英雄の求婚
入り口で起きた騒ぎは、パーティ会場に移っていた。
誰もが己を飾り立て、そのきらびやかさを演出するパーティ会場に突如として混入した、異物。
普段着にしても粗末な身なりの男の登場に、周囲の好奇の視線が集まっていた。
そんな無遠慮な視線は意に介さず、ピッケルは堂々と、まっすぐとミネルバのところへ歩んでいく。
なにか物々しい雰囲気さえ感じさせるその歩みの為か、それともそんな闖入者に単に関わり合いたく無いためか、人々は自然と道を譲った。
だがピッケルがミネルバの前に立つ直前、一人の男がそんな異物を排除するのが我が使命、と言わんばかりに、行く手を遮るように二人の間に割り込み、ピッケルを値踏みするように見まわしたあと、口を開いた。
「きみ、そんな恰好で参加するなんて、非常識だよ。
ここをどういった場と心得ているんだい?
何故衛兵が止めなかったのかはわからんが、即刻出て行きたまえ」
男爵のヴィゼットだった。
ピッケルは自分の行く手を遮るこのヴィゼットに対して、憤ることもせず、堂々と話し始めた。
「田舎者ゆえ、このような場所の礼儀作法には疎く、失礼があったなら謝ります。
用件はすぐ済みますので、取りあえずそこをどいて頂けますか?」
間違いなく自分より格下の人間のその態度に、少しカチンときてヴィゼットが言い返そうとしたとき、後ろにいたミネルバが彼の正面に立つ男に声をかけた。
「ピッケル、どうしたの?」
ミネルバのその言葉を聞いて、ヴィゼットの記憶が呼び起された。
ピッケルという名前、それは確か黒竜を撃退したという、冒険者の名前だ。
黒竜を撃退し、すぐに立ち去ったとの事だったが⋯⋯
単純に考えて、この男は黒竜以上の存在──それを認識した途端に、全身から汗が吹き出る。
そんな男と事を構えるのは愚か者の所業だ。
ヴィゼットはころっと態度を改めた。
「これはこれは! 英雄殿でしたか! これは失礼! 私はヴィゼットと申します。
一応男爵の爵位を⋯⋯」
「⋯⋯どいて頂けますか?」
「これはこれは失礼! 高名な冒険者同士の大事な語らい、邪魔をする気はございませんので、どうかごゆっくり!」
そう言ってヴィゼットは、胸元から出したハンカチで顔を拭きながら、パーティーの人波へと消えた。
暫くヴィゼットを視線で追いかけていたピッケルとミネルバだったが、改めて顔を見合わせた。
ピッケルはドレス姿のミネルバが、少し眩しく見えた。
初めて出会った時、彼女をお姫様のようだ、と心の中で評したが、彼女のドレス姿はより一層、美しさを引き立てていた。
「それで、どうしたの? ピッケル」
「これを持って来たんだ」
そういって彼は、持ってきたメロンを差し出した。
「来年と約束していたけど、君が美味しそうに食べる姿が何度も頭に浮かんできた。
その姿がまた見れればと思って」
「わざわざそんなことのために? ⋯⋯ありがとう」
ミネルバは両手でメロンを受け取った。
先日のものよりやや大きなそのメロンは、ピッケルのように片手では持てず、ドレス姿で小脇に抱える訳にもいかず、正直この場では扱いに困った。
ただピッケルが純粋な好意から持ってきたものを、粗末にするつもりもなかった。
単純にその気持ちは嬉しかった。
メロンを受け取り、微笑むミネルバを見て、ピッケルの心は温かい気持ちになり、その正体に気がついた。
──ああ、父が指摘した通り、俺はこの人のことが好きなんだ。
出会ったばかりだというのに、心を奪われてしまったんだ。
自分の気持ちに気がついたピッケルは、もう止まれなかった。
「それともう一つ。ミネルバさんにお願いがあって」
「何? ああ、そういえば次は代金を払うって言ってたわね。
ごめんなさい、今はパーティの途中で、お金は持ち合わせが⋯⋯」
申し訳なさそうにいうミネルバの言葉に首を振りながら、ピッケルは右手をミネルバに向けて差し出しながら、その言葉を口にした。
「俺の嫁さんになってください」
その発言に周囲がざわついた。
先日出会ったばかりの男からの突然の求婚。
もちろん当事者のミネルバは、周囲の誰よりも驚いた。
──しかし。
そのとき、驚きながらもミネルバの心を邪な考えが支配した。
黒竜をあっさり退ける、その力。
上手く利用できれば、【鳶鷹】をさらに大きくできる。
この、純粋な男なら、自分の思うように誘導できるだろう。
そうすれば、もう、私を蔑むものはいなくなる。
ミネルバは求婚を受け入れ、ピッケルの手を取ろうと考え、差し出されたその手を見た。
──その瞬間思い出したのは、幼いころの戯れのような会話で交わした、母の言葉だった。
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「ミネルバちゃん、女が幸せになる結婚相手、どういう人かわかる?」
「王様や、貴族!」
「ぶっぶー。王様や貴族でもいい人や、悪い人もいるわよ」
「じゃあお金持ち?」
「そういう、肩書じゃないの」
「えー。難しいよ」
「じゃあ答えを教えてあげる」
「あなたのことを誰よりも愛してくれる、働き者の男よ」
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ミネルバは、改めてピッケルの手を見た。
汚れていた。
とても、女に求婚しにくるような手ではない。
この男は、ミネルバに喜んでもらいたい、その一心で、好きな女に会うのに、手を洗う時間も惜しんで、わざわざメロン一つ、他に何も持たずに、遠路はるばるやってきたのだ。
そしてこの、貴族も多数いる、豪奢な建物の中の、華やいだ場所で、自らの姿がどう見られているかも気にせず、恥じらいもせず、ただ堂々と、真っ直ぐと、ミネルバを見ている。
差し出された手から感じた彼の誠意は、彼女の心に大きな変化をもたらした。
これじゃ、私、あの男と同じじゃない!
ミネルバは急に、己の事を恥じた。
そう、ミネルバがさっき考えたのは、人からの見られ方だけを気にして、表面上は笑顔を浮かべながら、裏で大事な野菜を捨てた、あの男と変わらないことに気が付いたのだ。
自分を傷つけたあの男と、同じことを考え、実行しようとした。
そのことが、たまらなく恥ずかしく、そんな風に変わってしまった自分が、震えるほど怖かった。
⋯⋯そして彼女は、一つの結論を導き出した。
私には、彼が求愛するほどの価値なんてない。
こんな誰よりも純粋で、優しい男の妻になる資格など、ない。
そう思ってしまった。
「⋯⋯ごめんなさいピッケル、私には、あなたの奥さんになる資格なんてないの」
悲しそうな顔で発せられた、そんなミネルバの言葉に、ピッケルはしばらくきょとんとしたあと、笑いながら言った。
「俺の嫁さんになるのに、資格なんて必要ないよ。
嫌なら、嫌っていえばいいんだ。
ただ、受け入れてもらえるなら、この手を握ってくれれば、それだけでいいんだ」
ピッケルは出した手を、彼の変わらぬ気持ちを表現するかの如く、変わらず真っ直ぐとミネルバへと向けていた。
ミネルバは改めて、その手を見た。
別に手を洗ってないから、汚れているというだけではない。
爪も土の色素が沈着し、茶色に変色している。
ゴツゴツとした手は、野良仕事によって荒れ、けっして綺麗とは言えない。
でも、働き者の手だ。
地に足をつけた人間の手だ。
彼女には、それが痛いほどわかった。
その手には、見覚えがあったから。
それは、畑仕事をやめる前の、自分の手とよく似ていたから。
望めば幾多の勝利を得られる戦士としての力を持ちながら、彼は作物を育てることに、その力を注いでいるのだ。
しばらく沈黙が流れ──
ミネルバは静かに口を開いた。
「⋯⋯ごめんなさい、私、その手を握り返せない」
「⋯⋯そっか」
その言葉に、ピッケルは目を閉じて、残念そうな表情を浮かべ、手を引こうとした──その時。
「だってこのメロン、私、両手じゃなきゃ持てないんだもの」
「⋯⋯え?」
彼女の言葉に、ピッケルはその発言の意図にすぐには気がつけず、動きを止めた。
それとは正反対に、【鳶鷹】のナンバー2、ヨセフが動き、彼女に近づき両手を差し出した。
ミネルバは当たり前のように、ヨセフの手にメロンを置きながら言った。
「ヨセフ、今日からあなたが【鳶鷹】のマスターよ」
そんな彼女の言葉に、ヨセフは首を振りながら、やれやれといった表情で返答する。
「メロンを渡すついでに言うようなことじゃないでしょう、まったく」
そんな嫌みを含んだ言葉を聞き流し、ミネルバはピッケルに向き直り、笑顔で宣言した。
「ピッケル! 私、あなたの奥さんになるわ!」
そう言ったもののミネルバは、差し出された手を握り返すことはしなかった。
──そのかわり、着飾ったドレスが汚れるのも、皺になるのも構わずに、ピッケルの胸へと飛び込んだ。
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これは後に「農閑期の英雄」と呼ばれる男の物語の、そのほんの、ほんの序章。
誰よりも強く、誰よりも優しいその男の隣には、少し抜けたところがある彼を支える、美しく、交渉上手な、しっかり者の妻がいた。
序章
おわり