寝たきりになっていたのだ。医者の話では、お腹の赤ちゃんとの適合が良くないので、腎臓の機能障害が起きていて、中毒症状が起きているそうだ。
シルフが、妊娠中毒症について説明してくれた。根本的な治療薬もなく、この世界では有効な薬品を作成することもできないそうだ。細菌感染症などなら、最近作ったペニシリンやサルファ剤が有効なのだが、クレスタの症状は、高血圧と腎機能障害で、胎盤から母体に悪い成分が流れ込んでいることが原因だとのことだった。
医者は来ていないが、クレスタは昏睡状態だった。ダメ元で、クレスタにヒールを掛けてあげる。クレスタが目を覚ました。
「あなた、来てたの?」
「うん、具合はどう?」
「ええ、大丈夫。じゃないか。ごめんなさい。お迎えできなくて。」
「ううん、そんなこといいんだよ。僕がついているから、しっかりしな。」
「ねえ、お願いがあるの。私、最後のお願い。赤ちゃんを助けて。私のことはいいから、赤ちゃんだけは助けて欲しいの。お願い。」
ゴロタは、涙をこらえていた。何と答えたらいいのだろうか。きっと、クレスタがこんなに具合が悪くなったのも、ゴロタが人ならざる者だからに違いない。人間と結婚した亜人もこのような症状が良く出るらしい。シズの母親もエルフだったので、同様の症状だったそうだ。
「ねえ、お願い。必ず、赤ちゃんを助けて。ね、約束よ。」
クレスタが、真っ白で細い小指を差し出す。ゴロタは、もう我慢が出来なかった。涙を流しながら、クレスタの小指を握る。クレスタは、深い眠りについたが、呼吸が弱くなっている。ゴロタが、ヒールをかけ続けたが、意識は戻らない。
シルフがゲートを使ってフランを呼びに行った。フランは看護師数人とともにすぐ来てくれた。クレスタの脈や血圧、それに聴診器を胸に当てて、いろいろ調べていたが、首を横に振った。ゴロタは、フランに、子供はあきらめるから、クレスタだけでも助けてくれと言った。
「それは難しいの。今、赤ちゃんを取り出せば、一気に血圧が下がって確実に死ぬ。このまま放置していても、明日まで持つかどうか。肺に水が溜まっていて、何時死んでもおかしくないわ。最善なのは、赤ちゃんだけ助ける方法よ。お腹を割いて、子供を取り出すの。でも、クレスタは確実に死んでしまう。それでもいい?」
残酷な選択を迫ってくる。ゴロタは、黙っていた。応えられるわけがない。シルフにシェルを呼んできてもらう。きっと小学校にいるはずだ。ゴロタは、シェルに念話で呼びかけた。距離が離れすぎているので、届くかどうか分からないが、呼ばずにいられなかった。
『シェル、シェル。助けて。クレスタが、クレスタが。早く来て。』
フランちゃんは、手術の準備を始めている。一旦、治癒院に戻り、手術セットや消毒機材を運び込んでいる。
『ゴロタ君、今、どこ。助けてだけじゃ分からない。今、どこなの?』
シェルの念話が届いた。ゴロタは、今、見ている光景をそのまま送ってあげた。すべてを理解したシェルが、小学校の外に出て、シルフを待つそうだ。
5分後、シェルが到着した。泣き続けるゴロタは役に立たない。フランに事情を聞く。選択肢はないということを理解したシェルは、ゴロタに命令口調で言った。
「いい、ゴロタ君、このままでは母子ともに死んじゃうの。わかる?それで、母親だけを助けることは無理なんだって。だから、子供だけでも助けるの。分かった?」
力なく頷くゴロタ。理屈では分っている。それしか選択肢はない。
手術は始まった。麻酔薬は、シルフがケシの実から抽出した阿片を精製して作ったものだが、心臓に負担を掛けないように局所麻酔にしている。
大きなガラス瓶の中に酸素が充満している。酸素生成器からその瓶にチューブで流れ、そこから別のチューブでクレスタのマスクにつながれている。
クレスタのお腹をメスが切裂く。出血はわずかだ。血圧が弱くなっている証拠だ。どんどん深く切っていくと、膨らんだ子宮の壁が見える。時々動くのは、赤ちゃんが動いているのだろう。
だんだん、出血がひどくなってくる。子宮にメスを入れる。胎盤にメスが入ると羊水があふれてくる。ガーゼでふき取りながら、中の赤ん坊を取り出す。まだ、息をしていない。へその緒がつながったままだ。フランちゃんが、赤ちゃんの背中をさする。ポンポンと軽く叩く。
口の中からほんの少し羊水が滴り落ち、火のついたように泣き出した。良かった、羊水は飲みこまなかったようだ。血圧低下が直近だったので、大丈夫だったのだろう。すぐに、臍帯を切り、措置をする。
真っ白なタオルに包んで、クレスタの顔のそばに近づけてやる。麻酔が効いているので、眼を覚まさないが、やさしい寝顔だ。
ゴロタは、クレスタのお腹を復元で元に戻した。次に、頭に手を置いて、ヒールを掛ける。クレスタが、うっすらと眼を開けた。赤ちゃんの顔が見えたのか分からないが、涙が零れ落ちていく。右手を、赤ちゃんに伸ばそうとして、手がぐったりしてしまった。眼が動かなくなっている。もう動くことはなかった。
クレスタは、死んでしまった。最後に赤ちゃんに手を伸ばし、触れることもできずに死んでしまった。
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ゴロタは、体の中に炎が燃えさかるのを感じた。その炎は、どんどん、どんどん大きくなっている。自分が何者かに変わってしまう気がした。頭が痛い。割れるように痛い。頭の両脇の、こぶがある所がとても痛いのだ。体の中の炎は、治まることがない。ダメだ。ここにいてはダメだ。誰かがゴロタに呼び掛けている。
「ゴロタ、ダメよ。そこにいてはダメ。こっちにいらっしゃい。」
ゴロタの周りから景色が消えた。暗黒の闇の中だ。宙に浮かんでいるのか、地の底にいるのか分からない。頭が痛い。ズキズキする。背中も熱くなっている。熱い。とても熱い。ゴロタは、上着もシャツも脱ぎ捨てた。上半身裸だ。しかし、背中は熱くなるばかりだ。
ゴロタは、体の変化を理解した。頭には2本の角が生えている。形は分からない。しかし、触るとヤギの角のようだった。
背中にも違和感がある。何かが生えている。広げてみる。大きく広がった。後ろを振り返ると、大きなコウモリの羽のような物が生えている。これは何だ。見たこともない。体の中から何かが湧き上がってくる。この感覚、今まで感じたことがない感覚。すべてを破壊しつくし虚無の世界にしてしまいたい欲求。
しかし、ここは闇の世界。光も何もない。ここは何処だ。自分は何処にいるんだ。何をするつもりだ。世界の終焉、ふと、そんな言葉が頭の中に浮かんだ。終焉。世界の滅びの日。それでも構わない。クレスタを奪うような世界、未練はない。
シェル、シェルは何処だ。シェルのいる世界は、絶対に守らなければ。ああ、自分は、なんてことを考えたんだ。シェルは絶対に守る。そう決めたんだ。
いつ?
いつ、そんなことを決めたのか思い出せない。ずいぶん、昔のような気がする。シェル、どこにいるんだ?
『ゴロタ君、ゴロタ君。どこにいるの。ねえ、返事をして。聞こえたら返事をして。』
シェルの念話だ。自分が、どこにいるのか分からない。しかし、シェルに会いたい。シェルに抱かれて思いっきり泣きたい。シェルのところに帰ろう。
そう思ったゴロタは、また気を失ってしまった。
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ゴロタは、まだクレスタの部屋にいた。寒い。上半身裸だった。シェルが、毛布を肩からかけてくれた。ゴロタは、頭に手をやった。大丈夫、元に戻っている。肩にも何も生えていないようだ頭痛は治っていた。
赤ん坊は、別の部屋に連れて行かれている。元気な女の子だそうだ。シェルは何も聞かない。ゴロタはイフクロークからシャツと上着を出して着た。
クレスタは、安らかな顔付きだ。まるで眠っているようだ。枕元に跪く。クレスタの手を握る。握り返しては来ないのは分かっているが、握らずにはいられなかった。
シェルが、『クレスタを着替えさせ、綺麗なベッドに寝かすから。』と言って、ゴロタを外に出した。
大広間には、ガーリック伯爵夫妻や兄姉達が来ていた。ゴロタは、茫然と立っているだけだった。シルが死んだ時、ベルがいなくなった時の悲しみとは違う喪失感が、ゴロタを包んでいた。
シェルが、隣の部屋に行って、生まれたばかりの娘を連れてきた。真っ白な絹の綿入れに包まれている娘は、クレスタに似ている気がした。角は生えていなかった。
シェルから受け取り、抱いてみる。もう乳は飲んだのか、眠っているようだ。ゴロタは、涙が溢れて来てしまった。この娘を産むために、クレスタは自分の命を捧げたのだ。
ゴロタは、娘をシェルに預け、屋敷の外に出た。あの悲しみに溢れた広間にいると、また自分を失ってしまいそうだったからだ。
外は雪だった。風が無いので、綿毛のような雪が静かに降っている。
空を見上げてみる。雪が重なって、空は真っ白だった。
クレスタが死んだのは、やはり異種族婚による妊娠不適合が原因だったかもしれません。クレスタの死で、物語は新局面に向かいます。