兄弟の再会
ピオルネ村での滞在も、二日が過ぎた。
どのようにしてイブロンティア周辺を調査しようかと、一行で話し合っていると
「ヤンに接触して、目的を聞いてくる。可能ならミランさんは連れて帰ってくるよ」
とフェイが申し出てくれた。
正直ミネルバとしてはまだフェイを信用しきれないところがある。
だが、ここに来るまでに、フェイがなぜピッケルと戦ったかは聞いていたし、今はそのつもりがないという。
疑えばキリがないので、任せることにした。
相手の目的がなんであれ、ミランさえ戻ればこちらの目的は達成される。
懸念があるとすれば、ヤンとやらがミランに施した術だが、フェイに心当たりがあるらしい。
相手の体に流れる『力』を乱す技だろうと説明を受けた。
義父が害虫退治の修行中に、内在やら外在やらの『力』を利用する、といった話をミネルバにしていたが、どうやら同じ力らしい。
フェイによれば、自分やピッケルなら治せるだろう、とのことだ。
取りあえず、先行したフェイが戻るまではのんびりできる。
数日しても戻らなければ、彼が裏切ったことも想定して動かないといけないが。
実際、こんなにゆっくりするのは何年ぶりだろうか。
鳶鷹時代は、忙しかった。
冒険者たちは、一つの依頼をこなすとのんびり過ごす時期を作るのが普通だが、マスターであるミネルバはそうもいかなった。
自身が依頼を受けていない時でも、鳶鷹に所属する冒険者たちへ依頼を振り分けるために冒険者ギルド監督庁に赴き、所属する冒険者たちの適正を考えながら吟味したりと休みらしい休みなどなかった。
ヴォルス家でも、一日一日は穏やかに過ごしつつも、やることがなくなる、ということはない。
農作業、料理、洗濯、害虫が現れればミネルバ本人が戦わないにしても、素材回収や後始末、とそれなりに忙しい。
と考えれば、こんなに平和に、朝からやることなく、一日中のんびり過ごすのは貴重なことだ。
さて、しばしの平和な休日をすごそう、と思い、ミネルバは、村人が用意してくれた仮宿から外へと出た。
村の公衆浴場は、朝でも入れるらしい。
朝風呂なんて贅沢ね、でもその前に朝食かしら。
最初は食料を村に売るのも前向きではなかったが、こうして来てみるといいところだ。
すがすがしい、平和な朝を享受しながら村の中を歩いていると──村人が集まっていた。
ミアーダの姿も見える。
なんだろう、と思い、後ろからひょっこり覗いてみる。
村人に囲まれた男は、地面に膝をついて、息を荒くしている。
昨日は見ていない顔だが、年はそれほど変わらないように見える。
確かこの村には、同世代はミアーダだけだと聞いてたので、恐らく外からの客だろうか。
「デリック、嘘でしょ、こんな何もないところなのに! 久々に帰ってきたくせに、からかうのはやめて!」
なにやら、ミアーダが叫んでいる。
デリックというのはどうやら風呂で聞いた、村を飛び出した男のようだ。
「嘘じゃねぇよ! もうすぐそばまで来てるんだ!」
デリックという男も、必死になって言い返している。
「そんな⋯⋯」
どうやら、何かに追われているみたいだ。
ミネルバは、心のなかで、追われる場合のありがちなケースを想定してみる。
村を飛び出したものの、うだつが上がらず、借金を繰り返し、逃げまわっても借金取りが追ってくる。
そして実家に借金を肩代わりさせて、回収するように仕向ける。
うん、ありそうだ。
その場合、甘やかす必要はない、きっぱりと断るべきだろう。
もし、そんな話が出たら、私が言ってやろう。
ミネルバがそんな妄想を繰り広げていると、彼女に気が付いたミアーダが言った。
「ミネルバさんどうしよう! 村が、戦場になっちゃう!」
「えっ」
大げさに言ったわけではなさそうだ、顔に悲壮感が溢れている。
どうやら休日は、終わりを告げたようだ。
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「よお、ヤン」
「これは兄さん、ご無沙汰しています」
フェイは、進軍を止めて休憩をしている識王軍へとやって来た。
普通に訪れたつもりだったが、やはり戦争前で気が立っているのだろう、識王周囲の兵は突然現れたフェイを見て殺気だっている。
ヤンは識王シダーガのそばにいた。
識王とは面識はないので、恐らくだが。
周囲の護衛は一般的にみればそれなりの腕前で、そいつらが守っているのだから間違いないだろう、と見当をつけた。
とはいっても、フェイにとっては全員が一斉にかかってきたとして、瞬殺可能なレベルでしかないが。
そしてミランもいる。
「フェイ。お前なんでこんなところに⋯⋯それに、兄貴ってどういうことだ?」
「ミランさんしばらくぶりですね、あれ? 意外と元気そうですね、ちょっと太りました?」
「んなわけねぇだろうが⋯⋯」
「冗談ですよ、とりあえず迎えに来ましたよ」
事情を知らないミランが、フェイの姿を見て驚きを隠せない様子だ。
どこかに拘束されていると思っていたが、ここにいるなら好都合だ。
ヤンとの話が終われば連れて帰ろう。
聴覚に『力』を集中して、ミランの心音を盗み聞きする。
異常は感じない。
恐らく術は解かれたのだろう、であれば、何も懸念することはない。
「来客の報告は聞いていねぇんだけどな」
シダーガが面白くなさそうに呟く。
見張りの怠慢だと思っているのかもしれない。
彼らの名誉のために、一言いっておこうと思った。
「すみませんね、突然お邪魔して。
見張りなら寝てますよ、休憩中ならちょうどいいでしょう?」
フェイが軽口を返すと、ヤンが説明を始めた。
「識王様、この男は私と同じ、四矛四盾の一人です。
この男がここに来たいと思えば、残念ながら識王軍に止めることができる人材はいないと思いますよ?」
「フェイが四矛四盾!?」
驚いて声を上げるミランはともかく、他人事のように言うヤンに、少し違和感を覚える。
フェイを目の前にしても、以前にはなかった余裕を感じる。
フェイがハオランの養子となったあとも、弟とは名ばかりで、ヤンとはそれほど交流はなかった。
交流は、修練を通じてだけ、といっていい。
フェイが一日で習得する技に、ヤンは二日かかった。
といっても、他の高弟たちからみれば、十分に驚かれる速さだ。
だが、ヤンがフェイを見る目には、いつも劣等感が現れたようなものを感じていた。
──今は、それを感じない。
「で、兄さん何しに来たんですか? もしかして共闘のために力を貸しに来たとでも? なら不要です。実は、ティーファも来る予定なんですよ。手助けは彼女がいれば十分です」
「げっ⋯⋯ティーファだと? あいつ来ちゃってんのかよ⋯⋯」
「ええ、彼女の手伝いは『個人的に』です。どうしてもって言うなら、兄さんも手伝ってくれますか? 『個人的に』ですが」
三矛ティーファ。
アホ女だ、だが四矛四盾なので当然腕は立つ、アホだが。
若い黒竜を、王国へと追いやった女だ。
その時に顔を少し合わせたが、特に何も言ってはいなかった。
いや、正確には、いろいろ言っていたが、聞き流していた。
聞いても仕方がないからだ、アホなことしか言わないから。
ヤンに恋慕していることは知っている、それを利用したのだろう、アホだから。
あるいは、利用されたのだろう、アホだから。
だが、警戒しなければいけないことは確かだ。
「ふん、そのつもりはない。ピッケルはお前らが束になっても勝てる相手じゃねぇぞ? オレを含めてもな」
「そのピッケルとやらに何かされたんですか? 随分と弱気ですね、だったら本当に何をしに?」
「とぼけるな、わかっているだろう。お前、何を勝手にあれこれ動いてるんだ?」
「え? 私たちの目的は決まっているでしょう? 私は黄竜の意思に従ってるだけですよ。
お言葉を賜らずとも、相手の意を汲んで動く、それくらいの気遣いはしないと」
明らかにこちらをからかうような態度に、少しフェイは苛立ちを覚えた。
「そうか、ちゃんと話す気はなさそうだな」
「やだなぁ、話してるじゃないですか。
兄さんは昔からそうだ、私のことなんて知ろうとしないし、聞こうともしない、そんなところが⋯⋯」
特に、その瞬間、何も感じなかった。
にもかかわらず。
「昔から、嫌いでしたよ。薄汚い、スリの息子が」
気が付けば、声は眼前で聞こえた。
凄まじい速度で、間合いを詰められた、というのはわかった。
それとともに感じる攻撃の気配。
技を合わせることも出来ずに、腹部に痛みが走る。
体を捻り、かろうじて急所は外した、だが、深手だ。
バカな、という思いだけで、考えがまとまらない。
話をしていたとはいえ、戦闘の可能性は考えていた、隙など見せた覚えもない。
「さすが、殺せたと思ったけどな。
でも殺しちゃったら、父さんに怒られるか。
死なないでよ、兄さん」
中段突きを放ったままの姿で、ヤンが言った。
残心したその立ち姿にも、違和感を覚える。
それは、フェイの武術家としての違和感だった。
ヤンの基本に忠実で、型通りに見える姿だが──ほんの少しだけ、歪んでいる。
気づける者は、それほど多くないだろう、自分か、恐らく師ハオランくらいだ。
だが、間違いなく言えるのは──今の威力を発揮するとは思えない。
あの構えでは、『力』は百パーセント相手に伝わることなく、僅かに逃げるはずだ──多少逃げても構わないほどの『力』を内包した一撃でなければ。
薄らいでゆく視界に、ヤンと、識王、そしてミラン。
(そうか、そういうことか)
そこで、フェイの意識は途絶えた。
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「コイツはどうするんだ?」
「『縛術』⋯⋯ああ、分かり易く言えば、拘束する術を仕掛けます。
自力でそのうち破られるかも知れませんが、しばらく持つと思います、少なくとも五日程度は」
識王の質問に答えつつ、地に伏すフェイを見下ろしながら、ヤンの胸中は晴れやかだった。
(どうだい、兄さん。まさか卑怯だとか思わないよね? 戦いにおいて使えるものは何でも利用する、『仙家』なら当然でしょ?)
ずっと、目の上のたんこぶとも言えた、十一年前に突然現れた兄。
才に恵まれ、凡人である自分など見向きもしなかった男。
この男のせいで、父は一年もろくに家にも帰ってこずにスラムをうろつき、戻った時にはヤンを顧みなくなった。
二矛に任命されたあの日も、そうだった。
「父上、『二矛』に任命されました」
ヤンは内心の喜悦を表に出すことなく、父に報告した。
頑張ったな。
良くやった。
欲したのは、そんなありふれた言葉でしかない。
だが、父の口から出たのは全く別の言葉だった。
「フェイがいないんだ、当然だ。
アイツが戻れば、入れ替わるだけの肩書きに自惚れるな」
それは、事実でしかないのかもしれない、だが。
「⋯⋯はい」
ヤンは惨めな気持ちを噛み締め、その時も、ただ頷いた。
だが、もうすぐだ、父は自分を認めざるをえなくなる。
その為の「贄」を人質を取ってまで、自分の元によびよせたのだから。
ヤンが胸中で苦い過去を思い出していると、識王配下、「遠視のグラッガ」が識王へと報告の声を上げた。
グラッガは光魔法の使い手で、光を操り、本来見えないはずの地平線の向こうも見通す力がある。
そのグラッガが、自分が見ているであろう光景を、主へとそのまま告げる。
「識王様、王国軍もピオルネ村に向かっています。
どうやら騎馬隊を先行させているようです」
「わかった。こちらも本体はここに残し、騎馬隊を先行させ、先に村を抑えろ」
識王の命令は魔法によってすぐに伝達され、それに伴い、騎馬隊が陣地を出立した。




