第296話 ある衛士隊員の想い
今回は、番外編です。
(6か月前です。)
10月1日、今日はタイタン領衛士養成学校の入校式だ。エクレア市出身のジュラは、昨日からタイタン市に来ている。
その日は、衛士養成学校の寮に無料で宿泊できるのだ。以前、このタイタン市があった場所は、森しかなく、エクレア市からは駅馬車で10日位掛かっていた。しかし、今は、ゲートが有るので、タイタン領民は、無料で領内の何処へでも転移することができるのだ。
ジュラは、今年の3月、エクレア市の高校を卒業した。実家が雑貨屋だったので、商業課程を専攻していたが、ジュラは商人になる気持ちはさらさら無かった。
本当は、冒険者になりたかったのだが、両親に大反対された。冒険者なんて、『ろくでなし』しかならない職業だそうだ。近所の子供達も15になって冒険者になった子が大勢いるが、今、生き残っているのはほんの僅かしかいない。
それでも、次男のジュラが家業を継げる訳もなく、何処かの大商店に勤めるか、市役所や行政庁の役人になる様に進められていた。
そんな高校3年生の時、タイタン公爵直轄の衛士隊員募集の案内が来たのだ。衛士は、国王陛下や領主様が直接採用する官制衛士と町や村或いは駅馬車業者などが雇う私設衛士がある。
私設衛士は、給料も安く、いつ解雇になるかも知れない不安定な立場なので、高齢で衛士隊を辞めた者か、何らかの都合で衛士隊を辞めた者がなるのが普通だった。
官制の衛士は、安定しており、また国民や領民を守ると言う崇高な使命があるので、若者の人気が高い。また、それ以上にタイタン公爵の採用条件が破格だった。
まず年収が破格だ。ジュラみたいに、高校新卒者は通常、月に大銀貨1枚が相場だ。1年で金貨1枚と大銀貨2枚だ。これで住まいと食事を賄わなければならない。実際は、借金をしなければ生活ができないレベルだ。
もし、住み込みなら食費と住居費が天引きされるので、殆ど残らない。朝から夜遅くまで働いても、最初の2年間は、見習いということで全く手当てがないので、なんとか生きているだけという状況だ。20歳になると、給料が倍になり、手当も貰える様になるが、その前にやめて行く者も多い。
しかし、衛士隊の給料は、ジュラみたいな全くの新人でも、月に大銀貨3枚をくれるそうだ。年に金貨3枚と大銀貨6枚だ。これは、夫婦と子供2人が何とか暮らしていけるレベルだ。
この給料は、衛士養成学校に入校した時から、貰えるとの事だった。衛士養成学校卒業後、半年間の見習いが終わると、給料は月に大銀貨4枚に跳ね上がる。それに戦闘手当や宿直手当てなど各種手当ても貰える様になる。
衛士隊の採用試験は、7月と9月にあったが、ジュラの様な来年に高校を卒業する予定の者は、9月にしか試験を受けられなかった。試験は、ジュラにとっては簡単だった。学校で習ったことしか問題に出なかったからだ
ジュラは、身体を動かすのも好きだったが、勉強も好きだった。苦手な科目は、音楽だけだ。学校の試験でも、学年3位から落ちたことはなかった。
採用試験の実技も問題なかった。若いハーフエルフの女性試験官のやる『剣の型』を真似するだけだったが、剣の動きだけでなく、『気』の使い方を見られている気がした。
ジュラは、小さい時から、明鏡止水流の道場に通っていて、今は2段だ。型は完璧にコピーできた筈だ。しかし、『気』の込め方がうまくできない。最後の方で『バスン』という情けない音がして、ほんのりと剣が光ってくれた。
女性試験官が、少し驚いた顔をしていた。ジュラは、採用試験をトップの成績で突破した様だ。
合格通知と入校案内が来た。高校卒業後、直ぐに採用になるかと思っていたが、半年間、待たされることになった。理由はよく分からないが、成績の良い者順ではないらしい。
採用通知には、来年10月まで、体力の向上を図るとともに、犯罪行為に加担しない様にとの注意書きがあった。学校の先輩で、現在、衛士の人に聞いたら、娼館で未成年の娼婦を買っても罪になるそうだ。
それからは、父の家業を手伝いながら、早朝の駆け足と明鏡止水流道場での稽古は、欠かさずに実施した。
明鏡止水流のロングソードの部では、3段を貰えた。大剣の部は、初級だった。身長が176センチしかないジュラには、大剣は大きすぎるのだった。
高校を卒業した年の9月末、衛士隊入隊日が近づいてきた。その日は、家族と店員で入隊のお祝いとお別れ会をしてくれた。兄と兄嫁も来てくれた。店員は、今年採用した女の子の見習いで、まだ12歳の小学校を卒業したばかりの子だ。名前は、ジジと言うそうだ。
9月30日、両親に挨拶をして、エクレア行政庁に向かう。母は、ずっと泣き続けている。何故か、ジジも泣いていた。
エクレア市行政庁の隣にタイタン市へのゲートが有る。開門している時は、衛士さんが警戒をして身分確認などをしている。ジュラが今日、入校のためにタイタン市に行くことは知っていたので、ノーチェックで通してくれた。
衛士隊養成学校は、タイタン市の町外れにある。今までも、店が休みの時に、見学に来ていた。半日位、学校の周囲をブラブラしていたのだ。
もしかすると、あの時のハーフエルフの試験官に会えるかも知れないと思っていたのだが、その気持ちが何故なのかは分からなかった。
校門で、入校準備のため前泊に来たと言ったら、中に入れてくれた。受付で名簿をチェックされ、体育館に案内された。体育館の中には、AからFまでの区画に分けられていて、ジュラはA区画の学生だった。
簡単な説明があった後、それぞれの居室に分かれた。ジュラの居室は『Aの1号室』で5人部屋だった。ベッドが5つと共用スペース、それに自習室が併設されている。今日から、ここが自分の部屋になるんだ。ジュラのベッドは、入り口に一番近い場所だった。
暫くするとジュラは、担当教官に呼ばれた。全校の代表委員長をやって貰いたいと言うことだった。ジュラに選択肢は無かった。
翌日の入校式では、新隊員300名を代表して、宣誓をしなければならなかった。
衛士隊の養成課程は、厳しいものだった。午前6時に起床、食事終了後、直ぐに道場で剣術の基礎訓練、これは自主トレだ。午前8時から授業だ。座学が中心で、法律や言葉使い、文字の綴りなどを勉強する。
午後は、術科だ。駆け足に始まって、剣道、逮捕術、槍術、それに水泳まである。夕方5時までびっしりだ。秋入校組は、寒さとの闘いだ。道場に暖房など入っていない。凍え切った身体を無理やり動かして、温かくしている。
初めての剣術の授業の時、あのハーフエルフの教官が来ていた。名前は『シズさん』と言い、聞くと王都衛士隊の准尉だそうだ。まだ若そうなのに、凄い人だということが分かった。
年は幾つくらいなのだろう。見た感じは、ジジと同じ位にしか見えないが。まあ、身長は教官の方が高いのは間違い無いが。
しかし剣の腕は、呆れるほどだった。動きが見えないのだ。型だって、軽く剣を振っても、剣先が見えない。振り終わった時、赤く光る剣先が漸く見えてくるのだ。
稽古では、今まで自分は何の稽古をして来たのだろうかと思えるほどだった。全く歯が立たない。面を打ち込んでも、軽く躱され、次の瞬間には、小手、銅、そして面と打ち込まれる。
稽古が終わると、色々と指導してくれる。可愛らしい声だ。その声が聞きたくて、また稽古をお願いしてしまう。
他の学生は、厳しい稽古が苦手らしく、敬遠している様なので、余り稽古待ちの列に並んでいない。
学校生活は楽しかった。知らない事ばかりだったし、術科も厳しいが、シズ教官に会えるのを楽しみにしていた。
2月に、卒業試験があった。ジュラとしては、これ程勉強したことは無いほどだった。結果は、主席で卒業出来た。
長かった半年の養成課程が全て終わり、卒業式だ。ジュラは、タイタン市の勤務を希望していたが、成績優秀者から上位200名は、ハルバラ市の勤務が決まっているらしい。ジュラは、主席だったので、ハルバラ市勤務以外の選択肢は無かった。
ハルバラ市への赴任が嫌なわけでは無かったが、シズ少尉に会えなくなるのが、少し寂しかった。
ゴロタ公爵閣下から、ハルバラ市に転移させて貰った。200名全員が転移したら、転移ゲートは閉まってしまった。もう、帰るに帰れない。帰るとすれば2か月以上の旅をしなければならないのだ。
早速、指導班長が決まった。ジルコニア衛士長殿だ。以前、帝都で衛士隊をしていたそうだ。これから、半年間、常にジルコニア衛士長殿と行動を共にしなければならない。
ジルコニア衛士長殿は、既に結婚されていて、奥様とお子様は、帝都にいるそうだ。ハルバラ市が落ち着いたら、ハルバラ市内に一軒家を買って、奥様達を呼び寄せるつもりらしい。この衛士隊の給料は破格なので、きっと直ぐに呼び寄せることが出来るだろう。
ジュラ衛士補は、隊本部裏の独身寮に入寮した。ほとんどの新人衛士隊員はそうだ。女性衛士隊員は、近くのホテルを借り切って、寮として使っているそうだ。
ジュラ衛士補は、今まで、旅行をしたことが無かったので、ホテルに泊まったことは無い。
エクレア市で、雑貨屋の次男として生まれ、ずっとエクレア市から離れたことは無かったのだ。
今日は、初めての泊まり勤務だ。午後、隊本部に出勤する。本日の担当地区を指示される。
ジルコニア衛士長それとバレン曹長の3人で班を組む。まあ、ジュラはおまけのようなものだ。
ハルバラ市は、最近は落ち着いてきたが、以前はゴロツキの街だったらしい。その前は、災厄が襲い、市民の殆どが死んでしまったそうだ。
前の郡長官も、殺されてしまい、今は、市長が郡長官代行をしているそうだ。
ジュラは、これから何年、ここで勤務するのだろうか。そうだ、聖夜が終わると、長期に休めるそうだ。その時、タイタン市に行ってシズ少尉に会うことにしよう。断られてもいいから、プロポーズしてみよう。しないで諦めるのは悔しいからだ。
叶わぬ希望に胸を膨らませるジュラ衛士補だった。
ゴロタ達は、多くの若者の夢と希望を奪っていったようです。