七枚目に刻む事なかれ
街道での出来事を経て、ピッケルたちが王都に到着したのは夕暮れの時刻だった。
本来、夕刻を過ぎると城門の通行は制限されるが、仕事柄、王都外へ出ることが多い冒険者に限って、その条件は多少緩和されているらしい。
「やあミランにガンツ⋯⋯それにミネルバ嬢? 変わった組み合わせだな」
馴染みの門番なのだろう、ミランやミネルバが挨拶を交わしたのち、ピッケルやクルーウッパスへと視線を移した。
「そっちの二人は?」
「む? 俺は⋯⋯」
「こっちが私の主人、こちらは私達の護衛対象よ」
クルーウッパスが何か答えようとするのを遮り、ミネルバが二人を紹介した。
二、三質問を受けつつ、書類の記入など規定のやり取りが行われ、通行の許可が下りた時にはすでに日は沈み、夜道を照らす街灯の光が彼らを出迎えた。
「あー、『リヌルの灯火』を見ると、王都に帰ってきた事を実感するなぁ」
感慨深げなミランの呟きが耳に入る。
「リヌルの灯火って言い方、実際に聞くと良いものですね」
「おっ? ピッケル知ってるのか?」
「はい、本で読んだことがあります。それに前来たときに二人に聞きました」
この街灯設置した、昔の王女様の名がリヌルといい、街灯の事を『リヌルの灯火』と呼ぶとのことだ。
「リヌル様は今のところ、歴代唯一の女王様なのよ。街灯の設置や、乗合馬車の仕組みを整備したりと、色々画期的な政策を打ち出した方なの。才色兼備で飾らない性格の方だったみたいで、今でも人気なの。ちなみに私も大ファンよ」
ミネルバが付け足したのを聞いて、茶化すようにミランが言った。
「まぁ、自分が夜遊びしたいから街灯を設置したとか、馬糞で転んだ腹いせに『道に馬糞が落ちてるような事がないようにして頂戴!』って命令して、処理するための魔法具を開発させたとも言われてるけどな」
「それも市井を良く見て、政策に反映させたってことじゃない。偉そうに城でふんぞり返っているよりよっぽど好感が持てるわ」
二人の女王談義を耳にしながらリヤカーを引く。
あと幾つか道を曲がれば冒険者ギルド【栄光】に到着、という所で、ピッケルは声を抑えて告げた。
「⋯⋯建物の中に、たぶん誰かいますね」
「え? 何いってんだ? この距離で」
「いい香りが漂ってきてます。紅茶⋯⋯かな?」
ピッケルの言葉に「スンスン」と鼻を鳴らしたミランだったが、何も匂わなかったらしく呆れたように言った。
「お前の鼻、どうなってるんだよ」
「ピッケルは鼻も目も特別製なのよ。私からしたら全部同じに見えるモンスターだって、匂いで嗅ぎ分けるんだから」
ピッケル夫妻の言葉が信じられない様子のミランだったが、実際ギルドに到着すると⋯⋯。
「確かに明かりが点いてる⋯⋯泥棒か?」
窓から明かりが漏れているのを確認し、ミランが警戒したように声を発した。
リヤカーを止め、全員で入口に向かう。
「鍵は開いてる⋯⋯壊されてる様子はねぇな」
ミランは鍵が掛かっていないのを確認したあと、慎重にドアを開こうとした──瞬間、扉は中から開かれ、ピッケルやミネルバ、ガンツにとって見知った人物が姿を見せた。
「あっ、ガイさん」
「ピッケル様、ミネルバ様、それにガンツ様、ご無沙汰しております。そちらはミラン様ですね? ご無事なようで安心致しました。もう一方は、頭に巻いている布や装束から察するに、ユガ族の方ですね?」
柔和な笑みを浮かべながら姿を見せたのは、黒いスーツに身を包み、髪をオールバックにセットした、品の良さを感じさせる青年──ロイ商会で会頭の秘書として臨席したナヴォーレン家の三男、ガイ・ナヴォーレンだった。
「そろそろお戻りだと、商会の者から報告を受けまして。大変失礼ながら、こちらで合鍵を作成させて頂き、開錠した上で、中で待たせて頂きました。勿論合鍵の費用はこちらで負担致しますのでご安心下さい」
「いや、恐縮してるっぽく言ってるが、やってることマジで失礼なんだが⋯⋯」
ミランの指摘などまるで聞こえていないかのように、ガイは話を続けた。
「私、この度会頭の御命令で、ミラン様の魔法開発の監視⋯⋯おっと、サポートを担当するために冒険者ギルド『栄光』に出向させて頂く事になりました。
給料についてはロイ商会から支払われますので、そちら様にご負担はかけませんので、ご安心を」
「いや、なんかちょっと本音漏れてるし、お前みたいな奴が来ても迷惑なんだが⋯⋯」
ミランが半眼で呻くが、またもやどこ吹く風という様子でガイは話を続けた。
「ささ、皆様。旅の垢を落とす用意は出来ております。とりあえず足を洗っていただくための熱湯、ぬるま湯、冷水をご用意させていただきましたので、お好みの物をご指定下さい。
それともお食事にしますか? ロイ商会直営のレストランから運び込ませる手筈は整っております。
軽食は持参済みですので、ちょっと小腹を満たして頂いても構わないかと。
何はともあれ、ご到着に合わせて飲み頃となるようにお茶を用意しておりますので、まずはお召し上がり下さい」
ガイが指差すテーブルの上に、人数分──クルーウッパスの物も含め、だ──湯気を漂わせたカップが置いてあった。
「戻ってくる日にちはともかく、よく時間までわかったわね」
「皆様は何かと目立ちますからね。それに王都周辺は、商会にとって庭同然ですから」
ミネルバの指摘を軽く流しつつ、ガイが先を続けた。
「この秋に届いたばかりの銘茶です。戦争によってしばらく街道が封鎖されていたにも拘わらず、特殊なルートで入手したハーン帝国産の逸品でございます。ささ、何から?」
あくまでも自分のペースを崩さないガイに、ミランが答えた。
「お前の、最初の仕事は、だな」
「はい」
「黙ることだ」
ミランの言葉に、ガイは恭しく頭を下げた。
「了解致しました。昔から『沈黙は金』と申しますからね。ちなみにこの沈黙は金という言葉、初代統一冒険者ギルドの長、バーランの言葉だとはご存知で? このバーランはギルド『栄光』とも関わりの深いお方で⋯⋯」
「いや、解説はいいから黙れよ⋯⋯」
ミランが辟易していると、先に奥へと進んでいたピッケルは思わず大声で叫んだ。
「この紅茶うまっ!」
その言葉を聞いて、ガイはニッコリと微笑みながら、頭を下げた。
「それはよろしゅうございました」
「なんだ、このマイペースな二人⋯⋯」
ギルドに帰還したことで精神的な緩みでもあったのか、ミランが疲れたように嘆息した。
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ガイはかつてピッケル夫妻から買い取っていたメロンを用意していた。
もともとミラン救出の為に、商会から援助を受けている。
本人が無事戻ったのなら『時間経過遅延』の魔法、その簡易版を開発する件も進める必要があった。
「クルーウッパス⋯⋯さん、どうやら先約を片付けなきゃならんらしい。話の前に、先に調べ物してもいいか?」
「ああ。それとクルーウッパスでいい」
「そうか、助かる。改まった話し方は苦手だからな」
ミランはメロンに手を触れながら、何か呪文を詠唱した。
その間、ミネルバはクルーウッパスへと話し掛けた。
「しかし、話すのが上手く無いって、話下手って意味だと思ったわ」
「ピッケル・ヴォルスのおかげだ、声を出すのも辛かったからな」
「ふぅん。ユガ族の男、みんな同じ様子なの?」
「ああ。詳しくは後で話すが、特にここ二、三年は皆つらそうにしている」
二人が話している間にミランは詠唱を終え、『時間経過遅延』の魔法がかかったメロンを手に取り、その後もしばらく観察していたが、やがて眉根を寄せながら言った。
「鑑定したが、これは恐らく『六枚目』クラスの魔法だ。俺には手に負えねぇよ」
「何? 六枚目って」
「そこからか⋯⋯って、まぁ普通はそうか。魔法学院なんかで使われる魔法のランクだよ。北方にあるエルフの集落に伝わる神話が元らしいぜ」
「エルフ?」
ミネルバはエルフについてそれほど詳しくない。
知っているのは、自分が接したことがあるエルフたち、つまり一般的な事だ。
エルフは人間に良く似た見た目だが、全員が美しい外見をしている。
特に特徴的なのは、切れ長の目と長い耳だ。
自らの種族へのプライドが高く、人間をやや見下す傾向がある。
長命で、やや排他的だが、好奇心が強い個体は人間社会へ混ざって暮らす者もいる。
種族の特性なのか魔法が得意な者が多く、ミネルバも冒険者時代、何人かエルフとパーティーを組んだことがあるが、その誰もが強力な魔術師だった。
古語が元となったと言われる独特の言語を使うが、人間社会に溶け込んだ者は、人間の言葉も訛りなく話せる、というのが、ミネルバにとってのエルフという種族の認識だ。
「それでエルフの神話って? 『戦女神』とか、『三天神』みたいな?」
「それよりずっと古いぜ、なんせ長命なエルフが代々伝えてるって代物だ。天地創造の時、神は用意した七枚の石版に、世界の六つの法則を書き記したとされていてな。一枚目には簡単な文字で簡単な法則が、石版の数が進むほど複雑な文字を使って難解な法則が刻まれ、世界は生まれた──って感じだ」
「⋯⋯数合わないじゃん。七枚あるんでしょ?」
ミネルバの指摘に、ミランは首を振りながら答えた。
「『七枚目に刻む事なかれ』、だ」
「⋯⋯どういうこと?」
「七枚目は『終末の石版』とか、『回帰の碑』って呼ばれてる。『真実の碑』⋯⋯なんて言い方もあったかな。神様専用だとか、世界を破壊する時に使うために、神は敢えて何も刻まなかった、言われてるな」
「ええーっ、なんか怖いのね」
ミネルバが眉をひそめながら感想を言うと、隣で聞いていたピッケルが考えを述べた。
「エルフ達の自戒⋯⋯なんじゃないですかね?」
彼の言葉に、ミランが聞き返した。
「自戒って?」
「つまり⋯⋯過ぎた力の行使は、己の身を滅ぼす──あるいは、世界を」
「⋯⋯自戒、か。なるほど、そうかも知れねぇな」
妙に納得したような──それでいて、自嘲するようにミランは言った。




