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専門家

「私はゼン、こっちは娘のミラーダといいます」


 たまたま道を聞いただけの、見ず知らずの親子が自己紹介をしたのち、抱えてる事情を話してきた。


「うちの村では各家庭で亜麻を育て、共同で亜麻糸や、それらを利用した布を作っています。

 冬の間は別のものを栽培していますが⋯⋯。

 布なんかも多少値上がっていたのですが、それ以上に食料品は高騰してまして⋯⋯例年なら亜麻糸や布を卸せば、村が冬を越す食料はなんとか確保出来たのですが⋯⋯」


 エンダムの街についた途端、通りすがりの親子から重い話を聞かされて、ミネルバは少しうんざりしていた。

 ちらりとピッケルを見る。

 表情を見るに、明らかに親子に同情している。

 話を聞きながら、今にも「全部あげますよ!」と、ミネルバにも相談せずに、暴走して言い出しかねない雰囲気だ。


「餓死者なんてとんでもないですよ! わかりました! 全部譲ります!」


 あ、言っちゃった。


「ほ、本当ですか!」


 父娘だという二人が顔を輝かせた。

 しかし、このまま譲るわけにもいかないので、ミネルバは口を挟んだ。


「だめよピッケル。たしかに事情を聞いて私もそうしたい、と思う気持ちもあるけど、義父様との約束もあるわ」

「でもミネルバ、かわいそうだよ、餓死者なんて。父さんには俺から説明するから!」

「それだけじゃないわ、いい? ピッケル。もしかしたら彼らが言ってることは全くのでたらめで、私たちから安く荷物を買い上げて、そのまま転売するって可能性もあるわ、それだけで十分利益が出るし。

 あなたが人を疑わないところは好きだけど、世の中そんなに甘くないのよ」


 ゼンと名乗った男が慌てたように口を出してくる。

 

「そ、そんなことしません!」

「例え話よ。でもそういうことも考えられる以上、私は夫と違って、はいわかりましたとは言えないわ」

「⋯⋯」


 ゼンが、それでも何か言いたそうな表情で沈黙する。

 何か言いたいが、うまくまとめられない、と言った雰囲気で、朴訥さを感じさせる。

 芝居なら、大したものだ。


 正直、ミネルバも自分が考えすぎだ、とは思っている。

 彼らは人を騙すようには見えない。

 だが詐欺なんて、たいてい人を騙すようには見えないものが働くと決まっている。

 その様子を見て、ミアーダがおずおずといった感じで言ってきた。


「あの⋯⋯もしよろしければ、私たちの村まで来ていただけませんか? そうすれば嘘じゃないことはわかって頂けると思います! ずうずうしいお願いだとは思いますが⋯⋯」

「んーけど、私たちエンダムでこれを卸したら、そのままイブロンティアに向かうの。寄り道する暇はないわ」

「あ、それなら、うちの村、イブロンティア方面です。

 街道から途中で少し離れますけど⋯⋯直接行くのと、それほど大きく日数は変わらないと思いますし、宿泊などしていただいても、お代は頂きません

 裕福な村ではないので専用の宿泊施設はないですし、おもてなしはささやかになりますが、水が豊富なおかげで、村にある公衆浴場はたまたま立ち寄った旅の方々にも喜ばれます」


 それを聞いて。


 あ、お風呂入りたい、とミネルバはまず思った。


 冒険者時代は、それほど入浴にこだわりはなかった。

 水やお湯で布を濡らし、体を拭く程度でも不満は無かった。

 しかし、ピッケルの家に嫁いでからは、毎日の入浴が日課となったため、今では入浴が制限されることが旅の不満点でもある。


 ミアーダの申し出に対して、ミネルバは今後の動きを当てはめてみる。

 このあとイブロンティアに向かうとしても、周辺の事前調査は必要だろう。

 下手な動きをすれば、識王軍を刺激するかもしれない。

 であれば、エンダムから何度もイブロンティアへ調査に向かうよりは、より近くに拠点となる場所から向かったほうがいいだろう。

 

 あと、お風呂入りたい。


 ピッケルにダメ出しをした以上、自分の風呂への誘惑を理由にはできないので、ちゃんとピッケル達と相談しようと思っていると、ゼンが声をかけてきた。


「あの、すみません」

「ん、どうしたんですか?」

「あの、私たちの方から、荷物を譲ってくれって勝手なお願いしている最中、大変申し訳ないのですが、お二人が着ているその服、いや、お召し物、大変珍しい生地が使われているようなので、さきほどから気になって。それはどのような素材でしょうか?」


 ピッケルとミネルバの服を交互に見ながら、ゼンが言ってきた。

 

「ああ、これは羊毛です、火吹き羊の毛から作ってます」


 襟元を引っ張りながらピッケルが答えると、ゼンが驚愕したような表情で、「事情を聞いてください」と言ってきた時以上の勢いで食らいついてきた。

 

「ひっ、火吹き羊!? うわ! 初めて見ました! すみません、不躾ですみませんがちょっと触らせて頂いても!?」

「ちょ、ちょっとお父さん!? すみません、ウチの村、糸や布の加工が主な仕事だっていいましたけど、うちの父はその中でも『布バカ』って言われるような職人で⋯⋯」

「おいミアーダ! 父親の事を布バカ呼ばわりするとはなんだ! 大体お前も大概だろうが! で、すみません、ちょっとばかし服を⋯⋯」

「もーほんとやめってってばお父さん、恥ずかしいよ」

「何いってんだ、お前だって気になるだろ!?」

「ぶっちゃけ、とっくにめちゃくちゃ気になってたわよ! でも今はそれどころじゃないでしょ!?」


 何これ。


 急に親子喧嘩を始めた二人にミネルバが呆れていると、ピッケルがリヤカーの荷台に向かい、彼の革のバッグをゴソゴソと物色したあとで一枚の布を取り出し、戻ってきて親子へと差し出した。


「あ、よかったらこれ、差しあげますよ」

「お、これは服と同じ素材で作ったハンカチですな! どれどれ⋯⋯ぎゃー! なんじゃこの手触りはーーーー! おい! ミアーダ、触ってみろ! ほら!」

「もーやめてってばお父さん! わかったから、わかったから⋯⋯ぎゃー! 何この手触り! 素材の良さはもちろん、繊維の一本一本まで、長持ちさせる加工を施した丁寧な仕事を感じさせつつも、触れた際の手汗の乾き具合から、ハンカチ本来の目的である吸水性も妥協していないことがすぐに伝わる、至高の一品と呼ぶに相応しい代物じゃない! 手にしただけで王侯貴族の淑女が、侍女に差し出した手を、このハンカチで丁寧に拭かれている姿が思い浮かぶようだわ! 熟練の職人が、最高の素材に奇跡的な出会いを果たして、生涯にただ一枚作り上げられるかどうかという正に国宝クラスのハンカチ! こんなもの畏れ多くて頂けないです!」


 すっごい早口でまくし立てたミアーダが、ビシッとハンカチを突き返してくるのを見て、ピッケルが答えた。


「あ、まだ予備が三十枚くらいあるんで大丈夫だよ、母が手作りしたやつなんだけど、旅の間は洗濯が大変だと考えたのか、多めに荷物に入れてあったんで。

 多すぎて鞄のスペースを取るので、ちょっと邪魔だったんだよね、母には言えないけど」

「こ、こんなものが三十枚ぃぃいいー!? 市場で価値がわかる人にこれ何枚か卸すだけで、この食料品の、何倍ものお金が稼げるじゃないですかっ! ほ、本当に頂いても!?」

「あ、うん⋯⋯いいよ」


 ミアーダの勢いに、珍しくピッケルがタジタジしたような様子で返答した。


「お父さん! 思わぬところで家宝ゲットしちゃったよ!?」

「ああ! 母さんも驚くぞ! 末代まで伝えよう! 額を買わないと、額を!」


 その後も、自分たちをそっちのけにして、ハンカチについての話題で盛り上がる父娘を見ながら、ピッケルはミネルバへと言ってきた。


「荷物⋯⋯譲ってもいいんじゃない、悪い人たちじゃなさそうだよ? 黙ってたらいいことをこれだけ力説してるし、お金に困ってるはずなのに、ハンカチ売る気もないみたいだし」

「うん、そうね」


 ミネルバもあっさり同意した。

 どうやらこの親子のおかげで、思った以上の資金を得ることが出来そうだった。





 その後。

 流石に全部卸すのは義母に悪いと思い、十枚だけ、試しにハンカチを卸すことにした。

 父娘の馴染みの店を紹介してもらうと、店主も大体二人と同じようなリアクションをし、買い取り額は1500ゴートを提示されたが、父娘が「買い叩きすぎだ、いい加減にしろ」と詰め寄り、2500ゴートになった。

 交渉ごとが得意なミネルバと言えども、結局価値をきちんと知っている専門家には敵わないことを痛感した。

 そのお礼として、二人の言い値で食料品を譲り、馬車に積み替えるのは難しそうなので、サービスとして村まで届けることになった。

 おそらくちゃんと事情を話せは、義父も文句は言わないだろう。


「んじゃ、村に向かおうか⋯⋯あ、村の名前は?」

「はい、ピオルネ村です! 歓迎しますよ!」


 ピッケルがミアーダに村の名前を聞き、彼女がそれに答えていると、多数の騎兵を引き連れた一団が、道を行進していた。


「本当に⋯⋯戦争が起きちゃうのかなぁ」


 道行く兵隊を眺めながら、ミアーダが不安そうにつぶやいた。




_______________






 エンダム防衛の責任者は、部下の報告に耳を傾けていた。


「識王軍が動いたか」

「はい、斥候がイブロンティアからの移動を確認しています。

 進軍ルートを考えれば、このあたりに軍を駐留させる腹積もりかと」


 部下がそう言って、地図の一点を指した。


「水源を抑えて、長期戦の構え、ということか⋯⋯」

「恐らく」


 前回の戦争、エンダムは陥落寸前だった。

 辺境で長らく戦争に従事し、鍛え上げられた識王軍と違い、長く平和を享受していた王国軍では、兵の質に圧倒的な差があった。

 相手もその部分を侮っていたのだろう、前回はイブロンティアから直接エンダムへと侵攻してきた。


 防衛戦は本来有利だが、識王軍相手にはそれは当てはまらない。

 率いる識王はもちろん、配下にも強力な魔法の術者がそろっている。


 識王の軍が、相手の砦を一夜にして魔法で破壊しつくすのは有名な話だ。

 その識王が、まずは水源の確保に動いた、ということに今回の戦争に対しての本気度を感じる。


「この水源の確保を阻止する」

「しかし、ここには小さな村がありますが⋯⋯」

「仕方あるまい」


 別にやりたくてやるわけではない。

 もしかしたら、こちらが動かなければ識王軍は村の周辺に留まるだけかもしれない。

 しかし、戦場となれば⋯⋯。

 だが、個人の感傷を持ち出して勝てる相手ではないのだ。


「その村は⋯⋯残念だが消えてなくなるだろう」


 エンダム防衛の責任者は、努めて感情を出さないように、ただの事実として告げた。


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