祝賀会
王都から戻ってしばらくのこと、ピッケルは農作業が手につかなかった。
ふと、ミネルバのことを思い出すことが多くなった。
ピッケルの育てたメロンを、おいしそうに食べて微笑むミネルバ。
害虫の前で出会った時も、自分がSクラス冒険者になったと伝えたが、ミランが言うように自分を好いてくれただろうか、そんな事が何度となく頭に浮かんでくる。
土壌浄化草の種を手に持ったまま、ピッケルがぼーっと立っていると⋯⋯
ごつん!
突然頭に衝撃を受けて振り向くと、父が握りこぶしで立っていた。
「何、ぼーっとしてるんだ、手を動かせ」
「う、うん」
ピッケルはしばらく作業を続けたが、また少し経つとぼーっとしていた。
そんなピッケルの様子に、王都での出来事を聞いていた父親は
「なんだ、例のメロンが好きな女のことでも考えていたのか?
お前、その娘のことが好きなのか?」
とピッケルに聞いた。
「好きっていうか⋯⋯ すぐその人のことを思い出しちゃうんだ。」
「そりゃあ、好きってことだよ。
まあメロンバクバク食っときながら、どこに出しても恥ずかしくない、俺の息子を振るような女なら、大した女じゃねぇよ」
そんな父の物言いに、珍しくかちんときたピッケルが
「仮に俺がフラれても、ミネルバさんは素晴らしい女性だ!」
そういって言い返してきた。
珍しく反抗的なピッケルに、父親は驚きつつも、少しうれしい気持ちになり、家へと戻った。
再び現れた父は、手にマスカレードメロンを持っていた。
それを黙って、ピッケルに差し出した。
「家族で食べようと、取っておいた奴だ。その女性に届けてこい」
「え、でも⋯⋯」
「うるせぇ、うじうじしてないでとっとと行って嫁にしてこい!
好きな女をほかに取られてから後悔するつもりか!
荷物がなけりゃ、頑張れば日帰りで帰ってこれる距離だろうが!」
父の怒鳴り声に驚きながらも、ミネルバがほかの男に取られることを想像したピッケルは、父から引ったくるようにメロンを受け取った。
「わかった、行ってくるよ」
「ああ。もしフラれたら、すぐ帰ってこい。
でももし嫁になってくれるって相手が言ったら、ゆっくり、ゆっくり帰ってくるんだぞ」
「どうして?」
「いい男ってのは、女に歩調を合わせるもんさ」
「⋯⋯わかった!」
そう強く返事をして、ピッケルはメロン片手に駆けだした。
あっという間に姿が見えなくなったピッケルの去った方向を見ながら
「まったく、世話が焼けるぜ」
と父親がつぶやいていると⋯⋯
「歩調なんて合わせてもらった覚え、ございませんけど?」
そういって、着ている衣服は粗末だというのに、田舎暮らしには不似合いな、どこか気品を感じさせる妻が家から出てきた。
「い、一般論だよ、一般論」
「あらそう。でもこれでピッケルがフラれたりして落ち込んだら、どうするおつもり?」
「いいんだよ、フラれるのだって、男にとっていい経験だよ」
「あら。あなたはフラれたことなんてないくせに」
「そりゃあ、俺が初めて好きになった女が、運よくこうやってそばにいてくれるからさ」
そういって妻の肩に父親は手を回した。
「全く⋯⋯ そういうことにしといてあげますわ」
ふたりは肩を寄せ合い、駆けだした息子が向かった方向を見つめていた。
__________
王都では、普段は外交で使われる迎賓館を開催場所とした、黒竜撃退の祝賀会が行われていた。
クエストに参加したミネルバも、パーティーに招待されていた。
いつもの革鎧姿と違って美しいドレスを身にまとったミネルバは、衆目をあつめ、様々な相手からダンスの誘いを受けたあと、少し休憩していた。
ギルドナンバー2のヨセフが近づいて語り掛ける。
「ギルドに強力な後ろ盾を得るためにも、上級貴族と交友できるチャンスです。よき伴侶なんてみつかれば最高ですね」
ミネルバは躊躇いを感じながらも、ヨセフの言葉にうなずく。
「わたしも、そろそろそういうことを考えなければいけない時期か⋯⋯」
そんな話をしていると、一人の若者がミネルバへと話しかけてきた。
「いい宴ですね。ああわたしはヴィゼット。男爵の爵位を賜っております」
「男爵さま、ですか」
男爵、という単語で、ミネルバの頭に浮かぶ苦い記憶。
昔、好きな男がいた。
とはいえそれは、十代前半の乙女なら、多くの者が通るような道だ。
彼女は学校の先輩の、男爵の息子に恋をした。
その男は人気者で、男女問わず多数の人間が、常に周囲に集まった。
地方領主の、郷士の娘に過ぎないミネルバから見れば、雲の上の存在だった。
ミネルバの家はそれほど裕福ではなかった。
彼の誕生日。
彼に様々な贈り物をする女性にまざって、彼女が庭で、普段の生活の足しにするために一生懸命育てた野菜を持って行った。
男は少し驚いた表情をしたあと
「ありがとう、大事に食べるよ」
と微笑んだ。
男の笑顔を思い出しながら幸せな気持ちでミネルバが下校していると、見慣れた野菜が道に打ち捨てられていた。
彼女は幸せから、一気にどん底に叩き込まれた。
私は、馬鹿だ。
男の本質を見抜けず、粗末に扱われた、愛情を注いだ野菜たち。
なんであんな男に、大事に育てた野菜をあげてしまったのだろう。
彼女は野菜を拾い集めた。
集めながら、ふと、涙が浮かんできた。
「ごめんなさい、ごめんなさい⋯⋯」
彼女は野菜に謝った。
それ以来彼女は、庭での農作業をやめた。
「どうしました?」
男爵の言葉で、ふと我に返ったミネルバは、
「いえ、何でもありません」
そういってニコリと微笑み、後ろ暗い感情を取り繕った。
そうだ、私は二度とあんな思いはしないんだ。
そう思い直し、改めて決意する。
彼女は男に肌を許したことがなかったが、それが強力な武器になることは知っていた。
貴族たちにその武器を使ってでも、私のギルド【鳶鷹】を大きくして、私を粗末に扱った者たちを見返してみせる、と。