直伝の一撃
識王の陣中から、ピオルネ村への距離はそれなりにあったが、今のヤンにとっては一足飛びと表現するような距離でしかない。
まだ暗くなる前に、村には到着した。
そこで目にしたのは、人によっては奇妙な光景だろう。
目の前にある村を奪い合う為に集まった、王国、識王両軍の兵が、村を境として、躾られた犬の群れであるかのように戦意を失い、ただただ距離を取って待っているのだ。
ヤンの到着後を待ちわびたように、識王軍の武将が出迎えた。
「魔法によって報せは受けております、ヤン様、あの化け物をなんとかしてください、あれは、まるで二十年前の⋯⋯」
武将はそこまで言うと、ぶるっと体を震わせた。
思い出したのは、つい先ほどの出来事か、それとも二十年前の出来事、あるいは、両方か。
だとしても、ヤンに興味はない。
この男はヤンを知っているようだが、ヤンはこの男の事など知らない、興味はない。
「まあ、私に任せておけばいいよ」
識王の強化魔法によって研ぎ澄まされた【索敵】で、到着する前から、気配は感じていた。
村の中心にいる男は、ただならない気配を発している、これはフェイよりも、父ハオランよりも上だとすぐに確信した。
これが恐らく、神人──。
普段のヤンなら、フェイが指摘する通り勝ち目などないだろう。
仮にティーファが合流して、二人がかりであっても、一蹴される。
しかし、それは今の自分が、あそこに立っていたとしても同じだ。
仮に普段の自分、いや、四矛四盾全員が束になって掛かったとしても、今の自分ならなんとかできるのではないか、そう思わせるほどの『力』のうねりを体内から感じる。
相手も当然ヤンの気配は感じているのだろう、静かに、村の中心部で待っている。
駆け寄って、一気に戦いに持ち込んでもいいが、この力を今しばらくゆっくりと楽しみたい、そんな気持ちになっている。
油断かもしれない、だが、今の自分にはそんな不遜すら許される。
識王軍の兵士の間をすり抜けるように歩き、村へと入っていく。
相手の姿を視界に捉え、静かに近づきながら声をかけた。
「君が、ピッケルかい?」
「そうだけど、誰⋯⋯?」
呼びかけられた男は、こちらの事を伺うように言ってくる。
男から少し離れた場所で、村人たちが不安げに集まっているが、それもどうでもいいことだ。
ピッケルの疑問に答える義務など当然ないが、戦いの前に名乗りを上げるのも一興、と考え、自己紹介することにした。
「私が四矛四盾の二矛、ヤンだ。わざわざ呼び出してごめんね」
ヤンの言葉を聞いているのかいないのか、ピッケルが左右を見渡して言った。
「⋯⋯ミランさんは?」
一瞬、誰の事を言っているのかわからなかったが、すぐに気が付いた。
あの、人質にした男だ。
識王の興味を引いたのは意外な流れだったが、ヤン本人は一切興味がない相手だ。
「あの男は連れてきていないよ」
そう告げると、ピッケルは怪訝そうな表情を浮かべて言った。
「え? だって俺を連れてきたら返すって、ガンツさんと約束したんだろ?」
ガンツ? 知らない名前だが、ミランという男を捕まえた時に一緒にいた冒険者だろう。
今の今まで、存在すら忘れていたが。
「ああ、そんな約束したかもね」
「あ、思い出したなら良かった。
今はガンツさんいないけど、こうやって俺が来たんだから、約束通りミランさん連れてきて、俺ここで待ってるから。
そのうちたぶんガンツさんも戻ってくるよ」
あくまでもとぼけたように言ってくる男に、少し苛立ちを覚える。
この男は、何を言っているのだ。
奴らが既に用済みであることくらい、気が付いているはずだ。
今、この状況こそヤンが望み、最後の仕上げをする場面だ。
その前に、あまりごちゃごちゃと言われてしまえば気が削げてしまう。
ならば、もう会話は打ち切り、さっさと始めよう、そう思いながらヤンはピッケルへと告げた。
「うるさいなぁ、どうでもいいでしょ、そんな奴らのこと。
悪いけど私は約束なんて守る気、最初から一切ないよ、さっさと⋯⋯」
「どうでも⋯⋯いい?」
ヤンが「戦おう」と言いかけた刹那──ピッケルの雰囲気が変わった。
それに伴い、己の肉体に現れた変化に、まずヤンが思ったのは。
(しまった! 弱体化魔法か!?)
強化魔法があれば、その逆もある。
相手を弱体化させ、戦闘を優位に運ぶ魔法だ。
強化魔法によって能力を底上げしたとしても、弱体化魔法をあとからかけられれば、上書きされる事がほとんどだ。
強化魔法の弱点、そこを突かれたことを考えた。
だが──ヤンは即座にその考えを否定した。
弱体化魔法なら、抵抗の余地があるはず、一定以上の能力の持ち主相手に、問答無用に効果を押し付けたりできないはずだ。
それに、これは、そんなチャチなものではない。
形容できないほどの、凄まじい『圧』を感じた。
「何お前、嘘ついたの? ガンツさんはそのために、命を賭けるはめになったんだぞ?」
一言呟くと、ピッケルは歩き始めた。
ただ、歩いただけだ。
何か、間合いを詰めようとか、こちらの動きをはかりつつ、などといった意図は一切感じない、隙だらけにも見える、歩み。
だが、ヤンは何もできなかった。
いや、ピッケルの雰囲気が一変したその瞬間から、何をする事も許されなくなった。
今までの修練による積み重ね、経験、そして借り物とはいえ、手に入れた『力』の行使、その全てが──許されない。
この男から突如として発した『圧』が、許してくれない。
じっとして、ただ時間が過ぎ去るに任せ、黙って終わりを待つことこそが、最良の選択なのだと、本能に抗えない服従を命じるほどの──『圧』。
これほどの圧ではないが、今の状況に似たものは、過去、体験したことがあるような気もする。
それは、武を修行してからではない、もっと、ヤンの心の奥底に根を張るような、深い記憶だ。
具体的にいえば、幼少の頃。
歩み寄りながらピッケルが、拳を眼前に構えた。
いや、正確にいえば、口の前か。
武術としては、見たことがない未知の構えであるが、さりとて何度か見た気がするような、お馴染みの構え。
ピッケルは「はぁー」と息吹を吐いた。
それは、まるで吐いた息が拳にかかることによって、力を与える儀式かのように見える。
そこでヤンは気が付いた。
今の状況は例えるなら──幼少期に父の気を引こうといたずらをして、父が予想以上に怒ってしまった時。
それに似ていた。
ついさっきまで、ヤンは『頂き』にたどり着いていたかのような心境だった。
頂きから神のごとく、下界を見下ろしているかのように思っていた。
下を見すぎたせいで、頭の上がお留守だった。
ズルして、本当の順路を使わずに到着したけど、山頂だから落石の心配なんていらないよね? なんて油断していたら、天高く遥か上空から、巨大な隕石が落ちてきたような──
「こらぁぁあああっ!」
掛け声と、ゴン! という音と共に、頭に凄まじい衝撃が走った。
そのまま頸椎から尾骨まで、衝撃が落雷のように走る。
身長が縮んでしまうのではないかと思わされるほどの、上からの一撃。
「見ず知らずの人間に、こんな所まで呼び出されたあげくにそれが嘘だったら、流石に俺も怒るぞ! 嘘つきには、父さん直伝のゲンコツだ! フェイの弟らしいから手加減しとくけど、次はないぞ!」
ピッケルの説教を、ヤンは辛うじて聞いていた。
揺れている、視界が、脳が、意識が、ついでに、先程までの万能感を伴った高揚も。
あたりまえだが耐えられず、バタンと倒れた。
それまでの修練、経験、知識、策。
持てるもの全てを駆使して、死ぬような思いをしながらも、やっと登り切ったかに見えた山頂で──いきなり足元が消え失せ、幻の山頂から滑落してしまったかのような、絶望的な心境とともに──ヤンの意識は暗転した。




