後日談② 初夜
ミネルバが【鳶鷹】の引き継ぎを終え、いよいよ二人はピッケルの実家へと向かった。
道中、ミネルバの生い立ちを話すと、ピッケルが
「へぇ、ミネルバは本当にお姫様みたいな人なんだね」
と感想を言った。
いや、地方の半分農民みたいなものよ、とキチンと説明したのだが、ピッケルがあまりにも
「最初に会ったときにも、お姫様みたいな人だと思ったんだよね」
とミネルバを持ち上げるものだから、ミネルバもピッケルの実家の手前あたりでは
「ふふふ、私はピッケルのお姫様なのよ」
などと、少し調子に乗った発言をしていた。
──到着したら、マジの姫がいた。
ピッケルの家の外観は、年季を感じさせる木の家と、同じく木でできた、真新しく見える家、周囲に広い畑がある、ありていに言えば、それほど特別な感じはしない、普通の農家を連想させる家だった。
「あれ、なんだこの家」
ピッケルは新しいほうの家を見て不思議そうに言いながら、ミネルバを古く見える家の方へと案内した。
「ただいまー」
ピッケルがミネルバを連れて家に入り、帰宅の挨拶をすると、家の中の奥の部屋から
「おかえりなさい」
と返事が聞こえて、女性が姿を見せた。
とても美しい女性だった。
ミネルバは、その女性をピッケルの姉だと思った。
「遅くなってごめん、この人がミネルバ。
俺の⋯⋯嫁さんだ」
嫁と呼ぶのが少し恥ずかしいのか、ピッケルは軽く言いよどみながらミネルバを紹介した。
ピッケルからの紹介を聞いて、女性は身につけていたエプロンを外しながら挨拶した。
「ピッケルの母、シャルロットよ。よろしくね」
最初、ピッケルの姉かと思ったその女性は、なんとピッケルの母だった。
着ているものは普通なのに、気品なのか何なのか、不思議なオーラを発して微笑む彼女に、ミネルバは同性ながらしばらく見とれてしまった。
そのあと、おもわず跪きそうになったが、それは流石に我慢した。
うん、これが姫だ。
ごめん、私、調子に乗ってました。
しばらく衝撃を受けていたミネルバだったが、あまりの衝撃に挨拶に返事をするのを忘れているのを思い出し
「ぴ、ピッケルさんの妻として来ました、ミネルバです!
これからいろいろ、よろしくお願いしますです!」
変な敬語を使いながら、慌てて挨拶した。
そんな彼女に、好感をおぼえたのか、優しい目をして微笑みながら、シャルロットは言った。
「あら、ピッケルったら、こんな美しいお嬢さんを連れてくるなんて。
何も知らないと思ってましたけど、あなた、意外と面食いなのね」
「うん、ミネルバは俺のお姫様なんだ」
やめて。
もう、やめて。
ミネルバは心の中の何かが削られるような気がして、到着したばかりだというのに逃げ出したくなる衝動に駆られた。
そんな逃げ道をふさぐかのように、外から一人の男性が入ってきた。
「お、帰ってきたか」
「あ、父さんただいま」
男はピッケルを少し老けさせた感じだが、それでもピッケルのような大きな息子がいるとは思えない、若々しい覇気を感じさせた。
「父さん、この人がミネルバ。
俺の嫁さんになってくれるって言うから連れてきたよ」
「ああ、お前がすぐに帰ってこないから、そうだろうと思ったよ。
よろしく、ミネルバ。
俺はクワトロだ。
ようこそ、ヴォルス家へ、よく来てくれたな」
「はい、ミネルバです、これからよろ⋯⋯ヴォルス?」
「ああ、そうか、俺もちょっとは有名だった時期があるから、耳に入ったことがあったか。
たぶん頭の中に浮かんだ、そのヴォルスで間違いないよ」
クワトロは謙遜して言ったが、その有名度はちょっとどころではない。
その男は国の語り草だ。
王の名前は知らなくても、クワトロ・ヴォルスならそれこそ子供でも知っている。
英雄として、そして姫を拐した犯罪者として。
実は、王都で黒竜を撃退した冒険者は、ただの「ピッケル」ということになっていた。
これは、ギルド監督官のアスナスが手をまわし、ピッケルの情報から「ヴォルス」の記述を抹消したためだ。
黒竜を撃退するほどの男。
ヴォルス。
この二つが繋がれば、当然クワトロの事が連想されるだろう。
そうなれば、現在もその行方を追われているクワトロと姫に、迷惑がかかると思ったのだ。
記述がそのままなら、ミネルバの耳にもその事が入り、ピッケルの正体が既にわかっていただろう。
「父さん、外の新しい家なんなの?」
「ああ、どうやら嫁が来そうだから、頑張って急いで建てたんだ。
まぁその割にはいい出来だろ?
新婚なら、やっぱり新居に住ませないとな、嫁に失礼だろう」
「⋯⋯父さん、ありがとう」
「勘違いするな、お前のためじゃない、嫁さんのためだ」
「ううん、俺の嫁さんのために、そこまでしてくれて、ありがとう」
「⋯⋯ちっ、あんまり照れさせんなよ」
そんなほほえましいやり取りがすぐそばで行われているにもかかわらず、ミネルバはそのやり取りをどこか遠くで行われているように聞きながら⋯⋯
私、とんでもないところに嫁に来ちゃったかも。
そんな不安に駆られていると──
「あ、まだミネルバを紹介したい相手がいるんだ」
ピッケルがミネルバに声を掛け、外へ出るようにとうながした。
そして、家の裏にある庭へと移動して立ち止まる。
特に人気のないその場所を、ミネルバはきょろきょろと見まわしたあとで、ピッケルに聞いた。
「その人、どこにいるの?」
ミネルバが疑問を口にすると、ピッケルは両手を口の横にそえて
「ちょっと待ってて。
おーい! ハク! ハークー!」
と大声で叫んだ。
しばらくすると⋯⋯
バサッ、バサッと遠くから何かが羽ばたくような音が聞こえた。
その音は、だんだんと大きくなっていく。
ミネルバの目に、最初白い何かが映り、それは大きくなる音とともに、その姿を大きくしていった。
ミネルバは、それがドラゴンだと気が付き、慌ててピッケルに声をかけた。
「ぴ、ピッケル、ド、ドラゴンよ!
家に避難⋯⋯あ、だめだ、あれ家よりずっと大きい!
どうしよう!」
「ん? 大丈夫だよ、あれは『益虫』だから」
「え、えきちゅう?」
やがて、そのドラゴンは遠近感を少し狂わせるほど大きくなった。
その羽ばたきで発生する風で、ミネルバはたたらを踏んで吹き飛びそうになったが、ピッケルがそっと肩に手を回してくれたおかげで、普通に立てるようになった。
しばらくして、ドラゴンは、二人の前に「ズンっ」と音を立てて着地した。
それは、先日王都に現れた黒竜よりも一回り大きかった。
白竜。
それは黒竜と対をなす存在。
その力は圧倒的で、長い王国の歴史でも討伐記録のない、伝説の存在。
そもそも目撃の記録すら、ほとんどない。
存在自体を否定する者までいるほどだ。
そんな伝説の存在にミネルバが身を固めているのと対照的に、ピッケルは軽い口調で話し始めた。
「ハク、ただいま、この人はミネルバ。
俺の奥さんになってくれるんだ、ハク風に言えば、つがい、かな?」
ピッケルの話が伝わっているのか、いないのか、ハクと呼ばれたドラゴンに、自分がじっと見られているのがわかり、ミネルバが身を固くしていると⋯⋯
「うまそうな、女だ」
ドラゴンが発語した。
ミネルバは二つの衝撃を受けた。
まず一つは、人語を操るドラゴン。
それは神ともいえる力をもつ存在。
過去、そのドラゴンの怒りを買い、滅ぼされた国まであるという。
そして、もう一つ。
自分が、そんなドラゴンの「餌」として認識されたこと。
──しかし。
「⋯⋯おいハク、言って良いことと、悪いことがあるんじゃねぇか?
お前まさか、『駆除』されたいんじゃねぇだろうな?」
そんな衝撃は、それ以上の衝撃によって簡単にかき消された。
ピッケルが普段の彼からは想像できない荒々しい口調でそういった瞬間、彼女の肩を抱いているその腕から、目の前の白竜以上のプレッシャーを感じたのだ。
戦いの予感。
それも天地を揺るがすほどの。
ミネルバにそんな覚悟を感じさせるほど、両者はにらみ合い、ただならぬ空気を発する中⋯⋯
しばらく時間が過ぎたのち、白竜が言った。
「ふっ。ピッケル、怒るな怒るな、冗談だよ、冗談、ドラゴニックジョークだ」
「あっ、なーんだ、ドラゴニックジョークか、全くハクはいつもそうやって。
驚かせないでよー」
そう言って、それまで発していた雰囲気をスッと引っ込めて、笑うピッケル。
そんなピッケルの前で、この世の全てを噛み砕いてしまいそうな、凶悪なオーラを放つ歯を、むき出しにして口を開けたドラゴンを見て、ミネルバは
この白竜は、きっと笑っているのだろう、うん、そうに決まってる。
自信はないが、そう思うことにした。
そう思わないと、とても怖いから。
⋯⋯というか、ドラゴニックジョークって、何?
当たり前のように使われるその単語に、今さらながら引っかかりを覚えていた。
___________
その後、夜になってシャルロットの手料理をご馳走になった。
私、手伝いますよ、とミネルバは申し出たが、シャルロットは首を振って
「来たばかりのお嫁さんに、そんなことさせられないわ、今日はゆっくりしてね」
と微笑んだ。
ぱぁあああという幻聴が聞こえそうなオーラを発する義母に、また、見とれてしまった。
そして──
──私も、こんな人になりたい、ううん、なってみせる。
そんなことを決意した。
食事をすませ、しばらくピッケル一家の話を聞いていた。
「俺がいない間、父さん家建ててたんでしょ?
『害虫』は来なかったの?」
「ああ、どうやらハクがほとんど追っ払っててくれたみたいだ。
最近運動不足って言ってたからな。
気まぐれなやつだけど、『益虫』はこういう時は頼りになるな、やっぱり」
そんなやりとりで彼女がヴォルス家の嫁として一番最初に学んだのは
「害虫」
「益虫」
という、ヴォルス家独自のスラングだ。
どうやら裏の山から飛来するモンスターのうち、家や畑に害となるものを『害虫』、ピッケル一家に協力してくれるものを『益虫』と呼んでいるようだった。
伝説の白竜を、虫よばわりするのはどうかと思ったが、ミネルバは自分の常識をこの一家に当てはめるのは、この一日でもう諦めていた。
しばらくしてから、クワトロが「そろそろ寝るか」と宣言して解散となり、二人は新居へと移動した。
寝室に入ると、クワトロの手作りらしい家具が並んでいた。
「あ、ベッド、一つなんだ⋯⋯」
ミネルバはなんとなく、そう口にした。
ベッドは大きく、二人で寝るとしても充分な大きさだ。
「夫婦なんだから、当たり前でしょ?」
そう言ってピッケルは先にベッドの上の寝具を持ち上げて中へと入り、そのまま持ち上げた状態を維持して、ミネルバが中に入るのをうながした。
ミネルバは己の動悸が早くなるのを感じながら
うん、まぁ、夫婦だもんね、当たり前、だもんね。
そう自分に言い聞かせるようにして、中へと入った。
そして中に入り、これから起きるであろうことをあれこれと想像し
私、うまくできるかしら。
変なことしないだろうか。
そんなことを頭の中でぐるぐるさせていると⋯⋯
ピッケルが、そっとミネルバの手を握って言った。
「ごめんね、なんか今日、いろいろ驚かせたみたいで。
不安になった?」
ピッケルから、自分への気遣いを感じるその発言に、ふっと身が軽くなり、緊張がとけたのを自覚しながら、ミネルバは答えた。
「うん、正直ちょっと驚いたわ。
私が知っていることと、色々と違うから。
でも、あなたがいてくれたら、私には不安なんてないわ」
そう自分に言い聞かせた。
そんなミネルバの様子を見て、ピッケルが話し始める。
「俺はここで育って、ここで暮らしているから当たり前のことだけど、ミネルバは違うもんね。
俺はここしか知らない、物知らずな男だけど、なにがあっても絶対にミネルバのことを支えるよ。
ミネルバが、俺に、市場でしてくれたように」
ピッケルのそんな力強い言葉。
それを受けてミネルバは、やっぱりこの人を選んでよかったと思った。
普通の男なら、好きな女の前で「自分は物知らずだから」などと、自分に足りないものをあっさり認めて口にしないだろう。
でもピッケルには、それができる素直な心がある。
そのうえで、自分を支えると言ってくれる。
何も、不安に思うことなんて、ない。
これから何が起きようと、彼に委ねればいい。
そう、この夜、これから起きることだって。
そんなことを考えながら、ミネルバは今日決意したことを思い出した。
「私ね、ピッケルのお母さん、初めてあったばかりだけど、あんな風になりたいと思ったの。
この家で、ここで、あなたと⋯⋯これから生まれる二人の子供。
そんなこと考えるだけで、幸せな気分よ」
ミネルバがそう言うと⋯⋯
「子供、か。
⋯⋯なら、やるべきこと、しないとね」
そう言って笑ったピッケルが、ミネルバをじっと見つめた。
その視線とその発言を受けて、話をしたことで少し収まっていた動悸が、再び早くなるのを感じながらミネルバは──
──今は、こうするべきだ
と自然と感じて、目を閉じた。
________
目を閉じた。
目を、閉じた。
目を、閉じてるの!
あれ、なんか結構時間かかるのね、そういうものなのかしら、とミネルバの動悸が少し収まり、ちょっと冷静になり始めたころ。
「ふたりで、ブルードラゴンにお願いしなきゃ」
「うん⋯⋯ブルードラゴン⋯⋯えっ?」
ブルードラゴン?
どゆこと?
ミネルバは閉じていた目を「パチッ」と開けてピッケルを見た。
そんなミネルバの戸惑いが伝わったのか、ピッケルが疑問を口にした。
「⋯⋯だって子供って幸せのブルードラゴンが連れてきてくれるんでしょ?」
無邪気な顔で、目を輝かせてミネルバを見てくる、そんなピッケルの言葉を聞きながら──
物知らずってそこから!?
ちょっとご両親!
おたくの息子さん、ちょっと物知らず過ぎやしませんか!?
心の中でそんなことを叫び、ミネルバはやっぱりちょっとだけ、不安になった。
そんな感じで、ミネルバのヴォルス家での初夜は過ぎていった。