立っていたのは
ピオルネ村では村長の決定で、村を放棄する事が決まった。
ピッケルは思うところはあったものの、ミネルバから口出しをしないように言われた。
自分たちは村の人間ではない、村の決定に口出しする資格はない、と言われればピッケルも反論出来なかった。
ただ、村の決定にたいして、できるだけ協力しようという夫婦の意見は一致していた。
老人や子供といった、足が遅く、逃げるのに向かない人々はとりあえず先に逃がし、動ける者を十人ほど残して村の荷物をできるだけ集め、あとからそれを追いかけることになった。
両軍が来るであろう街道は利用せず、迂回してエンダムへと向かう。
その道中はそれほど強力ではないとはいえ、モンスターなども徘徊しているらしい。
だが、先に村を離れる村人たちは老人や子供が中心で、十分な脅威だ。
護衛ということで、モンスターとの戦いに慣れているミネルバやガンツは、そちらに同行することになった。
その間に、ピッケルは人々が集めた荷物をリヤカーに積み、残る村人たちと共にあとから先行した村人を追うという流れだ。
ミネルバがリヤカーから剣を取り出し、腰に装着した。
冒険者時代に着ていた鎧はすでに処分していたので、持ってきているのはこの剣だけだ。
あとの荷物に関しては、ピッケルが運搬を請け負う。
「ピッケル、あなたがいれば大丈夫だと思うけど⋯⋯気を付けてね」
「ああ、心配いらないよ、何かあったらエンダムで落ち合おう、ガンツさん、ミネルバをよろしくお願いします」
「ああ、任せろ。しかしすまない、俺の依頼のせいでとんでもないことになったな」
「ガンツさんのせいじゃないですよ」
あまり惜しむ間もなく、ピッケル達はしばしの別れを迎えた。
ピッケルは村人に混ざって、しばらく村を離れる準備を手伝っていた。
村の中央に続々と荷物が運びだされ、集まってくる。
みな、不安だろうに一心不乱に荷物を集める姿を眺めていると、ピッケルは心が穏やかではいられなかった。
俺ができることは、本当に他にないのだろうか、と何度も自問自答を繰り返した。
クワトロに言われた、自分の道を探せ、という言葉を思い出す。
ミネルバが言っていることは、正論だ。
ここはピッケルの住む村ではない。
彼らには彼らの生活があるし、これからもそれは続く。
たまたま立ち寄っただけの自分のわがままで、彼らの生活に影響を与えるような真似をするのは、違うかもしない。
だが。
畑を捨てる。
それはピッケルにとって、自分なら絶対にできない選択だ。
日々、手塩にかけて育てた作物、畑を捨て、別の場所に行く。
それを、捨てることができることこそが、彼らの強味なのか。
それとも、それを捨てることしか選べないのは、彼らの弱さなのか。
今の未熟な自分では答えが出せない、だが、どちらも寂しさとは無縁でいられない、つらい選択なはずだ、ということだけは理解していた。
ならば、せめて村人たちが、つらい中で選択した決定に寄り添おうと考え、荷物をリヤカーに積もうとした──その時。
ピッケルの耳に、多くの生き物が走る音が聞こえてくる。
それも、この村を囲むように、東西から。
「みんな! 俺のリヤカーに今すぐ乗るんだ!」
ピッケルは、村中に響き渡るように大声で叫んだ。
__________
「なに、ピッケル。どうしたの?」
ミアーダはとんでもない声量で叫んだピッケルの声に驚き、作業を止めてリヤカーを置いている広場にやってきた。
ピッケルはまっすぐに、地平線を眺めるように立っている。
「もう、すぐそこまで大勢来ている。馬が走っている音が聞こえる」
「何も聞こえないけど⋯⋯気のせいじゃないの?」
「いや、間違いない、早くするんだ」
疑うわけではないが、何も聞こえない。
おそらく、ピッケルは臆病風にでも吹かれているのだろう。
それも仕方がない、と思った。
たしかにミアーダも、怖い。
久しぶりに突然現れた幼馴染に「村に軍隊が迫っている」と言われれば、誰だって冗談だと思うだろう。
しかし、少なくともそんな嘘をつく男ではないし、ミアーダ自体、エンダムの街がはなつ雰囲気から、戦争の気配をひしひしと感じたばかりだ。
村が戦場になってしまうということは、間違いないのだろう。
だが、それでもそこまで差し迫っている、ということには現実感を覚えにくかった。
「ごめんなさい、ピッケル、まだ持ち出さないといけない荷物があるの、もうちょっと待って──」
ミアーダは言いかけた、その時。
ピッケルの視線、さらにその先に、異常を感じた。
見たことがない景色だ。
景色は常に変わり、似たものはあれど、同じものなどないことくらいはわかっている。
それぞれの景色が季節によって移り変わるのを、普段から、この村で生まれてから毎日見て来た。
朝、目覚めて家の外に出た時、農作業を行う合間、ふと、視線を上げたとき。
一気に変わったりしないが毎日、少しずつ変わっていく。
だが、変わらないものがあるとすれば。
それは地平線だ。
時間や季節によって見え方は変わるが、位置は変わったりしない、いつも同じだ。
いや、わずかに上下することはある、立ったり、座ったり、あるいは実を採ろうと木登りしたとき。
天と地の境、地平線。
その地平線に、今は天に立ち上るような靄がかかっている。
見たことがない地平線だが、何が起きているのかミアーダにもわかった。
しばらくして、やっと聞こえてくる。
聞いたことがあるはずだが、過去聞いた覚えはない、だが、正体はすぐにわかった。
ピッケルの言う通り、馬蹄の音だ、それも、数えきれないほどの。
一頭の馬であれば、当然聞いたことがある、慣れ親しんだ音だ。
しかしこれだけ集まれば、知っている音であっても、もはやそれは別の何かだ。
楽器の演奏など、父が酔って戯れに食器を叩くときくらいしか聞いたことがない、それを、演奏と呼ぶのには抵抗があるが。
今鳴り響く蹄の音、それも演奏と呼ぶべきでは無いのかもしれない、だが、体に響くような音を何と呼べばいいのか、他に思いつかなかった。
これは、村に破壊をもたらす、馬蹄による不気味な演奏だ。
まるで、それ自体が村に害を及ぼす嵐の前触れようだった。
そして、それは当たっている。あれが村に来るとき、村は無くなってしまうのだから。
なぜピッケルがそれにいち早く気が付いたのかはわからなかったが、今は残った村人全員が感じているだろう。
音が実体を伴っているかのように作用し、体が震えた。
それは恐ろしいからか、騎馬の行進によって、実際に地が揺れているせいなのか、判断がつかない。
「俺のリヤカーなら、走るより早い、はやく乗るんだ!」
聞こえてきた馬蹄の音に立ち竦んでいた村人たちが、ピッケルの大声を契機に、広場に集まり始めた。
荷物を今更運び込む余裕はない、というのはもう皆わかっている。
このリヤカーは普通に走るより早い、それを信じるしかない。
村に残って作業していた者たちが、次々とリヤカーに乗り込み、肩を寄せ合った。
誰かが、言った。
「ピオレ様⋯⋯私たちをお守り下さい⋯⋯」
皆恐ろしいのだろう、それが歌い出しだったかのように、村人の祈りが、そこらから聞こえてくる。
やがて祈りは、聖人の名前を呼ぶだけに省略されていった。
ピオレ様、ピオレ様、と。
それは迫りくる破壊の演奏にさらされた村人たちの、せめてもの抵抗といえる、か細い合唱のようだった。
すぐにでもその合唱に参加したい、と思う気持ちを必死で抑え、最後の一人がリヤカーに乗り込むのを確認し、ミアーダは叫んだ。
「ピッケル、早く、リヤカーを動かして!」
ミアーダの叫びに、リヤカーの前に待機していたピッケルが振り向いた。
慌てた様子もなく、ただ、振り向いた。
あまりの恐ろしさに、現実逃避しているのではないか、と思えるほどの様子で、ピッケルが言った。
「ミアーダ。ほんとうに、良いのか? 村を捨てても」
聞いた瞬間、怒りが湧き上がる。
あの音にいち早く気が付くほどの、臆病者の癖に。
いろいろ助けてもらっている恩人だし、今もこうやって村人の移動を受け持ってもらっている。
そのことには感謝している、だが、今そんなことを言ってる場合じゃないことくらいわからないのか。
「仕方ないじゃないですか! どうしろって言うんですか! これは、きっと試練です!
秋蒔きの小麦が、雪の下で頑張るように⋯⋯私たちも、頑張らなきゃいけないんです!
ここを捨ててでも、生き延びてこそでしょう!?」
次第に強くなる、鳴り響く音に負けないようにと叫ぶ。
それに対して、ピッケルは、あくまでも静かに語ってきた。
馬蹄の演奏が今も、いや、さっきよりも次第にうるさくなっているはずなのに、なぜが、それは良く聞こえた。
「ごめん、聞き方が悪かった。だけどね、ミアーダ」
その表情に、ハッとさせられた。
同年代のミアーダ相手に、幼子に語りかけているかのような、優しい表情で、ピッケルは話した。
「試練に耐えることと、理不尽に膝を屈するのは、違う。
これは村に訪れた試練なんかじゃない、ただの、突然の、理不尽な出来事だ。
村を、救いたくはないのか?
あそこに生える秋蒔きの小麦たち、その育った姿を見たいとは思わないか?」
そんなの良いから早く、と言いたかった。
たが、ミアーダの口から出たのは、別の言葉だった。
「救いたいに⋯⋯見たいに決まってます! でも⋯⋯!」
ミアーダの言葉に──ピッケルはにっこりと笑った。
笑顔は、全然似合っていなかった。
ピッケルが笑うことが、ではない。
その、背後から迫る光景に、全然似つかわしくなかった。
もうすでに、靄だったものは確かな形を伴っていた。
ピッケルの、笑顔のその先で、騎馬隊はもう村へと殺到する、すぐそこまで来ていた。
だが、ピッケルは気にする様子もなく、話を続けた。
顔に、笑みを浮かべたまま。
「そうか、ならこれはたぶん、今まで忘れることなく、祈りを捧げて感謝してくれた君たちのために、ご先祖さまが俺を呼んだんだ」
「え?」
「勝手なことをするとミネルバに怒られそうだけど──ご先祖様の意思は、守らないとね」
イタズラするのを注意された子供が、言い訳をするように呟いたピッケルが、迫り来る騎馬の集団へと振り返るのと同時に、ミアーダの耳に、何やら低く、唸るような声が届いた。
その刹那、ミアーダは震えた。
恐怖を覚えるような、不気味な声だ、あるいは、迫りくる馬蹄の演奏よりも。
しばらくすると──
乗っていたリヤカーが、浮いた。
「え、えええええええぇええ!?」
ミアーダは突然の浮遊感に、それまでのように気丈に振る舞うのは限界を迎え、思わず目を閉じる。
その直前に見えたのは、リヤカーの前にいるピッケルが右足を上げ、大地を踏みしめる姿。
ダンッ! と凄まじい轟音に、思わず耳にも手を当てて、閉じた。
しばらくして──目を閉じたまま、手をそっと耳から離す。
何も聞こえない、耳がおかしくなったと思った。
先ほどまで鳴り響いていた馬蹄の音が──一切聞こえてこない。
きっと、続けざまに、今まで聞いたことのないような恐ろし気な音を聞き続けて、耳がおかしくなってしまったのだと思った。
そっと、目を開けてみた。
そこに映っていたのは──倒れ、地に伏す、騎馬の一団だった。
音が鳴りやんだ理由がわかった。
簡単なことだ。
馬も、人も、先ほどまで聞こえていた、破壊をもたらす曲の奏者たちは全てが倒れ、演奏を止めていた。
ミアーダの目に映る限りで、地に立っていたのはピッケルと──冬に備えて地に根を張り、風になびく、秋蒔きの小麦だけだった。




